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ぼくのミュージック・ライフ

  • Songs Remains the Same
    Led Zeppelin: 聖なる館
    数あるレッド・ツェッペリンの名曲の中でもこれが特に好き。この曲はダブルネック・ギターがあったからこそできたような曲でこういう変則的なギターを使いこなしてるという意味でもジミー・ペイジは凄い。ロックの歴史の中で数々のギターを使ったギタリストはいたがこうしてちゃんと曲のクオリティーを保った形で生かした例というのは他にないのではないだろうか。だからぼくはレッド・ツェッペリンのライブではこの曲が一番聴きたい。そういう意味でDVD、CD含めてライブの音源が一枚しかないというのは勿体無い。だからツェッペリンの海賊版はやたらと高いんだろう。 (★★★★★)
  • モータウン・ジャンク
    Manic Street Preachers: ジェネレーション・テロリスト
     ぼくはこの曲を聴いた時はぶっ飛んでしまった。パンクのエモーショナルな躍動感がありそれでいてヴォーカルの高い声。パンクとは一線を引いてるようでその情熱はパンクだった。ハードロックとも言えないその曲調はこのバンドの大きな特徴だった。  元々このバンド、2枚組みのアルバムを出して解散すると豪語してたが結局15年経った今でも活動している。しかもCDは当時より売れて作品の評価も高くなってる。同時期に出たバンドがまるで残ってないことからすると相当に快挙である。それについて本人達ももっともらしいコメントを出すがそれがいかにも洗練されてる。パンク的でありながら教養のある人達だというのが分かる。そのどうしようもなくハチャメチャでありそうでいながら実はごくマトモな人達というギャップが親近感を呼んでる。だからこのバンドの曲は歌詞までジックリと読んでしまう。  しかし、この人達の作品は結構多く全部網羅するのは骨が折れる。この音楽へのバイタリティ、これだけは間違いなく本物だということだ。 (★★★★★)
  • ルイ・ルイ
    Johnny Thunders: New Rose Collection
     ジョニー・サンダースの死後に出たライブ音源とアコースティック・ギターによるスタジオ録音を音源に編集したアルバム。その中でもこの曲とDo You Love Meは圧巻だった。ラジカセで録ったような音源であるが、それが逆に臨場感を出している。分かる人にしか分からないという作品だ。  ちなみに現在このCDが売ってるのかどうか知らない。これだけセンスのある人がこんなカルト的な存在で終わってしまったのは理不尽な気がする。だからこそ好きな人にはよりたまらない存在になってしまうのだ。 (★★★★)
  • ロクサーヌ
    Police: ロクサーヌ
     これが売春婦に関する歌だと知ったのはずっと後のこと。歌詞も分からずずっとこの曲を聴いていた。勿論歌詞を知ってからもこの曲は大好きな曲だけど。  本当かどうか知らないけどこの曲の入ってるファースト・アルバムはわざと下手に演奏したらしい。理由は当時パンク・ニュー・ウェーブのブームの中でスタイルを合わせたということだろう。そしてセカンド・アルバムでは実力に見合った演奏で上手くなったと思わせたらしい。そういわれてみるとファーストでは音数が少ないシンプルな曲が多いような気がする。このバンド、5作しかアルバムがないのだがそういう抜け目なさというのは元から持ってたようだ。5作とも素晴らしく駄作のないバンドだった。 (★★★★★)

