ぼくのミュージック・ライフ

  • Songs Remains the Same
    Led Zeppelin: 聖なる館
    数あるレッド・ツェッペリンの名曲の中でもこれが特に好き。この曲はダブルネック・ギターがあったからこそできたような曲でこういう変則的なギターを使いこなしてるという意味でもジミー・ペイジは凄い。ロックの歴史の中で数々のギターを使ったギタリストはいたがこうしてちゃんと曲のクオリティーを保った形で生かした例というのは他にないのではないだろうか。だからぼくはレッド・ツェッペリンのライブではこの曲が一番聴きたい。そういう意味でDVD、CD含めてライブの音源が一枚しかないというのは勿体無い。だからツェッペリンの海賊版はやたらと高いんだろう。 (★★★★★)
  • モータウン・ジャンク
    Manic Street Preachers: ジェネレーション・テロリスト
     ぼくはこの曲を聴いた時はぶっ飛んでしまった。パンクのエモーショナルな躍動感がありそれでいてヴォーカルの高い声。パンクとは一線を引いてるようでその情熱はパンクだった。ハードロックとも言えないその曲調はこのバンドの大きな特徴だった。  元々このバンド、2枚組みのアルバムを出して解散すると豪語してたが結局15年経った今でも活動している。しかもCDは当時より売れて作品の評価も高くなってる。同時期に出たバンドがまるで残ってないことからすると相当に快挙である。それについて本人達ももっともらしいコメントを出すがそれがいかにも洗練されてる。パンク的でありながら教養のある人達だというのが分かる。そのどうしようもなくハチャメチャでありそうでいながら実はごくマトモな人達というギャップが親近感を呼んでる。だからこのバンドの曲は歌詞までジックリと読んでしまう。  しかし、この人達の作品は結構多く全部網羅するのは骨が折れる。この音楽へのバイタリティ、これだけは間違いなく本物だということだ。 (★★★★★)
  • ルイ・ルイ
    Johnny Thunders: New Rose Collection
     ジョニー・サンダースの死後に出たライブ音源とアコースティック・ギターによるスタジオ録音を音源に編集したアルバム。その中でもこの曲とDo You Love Meは圧巻だった。ラジカセで録ったような音源であるが、それが逆に臨場感を出している。分かる人にしか分からないという作品だ。  ちなみに現在このCDが売ってるのかどうか知らない。これだけセンスのある人がこんなカルト的な存在で終わってしまったのは理不尽な気がする。だからこそ好きな人にはよりたまらない存在になってしまうのだ。 (★★★★)
  • ロクサーヌ
    Police: ロクサーヌ
     これが売春婦に関する歌だと知ったのはずっと後のこと。歌詞も分からずずっとこの曲を聴いていた。勿論歌詞を知ってからもこの曲は大好きな曲だけど。  本当かどうか知らないけどこの曲の入ってるファースト・アルバムはわざと下手に演奏したらしい。理由は当時パンク・ニュー・ウェーブのブームの中でスタイルを合わせたということだろう。そしてセカンド・アルバムでは実力に見合った演奏で上手くなったと思わせたらしい。そういわれてみるとファーストでは音数が少ないシンプルな曲が多いような気がする。このバンド、5作しかアルバムがないのだがそういう抜け目なさというのは元から持ってたようだ。5作とも素晴らしく駄作のないバンドだった。 (★★★★★)

ぼくのブック・ライフ

  • トニー・サンチェス: 悪魔を憐れむ歌
    ローリング・ストーンズの暴露本である。現在は改題され『夜をぶっとばせ』になってるがタイトルといいブックカバーといい前の方がシックリしていた。 ストーンズというのはぼくが最も影響を受けたバンドの内の一つだが、ここまで無茶苦茶をやってそしてそれが逆に彼らのダークなイメージにつながった。まさにロック・バンドの典型である。どんなに悪ぶっても彼らのようにはなれないし彼らのような影響力は出せないだろう。 時代をロックと女とクスリと共に駆け巡り気付けば巨大産業に飲み込まれていったストーンズ。作者はそんなストーンズに最後は身も心もすり減らされてしまったらしい。それでも未だに活動しているストーンズはある意味怪物だ。 ぼくとしてはこの本の訳者中江昌彦の翻訳もその場に居合わせたような感覚になるのが良かった。他にも『レス・ダン・ゼロ』などもいい雰囲気を出してた。今まで本なんか読んだこともなかったぼくが高校生の時読んで凄いショックを受けたのをよく覚えてる。当時のブックカバーの最後に「END]という文字が書かれてたが読後その文字が見た目以上に大きく見えたものだ。 (★★★★★)
  • 落合信彦: 第四帝国
     まず最初に断っておこう。これはトンデモ本である。ここに書かれてる内容は根も葉もないことと言っていい。そもそもこの落合信彦という人がゴースト・ライターを使ってマトモに取材してるかどうか怪しい。本人いわくCIAに100人も友人がいるというから情報には事欠かないということらしいがこれではアメリカ政府のトップシークレットがなぜか来るというUFO研究者と言ってることが変わらない。そういえばUFOに関しての記述もこの本ではありオリジナルな展開を見せてるのは興味深かった。  内容はナチス・ドイツの残党が世界各地で暗躍してるというものでヒトラーは生きてる、UFOは実はナチスが造ったというファンタジーが溢れてる。その展開はちょっとしたSFといっていい。  事の真実なんてどうでもいい。ただ単純にエンターテイメントとして読めば何の問題もないだろう。誰も「ゴルゴ13」を読んで事実と違うと言わないだろう。それと同じことだ。  しかしこの人、いかにも事実というように書くのが上手い。文章も簡単でスラスラと読めるので展開のテンポがいいのである。だから知らないうちに読んでしまってるという感じになる。そのスタイルはぼくもずいぶんと参考にさせてもらった。  まあ実際はゴースト・ライターなんだが。 (★★★)
  • ニック・ホーンビィ: ぼくのプレミア・ライフ
     このブログの元ネタとなった本。この本との出合いはサンフレッチェの応援仲間に渡されたことだ。その存在は知ってたものの読む機会がなかったのでありがたかった。  内容はというとアーセナルを応援する著者のその観戦生活といったとこだがこれを読むと結構日本のサポーターもプレミアのサポーターも変わらないとこがあるのがわかる。退屈な、退屈なアーセナルというタイトルには笑ってしまった。なぜなら分かり過ぎるくらい分かる心情だからだ。ぼくもサンフレッチェを応援してて何度同じことを感じただろう。  今やアーセナルはプレミア・リーグでも優勝しチャンピオンズ・リーグでも決勝に進出するような存在。一方ぼくの応援するサンフレッチェ広島はJリーグの1部リーグで常に降格の危機を感じるクラブ。でもその根っこは同じである。海外サッカー好きにはJリーグをバカにする傾向があるがそういう人には分からない内容かもしれない。 (★★★★★)

