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ぼくのミュージック・ライフ

  • Songs Remains the Same
    Led Zeppelin: 聖なる館
    数あるレッド・ツェッペリンの名曲の中でもこれが特に好き。この曲はダブルネック・ギターがあったからこそできたような曲でこういう変則的なギターを使いこなしてるという意味でもジミー・ペイジは凄い。ロックの歴史の中で数々のギターを使ったギタリストはいたがこうしてちゃんと曲のクオリティーを保った形で生かした例というのは他にないのではないだろうか。だからぼくはレッド・ツェッペリンのライブではこの曲が一番聴きたい。そういう意味でDVD、CD含めてライブの音源が一枚しかないというのは勿体無い。だからツェッペリンの海賊版はやたらと高いんだろう。 (★★★★★)
  • モータウン・ジャンク
    Manic Street Preachers: ジェネレーション・テロリスト
     ぼくはこの曲を聴いた時はぶっ飛んでしまった。パンクのエモーショナルな躍動感がありそれでいてヴォーカルの高い声。パンクとは一線を引いてるようでその情熱はパンクだった。ハードロックとも言えないその曲調はこのバンドの大きな特徴だった。  元々このバンド、2枚組みのアルバムを出して解散すると豪語してたが結局15年経った今でも活動している。しかもCDは当時より売れて作品の評価も高くなってる。同時期に出たバンドがまるで残ってないことからすると相当に快挙である。それについて本人達ももっともらしいコメントを出すがそれがいかにも洗練されてる。パンク的でありながら教養のある人達だというのが分かる。そのどうしようもなくハチャメチャでありそうでいながら実はごくマトモな人達というギャップが親近感を呼んでる。だからこのバンドの曲は歌詞までジックリと読んでしまう。  しかし、この人達の作品は結構多く全部網羅するのは骨が折れる。この音楽へのバイタリティ、これだけは間違いなく本物だということだ。 (★★★★★)
  • ルイ・ルイ
    Johnny Thunders: New Rose Collection
     ジョニー・サンダースの死後に出たライブ音源とアコースティック・ギターによるスタジオ録音を音源に編集したアルバム。その中でもこの曲とDo You Love Meは圧巻だった。ラジカセで録ったような音源であるが、それが逆に臨場感を出している。分かる人にしか分からないという作品だ。  ちなみに現在このCDが売ってるのかどうか知らない。これだけセンスのある人がこんなカルト的な存在で終わってしまったのは理不尽な気がする。だからこそ好きな人にはよりたまらない存在になってしまうのだ。 (★★★★)
  • ロクサーヌ
    Police: ロクサーヌ
     これが売春婦に関する歌だと知ったのはずっと後のこと。歌詞も分からずずっとこの曲を聴いていた。勿論歌詞を知ってからもこの曲は大好きな曲だけど。  本当かどうか知らないけどこの曲の入ってるファースト・アルバムはわざと下手に演奏したらしい。理由は当時パンク・ニュー・ウェーブのブームの中でスタイルを合わせたということだろう。そしてセカンド・アルバムでは実力に見合った演奏で上手くなったと思わせたらしい。そういわれてみるとファーストでは音数が少ないシンプルな曲が多いような気がする。このバンド、5作しかアルバムがないのだがそういう抜け目なさというのは元から持ってたようだ。5作とも素晴らしく駄作のないバンドだった。 (★★★★★)

ぼくのブック・ライフ

  • トニー・サンチェス: 悪魔を憐れむ歌
    ローリング・ストーンズの暴露本である。現在は改題され『夜をぶっとばせ』になってるがタイトルといいブックカバーといい前の方がシックリしていた。 ストーンズというのはぼくが最も影響を受けたバンドの内の一つだが、ここまで無茶苦茶をやってそしてそれが逆に彼らのダークなイメージにつながった。まさにロック・バンドの典型である。どんなに悪ぶっても彼らのようにはなれないし彼らのような影響力は出せないだろう。 時代をロックと女とクスリと共に駆け巡り気付けば巨大産業に飲み込まれていったストーンズ。作者はそんなストーンズに最後は身も心もすり減らされてしまったらしい。それでも未だに活動しているストーンズはある意味怪物だ。 ぼくとしてはこの本の訳者中江昌彦の翻訳もその場に居合わせたような感覚になるのが良かった。他にも『レス・ダン・ゼロ』などもいい雰囲気を出してた。今まで本なんか読んだこともなかったぼくが高校生の時読んで凄いショックを受けたのをよく覚えてる。当時のブックカバーの最後に「END]という文字が書かれてたが読後その文字が見た目以上に大きく見えたものだ。 (★★★★★)
  • 落合信彦: 第四帝国
     まず最初に断っておこう。これはトンデモ本である。ここに書かれてる内容は根も葉もないことと言っていい。そもそもこの落合信彦という人がゴースト・ライターを使ってマトモに取材してるかどうか怪しい。本人いわくCIAに100人も友人がいるというから情報には事欠かないということらしいがこれではアメリカ政府のトップシークレットがなぜか来るというUFO研究者と言ってることが変わらない。そういえばUFOに関しての記述もこの本ではありオリジナルな展開を見せてるのは興味深かった。  内容はナチス・ドイツの残党が世界各地で暗躍してるというものでヒトラーは生きてる、UFOは実はナチスが造ったというファンタジーが溢れてる。その展開はちょっとしたSFといっていい。  事の真実なんてどうでもいい。ただ単純にエンターテイメントとして読めば何の問題もないだろう。誰も「ゴルゴ13」を読んで事実と違うと言わないだろう。それと同じことだ。  しかしこの人、いかにも事実というように書くのが上手い。文章も簡単でスラスラと読めるので展開のテンポがいいのである。だから知らないうちに読んでしまってるという感じになる。そのスタイルはぼくもずいぶんと参考にさせてもらった。  まあ実際はゴースト・ライターなんだが。 (★★★)
  • ニック・ホーンビィ: ぼくのプレミア・ライフ
     このブログの元ネタとなった本。この本との出合いはサンフレッチェの応援仲間に渡されたことだ。その存在は知ってたものの読む機会がなかったのでありがたかった。  内容はというとアーセナルを応援する著者のその観戦生活といったとこだがこれを読むと結構日本のサポーターもプレミアのサポーターも変わらないとこがあるのがわかる。退屈な、退屈なアーセナルというタイトルには笑ってしまった。なぜなら分かり過ぎるくらい分かる心情だからだ。ぼくもサンフレッチェを応援してて何度同じことを感じただろう。  今やアーセナルはプレミア・リーグでも優勝しチャンピオンズ・リーグでも決勝に進出するような存在。一方ぼくの応援するサンフレッチェ広島はJリーグの1部リーグで常に降格の危機を感じるクラブ。でもその根っこは同じである。海外サッカー好きにはJリーグをバカにする傾向があるがそういう人には分からない内容かもしれない。 (★★★★★)