ぼくのブック・ライフ

  • トニー・サンチェス: 悪魔を憐れむ歌
    ローリング・ストーンズの暴露本である。現在は改題され『夜をぶっとばせ』になってるがタイトルといいブックカバーといい前の方がシックリしていた。 ストーンズというのはぼくが最も影響を受けたバンドの内の一つだが、ここまで無茶苦茶をやってそしてそれが逆に彼らのダークなイメージにつながった。まさにロック・バンドの典型である。どんなに悪ぶっても彼らのようにはなれないし彼らのような影響力は出せないだろう。 時代をロックと女とクスリと共に駆け巡り気付けば巨大産業に飲み込まれていったストーンズ。作者はそんなストーンズに最後は身も心もすり減らされてしまったらしい。それでも未だに活動しているストーンズはある意味怪物だ。 ぼくとしてはこの本の訳者中江昌彦の翻訳もその場に居合わせたような感覚になるのが良かった。他にも『レス・ダン・ゼロ』などもいい雰囲気を出してた。今まで本なんか読んだこともなかったぼくが高校生の時読んで凄いショックを受けたのをよく覚えてる。当時のブックカバーの最後に「END]という文字が書かれてたが読後その文字が見た目以上に大きく見えたものだ。 (★★★★★)
  • 落合信彦: 第四帝国
     まず最初に断っておこう。これはトンデモ本である。ここに書かれてる内容は根も葉もないことと言っていい。そもそもこの落合信彦という人がゴースト・ライターを使ってマトモに取材してるかどうか怪しい。本人いわくCIAに100人も友人がいるというから情報には事欠かないということらしいがこれではアメリカ政府のトップシークレットがなぜか来るというUFO研究者と言ってることが変わらない。そういえばUFOに関しての記述もこの本ではありオリジナルな展開を見せてるのは興味深かった。  内容はナチス・ドイツの残党が世界各地で暗躍してるというものでヒトラーは生きてる、UFOは実はナチスが造ったというファンタジーが溢れてる。その展開はちょっとしたSFといっていい。  事の真実なんてどうでもいい。ただ単純にエンターテイメントとして読めば何の問題もないだろう。誰も「ゴルゴ13」を読んで事実と違うと言わないだろう。それと同じことだ。  しかしこの人、いかにも事実というように書くのが上手い。文章も簡単でスラスラと読めるので展開のテンポがいいのである。だから知らないうちに読んでしまってるという感じになる。そのスタイルはぼくもずいぶんと参考にさせてもらった。  まあ実際はゴースト・ライターなんだが。 (★★★)
  • ニック・ホーンビィ: ぼくのプレミア・ライフ
     このブログの元ネタとなった本。この本との出合いはサンフレッチェの応援仲間に渡されたことだ。その存在は知ってたものの読む機会がなかったのでありがたかった。  内容はというとアーセナルを応援する著者のその観戦生活といったとこだがこれを読むと結構日本のサポーターもプレミアのサポーターも変わらないとこがあるのがわかる。退屈な、退屈なアーセナルというタイトルには笑ってしまった。なぜなら分かり過ぎるくらい分かる心情だからだ。ぼくもサンフレッチェを応援してて何度同じことを感じただろう。  今やアーセナルはプレミア・リーグでも優勝しチャンピオンズ・リーグでも決勝に進出するような存在。一方ぼくの応援するサンフレッチェ広島はJリーグの1部リーグで常に降格の危機を感じるクラブ。でもその根っこは同じである。海外サッカー好きにはJリーグをバカにする傾向があるがそういう人には分からない内容かもしれない。 (★★★★★)

サンフレッチェの魂~リンク集

  • SANFRECCE Diary
    このブログを読んでる人ならすでに知ってるだろうから今更リンクを貼るのが恥ずかしい気もする。 何せこのサイト1997年から毎日更新してるというのが凄い。 過去の記事などはぼくも参考にさせてもらうことも多い。 継続は力なりというが実際には継続するのに力がいる。 そういう意味でも管理人のせと☆ひできさんは偉大である。
  • ススボウブログ
    自分サッカーやグルメについてのブログということです。 かなり熱心に応援してる方のようです。
  • ひろしま日記&サンフレッチェコーナー
    試合を時系列で紹介したりかなり凝った内容となってます。 現地の様子など行った人でしか分からないことがあり興味深いです。 試合に行った人も行けなかった人も楽しめるのではないでしょうか。
  • ゆみしん徒然の書
    ゆみしんさんのブログ。本当に色んなスタジアムに観戦に出かけて現地の様子をレポートしてます。観戦者視点でそれぞれのスタジアムの様子が分かり現地に行く時の参考になりそうです。
  • Scud Sanfrecce
    MICRAさんのサイト。ここの特集のコーナーは必見。サンフレッチェはなぜ人気がないかという考察については今までに見ない観点がある。是非一度読んでください。
  • ヒロシマ・コーリング
    今そこにある危機。サンフレッチェにはメディアが少ない。その為妙にぬるい記事が目立つ。そんな甘い現状にこのまま放置していいのかという危機感を感じた時発言していく。

