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ぼくのミュージック・ライフ

  • Songs Remains the Same
    Led Zeppelin: 聖なる館
    数あるレッド・ツェッペリンの名曲の中でもこれが特に好き。この曲はダブルネック・ギターがあったからこそできたような曲でこういう変則的なギターを使いこなしてるという意味でもジミー・ペイジは凄い。ロックの歴史の中で数々のギターを使ったギタリストはいたがこうしてちゃんと曲のクオリティーを保った形で生かした例というのは他にないのではないだろうか。だからぼくはレッド・ツェッペリンのライブではこの曲が一番聴きたい。そういう意味でDVD、CD含めてライブの音源が一枚しかないというのは勿体無い。だからツェッペリンの海賊版はやたらと高いんだろう。 (★★★★★)
  • モータウン・ジャンク
    Manic Street Preachers: ジェネレーション・テロリスト
     ぼくはこの曲を聴いた時はぶっ飛んでしまった。パンクのエモーショナルな躍動感がありそれでいてヴォーカルの高い声。パンクとは一線を引いてるようでその情熱はパンクだった。ハードロックとも言えないその曲調はこのバンドの大きな特徴だった。  元々このバンド、2枚組みのアルバムを出して解散すると豪語してたが結局15年経った今でも活動している。しかもCDは当時より売れて作品の評価も高くなってる。同時期に出たバンドがまるで残ってないことからすると相当に快挙である。それについて本人達ももっともらしいコメントを出すがそれがいかにも洗練されてる。パンク的でありながら教養のある人達だというのが分かる。そのどうしようもなくハチャメチャでありそうでいながら実はごくマトモな人達というギャップが親近感を呼んでる。だからこのバンドの曲は歌詞までジックリと読んでしまう。  しかし、この人達の作品は結構多く全部網羅するのは骨が折れる。この音楽へのバイタリティ、これだけは間違いなく本物だということだ。 (★★★★★)
  • ルイ・ルイ
    Johnny Thunders: New Rose Collection
     ジョニー・サンダースの死後に出たライブ音源とアコースティック・ギターによるスタジオ録音を音源に編集したアルバム。その中でもこの曲とDo You Love Meは圧巻だった。ラジカセで録ったような音源であるが、それが逆に臨場感を出している。分かる人にしか分からないという作品だ。  ちなみに現在このCDが売ってるのかどうか知らない。これだけセンスのある人がこんなカルト的な存在で終わってしまったのは理不尽な気がする。だからこそ好きな人にはよりたまらない存在になってしまうのだ。 (★★★★)
  • ロクサーヌ
    Police: ロクサーヌ
     これが売春婦に関する歌だと知ったのはずっと後のこと。歌詞も分からずずっとこの曲を聴いていた。勿論歌詞を知ってからもこの曲は大好きな曲だけど。  本当かどうか知らないけどこの曲の入ってるファースト・アルバムはわざと下手に演奏したらしい。理由は当時パンク・ニュー・ウェーブのブームの中でスタイルを合わせたということだろう。そしてセカンド・アルバムでは実力に見合った演奏で上手くなったと思わせたらしい。そういわれてみるとファーストでは音数が少ないシンプルな曲が多いような気がする。このバンド、5作しかアルバムがないのだがそういう抜け目なさというのは元から持ってたようだ。5作とも素晴らしく駄作のないバンドだった。 (★★★★★)

