ミシャ退団
その報道は衝撃的だった。5年半という期間を考えると順当だったのかもしれない。だけどだからこそいなくなるということを受け入れるのが困難だ。出会いがあれば別れがある。サッカーの監督が一つのクラブで指揮を執る期間としては十分な時が過ぎたというだけだ。それなのに大きな空虚感が残るのだった。
ミハイル・ペトロビッチ。その監督の入団が決まったのは2006年の半ばだった。成績不振の小野監督の後を受け継いだミシャの目的は必然的にJ1残留となった。だがこの監督交代はチームを確かに変えたのだった。
それまで全くメンバーとして構想に入ってなかった青山、柏木という2人の若手をいきなりスタメンに抜擢すると予想もしなかったようなパフォーマンスを発揮。こんな選手がいたのかという驚きを与えた。と同時に小野前監督の観る目のなさ、監督としての力量のなさが露呈してしまった。それにも関わらず3年契約の後更に契約を更新したというのが信じられなかった。それは単に他に伝手がないととらわれもした。
そもそも小野監督は全ての要望をクラブに聞いてもらっていた。その挙句、育成型のクラブを目指しながらも現状はどんどんかけ離れていき外から選手をかき集めては切っていくということを繰り返し結果としてチームはつぎはぎだらけ、若手選手はちっとも育たないという状況に陥ってしまった。面白くない、勝てない、希望が持てない、一刻も早い退任を望んだものだがそれは2006年、成績不振の責任を取って辞任という形で去ることになったのだった。
その後望月GKコーチが代行監督をするも攻撃は2人か3人に任せて後は守るという超守備的戦術でこれも希望の持てないものであった。ただ、この割り切った戦いが功を奏し4試合で勝ち点7を稼ぐことに成功し次に来る監督へ最高の形で受け継いだことになったのだった。そしてミシャは広島に来たのだった。
シュトルム・グラーツで元日本代表監督オシムの下でコーチをした経歴がある。その触れ込みだけである程度の期待を寄せることができた。ただ、その入団の経緯は監督探しに難攻してるサンフに対しジェフ千葉から紹介してもらったということだった。いかにも日本的でいいがやっぱりサンフにはコネクションを持った強化担当がいないのかとため息をついたものだった。監督さえ変われば好転する。それだけが望みの状況でミシャの入団は好意的に迎えるしかないのであった。
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