マイケル、訃報
2009/06/27 京都サンガFC vsサンフレッチェ広島 西京極陸上競技場
「マイケル・ジャクソン、死亡」
インターネットの記事でその表題を見たときにはマイケル・ジャクソンはもう売れなくなって死んだも同然だという意味だとばかり思ってた。そしたら本当に死んだのだった。ミーハーの象徴、消費文明の歯車、大衆迎合音楽、そんな風潮でぼくのようなロック好きにはバカにされる存在ではあった。だってバンドでやるんならローリング・ストーンズの方がかっこいいしマイケル・ジャクソンなんてバンドでできるものじゃなかった。でもよく考えてみるとジャクソンズの『ステート・オブ・ショック』ではストーンズのミック・ジャガーも参加してるし『ビート・イット』でギターを弾いてるのはエディ・ヴァンへイレンだったりする。実はぼくがロックにこだわって線引きしてた境界線なんて実は大してなかったのかもしれない。
こういう冷静な判断ができるようになったのは紛れもなくマイケル・ジャクソンが死んでしまったからだ。ミュージシャンというのは死んで神格化されるとこがある。そしてそのイメージに流されて死んだ瞬間にファンになるという訳の分からない人が出てきて途端にCDが売れてしまうという現象が起きるのは目に見えてるのだった。生きてる内にファンだったら次の作品を待つ楽しみがある。だけど死んでしまってからファンになってしまってはどうしようもない。といってそういう人はせいぜいCD1枚か2枚買ってそれで満足な人なんだろうが。
サンフレッチェの2度のJ2降格ではその都度新しいファンが付いた。それらの人がもっと早く応援に来てたら降格はしなくて済んだだろう。でもそこはもはやJ1でなくなったという喪失感が逆に人を呼び寄せたのだ。なくなったという事実に人は惹きつけられるのだ。そういう意味でマイケル・ジャクソンの死と同じ感覚のような気がするのだった。
2度目の降格の時、ビッグアーチには明らかにそれまで来てなかった人がたくさん詰め掛けてた。2万3千人もの人が来て勝てなかったのはこの時来た客を取り込めなかったという意味でも残念な気がした。でも明らかにあれからスタジアムに来る人は増えた。特に関東での増え方は急激だった。あの時京都に勝てなかったのは哀しかったが結果として良かったのだと考えることができるようになった。
そして2年経った今、チームとしての成長を見せ付けねばならない。何と言ってもこっちはほとんどメンバー変わってないんだから。
でも向こうはほとんどメンバー替わってしまったんだよな。道理で大して意識してない訳だ。でもそれは勝者だからこそのメンタリティだろう。こういう相手に負けてはならない。勝つ、絶対に勝つ。天国にいるマイケルもきっと応援してくれるだろう。
いや、待てよ。一体マイケル・ジャクソンがいつサンフレッチェの応援なんかしたというんだ。生前CDなんて1枚も買わなかったのにそんなこと言ってる。ぼくも死んでからファンになる人たちと大して変わらないということだろうか。
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