ぼくのブック・ライフ

  • トニー・サンチェス: 悪魔を憐れむ歌
    ローリング・ストーンズの暴露本である。現在は改題され『夜をぶっとばせ』になってるがタイトルといいブックカバーといい前の方がシックリしていた。 ストーンズというのはぼくが最も影響を受けたバンドの内の一つだが、ここまで無茶苦茶をやってそしてそれが逆に彼らのダークなイメージにつながった。まさにロック・バンドの典型である。どんなに悪ぶっても彼らのようにはなれないし彼らのような影響力は出せないだろう。 時代をロックと女とクスリと共に駆け巡り気付けば巨大産業に飲み込まれていったストーンズ。作者はそんなストーンズに最後は身も心もすり減らされてしまったらしい。それでも未だに活動しているストーンズはある意味怪物だ。 ぼくとしてはこの本の訳者中江昌彦の翻訳もその場に居合わせたような感覚になるのが良かった。他にも『レス・ダン・ゼロ』などもいい雰囲気を出してた。今まで本なんか読んだこともなかったぼくが高校生の時読んで凄いショックを受けたのをよく覚えてる。当時のブックカバーの最後に「END]という文字が書かれてたが読後その文字が見た目以上に大きく見えたものだ。 (★★★★★)
  • 落合信彦: 第四帝国
     まず最初に断っておこう。これはトンデモ本である。ここに書かれてる内容は根も葉もないことと言っていい。そもそもこの落合信彦という人がゴースト・ライターを使ってマトモに取材してるかどうか怪しい。本人いわくCIAに100人も友人がいるというから情報には事欠かないということらしいがこれではアメリカ政府のトップシークレットがなぜか来るというUFO研究者と言ってることが変わらない。そういえばUFOに関しての記述もこの本ではありオリジナルな展開を見せてるのは興味深かった。  内容はナチス・ドイツの残党が世界各地で暗躍してるというものでヒトラーは生きてる、UFOは実はナチスが造ったというファンタジーが溢れてる。その展開はちょっとしたSFといっていい。  事の真実なんてどうでもいい。ただ単純にエンターテイメントとして読めば何の問題もないだろう。誰も「ゴルゴ13」を読んで事実と違うと言わないだろう。それと同じことだ。  しかしこの人、いかにも事実というように書くのが上手い。文章も簡単でスラスラと読めるので展開のテンポがいいのである。だから知らないうちに読んでしまってるという感じになる。そのスタイルはぼくもずいぶんと参考にさせてもらった。  まあ実際はゴースト・ライターなんだが。 (★★★)
  • ニック・ホーンビィ: ぼくのプレミア・ライフ
     このブログの元ネタとなった本。この本との出合いはサンフレッチェの応援仲間に渡されたことだ。その存在は知ってたものの読む機会がなかったのでありがたかった。  内容はというとアーセナルを応援する著者のその観戦生活といったとこだがこれを読むと結構日本のサポーターもプレミアのサポーターも変わらないとこがあるのがわかる。退屈な、退屈なアーセナルというタイトルには笑ってしまった。なぜなら分かり過ぎるくらい分かる心情だからだ。ぼくもサンフレッチェを応援してて何度同じことを感じただろう。  今やアーセナルはプレミア・リーグでも優勝しチャンピオンズ・リーグでも決勝に進出するような存在。一方ぼくの応援するサンフレッチェ広島はJリーグの1部リーグで常に降格の危機を感じるクラブ。でもその根っこは同じである。海外サッカー好きにはJリーグをバカにする傾向があるがそういう人には分からない内容かもしれない。 (★★★★★)

サンフレッチェの魂~リンク集

  • SANFRECCE Diary
    このブログを読んでる人ならすでに知ってるだろうから今更リンクを貼るのが恥ずかしい気もする。 何せこのサイト1997年から毎日更新してるというのが凄い。 過去の記事などはぼくも参考にさせてもらうことも多い。 継続は力なりというが実際には継続するのに力がいる。 そういう意味でも管理人のせと☆ひできさんは偉大である。
  • ススボウブログ
    自分サッカーやグルメについてのブログということです。 かなり熱心に応援してる方のようです。
  • ひろしま日記&サンフレッチェコーナー
    試合を時系列で紹介したりかなり凝った内容となってます。 現地の様子など行った人でしか分からないことがあり興味深いです。 試合に行った人も行けなかった人も楽しめるのではないでしょうか。
  • ゆみしん徒然の書
    ゆみしんさんのブログ。本当に色んなスタジアムに観戦に出かけて現地の様子をレポートしてます。観戦者視点でそれぞれのスタジアムの様子が分かり現地に行く時の参考になりそうです。
  • Scud Sanfrecce
    MICRAさんのサイト。ここの特集のコーナーは必見。サンフレッチェはなぜ人気がないかという考察については今までに見ない観点がある。是非一度読んでください。
  • ヒロシマ・コーリング
    今そこにある危機。サンフレッチェにはメディアが少ない。その為妙にぬるい記事が目立つ。そんな甘い現状にこのまま放置していいのかという危機感を感じた時発言していく。

JリーグPR

  • Jリーグ2010特命PR部員 Miles

2013年2月11日 (月)