サンフレッチェの魂~リンク集

  • ススボウブログ
    自分サッカーやグルメについてのブログということです。 かなり熱心に応援してる方のようです。
  • ひろしま日記&サンフレッチェコーナー
    試合を時系列で紹介したりかなり凝った内容となってます。 現地の様子など行った人でしか分からないことがあり興味深いです。 試合に行った人も行けなかった人も楽しめるのではないでしょうか。
  • ゆみしん徒然の書
    ゆみしんさんのブログ。本当に色んなスタジアムに観戦に出かけて現地の様子をレポートしてます。観戦者視点でそれぞれのスタジアムの様子が分かり現地に行く時の参考になりそうです。
  • Scud Sanfrecce
    MICRAさんのサイト。ここの特集のコーナーは必見。サンフレッチェはなぜ人気がないかという考察については今までに見ない観点がある。是非一度読んでください。
  • ヒロシマ・コーリング
    今そこにある危機。サンフレッチェにはメディアが少ない。その為妙にぬるい記事が目立つ。そんな甘い現状にこのまま放置していいのかという危機感を感じた時発言していく。

2009年12月22日 (火)

槙野代表選出~アジア杯イエメン戦

 槙野が代表に選ばれた。といってもアジア杯予選のイエメン戦。格落ちの相手のため主力を除いた若手主体のB代表のようなものだ。それでも代表は代表である。こういう機会にその能力を見せ付けてA代表に上りつめるという登竜門の意味合いがある。

 しかしこの代表、移籍が決まった柏木に新人選手として得点王の渡辺など一度は試してみたい選手が揃ってる。そしてまだ観ぬものへの期待からか今までと違う代表が観れるのではないかと考えてしまう。それぞれの選手のJリーグでの活躍を思い浮かべるとそれはそれは楽しみな世界が広がる。まあそういう妄想は得てして外れるものであるが。

 だが槙野と柏木は知らず知らずの内にその内代表に選ばれる人材だというのは暗黙の了解事項である。実際に試合には出てないが槙野はA代表に選出されたことはあるし柏木も代表合宿に呼ばれたことがある。だからこういうB代表に呼ばれたとしても何ら驚くことでもないのだった。

 ただ試合に出るかどうかになるとこれは難しい。親善試合ではないために交代枠も3人しかないし誰にでも出場のチャンスがあるという訳ではない。それでも柏木と槙野が青いユニフォームを着てるとこを妄想してしまうのだった。そしてこの2人の内のどちらかが得点しバラエティに富んだゴールパフォーマンスを繰り広げる。そんな光景を観たい。だってもはやサンフレッチェでは観ることができないからだ。

 ここで気付いたのだが代表に出場する槙野を思い浮かべてもその活躍する姿が攻撃でしかないということだった。サイドから駆け上がるドリブル、CKからのヘディング、ペナルティエリアに入り込んでのシュート。何でDFなのにこんなに攻撃のイメージしかないんだ。そういえば1度オフサイドになった場面を見たことがある。何でDFがオフサイドに掛かるのだ?

 その反面守備に関しては槙野がいて助かったという場面があまり思い浮かばない。CKで巻に簡単に振り切られてゴールを決められたこともあった、身体を入れてボールをゴールラインから出そうとしたものの相手に取られて大ピンチを招いたこともあった、マルキーニョスに11でアッサリとやられたこともあった。そして何よりサンフレッチェは守備が軽いというイメージがある。それ故守備の選手ではない。でも守備の選手なのだ。

 この矛盾する性格を抱えることこそ槙野なのである。槙野から攻撃を取ったら槙野の魅力はなくなるだろう。それなのにサンフレッチェの守備の脆さにぼくらは肝を冷やす。もっと守備に専念して欲しいけど守備だけやってるのは槙野ではない。J18ゴール。満足な数字である。というかどうやったらディフェンダーがこの数字を出せるんだろう。

 これだけハッキリとした特徴のある選手も珍しいと思うがだからこそ監督にとって好みのフィルターに掛けられる選手であろう。純然たるディフェンダーではないだけに使うなら覚悟を決めて使わないといけない。ある意味槙野もミシャがサンフの監督をやった恩恵を受けた選手の1人であるだろう。