サンフレッチェの魂~リンク集

  • ヒロシマ・コーリング
    今そこにある危機。サンフレッチェにはメディアが少ない。その為妙にぬるい記事が目立つ。そんな甘い現状にこのまま放置していいのかという危機感を感じた時発言していく。

2008年6月11日 (水)

甲府戦~小瀬のトラウマ解ける

2008/06/11 ヴァンフォーレ甲府vsサンフレッチェ広島 山梨県小瀬スポーツ公園陸上競技場

 ぼくはこの試合を観てない。よりによってこんな時に群馬の高崎にいたのだ。これが甲府でなく草津戦なら何の問題もなかった。行き違い、すれ違い、人生には多々あることだ。そしてぼくのサンフレッチェの観戦にはもっとあることなのだった。

 実は数日前高崎に住むサンフサポの仲間と会い居酒屋へ行った。一人でフラッとホテルを出て居酒屋の領収書を持って帰る、一緒に泊まってる出張仲間は不思議な顔をしていた。ぼくは至る所へ行くがその行った先に住んでるサンフサポの仲間に連絡をして会うことがある。どこへ行っても知り合いがいることから一体こいつの交友関係はどうなってるんだという目で見られてる。これぞサンフの恩恵といったとこだろう。

 その高崎の仲間は小瀬まで行くと言ってた。それならぼくもと何とか可能性を探ってみたもののその仲間は大宮まで出てそこから車乗り合いで行くらしい。そして当日帰ることは考えてないということを聞きやはり今回は諦めざるをえないんだと肩を落とした。ただ、幸か不幸かこの2日間の猛暑ですっかり体調を崩したぼくはとても小瀬まで行く体力がなく観戦に行くことが不可能な場所にいることが却って気分が落ち着いたのだった。前日は飯も喉を通らないくらい悪くやっと腹くらいは空くようになって回復してきたようである。

 ここでせめて現地の様子でも教えてもらおうと何人かの携帯に電話した。そしたら誰も通じない。小瀬って携帯の電波が届かないのか。いや、あそこならありえると何度か行った記憶から連想するのだった。

 ぼくは色々な人からの情報から何人くらい小瀬へ行ったのか想像する。2003年より多いかな。でも平日の夜はさすがに厳しい。それでも行く人はあの手この手でよくやる抜くものだ。それなのに中には結構会社で偉い地位の人にいるというのがおかしなとこだ。

 そんな状況でぼくができる唯一のこと、ネットに接続だった。好都合にホテルでは無線LANを貸し出していてPCを持ってきたぼくは救われたのである。これで少なくとも結果だけは知ることができた。どうやら勝ったようである。高萩のゴールかと思われたがオウンゴール、左サイドクロスから寿人と02で終わった。また甲府の鬼プレスに押されてズルズル下がって失点してしまうのかと思ったが結果だけは出してくれた。しかもミシャにしては珍しく固定メンバー以外をピッチに送り込んだ。スタメンで結城、交代で柏木、桑田、久保。せっかくJ2にしてはメンバーが豊富なのに使わないでいたのには少々不満も感じてただけにこれは嬉しかった。

 それにしても小瀬で勝ったというのは大きい。何と小瀬では2003年以来、つまり初めて小瀬で対戦して以来一度も勝ったことがなかったのだ。しかもその負け方というのがカズがゴール前でコケてその隙にシュート打たれてしまったとか先制しながらもバタバタと逆転されたりとか2日間くらい寝込んでしまいたくなるような決まりの悪いものだった。そのトラウマがここで解ける、やっとこの日が訪れたのか。

 いや、やっぱり現地に行ってみたかったな。当然に相手だってサンフレッチェには相性がいいなんて思ってただろう。よりによって今シーズンのアウェイ無敗記録を更新されたことのショックは大きいだろう。正直昨シーズン終盤での勢いは甲府の方があったのである。ほんの短期間で変わってしまう。まるで積み木のように積み上げるのはコツコツとするのに崩すのは一瞬という感じである。だからウカウカしてられない。もう今年は落ちることはないだろうと高をくくって落ちてしまった去年の実績がある。つくづくサッカーは気の抜けないスポーツだ。少なくともぼくのように体調を崩してる暇はないということであろう。

2008年5月29日 (木)

草津戦~J2のレベル

2008/05/25 サンフレッチェ広島vsザスパ草津 広島ビッグアーチ

 試合が始まり目に付いたのは審判のオフサイドの判定だ。あれはオフサイドかな、うーんと考えてると草津もオフサイドの判定をされたがそれも怪しく見えた。確かにサンフのボールになってラッキーではあるがぼくの目の前でのプレーだっただけにあれは違うでしょと一緒に観戦してる仲間と話した。彼女は4級審判の資格も持ってるのでぼくより判定に関する目は持ってるはずだ。やっぱりJ2、ぼくらのいるリーグはそういうリーグなんだと諦める他なかったのだった。

 こうなってはせめて自分達だけはこのレベルに染まらないようにたくさん点を取って勝ちたい。だけどまたしても点が入らない。突破ができない。はね返される。枠に行かない。またいつものパターンかと思ったら寿人がPKを貰った。ラッキーである。ただスタンドはそれ程盛り上がってなかった。何だか分からない内にPKになったという拍子抜けの感覚があったのだろう。そして浩司がキック。そのキックはまるでGKの練習でもやってるかのように飛びついた手にピッタリと当たるキックだった。ボールは枠を外れ脱力してしまう。本当にスタジアムに脱力感が漂った。ただ、その後槙野がCKからボールを押し込みゴールを奪った時はホッとした。嬉しいというより溜飲を下げるという感覚だった。

