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2010年2月24日 (水)

ACL山東戦~初戦黒星

2010/02/24 サンフレッチェ広島vs山東魯能 広島ビッグアーチ

 期待と不安が渦巻く中、キックオフは期待感の方が強かった。新しいメンバーでのサッカー、ACL用の馴染みのない広告看板、そして初めての外国チームとの公式戦、こういった新鮮な光景をBS放送で観ることができた。スタンドには結構観客も入っていて一体ここにいる人達はどうやって都合をつけたのだろうという疑問と共に平日の夜にこれだけこれだけの人が駆けつけたということにやはり期待は高いということの表れであった。

 ゲームが始まった時、そこにはサンフレッチェのサッカーがあった。ボールを廻し後ろから攻撃を押し上げ意表を付いたロングボールを入れる。その姿にホッとした。そして山東はそのボール廻しについていけない。これは先制点を入れるのも時間の問題、そんな気分になってたのも否定することができない。だけど時間の経過と共にだんだんとイライラとしてきた。シュートが無い。何だか綺麗に綺麗につなごうとしてゴール前でも完全に崩したゴールでないと認める訳にはいかないとばかりにチョコチョコとボールを廻してしまう。ああ、これはサンフレッチェの悪癖もそのままだ。いや、むしろ酷くなってるような気がしないでもない。

 再三右サイドの山岸がフリーでボールを受ける場面があった。これはチャンスと湧き上がったもののそこからのパターンが見事に乏しくすぐにクロスを上げてしまう。そしてその都度跳ね返されたり精度を欠いたりしていた。そして自身がペナルティエリアで放ったシュートはGKの真正面へ放ってしまった。その瞬間山岸が日本代表で出場してた頃のプレーを思い出した。いい場面に顔を出しながらいざシュートを打ったらヘロヘロヘロとGKへのパスになってしまったことを。そういうシーンを何度か見てる内に危険なプレイヤーという風格を感じられなかったのだった。ミキッチ不在時のバックアッパーがいないことがネックとなっていたのだがどうやらそれは今シーズンも大して変わらないのではなかろうか。

 そして李忠成ことチュンソン。練習試合で点を取ってるということで期待してたがこれが悉くずれていた。決定的チャンスでほんのちょっとずれている。それじゃあ時間を掛ければフィットして解決するだろうと楽観したいものだがさすがにもう半年以上経ってしまった現在ではそんな感情にもなれなかった。柏木がいなくても影響はないと強がってみたもののそう簡単に穴は埋まりそうもないというのを認めざるをえなかった。

 ゴール前をガッチリ固められた山東の守備の前で何もできない。惜しい場面はあるが入らなきゃ何もできないのと一緒だ。とにかくこの膠着状態を打破した。その想いから槙野はほぼ強引に距離のあるシュートを狙っていったんだろう。

 何だかここまで点が入る気配がないとボールを持ってるのも相手にコントロールされてるのではという気がしてきた。そしたらCKからアッサリと失点してしまった。完全にフリーにしてしまっていた。セットプレーでの守備の軽さも相変わらず。本当に何も変わってないのだった。

 いや、変わったとしたら攻撃への鋭さがなくなった。サンフがボールを持った時どこをどうやったら点が入るのか全く分からなかった。

 記念すべきACLの第1戦はホームで負けてしまった。言葉も出なかった。そしてこれが現実なんだと思い知らされた。期待と不安、結局不安の方が的中してしまった。せめて怪我人が復帰していれば、そんなことを慰めに考えるものの一体この先この大会で勝つことができるのだろうか。さらにリーグ戦はどうなるんだろう。どんどんどんどん悪い思考が漂う。その割に試合後のインタビューではミシャも寿人も前向きだった。そうだ、次がある、次が。次は絶対に蹴散らせてやれ。この恨みはらさでおくべきか。明日にでもアウェイで対戦してやりたい気分になるのだった。

2010年2月23日 (火)

ACL初戦

2010/02/24 サンフレッチェ広島vs山東魯能 広島ビッグアーチ

 Jリーグ開幕まではあと1週間。その前に公式戦があるというのは奇妙な感覚だ。これこそリーグで4位に入ったからこその特典であり限られたチームにしか与えられない栄誉であった。ただしそこにはプレシャーもあった。近年日本のACL出場チームは予選リーグ突破はノルマとなっている。しかも2位通過でも納得してもらえない。1位通過で決勝リーグでJリーグ同士の対戦とならないことこそがノルマでなかろうか。

 アジア・チャンピオンズ・リーグ。その大会は優勝チームにクラブ・ワールド・カップへの出場権が得られるようになって一気にプレミア感が出てきた。ヨーロッパのビッグ・クラブと真剣勝負する場が設けられたのだ。そこが出場するチームにとってのモチベーションとなり、そしてJリーグのチームがクラブ・ワールド・カップへ出場しなくてはいけないという使命感となるのだった。

といってその割に大して客も入ってないというのも事実だった。そこは世界大会といえどまだまだサッカーファンに限定された認知度しかないのを物語っていた。そしてサッカーファンの間でもリーグ戦に比べると観戦のモチベーションとしてはどうなのだろうという気がする。本家本元のUEFAチャンピオンズ・リーグに比べると賞金も少なくTVで取り上げられることもない。ということで優勝しない限り出場した見返りのない大会とも言える。となると極めてハードルの高い大会でもあるのであった。

