無料ブログはココログ

ぼくのミュージック・ライフ

  • Songs Remains the Same
    Led Zeppelin: 聖なる館
    数あるレッド・ツェッペリンの名曲の中でもこれが特に好き。この曲はダブルネック・ギターがあったからこそできたような曲でこういう変則的なギターを使いこなしてるという意味でもジミー・ペイジは凄い。ロックの歴史の中で数々のギターを使ったギタリストはいたがこうしてちゃんと曲のクオリティーを保った形で生かした例というのは他にないのではないだろうか。だからぼくはレッド・ツェッペリンのライブではこの曲が一番聴きたい。そういう意味でDVD、CD含めてライブの音源が一枚しかないというのは勿体無い。だからツェッペリンの海賊版はやたらと高いんだろう。 (★★★★★)
  • モータウン・ジャンク
    Manic Street Preachers: ジェネレーション・テロリスト
     ぼくはこの曲を聴いた時はぶっ飛んでしまった。パンクのエモーショナルな躍動感がありそれでいてヴォーカルの高い声。パンクとは一線を引いてるようでその情熱はパンクだった。ハードロックとも言えないその曲調はこのバンドの大きな特徴だった。  元々このバンド、2枚組みのアルバムを出して解散すると豪語してたが結局15年経った今でも活動している。しかもCDは当時より売れて作品の評価も高くなってる。同時期に出たバンドがまるで残ってないことからすると相当に快挙である。それについて本人達ももっともらしいコメントを出すがそれがいかにも洗練されてる。パンク的でありながら教養のある人達だというのが分かる。そのどうしようもなくハチャメチャでありそうでいながら実はごくマトモな人達というギャップが親近感を呼んでる。だからこのバンドの曲は歌詞までジックリと読んでしまう。  しかし、この人達の作品は結構多く全部網羅するのは骨が折れる。この音楽へのバイタリティ、これだけは間違いなく本物だということだ。 (★★★★★)
  • ルイ・ルイ
    Johnny Thunders: New Rose Collection
     ジョニー・サンダースの死後に出たライブ音源とアコースティック・ギターによるスタジオ録音を音源に編集したアルバム。その中でもこの曲とDo You Love Meは圧巻だった。ラジカセで録ったような音源であるが、それが逆に臨場感を出している。分かる人にしか分からないという作品だ。  ちなみに現在このCDが売ってるのかどうか知らない。これだけセンスのある人がこんなカルト的な存在で終わってしまったのは理不尽な気がする。だからこそ好きな人にはよりたまらない存在になってしまうのだ。 (★★★★)
  • ロクサーヌ
    Police: ロクサーヌ
     これが売春婦に関する歌だと知ったのはずっと後のこと。歌詞も分からずずっとこの曲を聴いていた。勿論歌詞を知ってからもこの曲は大好きな曲だけど。  本当かどうか知らないけどこの曲の入ってるファースト・アルバムはわざと下手に演奏したらしい。理由は当時パンク・ニュー・ウェーブのブームの中でスタイルを合わせたということだろう。そしてセカンド・アルバムでは実力に見合った演奏で上手くなったと思わせたらしい。そういわれてみるとファーストでは音数が少ないシンプルな曲が多いような気がする。このバンド、5作しかアルバムがないのだがそういう抜け目なさというのは元から持ってたようだ。5作とも素晴らしく駄作のないバンドだった。 (★★★★★)