『一流』

 「一流」と書き「はじめりゅう」と読む。上手いネーミングだと思う。その森保一著の『一流』、年末に発売されたにも関わらずこの時期になってやっと読んだのは理由があった。手に入らなかったのだ。なぜかぼくの行くとこ行くとここの本が売ってなかったのである。

 さすがにサンフレッチェの優勝記念で急遽出版されたような本だから普通の人は買わないだろう。ましてやぼくの住む千葉で売ってないのは仕方のないことだろう。だけど実家の山口に帰った時山口でさえ売ってなかったのには驚いた。広島の隣というのに。そこで業を煮やしたぼくは近所の書店で注文することにした。最初からこうすれば良かったんだ。と思ったらしばらくして入った連絡は入荷不可能との返答だった。

 もうこの本には縁がない。そう思いもう購入することを諦めていた。そうすると先ほどの入荷不可能と連絡をしてきた書店の本棚を観てるとなぜか置いてあったのだ。一体どういうことだ?探してる時は手に入らないで探してない時に見つかる、世の中どうしてこうミスマッチな現象が起こるのだろう。

 それはいいとしてやっと手にしたその書籍、森保一のサンフレッチェへの愛情へ満ちていた。いつかは監督をやりたい、いつかはサンフレッチェで指揮を執りたいとは思ってたがそれが思いがけないタイミングでやってきた。サンフレッチェや新潟でのコーチの経験、アンダー世代の代表でのコーチの経験を考えれば機は熟していたのかもしれない。だけど当初監督森保について誰もが疑問を持ってたのは事実だった。

 だけど森保はサンフレッチェを優勝させた。それは森保の能力というより前監督のペトロビッチのサッカーを上手く受け継いだからである。だけどそのサッカーを継承させたというのが素晴らしい。一人の監督として前任者の創ったスタイルを踏襲するというのはプライドも邪魔するだろうし虚栄心も妨げになるかもしれない。だがそれを上回るサンフレッチェに対する愛があった。そう、森保の監督成功の秘訣はクラブへの愛なのだ。

 それにしてもと思う。あの人気のなかったサンフレッチェにどうしてそこまで愛着を持てたのだろう。それはぼくを含めずっと応援してたサポーターも同じだが人気がなかったからこそ何とかしなければという想いは強かった。自分が離れればこのクラブはつぶれてしまうという危機感さえあった。その感覚を肌で知ってるからこそ成し遂げたのだろう。

 そんな森保監督、見事就任1年目で優勝を果たしたが2年目はどうだろう。この本を読んでますます興味が沸いてくるのだった。

2010年1月28日 (木)

『「J」の履歴書』

日本サッカー協会が新潮社を提訴=週刊誌報道で

 日本サッカー協会、犬飼基昭同協会会長、川淵三郎同協会名誉会長は26日、週刊新潮の20091126日号に掲載された記事で3者の名誉を傷つけられたとして、発行元の新潮社(佐藤隆信代表取締役)に対して3000万円の慰謝料と謝罪広告の掲載を求める訴えを東京地裁に起こした。
 訴訟代理人によると、「旭日重光章受章でも川淵三郎が浴びたブーイング」と題した記事で、川淵名誉会長と犬飼会長との間に深刻な対立があるかのような虚偽の事実を記載されたことは日本サッカー界として看過できないとして提訴に踏み切った。
 週刊新潮編集部は「記事には自信を持っている。訴状を見て対応を検討する」としている。

(時事通信)

 何か悲しくなった。話題作りの為にはしょうがないんだろうが一々記事にするようなことではない。週刊新潮の記事に対してだが、それはそれぞれ考え方の違いというものがあるから意見の衝突はあるだろう。だがそこで深刻な対立と表現するとこに眉唾的なものを感じてしまう。

 確かにこの記事全文を読んでないので判断はできない。だが、やはりこの件に関しては違和感が拭い去ることができない。

 元々犬飼基昭会長は川渕三郎が日本サッカー協会会長を任期満了で退任する際全幅の信頼を置いて選んだ人事である。今のサッカー界はサッカーだけ知ってればいいというのでは通用しないということで経済、教育の方面においても精通し、浦和レッズの社長時代にクラブを躍進させた実績も買われて当時川渕会長自身が指名をしたというのはラジオで本人が話しているのを聞いたことがある。まあ裏を返せばせっかく選んでやったのに自分の思い通り動かないとでもいった軋轢が起こる可能性がないとも限らないが組織の長がそこまで器が小さいものかなとやはり理解に苦しむ。