 果たして岡田のような堅物の監督が槙野を試合で使うことができるだろうか。少なくともDFでは使わないんじゃなかろうか。サイドバックとかで使うんじゃないだろうか。それはそれでこなしてしまうだろうがそれでは槙野じゃなくなる。やはり槙野はDFの位置にいながら攻撃するとこに魅力がある。というよりサンフレッチェのDFってみんなそんなタイプなんだが。

 もしかして、サンフの選手がいくら活躍しようと代表に呼ばれないのってミシャの特異な戦術のせいで仕方のないことなのかもしれないのだった。

2009年12月16日 (水)

柏木移籍

 柏木の移籍が決まった。中盤のダイナモ、テクニックとアイデアを持ちその能力はデビューした2006年から注目された。ユース上がりの選手ということもありこの選手がサンフレッチェにいるということは誇らしさがあるのだった。才能ある若手選手は他にもいるものの柏木はその中でも異彩を放っていた。その内ヨーロッパにでも移籍してしまうだろというのは暗黙の了解事項だったような雰囲気があった。だが移籍は決まったもののその移籍先は海外ではなく国内の浦和レッドダイヤモンズだった。

 現状においてこれはステップアップだろう。間違いなく国内で一番年棒が高いのは浦和だし毎年さいたまシティカップで海外のクラブを呼んで親善試合をやったりすることからも海外とのパイプも強い。日本代表へ入るにもサンフレッチェにいるよりもずっと可能性が高くなる。かつて久保がサンフレッチェにいる時はほとんど代表に呼ばれなかったのにマリノスに移籍した瞬間代表の常連となってしまったのが良い例である。

 いずれにしても柏木に関してはいつかはいなくなる選手というのは薄々感じていた。その時期としてちょっと早かったなという気はした。ただ、前年に1年契約を結んだということは最初から1年経ったら移籍することを考えてたということだ。そもそも2007J2に落ちた際最後の最後までチームに残るかどうか答えを出さなかった。もしあの時チームを去ってたらそれはショックだっただろう。だけどあの当時と今とでは事情が異なってきた。

 2009年シーズンの柏木は目に見えて成長した。かつてはファンタスティックなプレーをしながらも最後の局面でパスを出してしまう癖があった。それを自らゴールを狙うようになりリーグ戦では8点を入れた。ここが柏木の逞しくなった点でありそしてまたこの選手がいると今度はどんなサッカーが観れるんだろうという期待に胸を膨らます要因でもあるのだった。そういう意味では残念である。残念であるがいなくなってやっていけないかといえばそうでもないのも事実なのだった。

 最終節の京都戦、2シャドーには浩司と高萩が入っていた。そして柏木はボランチに入ったのだがその時思い出した。2007年のJ2でどんな時でもシャドーには浩司がいたのである。そしてもう1枚は高萩か柏木の2択だった。それは柏木の怪我の影響もあったとはいえ軸が浩司だったのは間違いない。10番を付けてるとはいえ柏木は駒であった。そしてそれは今シーズンも変わらなかった。

 ゴールもしている。アシストもしている。突出したテクニックもある。それなのに何かが足りない。そう感じることがあった。まるでイギリスのロック・バンド、XTCのようだ。上手い、才能もある、だけど何かが足りない。この感覚、XTCの好きな人なら分かると思うがその何か足りないとこが逆に魅力でもあるのだった。

 10番として背負うもの。それはチームで一番の象徴、その選手なくして成り立たないくらいの存在感、試合を支配する力である。そういう意味でサンフレッチェで本当にそれに見合った選手は久保だった。その久保が移籍してしまいしばらく外国人FWに付けられたがそれは無難にあてがったという感じだった。柏木が10番に決まった時久々の日本人選手の10番に心ときめかした。だがチームで一番の顔になったかというと素直に肯定できない。絶対的エースとなると寿人である。寿人こそチームの顔なのである。サンフレッチェにおいてその地位は変わることはないだろう。

 そういう意味で柏木本人にしてみればここで移籍する必要があったのかもしれない。そういえば闘莉王もサンフレッチェを出て浦和の顔になることができた。果たして柏木は浦和の顔になることができるだろうか。敵となってしまうのだがそれでいてエールを送ってやりたいのも事実なのだった。

2009年12月15日 (火)

2009年総括

 4位で満足か?答えは単純、満足である。だけど今シーズンを振り返ってみると記憶を辿れば辿る程歯噛みしてしまう感情も沸きあがる。勝てたのに落とした試合、大失点をした試合、大事なとこで負けてしまって早々に敗退したというカップ戦での不甲斐無さ。これが4位という成績が残せるのならどうにかならなかったのかという想いもありながらここが3位と4位の壁なのかという気もするのだった。

 まず勝てたと感じたのは第2節の大宮戦だ。2度の勝ち越しゴールを奪いゲームとして主導権を握っていたにも関わらず知らない間に負けてしまった。これはJ2の試合に慣れた後遺症だった。得点を入れればまだ入れる。チームもイケイケならそれを観ているサポーターもそういう心情だったろう。この辺は全てをひっくるめてJ1へのブランクがそうさせたのだろう。その後鹿島との対戦で点差以上の差を見せ付けられやはりJ1は簡単じゃないと認識させられた。シーズンが終わってみるとこの2試合の敗戦は必要だったのかもしれないという気もするのだった。