ぼくのブック・ライフ

  • トニー・サンチェス: 悪魔を憐れむ歌
    ローリング・ストーンズの暴露本である。現在は改題され『夜をぶっとばせ』になってるがタイトルといいブックカバーといい前の方がシックリしていた。 ストーンズというのはぼくが最も影響を受けたバンドの内の一つだが、ここまで無茶苦茶をやってそしてそれが逆に彼らのダークなイメージにつながった。まさにロック・バンドの典型である。どんなに悪ぶっても彼らのようにはなれないし彼らのような影響力は出せないだろう。 時代をロックと女とクスリと共に駆け巡り気付けば巨大産業に飲み込まれていったストーンズ。作者はそんなストーンズに最後は身も心もすり減らされてしまったらしい。それでも未だに活動しているストーンズはある意味怪物だ。 ぼくとしてはこの本の訳者中江昌彦の翻訳もその場に居合わせたような感覚になるのが良かった。他にも『レス・ダン・ゼロ』などもいい雰囲気を出してた。今まで本なんか読んだこともなかったぼくが高校生の時読んで凄いショックを受けたのをよく覚えてる。当時のブックカバーの最後に「END]という文字が書かれてたが読後その文字が見た目以上に大きく見えたものだ。 (★★★★★)
  • 落合信彦: 第四帝国
     まず最初に断っておこう。これはトンデモ本である。ここに書かれてる内容は根も葉もないことと言っていい。そもそもこの落合信彦という人がゴースト・ライターを使ってマトモに取材してるかどうか怪しい。本人いわくCIAに100人も友人がいるというから情報には事欠かないということらしいがこれではアメリカ政府のトップシークレットがなぜか来るというUFO研究者と言ってることが変わらない。そういえばUFOに関しての記述もこの本ではありオリジナルな展開を見せてるのは興味深かった。  内容はナチス・ドイツの残党が世界各地で暗躍してるというものでヒトラーは生きてる、UFOは実はナチスが造ったというファンタジーが溢れてる。その展開はちょっとしたSFといっていい。  事の真実なんてどうでもいい。ただ単純にエンターテイメントとして読めば何の問題もないだろう。誰も「ゴルゴ13」を読んで事実と違うと言わないだろう。それと同じことだ。  しかしこの人、いかにも事実というように書くのが上手い。文章も簡単でスラスラと読めるので展開のテンポがいいのである。だから知らないうちに読んでしまってるという感じになる。そのスタイルはぼくもずいぶんと参考にさせてもらった。  まあ実際はゴースト・ライターなんだが。 (★★★)
  • ニック・ホーンビィ: ぼくのプレミア・ライフ
     このブログの元ネタとなった本。この本との出合いはサンフレッチェの応援仲間に渡されたことだ。その存在は知ってたものの読む機会がなかったのでありがたかった。  内容はというとアーセナルを応援する著者のその観戦生活といったとこだがこれを読むと結構日本のサポーターもプレミアのサポーターも変わらないとこがあるのがわかる。退屈な、退屈なアーセナルというタイトルには笑ってしまった。なぜなら分かり過ぎるくらい分かる心情だからだ。ぼくもサンフレッチェを応援してて何度同じことを感じただろう。  今やアーセナルはプレミア・リーグでも優勝しチャンピオンズ・リーグでも決勝に進出するような存在。一方ぼくの応援するサンフレッチェ広島はJリーグの1部リーグで常に降格の危機を感じるクラブ。でもその根っこは同じである。海外サッカー好きにはJリーグをバカにする傾向があるがそういう人には分からない内容かもしれない。 (★★★★★)

サンフレッチェの魂~リンク集

  • SANFRECCE Diary
    このブログを読んでる人ならすでに知ってるだろうから今更リンクを貼るのが恥ずかしい気もする。 何せこのサイト1997年から毎日更新してるというのが凄い。 過去の記事などはぼくも参考にさせてもらうことも多い。 継続は力なりというが実際には継続するのに力がいる。 そういう意味でも管理人のせと☆ひできさんは偉大である。
  • ススボウブログ
    自分サッカーやグルメについてのブログということです。 かなり熱心に応援してる方のようです。
  • ひろしま日記&サンフレッチェコーナー
    試合を時系列で紹介したりかなり凝った内容となってます。 現地の様子など行った人でしか分からないことがあり興味深いです。 試合に行った人も行けなかった人も楽しめるのではないでしょうか。
  • ゆみしん徒然の書
    ゆみしんさんのブログ。本当に色んなスタジアムに観戦に出かけて現地の様子をレポートしてます。観戦者視点でそれぞれのスタジアムの様子が分かり現地に行く時の参考になりそうです。
  • Scud Sanfrecce
    MICRAさんのサイト。ここの特集のコーナーは必見。サンフレッチェはなぜ人気がないかという考察については今までに見ない観点がある。是非一度読んでください。
  • ヒロシマ・コーリング
    今そこにある危機。サンフレッチェにはメディアが少ない。その為妙にぬるい記事が目立つ。そんな甘い現状にこのまま放置していいのかという危機感を感じた時発言していく。

JリーグPR

  • Jリーグ2010特命PR部員 Miles

« 2011年10月 | トップページ | 2011年12月 »

2011年11月26日 (土)

大宮戦~ホーム最終戦の勝利

2011/11/26 サンフレッチェ広島vs大宮アルディージャ 広島ビッグアーチ

 寿人がゴール前に抜け出してシュートをGKの真正面に蹴った時、やっぱり今日もゴールが入らない気がした。そして山岸の無人のゴールへの丁寧過ぎるシュートをDFがクリアした時にはもう絶対に点が入らないような気がした。そもそも高萩はGK11だったので自分でシュートを打てば良かったのに安全策で山岸へパスをした結果がこれだった。いつも最後が決まらない。いつも最後が余計だ。いつもフィニッシュの直前が雑である。

 そんな頭を悩ませる場面が満載だった。どんなに攻めていても、どんなにボールを廻していても、どんなにゲームを支配していようとも最後には負けてしまう。それはとりもなおさずゴールが決まらない、これに尽きるのだった。そういう光景が繰り広げられる度にため息が出るのだった。

 寿人の二桁得点は今シーズンは無理だろう。チュンソンの得点王も駄目だろう。そして他の選手は尚更得点の匂いがしない。ぼくの中にはどんどんネガティブなイマジネーションが漂うのだった。

 そもそもこの試合は何でトミッチがスタメンなんだろう。今までまるで駄目で何の期待するところのないトミッチ。何でも来期の契約をしないということが決まったらしい。そんな選手を何でわざわざ使うのか分からない。その辺はミシャ自身も来期の契約がないということと関係あるのだろうか。