 そしてその後は1点も取ることはできなかった。草津も負けてる割には焦ってる雰囲気がなく大したプレシャーも掛けないのだがそれでもシュートが打てない。どうもゴール前の一瞬の閃きやスピードといったものがない。教科書そのままのプレーをしているという印象だ。そしてそれは草津にもそういうふうに見え教科書通りの守備でただ時間が過ぎていった。ファンタジーもエキサイティングもなく終了のホイッスルが鳴り歓喜する気分にはなれなかった。スタジアム全体もあまり喜んでる雰囲気はなかった。

 ここでぼくは席を立った。新幹線に乗り遅れてはいけない。隣にいた仲間は槙野・森脇劇場見れなくて残念ねと言っていたがこんな試合の後でもやるのかなという気がした。少なくともぼくはこの後槙野と森脇のパフォーマンスに盛り上がるという気分ではなかった。残念でうなだれていたのである。サンフもJ2のレベルに染まってしまったんだろうか。

 広島駅まで行き新幹線の改札を通るともう紫の姿はぼく一人だった。だが草津のレプリカを来た年配の夫婦はいた。当然ぼくの存在も気付いている。そして東京駅で降りた時もその夫婦に鉢合わせた。エッ、という顔をされた。まさか東京からわざわざ広島まで見に行くサンフレッチェ・サポーターがいると思わないんだろう。関東のサンフレッチェ・サポーター、それは以外にも他のクラブのサポーターには知られてない存在なのだなと思ったがその奇妙な目で見られたのがちょっと面白いのだった。

2008年5月27日 (火)

草津戦~スタジアムに着き

2008/05/25 サンフレッチェ広島vsザスパ草津 広島ビッグアーチ

 初めてのホーム一人観戦。それでも現地に行けば一人や二人は知ってる人がいるはずだったが誰にも会わなかった。唯一ランちゃんと呼ばれる体格のいい青年に会っただけだ。ランちゃんは遠いところ、ご苦労様ですと声を掛けたのだがその本人にしたって関東の人間である。年間パスを持ってたことから相当来てるのだろう。本人はお布施のつもりだと言ってたが。

 一方のぼくは当然のことながら一般チケットだ。チケットの種類で入場の順番が違うというのを初めて知った。確かに先に入れる方が限定来場者プレゼントも貰いやすいし何となく優越感がある。ちょっと羨ましいなという気がしながら来場の順番が回ってきた。スタジアムに入る、スタンドを見渡す、うーん、どうも今日は客が入ってないなというのが正直な感想だ。最近いい具合に客が入ってたがついにJ2のマンネリに陥ってしまったか。強い敵もなく、強力外国人FWもなく、これといったプレッシャーもない。心の奥底ではまあ勝てるだろうと思ってる相手に1点入れて何とか勝ってる試合が続いている。もっと高いレベルを目指してるのかといったらそのスコアではそうは感じない。ただ勝てばいい、ただ昇格できればいいというだけなら昇格が決まる試合だけ観に来ればいいのではなかろうか。そういう意識が段々とサポーターの中で燻り始めたのではなかろうか。

 ピッチでは少年サッカーの試合が前座として開催されてた。ぼくはいつも座るG裏との境界線沿いのバックスタンドに座った。関東の仲間と観戦する時はいつもこの場所だ。一人であっても同じ場所に来るというのは習性というやつだろうか。そして客入りはどれくらいか確かめるべくスタンドを見渡すのだった。そしたら彼方から見覚えのある顔が向かって来る。いや、他人のそら似だとうと平然としているとやっぱり似てる。似てるというかあれ本人じゃないか。な、な、な、何で?

 現れたのはいつも千葉の観戦会で一緒の女性だ。前回の観戦会の時来週ホームに行けていいなあなんて言ってたのである。まさか広島で会おうとは。

「実はユースでとても重要な試合があったので」彼女はちょっと照れくさそうに話した。ずいぶんフットワーク軽いですねと言ったら「これでも2日間真剣に悩んでたのよ」と返されてしまった。まあそうかもしれないが女性なのに行動だけはパワフルである。

 しかし、ぼくとすれば予期せぬ仲間との合流が嬉しかった。やっぱりサッカーは仲間と観戦するのが楽しい、平静を装いながらも実は喜んでいたのである。ただ、こうやってわざわざ関東から来る人間がいるというのに広島の人がスタジアムに来ないのは本当に寂しいことなのであった。

 しばらくして選手が入場をする。ぼくもタオルマフラーを掲げて『Smoke on the Water』を歌う。一人でいてもやってるだろうが二人なので余計に勇気が出た。ぼくのデカイ声に座って観戦してた小学生の女の子が「何だ、この人」という顔をして見たのだった。

2008年5月26日 (月)

草津戦~スタジアムへ向けて

2008/05/25 サンフレッチェ広島vsザスパ草津 広島ビッグアーチ

 雨上がりの朝、霧が少し掛かっている。ホテルニューヒロデンから散歩に出てみた。どうやら今日は雨は降りそうもない。路面は濡れてるけど降らなきゃいいのだ。

 路面電車やバスが走る。だが人の動きは少なくせいぜい並木の落ち葉を清掃してるおじさんくらいしか目に付かない。もっともこの時間に広島駅に向かってる集団なんて飲み屋で一夜漬けでもしたんだろう。たまにそういう連中もすれ違い話し声が広島の街に響き渡るのだった。

 ホテルをチェックアウトした後本通りに向かって歩いた。稲荷町、幟町、鉄砲町など広島の町には由緒ある名前が付いている。一々その名前の由来を知らないのは学生時代勉強しなかったことを悔いる。

 本通に出るとVポイントに立ち寄る。以前のガラガラな雰囲気はなく必ず客はいる。グッズも増えたようだ。店員と客の会話が聞こえたが一昨日ダバツが帰国前に朝店に寄ったようである。本当にいい人だったようだ。

 そして店内では白人男性がレプリカユニフォームの試着をしてた。おお、外人がサンフのユニフォームを買おうとしてる。ぼくは何だか誇らしい気分になった。もしかしたら観光土産かもしれないがこれも全世界で共通の競技であるサッカーだから成り立つ話だ。いずれは宮島などの観光スポットにもサンフのグッズを買う外国人の姿が見れることを期待したい。