 そういう甘さへの反省からチームも90分ずっとイケイケでやっていったJ2とは違うという認識を持ったようだ。そしてそれはぼくらも1点を守るゲームであっても勝利は勝利と1勝の重みを感じるようになっていった。攻撃力だけじゃなく守備でも安定したパフォーマンスを発揮できるようになったのはチームとしての成長であった。その成果もあって優勝争いをする順位にもつけた。そして優勝争いに残るかどうかの1戦、川崎との試合で70という惨敗を喫したのだった。それは単純に7点も取られたというよりJ1リーグという舞台でそんな試合をしてしまったというのがショックだった。

 それからカップ戦の早々の敗退も失望させられた。ナビスコカップは予選リーグの最終節を前にして2位につけておりしかも相手は一向に調子の上がらない磐田、引き分けでもいい条件にも関わらず見事に負けてしまった。しかもその予選リーグの大分戦がベストメンバー規定に引っかかり罰金1000万円を通達されたというオマケもついた。怪我人が多くただでさえメンバーを組むのが困難なチーム状況にも関わらずこんな難癖をつけられるとは。しかも普段観れない選手が出場して結果も引き分けとサポーターの間では喜ばれた試合だった。あのメンバーで誰も不満はなかったのに何が気に食わなかったんだろう。罰金を言い渡すならそんなメンバーに勝てなかった大分にも課す必要があるんじゃないだろうか。

 そういう疑問が渦巻くナビスコであったがせめて天皇杯で勝ち進んでいればそんなことも忘れたかもしれない。3回戦で昨シーズンJ2で一度も負けたことのないJ2の鳥栖に負けてしまったのには頭を抱えた。そういえば2004年の天皇杯も昨シーズンJ2で一度も負けなかった横浜FCに負けてしまった。変なジンクスができてしまったと言えなくもない。

 そんな情けない記憶ばかりが鮮明に記憶に残った2009年、それなのに気付いたら4位。まさに各チームの差がそれ程ないJリーグの現状をよく表しているのだった。それでも昨シーズンJ2にいたことを考えれば快挙かもしれない。それでいてこれくらいやってくれないとJ2に落ちたあの屈辱は拭い去れないのであった。だからこれを成功と見るかどうかというとこは判断に迷うところなのだった。

 来シーズンはもっと上にいけるだろうか。これが以前に比べてそう簡単なことじゃないというのに気付いてきた。どこかで歯車が外れるとそのまま落ちてしまうというのも体験している。それでも上に行きたい。それは今のサンフレッチェのサッカーでこそ行って欲しい。そういう意味では来シーズンは重要なシーズンとなりそうなのだった。

2009年12月11日 (金)

リ・ハンジェ退団

 2008年、圧倒的な強さでJ2優勝を果たしJ1昇格を果たしたが唯一右サイドが弱点とされてた。その当時のレギュラーはハンジェで真っ先に補強ポイントとされたということはそのプレーは評価されてなかったということだ。そこでミキッチが補強されたものの怪我等で戦列を離れるミキッチのサブ要員として楽山と出場の機会を伺う位置にいた。それ故出場はなかった訳ではない。それでもシーズン終盤のミキッチ不在時そのポジションに入ったのはDFの森脇だった。この辺りで戦力外の予感はしてた。

 ハンジェは2002年に入団して以来実は結構試合で使われた。小野監督はお気に入りだったようで同監督在籍時は特に出場が多かった。ここでハンジェの特徴を考えてみると小野監督の好みに合ってたというのが分かる。オールマイティで波の少ない選手。ただ、逆に言うととりとめた一芸がなく大崩はしないがそのプレーの平均点が低い。まさに小野監督の申し子だったのだ。

 小野監督時代試合前のメンバー発表の時点でガッカリすることがよくあった。これで一体どういうサッカーをやるんだと。そういう時よくハンジェの名前が入っていたりしたものだ。そしていつどんな時に出ようとハンジェは予想通りのプレーをした。それは良い意味でも悪い意味でもだ。

 もしかしたら在日枠とはいえ外国人のハンジェに対して見る目が厳しかったのかもしれない。やはり外国人であればそれなりの能力を期待してしまう。Jリーグには他にも多くの在日外国人がプレーしてるがそれらの選手と比べてもやはり見劣りしてしまう。その割には7年と長く在籍できたのは結果的にその特徴のないオールマイティな能力が穴の開いたポジションで使えるというプラスポイントとなったのだろう。

 だがミシャが監督となってその攻撃的なパスサッカーがチーム内に浸透するとどうしても浮いてくるようになった。本来のポジションである中盤は選手層が厚くなり駒野移籍でポッカリ空いた右サイドに移されたという事情もあるのだろうがJ2であっても高い位置で突破を図るということはなかった。そもそもパスを受ける位置が最初からバックパスをする位置なのである。ボールが来ても必ずバックパス、これにぼくらはどれだけため息をつかされたことか。成功しなくてもいいので前で勝負して欲しかった。それがないからプレーに余裕のないような印象も受けたのである。

 それでもフリーでボールを受けたら綺麗なクロスを上げたりするのだ。だから活躍した印象の薄い割にアシストの数が多いのである。CKを蹴ることも多くそこから得点が生まれることも少なくなかった。駄目かといったらそうでもない、かといって絶対的な戦力という訳でもない実につかみどころのない選手である。