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2012年1月25日 (水)

2011年の高萩洋次郎

 10番の柏木陽介が契約期間満了により浦和に移籍してしまい2年経った。10番、チームの中心、試合を決める選手、柏木はその番号にふさわしい選手となった。ただし選手としての力量が増すとその選手は出て行ってしまう。サンフレッチェとは常にそういう運命を背負ったクラブでもあるのだった。

 ただし、それでもこの報道に衝撃がなかったのは大方予想できたというのともう一つは高萩の存在があったからだろう。柏木がいなくなった分、高萩への依存度は増える。その結果高萩もまた一段上の選手へとグレードアップするだろうという期待があったのだ。

 そしてその後2シーズンを送った現在、その期待は実現化したかといえばもはやそんなこと期待したということさえ忘れてしまったというのが現状だ。勝負を決するどころか肝心な所でパスを送り競り合いでは簡単に負けてしまいプレーに軽さがありボールをすぐに取られるというとこが脱力させてしまう。トップ下というポジションながらも得点がないというのも残念な要素だった。

 いつしか得点をワントップの寿人に依存するようになった。そしてどうしても煮詰まった場合DFの槙野の攻撃参加に頼ることになり得点という部分には高萩は考えられなくなってしまった。これは2007J2でゴールを決めていたことを考えると全くのアテが外れてしまったことになる。その影響か、チームの得点はみるみる減っていき攻撃的と言われるチームでありながら得点力不足という皮肉な悩みを抱えることになるのだった。その結果2011年にはムジリを獲得。高萩はポジションを脅かされるようになるのだった。

 ムジリとの違い、それはゴールという形で明白に現れた。途中出場ながらもゴールを決めるムジリ。スタメンで出るも中盤に徹する高萩。攻撃という面ではムジリの方が1歩も2歩も上なのだった。

 そんな中スタメンもムジリに譲ることになってしまった。そしてぼくらの記憶の中からどんどんと忘却へと導かれようとしている時、ムジリのあまりもの不安定さを知るのだった。決定的な仕事はやるのだがピンチも招くという2面性。そしてスタミナのなさから90分はできないという判断が下されたのだろう、高萩は再びピッチに立つ機会が多くなった。そして第20節アウェイの甲府戦、高萩は夏にも関わらず今まで見せたこともないような運動量でピッチを駆け巡り勝利へ貢献した。攻守に渡って奮闘しゴール前では持ち前の天才肌を発揮する、この時この選手の完成形を見たような気がした。ただしそれが完成されたと喜ぶにはまだ早いことにすぐに気付かされるのだった。

 恐らく高萩個人としては以前とは比べ物にならないくらい向上してるのだろう。だがチームが勝てないとどうしても批判的な視点で物事を見てしまうようになる。ただそれを抜きにしてもチームの骨格と言ってしまうには物足りなさがある。それもそのはず、ゴールがないからだ。以前よりは自分で決めようという意識は大きくなったものの結果が伴わなければどうしようもない。

 そんな高萩に2011年シーズン最初のゴールが訪れた。第25節アウェイのセレッソ戦。そのゴールも含めて前半だけで3点取り楽勝かと思われた試合でよりによって後半5失点して負けてしまった。これは高萩にとって大きなマイナスポイントだった。せっかくゴールを決めてもチームが負けてしまう。それによってゴールしたことなんて忘れられてしまった。後半45分の内に5失点もしてしまうということは相手に簡単にボールを取られたということ。DFだけの責任とはいえないだろう。