 川渕名誉会長も独裁者というレッテルを貼られたこともあるが確かに初期のJリーグにおいてはそれに近いこともあったかもしれない。だけど立ち上げたばかりのプロリーグにおいてどんな周到な準備をしても想定外の事態というのは起こるものだ。企業の論理に振り回されたと見える場合も企業人経験を持つ川渕元チェアマンだからこそ企業側の事情も飲み込めてしまうという現実もあったようである。それらを強い推進力で押し進めないといけない時期は確かにあった。そのお陰で現在のJリーグも存在してるのは間違いない。

 是非一度川渕三郎著の『「J」の履歴書』を読んでいただきたい。ここまでサッカーの発展、そしてスポーツ、地域の発展の為に情熱を燃やしてきた人はやはり偉大である。勿論一人の力で日本のサッカーをここまで発展させた訳ではない。実際同氏は著書の中でJリーグ初期の頃何かと衝突してた渡辺恒雄読売新聞社長でさえあれだけ知名度がある人が何かと反論してくれたお陰でJリーグの普及に役立ったと感謝してるというのである。

 それにしてもJリーグの誕生の話からその後の紆余曲折と較べると今の日本のサッカー界はこじんまりとまとまってしまった感はある。出てくる記事もどこまで本当か分からないが所詮内輪の揉め事。渡辺恒雄とJリーグチェアマンが喧嘩をする、良い悪いは別にしてやはりダイナミズムがあったんだな。といってぼくはその当時まだサッカーは観てなかったんだった。

2008年5月14日 (水)

『祖母力』

 ジェフにオシムを呼びそれまでの成績不振が嘘のようにチームを再生させた祖母井秀隆の執筆した自伝。ぼくはこの本に興味を持ちながらも持ち前のせこさから図書館にリクエストした。程なくして届いたその本は『祖母力』ではあるが作者は樋口恵子であった。図書館で間違えたようでバアさんの力なんて読んでもしょうがないと読むこともなく返してしまった。ただ、後になって本来読みたかった方の『祖母力』の最初の項に樋口恵子の『祖母力』からタイトルを引用したという記述がありあながち関係ないものでもないようだった。この辺にぼくの浅はかさがあるもののその表紙のデザインは婆さんが子供を両手で引っ張ってる絵はパンクやハードロックで育ったぼくにはどうしても下らないものという偏見を持たざるを得なかったのだった。

 しかし、著者は結局この婆さんの力というのを強調してた。いかに自分が黒子として根回しして組織が上手く機能するようにするかというそれこそ家庭におけるお婆ちゃんの役目をやってきたということだった。確かにそういう機転があったからこそオシムが日本に来たんだろう。そして毎年降格争いをしてたジェフにナビスコカップというタイトルをもたらし優勝争いをするチームに仕立てていったのだろう。羨ましかった。やはり監督によってチームは変わるのだなと思ってたがその根底にはこうやって支える人がいたんだというのがわかった。いかに優秀な監督を呼んだって監督だけでチームは良くならない、どんな選手が来ようとどんな監督が来ようと一向にチームが良くならないというのはその組織に何らかしらの欠陥があるのだろう。果たしてサンフはどうなのだろう。

 サンフレッチェにはゼネラル・マネージャーというポストがない。一応強化部長がその立場になるのだろう。だとすれば織田である。この織田強化部長に『祖母力』を期待することができるだろうか。限りなく不可能な気がする。会ったこともないし顔もよくわからないのだがそもそもこの顔がわからないという時点で駄目である。本当に駄目かどうかの材料は持ち合わせてないのだがそのイメージが沸かないというのがどうしようもない。いかに自分がこのチームの戦力の責任者ということでのアピールを怠ったかということである。その辺がこのチームの残念な部分である。