 その後横川へ行きシャトルバスの列に加わる。本通り付近ではほとんど見かけることがなかったサンフレッチェ色だがここに来ると一応商店街でフラッグが掲げられている。所々ポスターも貼ってあるからこの地域との関係においてはクラブとして努力しているのだろうか。そしてバスに乗ると『光の射す方へ』に乗せて選手のコメントが流れる。これは以前クラブに指摘したことであったが実現されてたことからやっと本気になって観客を楽しまそうとする姿勢が読み取れた。ただ、これも関東でやったなら途端にバスの中が大騒ぎになったはずである。それが広島ではシーンとしている。耳を澄まして聴いてるんだろうがそこが関東とは違うとこだった。やはり広島では個人観戦者が多いということではないだろうか。サンフの好きな仲間とくるという環境がもっと浸透していればもっと盛り上がるような気がするのだった。

2008年5月 9日 (金)

広島へ行き

2008/05/03 サンフレッチェ広島vsモンテディオ山形 広島ビッグアーチ

 試合が終わり横川駅行きのシャトルバスに乗るため列に並んでた。後ろに3人の男性が並んでいて気にかけることもなかったのだが会話が聞こえてしまった。どうやらその内の1人は徳島まで遠征へ出掛けたみたいである。

「あの試合って寿人が決めた4点目ってTVでは凄い歓声があったように聞こえたんだけど」

「ああ、凄かったよ。だって徳島のサポーター席からも歓声が上がってたんだもん。徳島の小学生が近くにいたんだけど紫のユニフォーム超かっこいいなんて言ってるんだもん。そんなこと言われたことないよな。何だかスタジアム自体サンフレッチェを見る目が銀河系軍団という感じだったんだよ」

「うははははは。サンフがそんな風に言われるんだ。銀河系軍団になってしまうとは。でも徳島も青のユニフォームにポカリスエットのプリントってかっこいいと思うけどな」

「そうだよ、かっこいいよ。でもどうせだからホームはポカリスエットの青だからアウェイはステビアのプリント入れて薄緑にすればいいんだ。それにしてもあそこは本当に大塚製薬しかない町だったね」

 ププッ、聞いてて思わず笑ってしまった。どうせだから関東から来た者だがもっと詳しく教えてくれと話しかければ良かったのだがバスへの乗車が可能だったために乗り込んでしまった。これから山口まで向かうぼくとしてはそんなに余裕がないような気がしたのだ。もっと広島の人に色々なことを聞いてみたい気はした。

 ぼくは横川から山陽本線で下って行ったが紫の人は段々と少なくなり岩国を過ぎた辺りからはほぼ皆無となった。だけど徳山で家族連れが1組降りていった。そして紫の服装はぼく1人になったのである。さすがに3時間以上も掛けて来る人はそうそういないだろう。だけどぼくはこの観戦後の終電近い山陽本線の下り電車というのが好きだ。宴会の後のような気分が暗くなった車窓の景色が盛り上げてくれる。最初一番前の車両で立ってたんだが車掌が巡回の際に後ろの車両は空いてるとわざわざ教えてくれるのだ。そして席に着いたら駅前で買ったパンを食べる。地方の電車だからできることだ。このローカルな雰囲気がいい。

 そしてほんのたまにだが山口でサッカーのレプリカユニフォームなんて着てる人ほとんどいないからぼくの紫のレプリカを見た高校生辺りが「サンフレッチェだ」なんて会話されるとどこか気分がいいのだ。だからぼくは実家の山口に帰る時は必ずサンフレッチェグッズを身に着ける。もっともぼくの衣類は今やほとんどサンフグッズになってしまってるんだが。

 広島の遠征ではいつも面白いことがある。今年に入ってクラブ主催のアウェイバスツアーも満席となると聞く。サンフレッチェを取り巻く環境が一層面白くなってきている。そしてぼくは広島の人が関東へ来た時面白いと感じられるようにまた関東を盛り上げていきたい。

2008年4月28日 (月)

スケジュール

千葉での観戦会の予定です。

参考にしてください。

店もサンフレッチェの旗を店内に飾ってくれたりと何かとか協力的です。

現在参加してくださってる人も近場で仲間を見付けたいという気持ちを持ってます。

ちなみに429日は観戦会後ちょっとお茶でもしようかと考えてます。

もし時間のある方はそちらもお付き合いください。

429日(火)13時~ 徳島ヴォルティス戦 

パブリック・アローズ 

272-0033 

市川市市川南1-1-8 

サンハイツ1 

JR市川駅南口徒歩1 

http://public.arrows-project.com/index.html 

お店はキックオフ30分前に開店していただいております。 

*観戦会予告 

【パブリック・アローズ観戦会】 

56日(土)16時~ ベガルタ仙台戦 

511日(日)13時~ アビスパ福岡戦 

※53日(土)はお休みです 

2008年2月18日 (月)

一流のエリート意識

2008/02/17 東アジアサッカー選手権2008 決勝大会 日本vs朝鮮民主主義人民共和国 オリンピック・スポーツ・センター

 日本にスターはいなかった。才能ある選手なくどんどん選手が小粒になっている。だから日本で代表戦を開催しても客が入らなくなったしTV視聴率も落ちている。そんなことはないという反論は出るかもしれないが事実かつての中山や三浦カズを越える存在がいるだろうか。日本全国でトレセンをやるようになって全体のレベルは上がったが選手が均質化し得意な才能が出てないような気がするのはぼくだけだろうか。

 FWPA内で足元に入ったボールをすぐバックパスし、前向いてシュート打つ意識のある選手もなく戻したボールは後ろのからのシュートで遥か彼方まで飛ばされ、サイドに回しては密集地にクロス、まるで点が取れる気配がない。揚げ句の果てにパスミスからカウンターを受けた時には失笑してしまった。

 正直試合が始まった時点で勝てないオーラが充満してた。メンバーを見てもどう考えても分不相応な選手もいる。そういう選手はやはりまともなプレーもできず何だかその場にいるのが可愛そうな気さえしてきた。と同時にこれは最初から負けた時の言い訳が用意されてたようにも感じるのだった。

 メンバーを落としたから勝てなかった。この駒ではよくやった方だ。こういういい場面が作れた。経験を積むことができた。サブのメンバーの底上げになった。そういうコメントが作られてるのではなかろうか。そのせいか選手にもそれ程覇気を感じることができなかった。

