契約満了選手
まず来期の契約は間違いなくないと見られてたのはトミッチと盛田だ。トミッチに至ってはせっかくの外国人枠で獲ったのにあまりにも稼働率が悪かった。怪我の影響もあったのだろうがそういう意味では運がなかったのかもしれない。稀に出場した試合では全くインパクトをのこせなかったものの最後の最後になって素晴らしいパフォーマンスを魅せたということからもしかしたら実力はあったのかもしれない。そういうことを含めても巡り合わせが悪かったのかもしれない。
一方盛田だが残念ながらサンフのディフェンスラインを任せるには不安定過ぎた。特に深い位置でのパス回しでは盛田だけ付いていけてなかった。前線へのフィードはほぼ100パーセントに近く見方に渡ることがなくDFから攻撃を組み立てるサンフにとって致命傷ともなった。そしてゴール前で敵へプレゼントパスを出して失点してしまった時には本当に終わったという気がした。実際それ以降ピッチに立つことはなかった。だが盛田がサンフへ来た経緯を考えるとそれでもよくやったと今になってみれば言いたくなるのだった。
盛田が来たのは2004年途中。実は6年半も在籍した。大型FWとしてJ2の大宮からシーズン途中の移籍だった。大宮では試合に使われないことが多かったことから期待はしてなかった。だが移籍してすぐにゴールを決める。これはとんだお得な買い物だったと思わせたものだがその後は全くゴールがなくいつの間にか出場機会もなくなっていった。そしてもはやこれまでと思ってた頃DFへ転向しこれが結構やれていたのだった。元々足元の技術は高いこととタッパがあることからDFには向いてたのかもしれない。それ以後準レギュラーという立場ながらチームとして重宝したのは確かだ。それが今シーズンになってやたらと不安定になったような気がする。そういうのを含めて潮時だったのかもしれない。だけどほぼ戦力外のような形で移籍してきた割には貢献度は高かったとも言えるのだった。
続いてムジリであるがそのテクニックは群を抜いていた。意表をついたパスは高い技術と自信がないとなせない業である。そしてこの選手の最大の長所はシュートの上手さではないだろうか。GKとの1対1では絶対に外さない。だからフル出場した試合はそれ程ないのにゴールを決めることができる。サンフレッチェにおいて貴重なジョーカーでもあった。
ただ、その割りに体力がないというのが弱点だった。そして圧倒的なキープ力がある反面それにこだわりすぎてボールを奪われるということもあり、多くの場合悪い形で逆襲を食らうことがあった。今にして思えばそれを含めてムジリを生かす方法というのをチームとして持ってなかったのかという気もするが諸刃の剣という面により監督としても使いたいけど使い辛いという悩ましい面があったのではないだろうか。それでもグルジアという日本には馴染みのない国の選手ということもあってもうちょっと観たいと思ってた選手ではあった。
そして高柳である。10年に1度の才能とまでもてはやされたこの男、ユース上がりということもあり相当に期待された選手であったがどこかしりきれとんぼのように終わったような印象がある。デビュー戦のジェフ市原(現ジェフ千葉)戦では体面する村井にコテンパンにやられてしまい、以後どうしてもその記憶のイメージが付きまとうのだった。そしてそのイメージというのはそのルックスからもフィードバックされるのだった。
世間的にはイケメンと称されるルックスをしてるのがまたなよなよとしたイメージにつながったのだ。ただ、それも時が経つにつれだんだんと顔が勇ましくなってきたような気がする。そしてそのプレースタイルも力強いドリブルというように勇ましくなっていったのだった。これは新しいサンフレッチェのアクセントとなるとその成長を喜んだものだった。
しかし、この選手怪我が多かった。怪我が多いというのはプロの選手として計算が立たず大きなマイナスポイントとなる。しかもせっかく波に乗ってるとこで怪我をするという傾向がありその辺が運がなかったのだろうか。それともコンディションの調整に何らかの問題があったのか。それは分からないものの勿体無かったという感情はどうしても残ってしまうのだった。
最後に服部公太である。ついにこの選手がチームを去る時が来たのかという気がした。公式戦350試合出場記録、J1最多連続出場記録保持者のこの選手は不動の左サイドバックだった。スピードが衰えたとはいえ右利きの山岸と比べやはり左足でクロスを上げられるという要素は大きかったと思う。サンフレッチェ一筋で長く貢献してきたもののこの選手ももうちょっと運があったならという気がするのだ。2003年、2007年のJ2にいる間のパフォーマンスの高さは圧倒的だった。果たしてあれがJ2だったからできたのか、それともコンディションが良い時たまたまチームがJ2だったのか今になってみれば分からない。鉄人と呼ばれた服部だったが歳には勝てないということなのだろう。
だが、来シーズンの岡山移籍が発表された。まだ必要とするクラブがあるというのに安心もしたのだが、他の選手も次の活躍の場が見つかることを願うのだった。
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