 だが先制点はそのトミッチだった。ゴール前のFKでジャンプした壁の下を狙うという抜け目のないシュートを決めた。このゴールを決めた瞬間それまで見せていた前へ向かう推進力が思い起こされた。ああ、やっぱりそれなりに能力のあった選手だったんだな。せっかく加入するも怪我の影響が大きかったのだろうか。そういえば昔ミロという選手がいて全く役に立たなかったが最後の試合でゴールを演出するCKを蹴ったことを思い出した。そんなプレーできるなら何で最初からしなかったんだよと頭を抱えてしまった。

 ただし1点ではちっとも安心できないサンフレッチェ、これで追加点が取れずに逆転負けというパターンが王道だったのだが前半終了間際に寿人がPKを貰った。寿人のゴール前での勝負する姿勢がもたらしたと言っていいだろう。このファールにより大宮は退場者を出したこともこの試合を大いに有利な展開にさせた。PKをきっちり決めた寿人はやっとのことで今シーズンの二桁得点の数字を上げたのだった。

 もうここまで来れば勝ったようなものだ。と思いたかったがやはりまだ不安が残像のように残った。何せ3点差の試合を逆転されるチームである。油断大敵である。そしたら案の定簡単に崩されて1点返されてしまった。それまでサンフは何度も決定機を創りつつも決められなかったのに大宮は実に簡単に点を入れたように見えた。1人少ない相手に何をしてるんだと現地にいたら喚いてしまっただろう。

 ポンポンとボールはつながるもののゴールは遠かった。1点差では何が起こるか分からない。これだけ攻めてるのに得点はセットプレーだけ。何とかしろ、何とかしろ。中央に入れる、合わない。中央に入れる、相手にカットされる。もういい加減よせばいいのに中央に入れる、裏にボールが出た。チュンソンはそれを細かいタッチでディフェンダーをかわしシュートした。入った。は、入った。ゴールである。3点目だ。やっとチュンソンが取った。取らなきゃいけない人が取ったのだった。

 更にその後青山が4点目を決めた。そのシュートはGKのタイミングを外したお手本のようなシュートであった。青山もこんなシュートが打てるのに今シーズンはシュート打たなかったなという気がしたのだった。

 さあ、相手も1人少ないしもっとゴールシーンが観たかった。だが結局は失点され42というスコアで終わった。久々に勝ったしまあ満足しなくちゃいけないのだろう。ここ数年、なぜかホーム最終節は好ゲームをしてしまう。これだけできるならもっと上に行けただろうにと毎年思わせる。そしてそれは今シーズンも例外ではなかったのだった。

 果たして来シーズンは誰が監督をやるのだろう。ゴール前までは支配できる。だがその先が行かない。実はミシャもそれは分かってるようだった。今のサッカーで最後を決めさせる、それがこの次の監督の使命だろう。本当に決めるとこを決めることさえできればもっと勝つことができた。勝利に酔いながらも来シーズンへの想いを馳せるのだった。

2011年11月19日 (土)

川崎戦~点の取れない現実

2011/11/19 サンフレッチェ広島vs川崎フロンターレ 広島ビッグアーチ

 試合が終了した時、泣きそうになった。勝てなかった訳ではない。チームの調子も悪くない。展開としても有利だった。それなのに負けてしまう。絶対に負けてしまう。何があっても負けてしまう。まるでそれは運命がそうさせてるかのよう。だけどその悪しき運命になるべく伏線はいくらでもあった。結局は自ら不幸に陥ってるとしか言いようがなかった。

 先制したのはサンフレッチェだった。高萩がGKとの11で冷静に見事にGKを外したシュートを入れた。今までシュートをことごとくGKにぶち当ててた高萩には珍しいプレーだった。おお、やっとお前もゴールを決める気になったかと浮き上がるも素直に喜ぶこともできなかった。まだ試合は始まったばかりだ。

 その高萩のゴールの勢いは収まるとこを知らずボールはサンフが支配し続ける。面白いようにボールが回る。そしてフニッシュヘ。ただしこれがまた入らない。肝心なとこでミスが出る。そして追加点が入らないのは相変わらずだった。そしてあれだけ有利に試合を進めてたにも関わらず前半終了間際のワンプレーで失点されやっぱりなと冷めた感覚になった。1点取っただけでは勝てる気がしないのはこのためだったのだ。

 そして振出しに戻った後半は戦局が変わるかと思いきや依然サンフのペースは続いた。あとはシュートだけ。ただしこのシュートがまたしても入らない。わざと外してるのかというくらいに入らないのはゴール前で変に手数を掛けすぎるからだった。そこはダイレクトでシュート、トゥキックでシュートという場面で必ずワンタッチ多くしたりパスを出したりしてチャンスを潰してしまう。いくらチャンスを創ったとこで肝心のシュートが入らないのだから相手は段々と焦りがなくなってしまう。それでもセットプレーから森脇が押し込んだ時には勝てるという気がしたのだった。

 先制したチームが追いつかれまた勝ち越し。この流れは統計的にも最も勝利の確立の大きいパターンだった。それなのにここで追いつかれてしまうのがサンフレッチェなのである。信じられない。本当に勝つ気があるのか。ミシャの退任、残り3試合、様々な要素を考えると尋常じゃない気力のモードに入っても良さそうだった。それがこうも易々と失点してしまうのが情けなかった。