 天才と言われ開花しない。デビューした当時からそんなイメージを持ってる高萩。果たして我々の期待値が高すぎたのだろうか。それともまだ見ぬヴェールが隠されてるのだろうか。この煮え切らない想いはこのシーズンでハッキリとするような気がするのだった。

2012年1月17日 (火)

チュンソン、サウサンプトンへ移籍

 もう新聞紙上ではちょくちょくと記事が賑わってたことによりようやく正式発表されたかという感じなのだがついにチュンソンの移籍が決まってしまった。柏木、槙野、チュンソンと毎年主力メンバーが一人ずつ抜けていく。生え抜き、もしくはチュンソンのように広島に来て能力を開花させた選手が抜かれるということは育成型クラブとしての成功とも言えるが一方でそういった選手の吸引力を持ってない証でもあるのだった。

 李忠成、2009年シーズン途中に加入したこの選手は決して期待されてた訳ではなかった。北京オリンピック代表という実績はあるもののその後所属チームの柏では徐々に出場機会を減らし最後にはベンチにも入らないようになってしまった。もしかしたらサンフへの移籍が決まっていたからの処置かもしれないがその移籍は戦力外と言っていいだろう。この当時この選手を取った意味がよく分からないという空気があったものだ。

 事実、加入したシーズン途中出場で出場機会はあったもののどうも噛み合わないという印象が大きかった。ゴールがないという結果のみならず流れを止める悪循環があった。結局このシーズン、ノーゴールで終わりやはりこんなものだったと失望したものである。

 そして翌シーズン、ACLの消化試合とも言える最後の試合で移籍後初のゴールを決める。それによりそれによりこれから爆発してくれるのではと淡い期待を抱くもリーグ戦ではやはり結果が出ない。それにより出場機会はなくなりぼくらの記憶にもチュンソンの存在は忘れ去られようとした。

 その転機が現れたのがエース佐藤寿人の怪我だった。ほとんど怪我らしい怪我をしたことのない寿人の離脱は大きな痛手だったがこの時代役とされたのは山崎だった。ところが運悪くこのタイミングで山崎まで負傷離脱をしてしまう。そこでワントップとして起用されたのがチュンソンだった。第3FWという地位にいたチュンソンの起用は言わば苦肉の策というとこだった。

 しかし、ここでサンフ移籍後初ゴールを決めてしまう。不幸中の幸いとばかりに喜んだが以後出場を続けゴールを続ける。3試合までは運が良かったと思ったがさすがにそれ以後も1試合1ゴール決めるという実績を積み上げるとこれは本物だと信頼を寄せるようになった。それにより負傷の癒えた佐藤寿人も一時的にではあるがポジションを失ったかのような状態になってしまった。

 そして2011年シーズン、ミシャはワントップに寿人を据えチュンソンを2シャドーの左へと据える。それにより寿人と2人で30ゴール目指すとまで豪語したが確かにそれだけの可能性は秘めていた。そして実際シーズン序盤は得点を重ねた。特にチュンソンの得点力は突出しており1試合1ゴールという確実性のため日本代表に選ばれたことは別に驚きもしなかった。

 その後チュンソンが最も注目されたのはアジアカップ決勝で長友の左サイドからのクロスをボレーシュートで決めた決勝点だ。あの形、サンフレッチェではすでに観た光景だったのであのクロスの先にチュンソンの姿を確認した瞬間もう決まったと思ったものだった。

 柏でベンチにも入れなかったチュンソンが日本代表でも注目される選手となった。それは間違いなくサンフレッチェに来たからだろう。マークを外す動き、裏を狙う動きというのは明らかに寿人の影響を受けたと言える。そしてミシャのサッカーがチュンソンに新たな境地を与えたとも言える。それ故にチュンソンは生え抜きの選手と同じような愛着をもたらせたのだった。

 その頃からだろう、海外移籍の噂が出たのは。ただ、皮肉なことにそれ以後ゴールが遠ざかってしまうようになってしまった。チュンソンの得点力の低下と共にチームも得点が取れなくなり知らない内にチュンソンのゴールに頼るようになっていたのに気付かされたものだった。