 今でも印象に残ってるのがJ1J2入れ替え戦第2戦目である。試合に勝つことができずJ2降格が決まった瞬間久保社長は自らの責任を1人で詫びた。しかし久保社長1人謝るの?という疑問は残った。そこは戦力についての最高責任者である強化部長も出てくるべきじゃなかったのだろうか。それは罵声を浴びるかもしれない。気分のいいものじゃないかもしれない。それでも自分が責任者だからと出てきたのと出てこないのとではその後のサポーターの目も違ってこないだろうか。あの時は織田のせいで落ちたと言われただろう。だけどJ1に上がって上位に食い込んだとしたら織田強化部長のお陰だとなるだろう。サポーターなんて都合のいいもんである、いざ状況が好転するとすぐに賞賛するもんだ。だけどその存在すら知らないのであれば賞賛のされようもない。そういう意味で強化部長のパフォーマンス不足は指摘せざるを得ない。

 正直なところ祖母井秀隆の書いてることが全てだとは思わない。確かに共感するしやってきたことは素晴らしいがみんながみんな真似しなくてもいい。それぞれが個性があるのだからそれぞれのやり方でやればいい。ただ、今までのサンフレッチェのように誰が戦力の責任者で誰がこのクラブを動かしてて誰が何やってるのかサッパリわからんというのでは問題があり過ぎる。ぼくは時々実体のない紫の看板でも応援してるような気になってしまったものだ。

 ただ最近になってクラブ関係者が『紫熊倶楽部』に出てインタビューに応えるようになってきた。以前もたまに出てたがいかにも紙面を稼ぐ為にやってた感があり中身に欠けてた。クラブのスタッフの顔が出るということはいいことだと思う。共に戦おうという気になる。できればいつかこのクラブは素晴らしいとサッカー雑誌が取材に来るようになったら願ってもないことだ。

 だけどサッカー関係はこのように運営や管理といったものまで色んなジャンルの本が出版されてるのだがそういったものサンフレッチェの関係者読んでるんだろうか。もしかしてぼくのような読んでも全く何の影響も与えないような者ばかりが読んでるんじゃないだろうか。どうもそんな気がしないでもないのだが。

2008年4月26日 (土)

『4-2-3-1』

 「34124231が対峙すればサイドの関係はそれぞれ12になり3412は、そこで人数不足を招きます。『4』の両サイドはおのずと低くなる。5212同然となるのです。後ろに人が多いので、高い位置でのプレスはかかりにくい。ボールを奪う位置も低くなります。相手ゴールまでの距離は遠いし、攻撃を仕掛ける人数も少ない。パスコースも少ないので、どうしてもロングボールを用いたカウンターになりがちです。前の3人に個人能力が極めて高い選手を揃えてない限り、なかなかそれは決まりにくい。攻撃の幅も出しにくいので、攻撃者とボール、すなわちパスの出所と受け手は、同時にディフェンダーの視界に収まってしまう。カウンターは簡単に決まりません」

 9899シーズン、デポルティーボ・ラコルーニャの監督に就任し、翌年スペインリーグ優勝、チャンピオンズリーグ5シーズン連続出場という快挙を挙げたバビエル・イルレッタの言葉である。欧州サッカーにそれ程詳しくないぼくがこの人の台詞にこうも目を引かれたのはあまりにもサンフレッチェの現状と適合してるからだった。これはまるでサンフレッチェのことを言ってるようではないか。まるで目隠しされた相手にこちらの行動を全て見透かされてるような気持ちの悪い感覚に陥った。サッカーは戦術じゃないという人もいるがそうでもないような気がしてきた。

 こういう議論になった時、まず監督なんて関係ないと言うのはサッカー経験者に多い。しかも県の代表とか高いレベルでやった人程そういう傾向が強くぼくのような選手経験のない者がいくら異論を唱えようと聞く耳を持たない。そして経験者がそう言うのだからやっぱりそうなのかとぼくのような者は思ってしまうのだがやはりそうでもないという目覚めを与えてくれた。サッカーに戦術は大切だ。そしてその戦術を取り入れるのは監督。となれば監督の存在はとてつもなく大きいことになる。やはりミシャじゃ駄目だ、即刻ヨーロッパの有能な監督を獲得せねばならない。