 そしてアディショナルタイム。それでも劇的な勝ち越しゴールを期待しなかった訳ではない。それなのにその劇的勝利は相手の方にもたらされた。それもそのはず、もはやその時間にはサンフの得意の失点パターンに嵌っていたのである。全員がゴール前にドン引きし跳ね返しても跳ね返してもセカンドボールを拾われる。その時点でもうこれはダメだなという気はしたのだった。

 正直川崎の3点目はハンドだったろう。目の前で見てたサンフの選手が猛烈にアピールしてたことからも間違いないと思う。だけどその前に得点のチャンスはたくさんあった。負けたのは3点目を決められたからではない。決めるとこで決めないからだった。

 決めれないというのは単純な技術力というよりもゴールに向かう姿勢のなさだというのがよく分かった。先制点を決めた高萩はペナルティエリアまでドリブルしながらサイドにパスを出してしまった。前が空いてたからシュートを打てばドリブルのスピードもあるので威力のある球を蹴れただろう。GKに当たっても弾いたら詰めた見方が入れたかもしれない。チュンソンが1点決めたらもう点が入らないのもそうだろうが1点取ったら満足してしまうんだろう。これが3年前4点、5点と取りながらもいろんな選手が点を取ってたことの弊害かもしれない。

 寿人もチュンソンも点が取れなくなってしまった。寿人がゴール前でニアのわずかな隙間を狙わず横パスを出した時ゴールできなくなった理由が分かった。ストライカーとして勝負しなくなってしまったのだ。それはまともにシュートを打ってないチュンソンとて同じだろう。

 今季でミシャも退任してしまうし広島まで行こうかとも考えた。結局仕事で行けなかったのだが行っていたらこの惨状に耐えられただろうか。いや、もしかしたら1人じゃない分気を紛らわせたかもしれないのだった。

2011年11月17日 (木)

愛媛戦~天皇杯敗退

2011/11/16 天皇杯3回戦サンフレッチェ広島vs愛媛FC 広島ビッグアーチ

 中継を観る手段はどこにもなくかといってネットで試合経過を試合経過を確認する気にもならなかった。BSではJ1新潟とJFL松本山雅の中継で新潟が負けていた。それにより尚更嫌な予感がしたのだ。結果を知るのが恐かった。そんなことはないだろうと思いながらもその妙な自信がまた恐かった。そんなことはないはずだ。そんなことはない。

 そして意を決してネットで試合結果を検索する。01、負けてた。これが人間の第6感というやつだろうか。嫌な予感程当たる。あってはならないことが起こってしまったのだった。

 ミシャの退任でチームが一丸となり天皇杯は勝ち進む。そうなってしかるべきだった。それなのにJ2の相手にやられてしまった。言葉が出なかった。それと共にやっぱりという冷めた感情があった。

 得点力不足。いよいよもってそれは深刻なんだと突き詰められた。相手は格下チームが執る戦法のセオリー通りに10人でゴール前を固めたようである。そこで攻めても攻めても点が入らなかったのはシュート22本という記録が物語っていた。今のサンフが点が取れないということをよく分かってる愛媛の作戦勝ちというとこだろうか。

 この戦い、愛媛を揶揄することはできない。サンフを解雇された大木、レンタル移籍中の内田、そういうメンバーを使ってる愛媛は明らかに格下であるがそういう格下のチームが割り切った戦い方をすることが近年のJリーグではなくなってしまった。そんな情けない戦い方ばかりしてたんじゃお客さんが喜ばない、もしくはちゃんとしたサッカーをやらないとクラブとしての価値が落ちるという認識が出てきたんだろう。勿論それも納得できる。勝ち負けよりもこだわらなきゃいけないものがあるというのは観客動員にあえぐクラブにとって当然の成り行きである。だけどそれが却って勝負へのこだわりをなくしてるという面もあるのだった。

 近年ACLJリーグのクラブが勝てない。それもこういう割り切った戦い方をする相手との試合経験がないためとも言われている。特にJ1では降格争いのチームがドン引きしてカウンターを狙うという戦法をやってこない。だからいざこれをやられると点が取れずカウンターから失点してしまい負けてしまうということが起こってるようである。思い出してみれば昨シーズン出場したACLでも初戦の山東戦は同じようなやられ方をした。結局あの敗戦はACLの経験不足というより格下チームによるドン引き戦法への経験不足だったのかもしれない。

 それでも2008年のJ2の時、そういう経験がなかった訳ではない。シーズン終了間際の湘南などそういう戦法を執ってきた。それでも問題なく3点取って勝ったことを考えると得点力は下がったと考えるのが妥当である。チュンソンが代表でいない、森崎ツインズがいない、そういうことは関係なくチームとして点が取れなくなってしまったようだ。

 改めてその深刻さを突き付けられた。それを露呈させてくれた愛媛にはむしろ感謝したい。行き詰った攻撃。そしてミシャの退任。来シーズンへの不安が増してしまったがもしかしたらだからこそ何かを変えないといけない時期に差し掛かってるのかもしれない。

 天皇杯を世話になったミシャへのはなむけとすることはできなかった。このままフェードアウトするようにシーズンを終えるのだろうか。少なくともチームスローガンの「奪取」、これは何も実現しなかったことだけは事実なのだった。

