ミシャ退団②
新しく来たミハイル・ペトロビッチ監督は3バックにカズ、戸田、盛田とDFの本職でない選手を並べた。そこが斬新であったもののカズの左ストッパーというのは違和感があった。明らかに高さと強さに劣るカズはDFの適性がない。ただこのポジションをやることにより守備力を付けてその内ボランチに戻すのだろうくらいにしか思ってなかった。カズのとこで失点がある度にカズの苦悩が読み取れた。なぜにそこまでカズのストッパーにこだわるのかその当時は誰も分かってなかった。が、5年経った今、リベロとして抜群の安定感を持ってるカズ。恐らくミシャでなければカズのこういう姿は見れなかっただろう。
そう考えるとこの監督はすぐに結果を出すタイプではない。ただ、入団したシーズンに沈みかけたチームを残留させたことで来シーズンは巻き返すものだという期待があった。実際2007年シーズン当初は結構勝ち点を重ね上位争いをするのではという勢いがあった。それが後半以降失速、一遍残留争いに巻き込まれることとなった。そしてついには16位という成績で終わりJ1・J2入れ替え戦を戦う羽目におちいったのだ。
その原因の一つは間違いなくFWのウェズレイだったろう。得点の柱として君臨してたものの夏以降パタッと点が取れなくなった。そして点が取れなくなると尚更意固地になって入りもしないFK、PKを頑なに蹴ってチャンスを潰すのだった。なぜ浩司が蹴らないのか、せめてボールの横に立つだけでもいい。それがなかったのはウェズレイのエゴもあったろう。が、ミシャは監督としてなぜキッカーの指定ができなかったのだろう。それ以上に戦力にならなくなってきたウェズレイを頑なに使い続けるのも不思議だった。
ウェズレイを外す、その判断を下せなかったことが入れ替え戦でも勝てなかった理由だと誰もが思った。実際両チーム合わせて一番悪かったウェズレイになぜそこまでこだわるのか分からなかった。その辺の判断ミスと降格という悲壮感からミシャの続投というのは考えられなかった。それなのに当時の久保社長の下した決断はミシャの続投だった。これが後になって大英断として語られることになるのだった。
J2に落ちたサンフレッチェ。一年で昇格するというのは最低限の目標でありながらJ1で戦えるチームを創るというのも課せられた使命だった。シーズン当初こそCBのストヤノフに頼ったロングボール主体の戦いだったものの1トップ2シャドーの布陣が機能し始めサンフレッチェは新たな境地を見せた。特にGKからつないでシュートまで行くというサッカーは日本では観たことのないスタイルでDFに本来MFの選手を集めたのはそういう意図があったのを気付かせられたのだった。そして寿人は1トップで新たな境地を見つけ出し柏木、高萩の2シャドーはそのポジションにいることで更なる才能を発揮させているかのようだった。どこからでも点の取れるチーム、まさにそういうチームになっていったのだった。
サッカーにおいて点が取れるというのは本当に面白い。J2という舞台ではあったがそれは本当に楽しい、ワクワクするサッカーだった。圧倒的な勝ち点によってJ1昇格を果たすとその攻撃的スタイルは注目を集めたものだ。その期待感はそれまでちっとも入らなかったビッグアーチのスタンドに観客が集まるようになったことからも伺える。ぼくは2000年ヴァレリー監督時代の攻撃的サッカーをもう一度見てみたいとずっと思っていたがそれが叶えられたような気がした。スタイルは異なるが攻撃的というのは共通するものがある。ミシャがいる間しっかりとこのサッカーを目に焼き付けておきたいと思った。
そして再びJ1の舞台へ。この時かなりやれるのではないかという期待は持っていた。勿論J2からの昇格チームなので挑戦者という立場には変わりないのだがどこまで行けるかを想像するのは胸が高まった。この時になるとやっぱりミシャが監督をやってくれて良かったと思うのだった。間違いなくサンフレッチェのサッカーという独自のスタイルを築いたのだった。
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