 身体のキレてる時はドリブルで2、3人ぶっちぎってシュートを打った。またはとんでもないミドルシュートを決めたこともある。そういう普通の選手がマネできないことをする割に結構簡単なシュートを外してるのだ。恐らくそういうのをきっちり決めることができれば得点王にもなれただろうしチームももっと勝ち点を重ねることができたのだ。

 チュンソンのイングランド移籍の報道はTVのニュースでも取り上げられた。だけどその紹介は「日本代表の」という肩書だった。「サンフレッチェ広島」という言葉は全く出なかったことに寂しさを憶えた。その辺にJリーグ、もしくはサンフレッチェのブランドの低さを感じずにいられなかった。結局それ故に選手を留めることができないんだろうという現実を知るのだった。

2012年1月12日 (木)

槙野智章、浦和へ期限付き移籍での加入が内定

 1.FCケルン所属の槙野がレンタル移籍で浦和への入団が内定したと浦和レッズの公式サイトで発表された。ケルンでの出場機会のなさを考えれば致し方ないこととはいえサンフレッチェを応援する者からすると煮え切らないものがあるのも事実。果たしてこの事実とどう向き合えばいいのだろうか。

 2011年、槙野は契約満了を期にドイツへ旅立った。2010年のシーズン終了時そういう話が全くなかったので寝耳に水のような感がしたがそれでも本人のステータスアップには仕方ないこととドイツでの活躍を願ったものだった。ただし一つ引っかかったのは移籍金が掛からなかったということだ。つまりサンフレッチェは完全な戦力である選手を無料でブンデスリーガのクラブにあげてしまったことになる。せっかく手塩に掛けて育てた選手をこういう形で持っていかれるのは釈然としないものがあった。かといって引き止める手段もなく円満に送り出すしかなかったのである。

 そしてケルンに移籍したものの槙野の出場はなかなか訪れなかった。それでもシーズンが変われば出場があるものと思ってたが逆にベンチにすら入らなくなった。CBSBが出場停止しても本職がDFではない選手を使っていた経緯により槙野には全く出場のチャンスがないことを知った。それによりぼくらはどうせ無料だから取っとくかという安直な発想でケルンが獲得したのだと想像した。そして使えないからレンタルにでも出してしまおうという行為からただの食い物にされただけという感覚が拭えない。この移籍は明らかに失敗だったと言っていいだろう。

 ただし、一方Jリーグにもそこまでの吸引力がなかったのは事実であった。国内で圧倒的なビッグクラブがない以上ステップアップに海外を目指さざるを得ないという事情があるのも事実。実はミシャもサンフ在籍時にそのような発言をしたことがあった。そして浦和に移ったミシャに呼ばれたというのは全くの偶然ではないのだろう。

 今回の槙野の移籍の過程、いささか受け入れがたいとこがあるのは事実なもののそれ以上に日本のサッカービジネスの拙さとJリーグのブランド力の無さによるところも大きいのではなかろうか。毎年同じメンバー、代わり映えのしない外国人選手、リーグの注目度、それらどれか一つでもいいので改善しないとこのような事例は再び起きる可能性を秘めてるのではなかろうか。

岡本知剛レンタル移籍延長

 岡本の鳥栖へのレンタル移籍延長が決まった。元々この選手の処遇については各自論拠の分かれるとこだった。数少ない若手の戦力として復帰させるべきかどうせ帰ってきても出場機会が限られるので完全なレギュラーとなってる鳥栖の方が経験を積めるという2点において。そのどちらも筋が通ってるだけにこの問題について話すと結局答えが出なかったものである。そしてクラブからの発表がずいぶん遅くなったことを考えればクラブも悩んでいたのではないだろうか。