2011年11月15日 (火)

ミシャ退団③

 J1に復帰した2009年シーズン、いきなり4位という成績で終わることができた。しかも3位までのチームと天皇杯優勝チームが重なったことで繰り上げで2010年のACL出場が決まったのだった。サンフレッチェがACL出場というのは信じられなかった。そしてこの時アウェイの試合に遠征に行く計画を立てた人はもう2度とないことだからと口を揃えて言ったものだった。

 ただし残念ながら予選リーグ敗退で終わってしまった。それはクラブの国際経験の無さという要素が大きかったようである。その証拠に初戦から3連敗して海外では通用しないのかと思いきやその後は3連勝。特に最終戦は2軍とも言えるメンバーにより勝ったことでこのチームの可能性というものを強く感じたものだった。それと共に3連敗の内のどれか1つでも引き分けに持ち込んでいたらという悔いが残ったのだった。

 ただし、ACLに出場したということでナビスコカップの予選リーグ免除という特典の影響で決勝まで進出することができたのだった。ナビスコには縁のないチームと思っていたのだがまさか決勝に出れるとは思ってなかった。これは初めてのタイトルを獲るチャンスだった。そして十分に狙える機運があった。

 ここでサンフは初めてのタイトルをほぼ手中に収めようとしてた。もう残りいくらも時間が残ってなかった。リードしてる状況でどう時間を過ごすか、その辺の経験の無さが勝利を逃したと言っていい。ここで逃げ切るのか攻めるのか。その辺の意思判断が適格でなかった。時間稼ぎをするには早過ぎる時間にボールキープをしようとして簡単に奪われてしまうという稚拙な場面があり目を覆ったものだった。そして終了間際に失点してしまったのには尚更目を覆いたくなった。

 かくして延長戦で負けサンフレッチェの初タイトルはお預けとなってしまった。オリジナル10として唯一タイトルのないクラブ、そのレッテルは外れることがなかったのだった。それは悔しい。そしてこの準優勝によって尚更タイトルが欲しくなったのだった。

 それによって掲げられた2011年のスローガンが奪取。これはもうタイトルを獲るという意味だった。そしてこの攻撃的サッカーでそれは狙えると確信してた。ペトロビッチ体制となって6年目、機は熟したという感があった。

 シーズン序盤は調子が良かった。リーグ戦で勝てなかった相手や絶対に勝てなかったアウェイのスタジアムでも勝つことができそれはまさしく快進撃だった。今度こそ本当に、今度こそ本当にタイトルが取れる。そんな気がしていたのである。だが夢は続かなかったのだった。

 これはサンフの伝統だが山となる試合がある。そういう時必ずといっていい程負けるのだ。それにより順位はずるずる落ちていき目標は優勝から3位以内に映りその内6位、7位以内へと後退するのだった。それによりやっぱりサンフはタイトルが取れないという諦めを感じるのだった。そしてミシャのサッカーにも限界を感じたのだった。

 攻撃サッカーであるはずが点が取れない。引いて守ってばかりになる。ボールがつながらない。順位が下がる度にそのチーム状況に憂えるのだった。もうこのサッカーは研究されJリーグに通用しないのかもしれないとさえ思うのだった。

 ミシャの退任の発表があったのはそんな時である。ミシャにより数々の夢を見た。そしてそのサッカーに血肉躍った。そして停滞した。もし見えざる手という概念を使うならこれが1つのピリオドだということかもしれない。例え本当の理由が金銭的なものであるとしてもだ。

 ただしそれでもミシャがいなくなるというのは空虚な感じがする。果たしてミシャが去った後にもミシャによって形創られたサッカーは残るのだろうか。積み重ねたものがなくなりはしないだろうか。やはりミシャには感謝すべき功績がいくつもある。やっぱりいなくなるのは大きな損失だ。残りの試合、ぼくらにできることはその試合を目に焼き付けておくくらいなのだろうか。

2011年11月13日 (日)

ミシャ退団②

 新しく来たミハイル・ペトロビッチ監督は3バックにカズ、戸田、盛田とDFの本職でない選手を並べた。そこが斬新であったもののカズの左ストッパーというのは違和感があった。明らかに高さと強さに劣るカズはDFの適性がない。ただこのポジションをやることにより守備力を付けてその内ボランチに戻すのだろうくらいにしか思ってなかった。カズのとこで失点がある度にカズの苦悩が読み取れた。なぜにそこまでカズのストッパーにこだわるのかその当時は誰も分かってなかった。が、5年経った今、リベロとして抜群の安定感を持ってるカズ。恐らくミシャでなければカズのこういう姿は見れなかっただろう。

 そう考えるとこの監督はすぐに結果を出すタイプではない。ただ、入団したシーズンに沈みかけたチームを残留させたことで来シーズンは巻き返すものだという期待があった。実際2007年シーズン当初は結構勝ち点を重ね上位争いをするのではという勢いがあった。それが後半以降失速、一遍残留争いに巻き込まれることとなった。そしてついには16位という成績で終わりJ1J2入れ替え戦を戦う羽目におちいったのだ。