 そう熱くなろうとした時ぼくの中に眠ってた冷静な感性が呼び止めた。それだけじゃないと。勝てばいいのか。優勝すればいいのか。そういうものなのかと。確かに優勝すればそれは嬉しい。嬉しいが血肉騒ぐような興奮を得られるだろうか。それはないような気がする。一体この我侭な感情は何なんだろう。それは小野監督時代ずっと味合わされた違和感であった。大して勝てもしなかったがあの人が監督をしている限り勝っても素直に喜ぶことができなかった。外国人FW優先、生え抜きの選手を簡単に干してしまう、裕福なクラブでもないのに他から選手の補強頻繁にをする、そんなのサンフレッチェだったか?金がないなりに無名の久保竜彦を発掘し戦力外の沢田謙太郎を再生させユースから選手を供給できるようにして森崎ツインズや駒野といった選手が出てきたんじゃないのか?このチームを応援した経緯は色々あるだろうがぼくらの応援するチームはそういうチームじゃなかったのか?逆にそういう選手だからこそ本当に応援する気になるんじゃないのか?

 そう考えた時、ミシャはある意味サンフレッチェの意向に沿ってる監督である気がしてきた。少なくとも青山、柏木という若手をレギュラークラスに押し上げたという実績はある。そして槙野もスタメンになり平繁、高萩、高柳にもチャンスを与えてる。自分が連れてきたはずのダバツを優遇するということもない。優れてるかどうかは別にしてサンフレッチェにとって外れてる監督ではないのだ。ただその能力となるとこんな1冊の本を読んだだけで欠点が露呈してしまうくらいなのだからやっぱりちょっと・・・というとこなんだろう。

 サッカー監督というのは思った以上に色んな要素を持ってる。いかに優れた戦術をもってようとクラブに気に入られなければどうにもならない。逆にクラブにも気に入られサポーターにも愛された原博美みたいに知識がある割にはそれ程の成績を残したという印象がない監督もいる。ということでやっぱりサッカーは戦術じゃないのかなという気になってくる。でも間違いなくこの本はぼくのサッカーの概念にあるヒントを与えてくれたのは事実である。サッカーは知れば知るだけ面白みが増すという要素の一端を垣間見たような気がする。そしてサンフが毎度毎度同じような戦いをしてアップアップになった後でさも自慢げにこういう知識をひけらかせる。これぞ観戦後の醍醐味だ。

 といってこういうことしてるからあの人濃いとか言って後ろ指差されるんだろうな。

2008年2月14日 (木)

『紫熊倶楽部』の過去現在

 『紫熊倶楽部』が届いた。この雑誌の創刊は2000年だったと思う。たまたま広島に訪れたぼくはVポイントで定期購読の申込用紙が置いてあったのでFAXで送ったのだった。そしたらFAXの印刷が悪く字がよく読めないという理由でEメールで再度申し込みをすることになった。あれは多分関東の住所だったからこの人本当に年間購読するんだろうかと不審に思ったのだろうと想像した。

 その当時のサンフレッチェの情報量ときたら散々たるものだった。今でも関東で情報を集めようとしたらネットで調べたりしないといけないがそれでも『紫熊倶楽部』の他にTSSの携帯サイトもある。スカパーではJリーグ全試合放送をすることになった。お金を出せばそこそこ情報は集めることは可能だ。だがあの当時お金を出す気があってもその媒体自体なかったのだからまるでサンフレッチェって蜃気楼のような存在だった。だから『紫熊倶楽部』には初めてできたサンフレッチェとの接点のような気がした。

 ただ、創刊当時の紙面というのは酷かった。明らかにネタがないのに無理に紙面を埋め尽くそうとしてるのが見えてどこか痛々しかった。それでも年間購読を続けたのは寄付のようなつもりである。いつなくなってしまうか分からないサンフレッチェの情報誌がなくなってもらいたくないという思いだ。だからぼくはなるべく頻繁に投稿をした。多分投稿する人いないだろうと思ったからせめてぼくくらいはという気持ちだった。実のところ以前は年に2、3回ぼくの投稿が掲載されてたのである。

 そんな経緯を踏まえた『紫熊倶楽部』だが編集者の体力的問題から月2回から月1回の発刊に変わった。これは逆に良かったのではないだろうか。この頃から段々と内容が上がっていったような気がする。これは編集者の技量が上がったというのも関係あるのだろうが段々とサンフレッチェにもメディア受けする選手が出てきたのも大きい。そして関東でサポーターが増えた影響でこういう遠隔地にいても手に入る情報というのがより重要になりこの雑誌自体も以前のような独りよがりな存在ではなくなったのである。