 これでは北朝鮮の方がレベルが上のような気がする。試合は引き分けで終わったが個々のレベルでは日本が上だというエリート意識だけはしっかりと根付いて見えそういうところが余計に腹立たしい。これもトレセンの弊害ではなかろうか。小さいころから選抜に入って特別な人間という感覚を植えつけてプロにまで行き着いたはいいが一旦日本の枠を外れたら何もできなくなる。それは海外遠征などもやるのだろうがお金を掛け人力を掛け労力を掛けてる割には大した選手が出てきてない現状を考えればどこか間違ってるんじゃないかと考えてしまう。もしかしてトレセンがプロへの登竜門になっててそこに入れなかった子はもうサッカーを諦めるという風潮ができてるのではないだろうか。

 そんなことを考えたのはある少年サッカークラブの話を聞いたからだ。ボランティア主体でやってたがここにきてプロのコーチを雇って上を目指すと方針転換したらしい。今までは非常にアットホームな雰囲気で気軽にサッカーを始められたものの小学生になると段々と試合に勝てなくなるということだった。中心で運営してる人達でそれではいけないと奮起したようでそれまで学年が上がるに従って他のクラブへ流出してた子供を繋ぎ止めることを考えたのだ。

 ぼくはサッカークラブなんて色んなレベルがあっていいと思う。それぞれ自分のレベルに合ったところへ行けばいいんじゃなかろうか。確かにせっかく育てた子供が他に移ってしまうのは心外なんだろうがそれはそれでその子にとっては意味のある経験だったのではなかろうか。みんながみんな上を目指し同じような指導をし同じような練習をする。そういう兆候にあるんじゃないかと考えてしまったのだ。今よりずっと遅れた指導方法でや組織でゴン中山や三浦カズが生まれたことを考えるとぼくのような素人は考えざるを得ないのだった。

2008年2月 4日 (月)

トルコへ出発

 試合がない、シーズンオフだといってもチームはすでに動いていてすでに開幕に向けたトレーニングを始めてる。広島でのトレーニングを見学してた人から連絡がありダバツが負傷したのを目の当たりにしたということだった。昨年怪我でシーズンを棒に振ったダバツ、またかよという気がする。どうもついてないようだ。

 正直なところ昨年のトルコキャンプは成果がなかったという見方もある。このシーズンにヨーロッパ辺りに行っても大した対戦相手がいないだろうということだ。だから大したFWとは対戦できずDFの弱さを感じることもなくシーズンに突入してしまったと。この辺はぼくにはどうにも分からない。お金に関しては国内も国外も大して変わらないという話もあるし対戦相手が重要という話もある。ということはやっぱりミシャの顔の効くトルコでいいのかもしれない。

 しかし、チームが上手くいかない時ぼくらはどこかに原因を探すものだ。監督の采配や選手起用、そんな話から始まって行き着いたところでキャンプでチームを作れなかったという話になる。国内でトレーニングした方が良かったのではとかミシャは自分の顔の広さを見せ付けたくてトルコを選んだとか。といっても開幕直後は上手くいってたしその頃はトルコキャンプに疑問視する声はなかったのである。そもそも小野監督時代国内キャンプをやっててそれが必ずしも上手くいったかというとそうも言えないとこもある。そもそも国内だと対戦相手はJリーグのチームとなるしお互いの手の内を晒すことになる。かといってKリーグのチームだと怪我をさせられる危険がある。結局どこがいいなんていうこともないんだろう。どこも一長一短だ。ただ小野監督のように自己啓発で山篭りやサイクリングをさせられないだけマシと考えることにしよう。

 そういえば今年はトルコキャンプ帯同ツアーの申し込み案内が来なかった。去年申込者がいなくて企画が中止になったせいだろう。確かに何日もトルコへ行くのは日程的に厳しいからしょうがないのだが。それでも中にはトルコまで行って映像を撮ってきたサポーターもいた。そして開幕前の決起集会でその映像を披露してくれたものだ。果たして今年も行くのだろうか。

 今年も決起集会はやるらしいしこの前はサポーター会議なるものを都内の会議室を借りて行った。シーズンオフじゃないとできないことであるが結局試合がなくったってやることは一杯あるのだった。そしてまた試合が始まればカレンダーとにらめっこして何とか1試合でも多く参戦できるよう試案する。何だか仕事よりも忙しい気がするのだが。

 でもこうやって熱中できるのもサッカーの特性。夜になったら

広島市

内に繰り出す若者たちも引き込むようなオーラがサンフレッチェにあったなら、広島はもっと雰囲気の良い街になるだろう。街でたむろするのがかっこいいと勘違いしてる若者たち、一度でいいからぼくらの熱狂を味わさせてやりたいものだ。

2008年1月17日 (木)

遅い新年会

 年末年始となかなか皆忙しいだろうというので今頃になって新年会をやった。ぼくの呼掛けで集まったのは12人。大体千葉近辺の人だが今回は遠方からも駆けつけてくれた。嬉しいことだ。と同時に最近こういう企画を関東であまりやらなくなったせいでこちらに来たという事情もある。それはそれでちょっと寂しい現状ではあった。

 ぼくは毎年新年会を企画するがどちらかというと千葉方面の人を対象にして開催も千葉近郊でやってる。本当はもっと他の地域でもこういうことをやって欲しいのだが今はそれぞれ仲の良くなった者同士がそれぞれで集まってるという状態だ。それはそれで悪くないのだが広く告知をする、参加を募るということをやっていかないと新しい仲間が増えていかない。元々関東でサンフレッチェ・サポーターを増やしたのは一人一人話して顔と名前を覚えてといった作業をしていったからだ。それが今は薄れてる気がする。どんなに人が増えてもその原点は見失わないようにしたい。

 まず、このメンバーの中であまり馴染みのないメンバーが3人いたのでそれぞれ自己紹介をしてもらった。みんな顔は見たことある。でも名前は知らないといった感じだ。まあなかなか一度で名前を覚えるのは難しいと思うがこうしたことを繰り返すことでお互い知り合うものだと思う。

 ぼくはこの会で今までぼくが関東で仲間を集めた経緯、そして発展させた経緯、さらに今に至るコミュニティの確立には自分独りではなく色んな人がそれぞれの得意分野で活躍してくれたことを話した。サンフレッチェを応援する仲間が欲しい、その1点だったが仲間が増えれば色んなことができる。そして少数しかいない人なんだからなるべくそういう人を引き入れるようにしたいと話した。やはり自分からこういった中へ入ってくる人はなかなかいないだろう。ぼくだって正直知らない人に話しかけるのは勇気がいる。だけど一人の人が集団でいる人に話しかけるのはもっと勇気がいることなのだということを忘れてはいけない。

