盛田剛平、甲府へ移籍
往生際悪く、まだこれからも頑張ります。
広島の皆さんには、本当にお世話になりました。
これからも、たまには「何をしているのかな」と気にしてもらえるとうれしいです。
ラーメンを食べるときくらいは、ぜひ僕のことを思い出してください。
(サンフレッチェ広島公式サイト)
盛田はあくまでも謙虚だった。サンフレッチェでの契約がないと知った時、もうプロとしてのキャリアは終わったと思った。だが甲府への移籍が決まったことは本人にも多少の驚きはあったというのがコメントから伝わる。怪我でシーズンを棒に振ったこと、出場機会がなくなった末での戦力外という現実を何よりも本人が理解してるようだ。実は結構いい奴だったのかもしれない。
そもそもこの盛田、2004年にサンフレッチェに来てなかったらプロの世界にはいなかったことが想像できる。大型FWとして鳴り物入りで浦和に入団するも決してその期待値を満たすような活躍はできず移籍を繰り返しJ2の大宮で身を落ち着けたかのように見えた。ただ、得点という結果については年間4点が最高と決して満足できるものではなくサンフレッチェに着たのもほとんど戦力外という意味合いが大きかった。そんなものだから盛田の移籍を知った時、クラブに対しては何を血迷ったかと感じたものだった。
しかし、移籍緒戦となった柏戦で盛田はゴールを決める。得点力不足のチームにおいて新加入の選手がいきなり結果を出したことで盛田への眼は一気に変わることとなってしまったのだ。その後もトップを張る選手として前線でがんばっていた。がんばっていた。本当にがんばっていた。だががんばっていたで終わってしまったのだ。盛田の弱点、得点力のなさは結局解消されることはなかった。
その後チームに佐藤寿人が入るともはやピッチに立つことさえなくなった。そしてそのまま消えていくのだといつしか存在すら忘れてしまっていたのである。だがその姿を見せない間盛田はDFへの転向を謀っていたのだった。そしてDFとして出場した試合では何気に悪くないパフォーマンスで90分を乗り切った。元々技術のある選手だけに高さという要素も加わりDFへの転向は正解であった。これにより盛田自身もプロでのキャリアを伸ばしたようなものである。
以後監督の交代があるも盛田は起用され続け、カズ、戸田、盛田の3バックはディフェンダーでないDFラインと物珍しさを与えたのだった。そしてサンフがより攻撃的スタイルへ移り行く中で盛田は常にスタメンという訳ではないもののバックアップ要因、そして勝ち試合での最後の締めとして高さ要因として起用されそこそこ使える選手であった。だがそれだけに2010年の怪我による長期離脱は不利に働いてしまった。
2011年、復帰を果たすもそこで明らかに他のDFとはクオリティーの面で違ってた。後ろからつなげるサンフのスタイルの中で盛田は相手のプレッシャーで苦し紛れのボールを出すことが多かった。本人もそこは意識していたのだろう。そしてその意識が高まり過ぎてついにはゴール前でのバックパスが失点へとなった時、盛田はポジションを失ってしまった。以後盛田をピッチで見ることはできないのだった。
35歳という年齢、決して華々しいキャリアがあるという訳でもない、そういった要素を考えるともう終わった選手と考えてもおかしくはない。それでもオファーがあったというのはこの選手の持つキャラクター故だったのだろうか。サンフレッチェに来た経緯を考えればよくやってくれたと言っていいだろう。そしてJリーグにおいて地味だけど長くキャリアを続けてるのは賞賛してもいいのではなかろうか。
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