 入れ替え戦後にVポイントに行ったという友人の話だがその月の号は売り切れてたという。やっぱりこういう雑誌必要なんだな。本もDVDもないサンフレッチェにとって『紫熊倶楽部』は唯一無二の刊行物となってる。ただ準オフィシャルなだけに出版前に全てクラブが目を通してるというのが想像できる。その為少し踏み込みが足りないと感じることが多くなった。でもわずか35ページ程度の雑誌としてはよくできてる。こういう不満がでてきたのも『紫熊倶楽部』しかないという現状のせいだろう。近い将来別の何かがでてくれればいいのだが。もしかしてそう考える人がいるからこそサンフレッチェって人気がない割に個人のホームページなどが多いのかもしれない。

2008年2月10日 (日)

『売れないのは誰のせい』

 本屋へ行くとどれもこれも魅力的に見えてしまう。全部読んでみたいと思わすのはそのタイトルとカバーリングだろう。もしかしたら本屋の陳列などの演出も関係してるのかもしれない。いかにも今話題の、これぞ名著という印象を持たせるポスターなどが貼ってあるのは購買意欲をそそるものだ。そういうもろもろの演出に負けてぼくは1冊の本を手に取った。タイトルは『売れないのは誰のせい』。この本そのものが売るための心理を付いたタイトルを付けている。売ろうという魂胆まる見えなのに読者のために教えますという謙虚さを感じさせる上手い演出だ。

 しかしパラパラと23ページ読んでみると確かに面白そうだった。そしてレジに並んだんだがいざ家に持って帰ると一気に全部読むかというとそうでもなくまず飯を食って風呂に入ってくつろいでと本は一旦隅に追いやってしまった。仕事帰りということもあるがまたその内読めばいいやという感覚に陥ってしまう。結局買っただけで満足してしまったのだ。何だか中学生辺りがここの塾に通えば東大まで行けるんだという安直な発想をするのと似てる。自らは消費文明に否定的でありながらその実消費文明に加担してるのだった。精神構造は中学生と変わらない。いや、ちゃんとした中学生の方がよっぽどマシかもしれない。

 でもそもそも何でぼくがこんな本を読もうと思ったのか。それはぼくも市場原理とか人々の関心や心理というものを研究したかったからだ。そこは全てサンフレッチェのためだった。なぜサンフレッチェは「売れない」のか。それこそそれは誰のせいなのだろうか原因を突き止めたかった。そしてそこから今後の展開というものを考えることができるのではなかろうか。実際ぼくは色々な改善案を作って文章としてまとめた。実は関東でこういう動きがあってそれをクラブに提出することになるだろう。サポーターカンファレンスなど出席できないがためこういう形でしかクラブに意見を言えないのだ。

 そのためやっぱりこの本は読んでおこうと考え直した。そして再び手に取ったのだがその時思った。何でぼくは自分の仕事のために何もしない癖にサンフレッチェのためにビジネスの知識を身につけようとするのだろうと。

2006年11月 9日 (木)

『神主さんがなぜプロサッカーチームの経営をするのか』

 アルビレックス新潟会長、NSGグループ代表という肩書きを持つ神主さん、池田弘氏が書いた本。氏は自身の宗教観から始まり地元の新潟元気にして新潟から世界へという視野を持っている。その為の一つとしてアルビレックス新潟が存在するということだ。今後はアジアを中心に人とモノの交流を図りたいとしている。シンガポールリーグに参戦してるのはその一環だとしている。

 確かに新潟は一地方都市の割にはアルビレックスは客を入れてる。後発のチームだからバカにしてた面もあったが観客動員数は日本で1、2を争う。少なくともサンフレッチェの2、3倍は入ってるのではなかろうか。観客動員に悩むサンフレッチェもアルビレックスに学ぶ面は大きいのではないだろうか。

 まず広島のアイデンティティーを確立して広島から世界へということにならないだろうか。サンフレッチェにそこまでブランド力になる要素はないだろうか。と考えた時あったのであった。それは選手でもスタジアムでもタイトル数でもない、「広島」そのものだ。「広島」こそ世界中の人が知ってる地名でその「広島」のサッカークラブがサンフレッチェ広島なのである。考えてみればプロスポーツチームで広島と呼ぶチームはサンフレッチェだけなのである。これはまぎれもないブランドなのである。