 今期はJ2となったので簡単に行ける場所での試合がない。だからこそ尚更お互い連絡を取り合って乗り合いで行くなどの方法で交通費を減らしたいものだ。まだまだ新しく来た人は遠慮があるだろうがそれも根気良く付き合っていくと変わってくるものだ。その内積極的に自ら動き出すようになる。ぼくはそういうのをずっと見てきた。だから原点は見失わないようにしようと思う。まだまだ関東だって発展の余地はあるんだから。

2008年1月 1日 (火)

元旦の日、決勝の朝

2008/01/01 天皇杯決勝 サンフレッチェ広島vs鹿島アントラーズ 国立競技場

 薄暗がりの三道を早足で登って行った。初日の出を見るにはちょっと出るのが遅かったかもしれない。といって山口の地理に詳しくないぼくは父親の案内ないではどこへも行くことができずずっと起きるまで待っていたのだった。もしかしたら天気が悪くて日の出が拝めない、そんな気もしたのかいつも早起きの父親も今日は出足が遅かったがすぐに身支度を整えて車を出してくれた。

 ほんのりと表面に雪が掛かって寒い。足元が良くないがゆっくりとはしていられない。階段を駆け上がり頂上にたどり着いた。もう空は朱色掛かっていて日の出が近いことを物語ってた。ただ今日は雲が多く例年より日の出が遅い。そして例年と違うといえば見物人の数も少ない。天気が悪いと判断したのだろう。確かに町の家屋には雪が積もっており山へ登るのはどうかという気になってしまう。それはそれ程雪の降ることのない山口だからこそだろうが、逆にそのほんのりとした雪景色が白とコバルトブルーと朱色のコントラストとなり珍しい光景となった。

 こうして町を見下ろすと家が多い。それなのに人工の減少やアーケードのシャッター通りなどという現象が起こるのが不思議な気がした。ましてやここよりも都会の広島でサッカーの試合で客を集めることができないとか金が無いとかいったことが起こるというのが信じられない気がする。これが東京からポッと帰る者の持つ特異な感覚だろうか。まあ山口に住んでる訳でもないぼくがこんなこというのは場違いかもしれない。

 少しずつ光が強さを増し山頂では日の丸の旗が掲揚された。オジサン達の君が代が聞こえる。その歌声は酔っ払ってるようだった。そしてパン、パンと両手を合わせる人がいる。ぼくもそれにつられて両手を合わせたのだった。

「どうかサンフレッチェが優勝しますように」

 サンフレッチェのマフラーをしたぼくの存在に気づいた人はどれくらいいただろう。まあいないだろうが。現地に行けないぼくはこんなことくらいしかできないのだった。

2007年12月14日 (金)

京都戦~ホテルにて広島遠征の総括

2007/12/08 J1J2入れ替え戦第2戦 サンフレッチェ広島vs京都サンガFC 広島ビッグアーチ

 朝日が部屋に入り込む。海を展望できるこの部屋ではこの光が眩しい。何気に窓からの景色がいい。駅から遠いだのとんでもない場所にあるだのと文句を言いとんだ外れクジをひいた気分だったが少し気分が和むのだった。

 元来早起きなぼくはもう起きて机に就いて前日の内容をノートにまとめていたがタイセイさんはまだ寝ている。時々起きてはトイレに駆けつける。どうも夜中から下痢におそわれているらしい。ほぼ同じものを口にしたぼくは平気だというのに。やはり疲労もあるのかもしれない。

 もう来年はJ2ということが決まった。しょうがないと思う。あれだけ勝てなければ落ちてしまう。選手はどうなんだろう。色々な移籍が頭をよぎったものの別に残りたくなければ残らなくてもいいと思う。そもそもチームを降格させたのは選手自身だ。だから特に心配してない。却ってガンバ戦の時の若手メンバーでチームを作り直してもらいたい。

 そして監督。あれはもう交代だろう。違約金を払いたくいからクビにしなかったという憶測があるが辞めてくれと頼めば良かっただろう。正直日本の実績なんてヨーロッパへ帰れば何にもならない。だからミシャはクラブを降格させたけど自らのキャリアに傷はつかない。その辺の責任感が希薄なんだろう。できれば今度は日本人監督にお願いしたい。一体クラブは人事を考えてるのだろうか。

 失意の広島遠征。と言いたいとこだが別にそうでもない。もしかしたらもうJ1に上がれないかもしれない。それでも大して恐怖を覚えない。今回宇野降格で見えたことがある。クラブは絶対勝てないメンバーを固定して使い続けるミシャをどうにもできなかった。一言でいえば無能である。フロントがよくないとクラブは絶対によくならない。正直このクラブの御里が知れた気がする。

 本当に情熱を持ってこのクラブをよくしよう、客を集めよう、強くしようとする人がクラブにいないのだろうか。今のままでいい訳がない。不人気クラブ、地元から支持されてないクラブ、弱いクラブというレッテルがいつまで経っても変わらない。

2007年12月12日 (水)

京都戦~広島の反応

2007/12/08 J1J2入れ替え戦第2戦 サンフレッチェ広島vs京都サンガFC 広島ビッグアーチ

 スタジアムを後にし3人でアストラムラインに乗った。いやあ、正直覚悟はしとったけどなとHさんが話す。激混みの車内では周囲に会話が筒抜けだ。広島弁とは異質な訛りと話の内容から関東から来たというのは分かっただろう。別にそれがどうしたという訳でもないがこうして東京から来る人間がいることを広島の人には分かって欲しかった。

 飛行機で日帰りするHさんは「中筋」で降りた。「じゃあまた新年会で」という言葉を残して。そして終点の「本通り」の改札を出るとタイセイさんはマツダさんに電話を入れた。第1戦、京都まで行ったマツダさんにしてみれば今回来れなかったのは悔しかっただろう。だけどこの結果を受けて尚更悔しかったと見える。