 その原因の一つは間違いなくFWのウェズレイだったろう。得点の柱として君臨してたものの夏以降パタッと点が取れなくなった。そして点が取れなくなると尚更意固地になって入りもしないFKPKを頑なに蹴ってチャンスを潰すのだった。なぜ浩司が蹴らないのか、せめてボールの横に立つだけでもいい。それがなかったのはウェズレイのエゴもあったろう。が、ミシャは監督としてなぜキッカーの指定ができなかったのだろう。それ以上に戦力にならなくなってきたウェズレイを頑なに使い続けるのも不思議だった。

 ウェズレイを外す、その判断を下せなかったことが入れ替え戦でも勝てなかった理由だと誰もが思った。実際両チーム合わせて一番悪かったウェズレイになぜそこまでこだわるのか分からなかった。その辺の判断ミスと降格という悲壮感からミシャの続投というのは考えられなかった。それなのに当時の久保社長の下した決断はミシャの続投だった。これが後になって大英断として語られることになるのだった。

 J2に落ちたサンフレッチェ。一年で昇格するというのは最低限の目標でありながらJ1で戦えるチームを創るというのも課せられた使命だった。シーズン当初こそCBのストヤノフに頼ったロングボール主体の戦いだったものの1トップ2シャドーの布陣が機能し始めサンフレッチェは新たな境地を見せた。特にGKからつないでシュートまで行くというサッカーは日本では観たことのないスタイルでDFに本来MFの選手を集めたのはそういう意図があったのを気付かせられたのだった。そして寿人は1トップで新たな境地を見つけ出し柏木、高萩の2シャドーはそのポジションにいることで更なる才能を発揮させているかのようだった。どこからでも点の取れるチーム、まさにそういうチームになっていったのだった。

 サッカーにおいて点が取れるというのは本当に面白い。J2という舞台ではあったがそれは本当に楽しい、ワクワクするサッカーだった。圧倒的な勝ち点によってJ1昇格を果たすとその攻撃的スタイルは注目を集めたものだ。その期待感はそれまでちっとも入らなかったビッグアーチのスタンドに観客が集まるようになったことからも伺える。ぼくは2000年ヴァレリー監督時代の攻撃的サッカーをもう一度見てみたいとずっと思っていたがそれが叶えられたような気がした。スタイルは異なるが攻撃的というのは共通するものがある。ミシャがいる間しっかりとこのサッカーを目に焼き付けておきたいと思った。

 そして再びJ1の舞台へ。この時かなりやれるのではないかという期待は持っていた。勿論J2からの昇格チームなので挑戦者という立場には変わりないのだがどこまで行けるかを想像するのは胸が高まった。この時になるとやっぱりミシャが監督をやってくれて良かったと思うのだった。間違いなくサンフレッチェのサッカーという独自のスタイルを築いたのだった。

2011年11月11日 (金)

ミシャ退団

 その報道は衝撃的だった。5年半という期間を考えると順当だったのかもしれない。だけどだからこそいなくなるということを受け入れるのが困難だ。出会いがあれば別れがある。サッカーの監督が一つのクラブで指揮を執る期間としては十分な時が過ぎたというだけだ。それなのに大きな空虚感が残るのだった。

 ミハイル・ペトロビッチ。その監督の入団が決まったのは2006年の半ばだった。成績不振の小野監督の後を受け継いだミシャの目的は必然的にJ1残留となった。だがこの監督交代はチームを確かに変えたのだった。

 それまで全くメンバーとして構想に入ってなかった青山、柏木という2人の若手をいきなりスタメンに抜擢すると予想もしなかったようなパフォーマンスを発揮。こんな選手がいたのかという驚きを与えた。と同時に小野前監督の観る目のなさ、監督としての力量のなさが露呈してしまった。それにも関わらず3年契約の後更に契約を更新したというのが信じられなかった。それは単に他に伝手がないととらわれもした。

 そもそも小野監督は全ての要望をクラブに聞いてもらっていた。その挙句、育成型のクラブを目指しながらも現状はどんどんかけ離れていき外から選手をかき集めては切っていくということを繰り返し結果としてチームはつぎはぎだらけ、若手選手はちっとも育たないという状況に陥ってしまった。面白くない、勝てない、希望が持てない、一刻も早い退任を望んだものだがそれは2006年、成績不振の責任を取って辞任という形で去ることになったのだった。

 その後望月GKコーチが代行監督をするも攻撃は2人か3人に任せて後は守るという超守備的戦術でこれも希望の持てないものであった。ただ、この割り切った戦いが功を奏し4試合で勝ち点7を稼ぐことに成功し次に来る監督へ最高の形で受け継いだことになったのだった。そしてミシャは広島に来たのだった。

 シュトルム・グラーツで元日本代表監督オシムの下でコーチをした経歴がある。その触れ込みだけである程度の期待を寄せることができた。ただ、その入団の経緯は監督探しに難攻してるサンフに対しジェフ千葉から紹介してもらったということだった。いかにも日本的でいいがやっぱりサンフにはコネクションを持った強化担当がいないのかとため息をついたものだった。監督さえ変われば好転する。それだけが望みの状況でミシャの入団は好意的に迎えるしかないのであった。

2011年11月 6日 (日)