 それなのによりによって最後の最後になって花開いた。2009J1リーグ最終節はハンジェを起点としたゴールが3つも生まれた。思い切りの良い飛び出しをしたりこの時は吹っ切れていた。惜しむらくはこの吹っ切れた精神状態があと1年早く見せることができたならもっと充実したシーズンを送れただろう。恐らく退団することもなかっただろう。だが退団という現実を前にしてこそのパフォーマンスだったとも言える。調度燃え尽きる前の蝋燭が一瞬炎の勢いを増すように。とはいえあの1試合があったことはハンジェにとってこれからチームを探す上で大きなアピールポイントとなったはずだ。

 そういえばJ2のあるチームでは小野剛が監督をするなんて噂がある。そしたらハンジェは補強選手として候補に挙がるのではなかろうか。ぼくがハンジェについてあまり良いイメージを持ってなかったのはもしかしたらこの人に好かれてたからという理由だけかもしれない。

2009年12月10日 (木)

楽山退団

 毎年シーズン中盤を過ぎると会話として出てくるのが戦力外選手の予想だ。残念ながらその中の筆頭として上がるのが楽山の名前だった。それ程までにこれは当然のこととしてぼくらの中では認識されてた。公式戦での起用法を見るともはやミシャもあまり戦力として考えてないのは明白だった。

 元々楽山は千葉からレンタルで移籍した際、練習キングなどという事前情報があった。試合では活躍しないが練習では凄いということだった。確かに試合で活躍してるのなら千葉がわざわざレンタルに出すこともないものの練習で凄いということは本来実力は持ってるのかもしれないという期待感があった。

 その可能性を垣間見せたのが2008年、天皇杯のヴェルディ戦だった。右サイドのスペシャリストという触れ込みで来たにも関わらずリーグ戦で大した活躍がなかったのはシーズン途中で入ったので連携が不十分だったのかもという許容の眼を向けていた頃であった。ペナルティエリアでドリブルで勝負するということのないサンフレッチェのサイドプレイヤーの中で楽山は勝負したのだった。そしてその仕掛けが高柳の勝ち越しゴールにつながったのだった。どうしても点が取れずスコアレスのまま延長戦を迎えそうな時間帯だったということもあって強烈に印象に残ったシーンだった。あれがなければもっと早く戦力として構想外になっただろう。逆にあれがあったから実はまだ秘めた能力があるのかもしれないという幻想に駆られたのかもしれない。

 翌シーズン、サンフレッチェに完全移籍した楽山はレギュラーではないもののミキッチ、服部のサブとして計算されてたはずである。ところがこれがとんだ見込み違いで戦力とは到底言い難いパフォーマンスばかり見せていた。何せゲームの中で動きがない。ボールを持ってもそこから崩すでもなくパスをするでもなくボールは敵に取られる。結果どんなプレーをしたのかさっぱり印象として残らなかった。つまり何がしたいのかさえも分からない誉めるべき要素のないプレイヤーだったのだ。

 どうしてそこにスペースがあるのに走りこまないんだ、どうしてそこで攻撃を止めてしまうんだ、どうしてクロスを蹴らないんだ。楽山のプレーには数々の疑問が浮かび上がるのだった。

 「楽さあ~ん」

 試合中ぼくの隣ではこんな声がよく聞こえたものだ。諦めとも落胆とも取れる口調だ。楽山がボールを持つ度にこんな言葉が漏れたのである。

 一体楽山は本当にオシムの下で指導を受けたんだろうか。それが一番の疑問だった。千葉在籍時オシムの下でプレーしてたのである。その戦術は運動量を要求されトレーニングでも走り込みが多かったと聞く。だからこそミシャのサッカーにも合うだろうという予測もあっての獲得だったと思うのだがその運動量のなさはもう涙が出そうだった。

 結局1年半の在籍で試合にもチョコチョコと出る機会があったにも関わらずどんな選手なのか最後まで謎だったような気がする。いやそれはこの程度の実力で特徴もクソもないよというならそれもそうかもしれない。それでもJ1の千葉でプレーしてた。激しいオシムのトレーニングを受けてきた。そもそも練習では凄いというあの噂は何だったんだ。やはり謎が多かった。ほとんどのサッカー選手はこんなもの、あるいは全く実績を残すことなく去っていくのだろうが楽山はそれでも期待感というものを残せただけでもサンフに来た甲斐があったのではなかろうか。それもこれもあの天皇杯の高柳へのラストパスのお陰だがそれこそ楽山のサンフレッチェでのたった一つの栄光なのだった。

2009年12月 8日 (火)

久保退団

 久保の退団が決まった。その知らせに驚いた者はそういないだろう。今シーズンの出場2試合、どう考えても稼働率が悪すぎる。そもそも久保が戦力として目途が立ってれば李忠成の獲得の必要もなかったかもしれない、行き詰った時の打開策として久保の身体能力に頼ることができたかもしれない、寿人のワントップ以外のオプションが増えたに違いない。様々な想像が脳裏に駆け巡るのだった。

 結局久保が活躍したと言えるのは2007年のJ2での数試合だけだった。その数試合の中に記憶に残るプレーが残ってるから久保の存在感は大きかった。規格外の選手、確かに規格外のプレーが多かった。それだけにこの程度の活躍で終わってしまったのが残念でならない。

 久保の復帰が決まった時、すぐに浮かんだのが寿人との2トップだった。圧倒的な高さと身体能力を持つ久保と裏への飛び出しとゴールの嗅覚を持つ寿人が組んだらとんでもないことになるのではと心ときめかせた。久保が全盛期ならそれはとてつもない破壊力を秘めていただろう。その可能性を見せてくれたのが2007年ゼロックス・スーパーカップでの試合だった。