 育成型クラブを目指していながらサンフレッチェは2010年頃からパッタリと若手の出場機会がなくなった。それによりメンバーも固定化されるようになりチームが硬直化してしまった。わずかながらチャンスを貰った選手はその短いチャンスを生かすことができずフェードアウトするようにピッチに姿を現すことがなくなったが、今にして思えばこれが停滞感を生んだのかもしれないという気もする。確かに一定レベルに達してない選手を公式戦に出場させるのはリスクが伴うがベテランの域に達した選手でチームを固めてしまったせいで戦力としては計算できるもののそれは相手にとっても計算できる相手となってしまった。もしかしたらパスミスに見えたプレーもすでに相手のスカウティングの中でもう持ったらここに来るという作戦の上に踊らされていただけなのかもしれない。

 そう思うとここ23年の若手選手の押し上げがなかったのは致命的だった。ミシャは若手を育ててくれる監督だと思ってた。事実就任早々青山、柏木という若手を抜擢しJ1残留の原動力ともさせてしまった。だがその後槙野を最後に新人選手からレギュラーになった選手がいないのであった。

 どうもペトロビッチという監督は硬直する傾向があるようだ。一度決めてしまったらもう動かさない。2007年は負け続けてるのに同じメンバーで同じように負けてJ2に降格してしまった。そしてJ2に落ちたショックにより大胆にチームを作り直し活性化させた。その後チームは上り調子になるもののそれゆえにその状態を崩すようなことをしようとはしない。それによって徐々にチームに勢いが失われていくのは2009年以降の成績にあらわれていた。そういう意味ではミシャの退任は時期としては良かったのかもしれないと今になってみれば考えることができるのだった。

 岡本の立場からするとミシャが監督でいる限り戻ってくるのは難しい選択だったろう。そして監督が替わって新しいチームとなる状況でチャンスではあるが逆にどんなチームになるか分からない状況でやはりリスクが伴う。本人にとっては懸命な判断だったろう。いや、もしかしたら本人があずかり知らぬとこで勝手に決まった話かもしれないが。

 鳥栖がJ1に昇格してしまったために岡本とは敵同士ということになってしまった。長くレンタルに出してるとそのまま帰ってこないという例があるだけに複雑なものがある。ただしサンフレッチェユース出身者がプロとして実績を残すというのもユースのブランドのためには必要なことである。育成型クラブ、そこには口で言うよりはるかに難しい事情があるようだった。

2012年1月 6日 (金)

内田健太、愛媛FC移籍

 内田の愛媛FCへの完全移籍が決まった。高萩、森脇とJ2の愛媛にレンタル移籍をして経験を積まし主力選手となるという前例を考えるとそれなりに期待を背負ってレンタルに出されたのだろう。だが内田は愛媛で決して主力として活躍することはできなかった。もう1年くらい経験を積ませればまだ違ったかもしれない。だがそれは受け入れ先の愛媛の方が了承しないだろう。2年半もレンタルという身分で愛媛に在籍しそろそろ決断の時ではあった。

 2008年、内田はサンフレッチェ・ユースから昇格という形でトップチームに加わった。調度その当事スタメンの半分がユース出身となっており、やっと育成型クラブの形ができてきたと優越感に浸ったものだ。もはやトップに上がる選手は完全な戦力と思うようになった。実際同期入団の清水などはデビュー戦でいきなりゴールを決め夢は膨らむ一方だったのだ。

 しかし、横竹、丸谷と同期の選手がぞくぞくと公式戦に出場する中、内田をピッチで見ることはなかった。そして愛媛FCへのシーズン途中でのレンタル移籍、実践を積むには格好の環境となったのである。だがそこには厳しい現実が待っていたのだった。

 チーム加入当初こそ起用されてたものの徐々に出場機会を失いどちらかというとサブメンバーの意味合いが大きくなった。更にポジションも左サイドではなくFWとして起用されるようになった。それゆえにゴールがないというのはどうしても印象に残ってしまった。

 試合の映像では確かにがんばっていた。危機感も感じられた。だけどだからこそこのままJ2にいる方がいいように見えた。実は内田にとっては好ましい状況になったのだろう。

 でも2008年に入団した5人の新人、1人は1年で見限られたし横竹と丸谷も段々と出場機会が減ってきた。清水など見る影もなくなった。そう考えると内田が1番幸せなのかもしれない。結局サンフではピッチに立つことができなかったのだが。