「スタメン見たんだけどあの時点で負けると思いましたよ。何でウェズレイが入ってるんだよな」

「そうなんですよ、スタジアムでも早く平繁入れろという声がありましたよ。両チーム合わせて一番悪かったですね。何でその辺の見極めができないんでしょう。やっぱりあの監督じゃ駄目だったんですね。あとカズが中盤に戻ってたけどこの期に及んで戻すならもっと早く戻せよと言いたかったです。やっぱりちょっと日本舐めてた部分があったんじゃないですかね」

「そうだな、酷いよな・・・」

 改札前で紫のレプリカを着た2人の男の姿は目立っただろう。関東ではよく見られる光景だが広島では浮いてる気がした。そして2人で地下道を歩いてる際、花屋の店員と思われるお姉さんに「今日どうでした?」と聞かれた。ぼくらが駄目だったと言うと笑顔を作りながらも残念そうな表情を浮かばせた。

 その後宇品のグランドプリンスホテルに向けて路面電車に乗った。今日サンフレッチェ駄目だったんだねと小言で囁かれてるのが聞こえた。恐らくぼくらの姿を見て思いついたんだろ。

 宇品港でバスに乗り換えやっとホテルにたどり着いた。辺鄙な場所にあるとロクなホテルじゃないんだろうと思いきやクリスマスのイルミネーションもありゲームセンターやボーリング、コンビにまで完備されてるという豪華なホテルだった。

 ぼくらはチェックインを済ませるとベル・スタッフの女の子が荷物を持って部屋まで案内してくれた。小ぶりなかわいい子だ。やはり入れ替え戦の結果を聞かれた。駄目だった、点が取れなかったと言うと残念です、私も応援してるのにと言った。ぼくらはわざわざ東京から駆けつけたということとスタジアムでは関東の人が結構来てたということを教えるとそういう人がいるんだとちょっとした驚きの顔をしていた。

 でもぼくらが紫のレプリカを着てるだけでこうして結果を気にかけてくれる人がいる。客が入らないからといって広島でサンフレッチェが全く無関心だという訳ではないようだ。これってもっとクラブが努力すればもっとサンフレッチェを盛り上げることができるのではなかろうか。関東では三ツ沢競技場のアウェイ・ゴール裏を満席にすることができた。関東でできて広島にできない訳がない。待ってちゃ駄目、誘い込まないと。絶対に開拓する余地はあるのだからと感じたのだった。

2007年11月26日 (月)

川崎戦~スタジアム問題

2007/11/24 川崎フロンターレvs サンフレッチェ広島 等々力陸上競技場

 入れ替え戦のホーム、一体何人入るんだろう。そんな不安を口にしている内にそもそもビッグアーチに人を集めるというのは構造的に無理があるという話になった。ビッグアーチへの交通手段としてアストラムライン、車、シャトルバス、この3点をフルに使ったとしても一辺に受け入れることのできる人数は限られている。この点においていくら専用スタジアムにしようとあの場所にある限り無理がある。道が一本しかないというのは最初から限界がある。そういう点においてこのスタジアムを建てた時計画になったのだろうか。ただ造りゃ後はサンフレッチェが使ってくれるという安直な発想が伺える。所詮役人なんて街がどうなろうとましてやサンフレッチェがどうなろうと自分の給料には関係ない。もっと大きなビジョンを持ってやらないといけないのにあんなスタジアムにしてしまった。観客をスタジアムから遠ざけてる、それでどうやってホームで人気を上げろというのだろうか。

 ぼくは元々サッカーには興味がなかった。ただJリーグだったら広島のチームだから何となくサンフレッチェだなという気がしてた。そして初めて観た試合は勝ったものの別に面白くとも何ともない試合だった。それが今のようにのめり込んだのはヴァレリー監督時代の開幕戦だった。あのクルクル回るボール運びと積極的な試合に臨む姿勢にすっかり虜になってしまったのである。その後あの時の興奮を再び感じることはあるにはあるがほとんどの場合はガッカリすることの方が多い。それなのに見続けてるのはあの時の記憶があるからだ。だが観戦する機会さえなかったらその興奮を得られる機会さえもない。やはり観戦できるという環境は必要なのだ。

 勿体無い話だ。1ヶ月に2回くらいしかないサッカーの為に金を掛ける必要はないとまるで議案にも上がってないようだがサッカー専用スタジアムがもっと便利な場所にあれば色んなことが考えられる。そもそもサッカーは他の競技と違ってアウェイのサポーターがわざわざ県外から来るというのを知らないんじゃないだろうか。そういうサポーターにとって応援が終わったらついでに広島のお好み焼きを食べて生きたいと考えるのは普通じゃないだろうか。そして通信販売の案内などもアピールできるのではないだろうか。お好み焼きに限らず他にも色んな可能性があるんじゃないだろうか。他に県外から人が集まるというイベントがあるのだろうか。そういった諸々の議論が抜けてるような気がする。

 ただ、現状においては毛ほども考えてないという状況なので今のままでできることを考えたい。インフラ改善したいがこちらはそう易々とどうにでもなるものではないだろう。ではせめてもっとホームらしいスタジアムにすることはできないだろうか。サッカー専用スタジアムは一番いいのは明白だがそんな金がないとなればビッグアーチのホームゴール裏だけ仮設スタンドを付けてピッチに近づけるというのはどうだろうか。そしたらホームの応援がピッチに近くてよりホームの雰囲気を出せるような気がする。ぼくはいずれこの案をクラブに何らかの方法で伝えようと思う。相手にされなくてもいい。ただ何もしないというのが嫌なのだ。

 関東にいる限りサポーターは増えたと思う。だけどホームに行った時もレプリカ着た人増えたなという気がした。そういう意味では非常に可能性を持ったクラブだと思う。サポーターの中には有能な人、社会的に地位のある人もいる。今は沈んでいるけどもっと浮上させたい。ぼくはそう思ってるし他にもそう思ってる人はいる。必ずもっと良くなるクラブであるはずだ。

2007年10月21日 (日)

大宮戦~決戦の前

2007/10/20 大宮アルディージャvsサンフレッチェ広島 駒場陸上競技場

 あと1週間遅かったら新スタジアムのNACK5スタジアムだったのにねという会話ではでもサンフレッチェは記念モノに弱いからと駒場でやることに行為的にとらえていた。関東では恒例となってる最寄り駅での集合ではいつもより多くの人がいてこの試合の意気込みが伝わった。とはいえ雰囲気はそんなに殺伐とはしてなくサンフレッチェの試合ではお馴染みの顔、そして見慣れない顔が朗らかに、そして時にはぎこちなく会話を交わしているのだった。