 あの試合、J2に落ちたサンフレッチェがたなぼた式に出場することが決まり前年度リーグ優勝の鹿島アントラーズと戦うことになった。どう考えてもサンフレッチェが勝つ見込みはなかった。シーズン前のキャンプでもかんばしい成果を上げられず厳しい1年になることを覚悟していた。そもそもJ2に落ちたチームがJ1の優勝チームに勝つということが予想できるだろうか。だから負けたって単なるイベントだというぐらいに割り切っていたものだ。

 すると案の定簡単に2点取られやっぱりかと暗い気持ちになったものの久保が出場して空気が変わったのをハッキリと覚えている。久保が何とかしてくれるという気持ちとは少し違った。そこに久保がいる。ただそれだけが嬉しかった。スタンドの久保コールに乗せられて鹿島の守備も混乱していったようだった。

 そこでPKだった。もしかしたらその判定は厳しかったかもしれない。でもそこは久保のボール捌きに鹿島のDFも翻弄されたのも事実だった。

 PKのキッカーは久保だった。事も無げに決めた。だがやり直しの判定を受けもう一度蹴ったがまたしても事も無げに決めた。そのストライカーとしての風格に酔った。やっぱり久保は違う。そしてサンフレッチェが生み出したストライカーが戻ってきた。2002年にチームを去りやはり最後はサンフレッチェに戻ってきてくれたということが嬉しかった。

 その後寿人のゴールもありPK戦で勝ったがあれは久保がいればこそだった。そして困った時の久保というように久保の力は絶対に必要だと思っていた。実際J2では貴重な同点ゴールや決勝ゴールも決めている。ただそれが期待程の数ではなかったのも事実だった。腰痛が障害となったようだった。

 キャリアの最後はサンフレッチェ。そんな気がしてたのだがそれでいてまたあのプレーは見てみたい気がする。またその輝きも気まぐれで波もあるのだが凄い時の久保は本当に凄いのだ。できればどこかでまだプレーしてくれないかと思うのはぼくだけではないはず。ただ腰痛という爆弾を抱えてるのも事実。どこかオファーを出すクラブがあるだろうか。

 ただ、これでオファーがなかったらなかったでそれはそれで興味がある。かつてより本人は農家になりたいとかトラックの運転手になりたいと言っていた。本当になるんだろうか。農家やトラックの運転手になりたいなどと言ったプロのスポーツ選手初めて見た。それでもそういうことが違和感なくはまってしまうのが久保の久保たる所以だ。そういうところも含めて規格外の選手だった。

2009年12月 5日 (土)

京都戦~シーズン終わる

2009/12/05 サンフレッチェ広島vs京都サンガFC 広島ビッグアーチ

 それにつけても柏木はシュートを外す。年間8ゴールなんだから悪くはないはずなのだがどうしても柏木についてはシュートを外すというイメージが付いて回る。それは逆に言えばそれだけ重要なシーンに関わってるということだ。そしてその技術の高さを考えたら多少難しいシュートでも入れてくれよという期待感の現われでもあるのだった。

 ただ、実際には2点目となった盛田のゴールなどは柏木のシュートがCKになったことによって生まれたわけだしそもそもゴール前での巧みなターンでシュートに持ち込んだというプレーがあってこそだ。それでも不満に感じるのはもはや柏木に対して一段高い位置でしか観れなくなってしまってるからだった。

 その後1点返されるものの槙野がCKから決める。このCKを蹴ったのもやはりハンジェだった。この日のハンジェにはもはや神通力が備わってた。退団という現実がハンジェに得体の知れない力を与えたのでもあるかのようだった。こうやって次々にゴールが入っていくと改めて柏木のシュートの入らなさが目に付いてしまうのだった。

 そしてFKのチャンスが訪れた。距離があるが狙えないこともない。柏木もボールの後ろに立つものの槙野が蹴ってしまうだろうなと思ったらやっぱり槙野が蹴った。ボールは強烈な弾道を描きGKも弾くのが精一杯、そしてそのルーズボールを寿人が詰め込んだのだった。寿人の2点目、今シーズン寿人が1試合で2点以上取ったのはこれが初めてなのだった。もはや寿人は1試合に1点しか取れないという呪いにでも掛かったような感覚があったためホッとした。そして寿人はそのままスタンドに駆け寄りキャプテンマークを外してサポーターに掲げるのだった。

 何の意味か分からなかった。そんなパフォーマンス見たこともないし何がしたかったんだろう。だけどその黄色いキャプテンマークの裏が見えた時全てを悟った。そこにはマジックで書かれた10の文字。寿人の番号ではない。柏木の番号なのだった。何でわざわざ柏木の番号を。チームの中心でありチームの顔とも言える柏木。毎年のように他チームからオファーが来るのだが今回は浦和からオファーが来てるのだった。選手であればより高い条件のところがあればそれは選択の余地がない。寿人がゴールを決めた後も笑顔がなかったことが全てを物語ってるのだった。

 結局柏木はゴールを決めることはできなかったものの41という理想的なスコアで終わることができた。最後まで貪欲に得点を狙いに行くという本当に観たかった形で勝つことができた。4位という順位も昇格1年目ということを考えれば上出来だろう。そしてそれらの事実がもはや京都への遺恨というものを無に帰していたのだった。

 試合後のセレモニーで久保が胴上げされていた。久保も退団が決まったものの最後の試合ではベンチにも入ることができなかった。寿人との2トップなんて観てみたかった。結局活躍したのがJ2での数試合だけだったのは残念だった。せめてまだ天皇杯が残っていればまだ違った気持ちになれたのかもしれない。