 この年の新人は有望だという触れ込みだったのにな。寂しい結果に終わりそうだ。だがそれよりもその後の新人でマトモに試合に出てる選手がいないというのが深刻な問題なのだった。

2012年1月 5日 (木)

盛田剛平、甲府へ移籍

往生際悪く、まだこれからも頑張ります。
広島の皆さんには、本当にお世話になりました。
これからも、たまには「何をしているのかな」と気にしてもらえるとうれしいです。
ラーメンを食べるときくらいは、ぜひ僕のことを思い出してください。

(サンフレッチェ広島公式サイト)

 盛田はあくまでも謙虚だった。サンフレッチェでの契約がないと知った時、もうプロとしてのキャリアは終わったと思った。だが甲府への移籍が決まったことは本人にも多少の驚きはあったというのがコメントから伝わる。怪我でシーズンを棒に振ったこと、出場機会がなくなった末での戦力外という現実を何よりも本人が理解してるようだ。実は結構いい奴だったのかもしれない。

 そもそもこの盛田、2004年にサンフレッチェに来てなかったらプロの世界にはいなかったことが想像できる。大型FWとして鳴り物入りで浦和に入団するも決してその期待値を満たすような活躍はできず移籍を繰り返しJ2の大宮で身を落ち着けたかのように見えた。ただ、得点という結果については年間4点が最高と決して満足できるものではなくサンフレッチェに着たのもほとんど戦力外という意味合いが大きかった。そんなものだから盛田の移籍を知った時、クラブに対しては何を血迷ったかと感じたものだった。

 しかし、移籍緒戦となった柏戦で盛田はゴールを決める。得点力不足のチームにおいて新加入の選手がいきなり結果を出したことで盛田への眼は一気に変わることとなってしまったのだ。その後もトップを張る選手として前線でがんばっていた。がんばっていた。本当にがんばっていた。だががんばっていたで終わってしまったのだ。盛田の弱点、得点力のなさは結局解消されることはなかった。

 その後チームに佐藤寿人が入るともはやピッチに立つことさえなくなった。そしてそのまま消えていくのだといつしか存在すら忘れてしまっていたのである。だがその姿を見せない間盛田はDFへの転向を謀っていたのだった。そしてDFとして出場した試合では何気に悪くないパフォーマンスで90分を乗り切った。元々技術のある選手だけに高さという要素も加わりDFへの転向は正解であった。これにより盛田自身もプロでのキャリアを伸ばしたようなものである。

 以後監督の交代があるも盛田は起用され続け、カズ、戸田、盛田の3バックはディフェンダーでないDFラインと物珍しさを与えたのだった。そしてサンフがより攻撃的スタイルへ移り行く中で盛田は常にスタメンという訳ではないもののバックアップ要因、そして勝ち試合での最後の締めとして高さ要因として起用されそこそこ使える選手であった。だがそれだけに2010年の怪我による長期離脱は不利に働いてしまった。

 2011年、復帰を果たすもそこで明らかに他のDFとはクオリティーの面で違ってた。後ろからつなげるサンフのスタイルの中で盛田は相手のプレッシャーで苦し紛れのボールを出すことが多かった。本人もそこは意識していたのだろう。そしてその意識が高まり過ぎてついにはゴール前でのバックパスが失点へとなった時、盛田はポジションを失ってしまった。以後盛田をピッチで見ることはできないのだった。

 35歳という年齢、決して華々しいキャリアがあるという訳でもない、そういった要素を考えるともう終わった選手と考えてもおかしくはない。それでもオファーがあったというのはこの選手の持つキャラクター故だったのだろうか。サンフレッチェに来た経緯を考えればよくやってくれたと言っていいだろう。そしてJリーグにおいて地味だけど長くキャリアを続けてるのは賞賛してもいいのではなかろうか。

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