 そうやって集まってバスに乗り込んだ為バスの半分くらいはサンフレッチェで占領することができた。ぼくたちのバスを見て駅前から指を差して笑う同じユニフォームを着た仲間がいた。そしてバスはノロノロと駒場スタジアムへと向かったのである。

 ここのバスは本当に遅い。元々浦和は人口が多い為人も車も多く、その癖道が狭いときてる。混んで当然だ。浦和レッズが人気あるのもこの人口の多さも無関係ではない。ただ初めて来る人にとってはバスがガツンと渋滞にはまってしまう様子には多少困惑があったみたいだ。ぼくの隣に立ってた若い男性は「いつもこんなに混むんですか」と聞いてきた。

 この渋滞はいつものこと。だから距離はあるけど時間的には歩いても大して変わらないと思う。帰りは間違いなく歩いた方が早いでしょうと答えておいた。たださっきからちっとも動かないバスにいっそのことこの辺で歩いて行ったほうが早いのではという気がしていたところだった。

 それでもスタジアムに到着したのだが何とそこには出発時ぼくらを指差して見送ったレプリカを着た仲間がいたのである。不思議だった。どこでどう抜かされたんだろう。これだったらバスを1本遅らせた方が良かったじゃないか。

 チケットを買いアウェイ・ゴール裏に入る。ここは立見席だ。ただ、通称出島と呼ばれる過去にレッズがアウェイ・エリアとして設けてた一角には席があったがそこはすでに一杯だった。5年前ここにレッズ戦で来た時にはその狭い空間でさえも空席がありチケットを買えなかったレッズ・サポーターが一般人の格好をしておとなしく見ていたくらいだった。

 本当に紫の人が増えた。そりゃ他の人気クラブに比べればまだまだなんだろうが関東で10人くらいしかサポーターがいなかった頃を知ってるだけに感慨深いものがあるのだった。

2007年9月23日 (日)

甲府戦~甲府に集まる

2007/09/22 ヴァンフォーレ甲府vsサンフレッチェ広島 小瀬陸上競技場

 秋にしては蒸し暑い中特急スーパーあずさに乗って甲府へ行く。電車に乗ったのが3時だったから中途半端な時間だから空いてるだろうと思いきや立ってる人がいた程だ。もっとも多くの人は甲府で降りはしなかったが。

 甲府駅のホームからは城が見え駅構内には風林火山の旗。なかなかに趣のある駅だ。そして改札を出ると今日の対戦を告知するようにヴァンフォーレ甲府とサンフレッチェの旗が立ってる。こうやって敵地でサンフの旗が立ってることが何だか誇らしい気分になった。そして紫のレプリカを着ているぼくは当然その旗と同じくらい目立っていただろう。

 ぼくは駅ビルの酒屋でワインを見ていると店員がお土産ですかと声を掛けてきた。お勧めのワインを試飲したが美味かった。それを購入したのだが2千円もしなかった。それ程酒に詳しい訳ではないが毎年ボージョレヌーボー解禁と報じられるが日本の中にもっと安くて美味いものがあるのにと感じるのだった。

 駅を出るとすぐにバス停がありヴァンフォーレのペイントがされたバスでスタジアムに向かう。満員にならなくても時間になれば発車するのはちょっと驚きだった。もっともまだ時間が早かったからかもしれないが。

 そのバスの中でいつもサンフの試合に来ている人がいた。話し掛けると当然向こうも知っててこんな甲府の地で知り合いに出会うのが不思議な気分だった。ただ、彼とは初めて話したのだが同じ千葉県民というのは初めて知った。千葉方面の人を集めて飲み会をやることがあるのでその時は呼ぶと言っておいた。

 去年も電車で来たぼくはバス停からスタジアムまでの行き方は何となく覚えていてバスで会った彼を連れて歩くのだった。帰りは新宿直行バスを予約しているらしくその受付をしたいとのことだったがその場所も大体想像でき彼にしてもぼくと一緒だったことでスムーズに事が運んだようである。

 スタジアムに入るともうバスツアーの仲間は来ていた。仕事を抜け出して来たぼくはとても集合時間に間に合わないと今回は参加しなかった。まあ関東からも遠い場所であるからサポーターの数は多いとは言えなかった。それでもいつもの仲間と場所を変えて会うことができるというのは嬉しいことだ。ぼくはコアサポの隣で腰を掛けてたらいつも一緒に観戦する仲間が一人一人集まってきた。在る者は松本への旅行帰り、在る者は秋葉原から仕事が終わって車で駆けつけた、在る者は実家が甲府で家から車で来た、みんなそれぞれの方法でやって来た。そして横浜からやって来た仲間は女の子を連れて来てた。初めましてと挨拶すべきなのだろうがいつも女の子に嫌われるぼくは変な人に声掛けられたと嫌な感情を持たれるといけないので止めておいた。是非紫に染まって欲しいものである。

 アウェイ・ゴール裏はスカスカだったが逆に言えばアウェイの席が広く取っているとも言える。最近関東のスタジアムではサンフレッチェは人気がないからとどんどんアウェイ・エリアを狭められてる傾向がある。ある意味新鮮だった。

2007年9月 2日 (日)

横浜FC戦~紫のサポーター

2007/09/01 横浜FC vsサンフレッチェ広島 三ツ沢競技場

 中央にいるコアサポのチャントに合わせてゴール裏全体が手拍子を合わせる。所々声も出してくれる人がいる。そして何よりも紫のシャツを着た人が多くなった。これは2003年ここで対戦した時とは大きく違う。雰囲気としては申し分ない。関東でのアウェイ・ゴール裏は本当に増えたんだな。これも毎回まいかいバスツアーの告知やビラを作ったりして地道に応援する人を増やそうとしてる人達によるところが大きい。

 しかし試合は一方的に攻められてしまった。明らかに2回木寺の判断ミスがあってGKのポジションはやはり下田じゃないとキツイという気がした。そしてこうやって第2GKとして信頼のおける選手がいないのも悩みの種である。

 ハーフタイム周りの仲間と話し合ったが皆否定的というか呆れた様子だった。下位に喘ぐチームに圧倒