 いずれにしても今シーズンはこれで終わった。楽しくもあり緊張感もあり悔しさも腹立たしさもあったシーズンではなかっただろうか。そしてACL出場の為3位以内に入ったチームに天皇杯の優勝を託すという奇妙なシーズンオフが始まるのだった。果たしてACLに出た方が良いのかどうか判断に迷いそうだがぼくのように単純な人間は単に試合を観れる機会が増えるのだったらそれを喜ぶのであった。

京都戦~最後の仕事

2009/12/05 サンフレッチェ広島vs京都サンガFC 広島ビッグアーチ

 白と紫のストライプ。そんな模様がスタンドから見られたのは感動だった。4位になればACL出場権を獲得できる可能性が残ってるとはいえ最終戦としてはどうにもモチベーションに難しさが出そうな試合にも関わらずそういうスタンドでの応援パネル掲示が様になるくらいの客が入ったということは軽い予想外の事態だった。19,303人、よく入ったものだ。本当に2008年以来サンフレッチェは順調に観客を増やしておりスタッフの人も今がやってて一番楽しいのではないだろうか。あの光景を見た時、お金掛かってもやはり広島に行くべきだったという気がしたのだった。

 今シーズンの最終戦が京都というのは何かを暗示してるかのようだった。忘れもしない2007年の入れ替え戦、あの時勝っていればJ2に落ちることはなかった。J1に上がって訪れたリベンジのチャンスにはアウェイで02であえなく敗戦。しかもその時の加藤監督のコメントがうちは別に汚いことをして勝った訳じゃないから入れ替え戦のことは特に意識してなかったとまるで何の苦労もなく勝ったとでも言わんばかりの様子だったのがまた悔しかった。成績いかんに関わらず京都には負ける訳にはいかないのだった。

 そんな因縁を持ちながらも入場時の選手の表情は実に清々としていた。肩の力が抜けた澄んだ顔というかその表情を見た時今日は勝てると漠然ながら思ってしまった。そしたら中継によりハンジェと楽山と久保の退団が決まってるというアナウンスがあった。ということはハンジェはこれがサンフレッチェでは最後の試合ということなのだ。そういうチームを去る選手がいるという事情を考えるとこのメンバーでできるのはこの日が最後なのだった。そして選手たちのあの表情が理解できたのだった。

 かつて入れ替え戦で京都と戦った時、京都には魔力が掛かったかのようにゴールが奪えなかった。本当にペナルティエリアに魔方陣でも敷いてるかのようにボールがゴールに入らなかった。あの時の京都は魔力、魔術、呪術、そういう得体の知れない力を感じたものだ。だが、この最終戦で迎えた京都にあの時の凄みはなかった。

 試合開始からサンフレッチェのペースで試合が進む。最近どのチームでもやってくるサンフレッチェ対策の戦術、前からプレッシャーに行き中盤でのパス回しを自由にさせないということをやってこなかった。その為サンフレッチェの本来やりたいサッカーをそのままやることができた。2年前は相当に研究しただろうに今回は自分達の残留争いの方が大変でそこまで手が回らなかったのだろうか。いずれにしても相手の長所を消すというサッカーをやられなかったせいでチャンスも多く生まれた。

 だが寿人のシュートはオフサイド、浩司のミドルシュートも軌道は良かったが枠を外れてしまった。ゴールが近いようで遠いような感覚であった。それでも中盤の浩司から出た長いボールにフリーで抜け出した選手がいた。ボールのないところの動きとしては最高だった。一体誰だと思ったらハンジェだった。バックパスしかしない、ボールを持ったら余裕がない、能力的に期待値が低い、色んなことを言ってきて退団はやむなしと思っていたがその最後の試合でこんな絶好のシーンを創り出した。そしてゴール前でダイレクトシュート。入ったかと思ったがGKに弾かれてしまったのがハンジェらしかった。だが、その跳ね返りをDFが無我夢中でヘディングでクリアするとそのボールの落下点を予測して走り込んでた寿人がゴールの隅に流し込んでしまった。当たりそこねだが逆にそれがGKの手に届かなかったようだった。

 コーナーフラッグに走る寿人。いつものパフォーマンスだが違ってるのは笑顔じゃなかったということだった。鬼気迫るものがあった。そしてそれはアシストとなったハンジェにも共通してた。ハンジェにはもはや迷いがなかったんだろう。その後にもCKから盛田のゴールを演出してしまった。最初からこのくらいやってたら退団することもなかっただろう。勿体ないことだったがその時2002年在籍したミロという選手を思い出したのだった。

 中盤の攻撃的MFとして獲得したミロだが全くのハズレ、ファールが多く際立って良いプレーもない、チームも負け続けてるのもありシーズン途中での解雇となったのだがその最後の試合でアシストとなるCKを蹴ったのだった。そして最後に「アイ・ラブ・サンフレッチェ」と言い残した選手だった。この日のハンジェのプレーも美化されて記憶されるのだろう。

2009年12月 3日 (木)

森脇負傷

サンフレッチェ広島所属の森脇良太選手の負傷についてお知らせ致します。
森脇良太選手は、1128()に行なわれたJ133 ジュビロ磐田戦の試合中に負傷(途中交代)
したもので、本日1130()に広島市内の病院で検査を行ないました。


■診断名   左膝内側側副靭帯損傷

■全治    2ヶ月

(サンフレッチェ広島公式サイト)