 ぼくが広島にいる頃、正直広島に魅力を感じなかった。政令指定都市といったって都会という雰囲気がなかったからである。そしてどこか刺激がない。だからぼくは東京に行くと全てが変わるような気がした。やはり日本の中心は東京。大阪じゃ駄目だ。東京だという思いで東京に出てきたのである。出てきてみたら正直こんなものかという思いしかなかったが。それだけにそれ以来広島にかける思いというのは強くなっていった。皮肉なことに広島にいる時は広島に愛着がなかったのに広島を出てからいいとこだったと思えるようになった。ぼくのサンフレッチェに対する思いもそういうとこが原点にある。だったら何で広島にいる時に広島へ魅力を感じなかったのだろう。

 それはやはり日本の中心は東京だからである。流行の中心、モノの中心、情報の中心、広島なんてのは全て東京から始まったものを大阪を経てやっとたどり着くのだと思ってた。事実そうだった。が、それが東京を介さない流れができたら、広島にいるからこそできること、楽しめることというのがあったら。若者はぼくのように東京への幻想的な憧れを持つよりも広島への愛着を持つだろう。そしてサンフレッチェはその広島というブランドを最大限にアピールして人を惹きつけていけないだろうか。

 ぼくは時間が許せば関東のサンフレッチェの試合は行っている。だけどホームに通えるのは2週間に1度の割合でスタジアムでサンフレッチェの観戦をすることができるのだ。それはぼくにとって夢のようなことだし羨ましいと思ってる。だがその感覚を当の広島人は持ち合わせてないのだ。

 広島がブランド。世界中の人が知ってる地名で世界中の国で人気のあるスポーツのクラブ。そしてかつてはサッカー王国と言われた風土もある。サンフレッチェも伸び代はあると思う。いささか抽象論になってしまったが何かいい案がないか探ってみよう。

 でも広島に住んでないぼくがこんなこと考えても何もならないかもしれないんだよな。

2006年9月 8日 (金)

いきなり、サッカーが上手くなる!

 『いきなり、サッカーが上手くなる!』

 野暮なタイトルの本だ。まるでこれは誰でも80点取れる英語テキストみたいなニュアンスである。実際にはどんなテキスト使おうと勉強して勉強して中身を暗記するくらいにならなければ同じことである。つまりはそのテキストを買っただけでもう安心してしまうようなタイトル、これは返って危険である。それでいながらぼくはこの本を手に取った。それもそのはず、寿人が表紙を飾っているからだ。さらに核心インタビューとして得点力不足に終止符を打つ男と紹介されてる。確かにどうやったら点を取れるかということについて寿人以上に適任者はいないだろう。

 しかしこの本のメインテーマは「二軸サッカー」である。キックではなく走りと姿勢こそが大切ということだ。その為に二軸走行というものが注目されるようになってきたのは知ってる人は知ってるだろう。日本人選手がシュートを外すのもよく転ぶのも一軸走行をしてるからだということだ。つまり身体の中心線の一軸と左右両足による二軸という違いである。トップレベルの外国人選手はこの二軸走行をしているためにキックの後の動作が止まらない、ボールにパワーが伝えやすい、転ばないということがあるらしい。以前このテーマを『サッカー批評』で初めて読んだ時衝撃を受けてしまった。ぼくらは日本人選手がシュートをふかしたりトラップミスをしたりするのは精神的なものだと考えてた。しかし実はその走りに問題があったようである。それを簡単に説明してそのトレーニング方法まで掲載されている。今まで同じテーマで関連本もこれが一番写真が多くて分かりやすいだろう。

 これでぼくも二軸走行を覚えてサッカーが上手くなる。まるで誰も知らないCIAの機密情報を得たかのような感覚になってしまう。そしてぼくは勉強もせずに英語のテストで80点取れる気になってしまうのだ。そして実際にサッカーの試合をやって打ちのめされて帰ってくるのだ。

 こんな本、本来サッカーの指導者にでも読んでもらわないと意味がない。ぼくも幼児のサッカー教室でお手伝いはしているが自分ができないものを教えられる訳がない。といって実際の指導者がこういうのを読むとどう感じるのだろうか。中には今までやってきたこと全否定されてるようで受け入れられないのではなかろうか。その辺指導者の方々が柔軟なことを期待したい。

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