仙台戦~無得点の理由

2011/11/05 ベガルタ仙台vsサンフレッチェ広島 ユアテックスタジアム

 シュートを打つ、外れる。中へ切れ込む、カットされる。ゴール前で合わせる、GKの真正面。それまでの過程が良いだけにより一層もどかしさが募る。そしてそれらシュートシーンに絡んでるのはほとんどといっていい程高萩なのだった。つまり高萩が決めないから点が取れない。それはつまりサンフレッチェが勝てないのも高萩の得点力のなさという要素がかなり大きいことをまざまざと見せ付けられたのだった。

 どんな時にも悪い時間帯はある。特にサンフレッチェはそれが顕著で一方的に攻められるサンドバック状態の時間が必ずあるのだがこの試合に限ってそれ程悲観するような状況にはならなかった。攻めて跳ね返されようと後ろが上手くセカンドボールを拾うので波状攻撃につながる。特に右ストッパーに入ったカズの読みが鋭くミキッチが失ったボールをよくフォローしてた。もしかしてミキッチがドリブルで仕掛けていけるのはカズがいるからこそなのだろうか。

 そしてその対照としていつも批判にさらされる左の山岸だがこの試合では中央へ切れ込むドリブルを何度か見せていた。右利きの山岸が縦へ突破しても左足でクロスを上げる自身がないのかもしれない。だけどそれならなおのことゴールを狙う動きをして欲しい。そんな声が聞こえてでもいるかのようだった。

 危ない場面は西川の広い守備範囲に助けられそしてセカンドドールも拾える状況で心置きなく攻撃に行ける状況でありながら最後の壁が突き破れない。さすがリーグ最少失点を誇る仙台の守備と称賛の念を抱きながらも改めてサンフレッチェの決定力の低さに泣けてくるのだった。ミドルシュートは枠外、ニアへの飛び込みも枠外、セットプレーも入らない。唯一高萩が枠内にシュートを打ったもののその全てがGKへパスするかのようなシュートとなりGKは何の脅威を抱くこともなく止めてしまった。そして皮肉なことにこの試合決定的なシュートは全て高萩が蹴っているのが得点への可能性をなくしているのだった。

 シュートを打つ積極性。それがないのが高萩の欠点だがいざそういうチャンスが来ても普段シュートを打つ意識がないせいでGKを外すという作業ができなくなってしまった。一度なくした感覚というのはそう簡単に戻らない。右サイドからのラストパスを前が空いてるにも関わらずスルーしてチュンソンに打たした場面、これでこの選手にゴールはできないと確信してしまった。

 確かにチュンソンもキレがなかった。寿人も昔だったら入れてたという場面もあった。だけどもう一つのアタッカーのポジションである高萩が100%ゴールが決められないとなるともはや得点への道は閉ざされたようなものだった。頼みのミキッチは右サイドを崩すもシュートだけは下手。左の山岸もがんばってはいるがやはり物足りない。どうやって得点するんだ?巨大な岩をノミでコツコツと叩いているようだった。そしてタイムアップ。とても90分でその岩は崩せないのだった。

 まあ面白かったけど勝っていい気分で帰りたかったよなあとドクトル。全くその通りである。だけどぼくらは試合後の余韻に浸ることなくスタジアムを後にできたのは引き分けで終わったことで心置きなくできるのだった。

 ぼくらは49分後出発する新幹線はやぶさに合わせた。最新鋭の新幹線でどうしてもそれに乗ってみたかったのである。そしたらホームで広島から着たというサポーターに出会った。彼もはやぶさに乗ってみたかったらしく車両が来た際にはカメラにその姿を収めていた。エメラルドグリーンの車体は100分くらいで東京についてしまう。そう考えるとあんまり遠い気がしない。

無得点への悲観、それを延々と論じながら新幹線はすぐに東京まで着いてしまったのだった。

2011年11月 4日 (金)

仙台戦~スタジアム内で

2011/11/03 ベガルタ仙台vsサンフレッチェ広島 ユアテックスタジアム

 ぶるっと震えたのは気温が下がったからだった。日中暑くて半袖になったぼくは長袖を着こんだ。東京と気温は変わらないと思ってたが日が落ちると冷気が漂っていた。

 スタジアムに入った頃は閑散としてると思ったアウェイゴール裏はいつの間にか密度が増していた。そしていつも一緒に観戦する仲間も集まりここが仙台だということを忘れそうにもなった。中には気仙沼の震災後を見学してきた仲間もいたがそんな場所で他にもサンフサポーターで来てる人がいたと言っていた。

選手紹介が始まる。それに呼応するサポーター。そしてホームの仙台。GK林のとこで拍手が起った。なぜそんな暖かい反応が起こるのか疑問だった。が、下を観ると単にサンフレッチェの選手がピッチに現れただけだった。林の検討を讃えてるどころかもはやサンフレッチェにいたことさえ実感として沸いてないというのが正直なとこだった。

 仙台のサポーターが横揺れでチャントを歌う様はまるでスタジアムが揺れてるかのような錯覚を与えた。屋根が付きピッチも近い。やはりサッカー専用スタジアムはいいと思いながらも今まで映像でしか知らないユアテックスタジアムは実際には結構こじんまりとしてるような気がした。