何とも怪我人の多いことよ。一人が復帰するとまた一人が負傷するというのが実態だ。どうしてここまで負傷者が続出してしまうのだろう。ここ23年の負傷者の多さは異常だ。中でもこの森脇に関しては怪我が多いのであった。シュートを打った際相手と接触したみたいに見えたがそんな大怪我ではないような気がした。あまりにもアッサリと交代の合図が出されたのは本人も怪我に慣れててもうやれないという判断がすぐについたのだろうか。

DFでありながら終了間際に同点ゴールや決勝ゴールを挙げるなど劇的なゴールを入れてしまうことで森脇の存在感は強い。それでいて本職の守りについては結構稚拙なミスを犯して失点をしてしまうこともある。そういう両極端な性格を持ちながらも印象に残ることだけは確かだ。ビッグアーチでの勝ち試合の後槙野、柏木と共に劇場をやってのけるその明るさはまたスタンドで観る立場としては応援したくなる心情を生み出す。それだけに今回の離脱もまたかよとため息混じりの感情になってしまうのだった。

森脇にはミスが多い。だからこそ経験が必要だ。1試合でも多く公式戦に出て経験を積んで欲しい。そんな気分になってしまう。果たして経験だけで補うことができるものなのかどうかは疑問もあるが。右サイドを駆け上がっても突破ができない、後ろの位置でのパス回しで敵にパスを渡してしまう、最終ラインで一人だけ残ってしまってオフサイドを掛け損なう、それらのマイナス要素が果たして経験だけで解消かれるものなのだろうか。

ミキッチ不在でここ数試合右サイドで出場してたがゴールをしたかと思うとオフサイド、深い位置まで上がってもゴールにつながるクロスを上げてない、ペナルティエリアに進入してない、そういった様々な問題を抱えたもののそれって普通にJ1の選手でも簡単にできることではないのだった。森脇にはそういった一段高い位置での理想があってそこに本人が到達してない落胆が見る目を否定的にさせてるのかもしれない。だとしてらやっぱりちゃんとJ1の試合で経験を積んでもらわないといけない。

貴重な戦力のようでそうでないような、それでいていないと寂しい、今の森脇はそんな存在ではなかろうか。

2009年11月29日 (日)

磐田戦~勝ち点53の意味

2009/11/28 ジュビロ磐田vsサンフレッチェ広島 ヤマハスタジアム

 あれはハンドだった。

 画面にリプレイが流れた時、それが言い訳のできないくらいのハンドだったと認めない訳にはいかなかった。多分あれは意図してやったことだろう。あそこで手を出さないと決められた。それでPKを取られたとしても上手くいけばイエローカードで済む。そんな打算があったのだろう。だが槙野がハンドで防いだ前田へのクロスはCKというサンフレッチェにとって理想的な判定で主審に指示された。当然に磐田の選手の抗議はあったものの聞き入れてもらえなかった。

 この場面を含めこの試合はついていた。イ・グノが切り返して絶対に入ったかと思ったとこで外してくれたり前田の惜しいシュートもあった。それは全て得点とはなってないというのがこの日の運の良さを物語っていた。そして槙野のハンド見逃しの件といい波はサンフレッチェに来てたのだった。

 Jリーグというのは各チーム実力が均衡してるリーグである。それ故にこの運という要素が非常に重要な要素になる。2007年の降格したシーズン、やたらとPKを取られたものだ。中にはどうしてPKになったのか分からないようなものも存在しやはり審判も人間、感情に左右されるのだということを見せ付けられた。審判にこのチームはペナルティエリアでファールを起こしてしまうという固定観念を持たれてるかどうかの差は大きい。

 01というスコアで後半に入っていったが時間が経つにつれて段々と守備に廻る時間が増えていった。攻められ攻められ攻められ続けられる。そんな時李忠成がワンタッチで抜け出してシュートまで持ち込む場面があった。本当に李忠成はもうちょっと、もうちょっとでゴールが奪えるという場面がある。だけどゴールにはならない。もしかしてこうやって時間が経てばチームとして機能するだろうという目論見をしている内に本当に時間だけ経ってしまうのではという不安もなくもなかった。それでいて可能性だけは持ってる、実に評価の難しい存在となっている。

 そして絶対に出てくるだろうなと思っていたが磐田に中山雅史が83分に登場してきた。もはやこれは勝敗とは関係なくセレモニー的な部分があるのだろうがこの中山の出場がスタジアムに活気をもたらせてしまった。ホームの磐田サポーターの声量は増し前への推進力も増大していった。あの雰囲気、あの活気、あの勢い、そういうものにサンフレッチェは弱い。それなのにそれで点を取られるという感覚もなかったのも事実であった。

 今シーズンで退団が決まってる中山だけに当然にカメラは中山中心の映像になってしまった。今まで日本サッカーを引っ張っていった功績を考えてもここで決めさせてやりたいという感情が沸きながらもでもやっぱり決められると困るという相反する感情の交錯により葛藤を生み出すがこのままタイムアップを向かえ無事無失点で終わることができた。中山もヘディングシュートを放ったり見せ場を作りつつもサンフレッチェが勝利するというまあ妥当な終わり方ではなかったろうか。

 これで勝ち点53。小野監督時代の最高記録勝ち点50を越えたことにホッとした。シーズンを4位で終える可能性がある、それによって天皇杯の優勝チームの重複があったらACLへの出場もあるかもしれない、そんなことよりも勝ち点53の方が嬉しかった。これで小野監督の暗黒時代を全てにおいて超えたということについてぼくは胸を撫で下ろしたのだった。

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