 試合前のウォーミングアップでのシュート練習。相変わらず入れる選手と外す選手は決まってる。そしてぼくらはその様子からあの選手は絶対ゴール決められないなとかあの選手はシュートが上手いなどと好き勝手な予想を立てる。冷静に分析しているつもりでいながら腹の底ではゴールが観れるものと考えている。ただ面だって言えないのは今シーズンあまりにも山となる試合で負けてしまった苦い経験、そして得点力不足のチームへ対する自信のなさからだった。

2011年11月 3日 (木)

仙台戦~初めてのユアテックスタジアム

2011/11/03 ベガルタ仙台vsサンフレッチェ広島 ユアテックスタジアム

 Maxやまびこだった。仙台へ向かう新幹線はそんな名前だった。ぼくは118分の自由席に乗るためホームで並んでいたがその内にドクトルが現れた。確かにいつも一緒に観戦はしてるものの一緒に新幹線で遠征するというのは変な気分だった。というよりそれはぼくがほとんど遠征をしたことがないというだけの話なのだった。

「ユアテックスタジアムは初めて行くんでしょ。ぼくは3回目なので道順は大丈夫ですよ」

 確かに仙台に行くのにはドクトル任せだった。ついでに東北新幹線に乗ったことのないぼくは2階建ての新幹線というのが新鮮だった。そして車窓からの景色も馴染みのない目新しさがあった。

 このケチなぼくがなぜ新幹線なぞ使って遠征しようなどという気になったか。そもそも行ったって勝つ気がしない。点が取れないチームに勝つ術はない。良くて引き分け、悪くて負け。そんな意識しか持てないでいる。もっとも2007年の降格したシーズンに絶対負けると分かっていながら清水まで行ったことを考えれば遠征をするしないの動機なんて大した意味はない。そこにサンフレッチェの試合があって時間があったというだけの話である。ただ、今回の場合あえて付け加えると震災のあった宮城県に行って買い物でもしてお金を落としてあげたいという動機もあるにはあった。そういうことで仙台に着いたらドクトルの提案で牛タンを食べに行くことになったのである。

 かくして仙台駅に着いた。そこはどんな世界と思いきや別にどこの都市とも変わりやしない。ヨドバシカメラはあるマクドナルドはあるファミリーマートはある。東北支援の為に買い物をしてあげようと考えてたもののこんなチェーン店で買い物したって意味がない気がした。結局日本の都市なんてどこ行ったって大して変わりやしない。でもそれを言ったら世界中都市というのはそれ程変わりあるものではないのだった。

 それでも当初行く予定だった牛タン屋に向けて歩を進めるのだった。ぼくはドクトルに着いていくのみだ。そして連れて行かれたのが『利休』という専門店だった。

「ここが前も来ておいしかったんですよ」

 そんなこと言ってるがぼくは気が進まなかった。牛タンというのは焼肉屋で出てくる平べったくてレモンを掛けて食べるやつだろ。あれってそんなに旨いと思わないんだよな。どんよりとした気分でのれんをくぐったもののランチとして出てきた定食は普通の肉と変わらないイメージだった。というより旨い。これは確かに旨いぞ。牛タンってこんなに旨いだと初めてこの味を知るのだった。

 いや、食った食ったとばかり次はどこへ行こうかと思ったがドクトルはもうスタジアムに行くと言う。え、もうと思ったがすでに開門時間は過ぎてるのだった。ぼくらは地下鉄に向かった。

 スタジアムまでは地下鉄で一本。この利便性はありがたい。それに引き替えビッグアーチは・・・などといらぬ愚痴を出したくなるのだった。

 終点で降りスタジアムに向かうには人の流れに付いていけば良かった。というより一本道なので迷いようがない。ぼくらはメインゲートにたどり付いた。黄色いレプリカを着た人がいる。その中で紫はぼくらだけだ。Stingの『Englishman in New York』を思い出す。さしずめぼくらはパープルマン・イン・ユアテックスタジアムというとこだろうか。う~ん、どうもしっくりこないな。

 そんなことを考えてたらスタジアム前で白い袋を配っていてぼくも手渡された。もう残り少ないので持って帰ってくださいということだったが中身はインスタントラーメンの『チャルメラ』。一体何でチャルメラなんだ。ドクトルはこれを知ってたようで驚きもしないが実はこれが欲しくて早くスタジアムに来ようとしたのかと思いつつも実はこのプレゼントに一番喜んだのはぼくだった。

 ああ、チャルメラ最高。

 でもこんな百円もしないものを貰う為に一体いくら掛かったことか。ここまで来てしまうともはや合理的な計算なんてできないのだった。

2011年11月 2日 (水)

仙台へ行く

 せっかくの休日、場所は仙台。ぼくは一度もユアテックスタジアムには行ったことがない。そしてドクトルに聞くと仙台戦は行くという。ということでぼくも一緒に行くことに決めた。

 東京11:08 発 新幹線自由席。それに乗って行くとドクトルとは約束をしたが、もし同じように新幹線で行くという人は良かったら一緒に行きましょう。紫のもの身に着けてるので簡単に見つかると思います。

« 2011年10月 | トップページ | 2011年12月 »

最近のトラックバック

2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31