この大会での専門家の意見は意外にも肯定的なものを多く見受けられた。確かにJリーグの中では異端とも言えるサッカーをしているだけに相手はそのサッカーに対応できないのではなかろうか。それは天皇杯で大学やJFLのチームと試合をすると圧勝をしてしまうことからも体験したこともないサッカーという感覚があるのではなかろうか。そこは大きなストロングポイントである。それでいて不安が渦巻いているのだった。

ここぞという場面で負けてしまう。そんな経験をどんなに味わったことだろうか。特に昨シーズンの優勝争いに残る為にも勝ちたかった川崎戦で70という大敗を喫したことは記憶に新しい。それ以外でも天皇杯準優勝3回、2007年のJ1J2入れ替え戦、ここぞという場面で負け続けた。決して頂点に立つことはないんだ。そんな後ろ向きの思考が無意識に刷り込まれてしまったようである。

まさに今の心境は期待と不安が入り混じるといった感じだ。だがそれ以上の問題があるのだった。それはちゃんと午後7時までにぼくが家に帰れるかということだ。無我夢中で家路を急ぐ。そしてそれはBS朝日の放送を観る為。一体どこにBS放送を観たくて急いで帰る勤め人がいるのだろう。

でも現地で観たかったなあ。サンフにとって記念すべきACLの緒戦。夜のビッグアーチ。そういや先週まで暖房を付けても温まらないくらい寒かった。そしてまだ朝晩はその余韻が続いている。果たしてビッグアーチの気温はどれくらい下がるのだろう。

2010年2月21日 (日)

高萩の輝き

 柏木の抜けた穴は高萩。それはもはや誰もが抱く共通認識だった。テクニック、想像力、ファンタジイ、全ての要素で高萩こそがシャドーの適材者だ。だが実は2008年のJ2時代すでにシャドーとしての地位は確立していた。得点も重ねてた。それなのに柏木が怪我から復帰するとポジションを明け渡した。どうもそういう印象がしてしまうのはその後高萩の方が怪我をしてしまい出場機会が減ったことに起因するだろう。せっかくJ1に上がったものの2009年は大して実績を残せなかったのだった。

 元々高萩は2003年途中にユースから飛び級でトップに昇格した逸材だ。その当時チームもJ2にいたこともありすぐに出場機会を得てそれなりのパフォーマンスを見せて将来へ向けて希望を抱かせたものだった。が、その後チームが思うように成績を上げれないという事情もあってか出場機会に恵まれず果たして飛び級でトップ昇格をした意味があったのか疑問を抱く結果となってしまった。

 ある意味高萩は小野元監督の犠牲者とも言える。あの監督の時代はやたらとユースの選手を青田的にトップの試合に使ってはいざトップ昇格すると使い物にならないといって干してしまう、そんなことを繰り返してた。その為その当時の若手選手が見事に育っていかなかった。2003年~2005年辺りに入った新人選手がほぼみんないなくなったのは自前で選手を育てることをアイデンティティにしようとするクラブにおいて大きなマイナスだった。

 ただ、高萩はJ2の愛媛FCにレンタル移籍したのが幸いした。そこで中心選手として活躍することにより実践感覚を身につける。本人も自信を持っただろう。そして満を持してサンフレッチェに戻ってきたのだった。

 といって高萩はそういう精神的な側面というのがまるで見えない選手なのだった。どこか感情的にツルンとしてるというか天才的なプレーをするのはそういう感情とか精神性と遊離したキャラクターによるのかもしれない。まるでエディ・ヴァンヘイレンのギターのようである。

 それ故高萩の成功する姿というのが想像しにくかった。日本人の中では異端的な存在でありながらその異端さ故に期待に沿えるようなことはないような気がした。ただそもそもその期待値が大き過ぎるというのも事実だった。その天才的なプレーを見た時はどうしても壮大な夢を見てしまうのだった。だけどそれは到底到達できないようなスケールなのである。

 恐らく高萩にとっての不幸はそこにあった。等身大の高萩を認識してもらうのに時間が掛かった。2008J2だったとはいえようやくサンフレッチェでレギュラーとして活躍することができやはり才能ある選手だったことが確認された。そして忘れてたかつての期待値を記憶から呼び覚ましたのだった。

 まだ高萩のJ1での輝きを見ていない。だがその輝きを放つ時、かつて見た夢の実現となるのだろう。そしてサンフレッチェにも今までにない輝きを与えるに違いない。

2010年2月15日 (月)

岡田監督解任・・・か?

2010/02/14 東アジア選手権 日本vs韓国 国立競技場

 久々に代表の試合が満席となった。そして負けた。13という言い訳のできないスコアとなってしまった。注目されてる時に負けるという最悪なことをやってしまった。でも結果について憤怒の感情はなかった。むしろいい加減これで岡田監督も解任されるだろうと安堵の感情の方が上回った。

 ボールは廻すが点が入らない、シュートが打てない、攻撃がパターンにはまり過ぎてる、膠着状態と言って良かった。負けてる状態なのだからいい加減何とかしなきゃいけなかった。それなのに岡田監督は動かない。このままでは何も起こらない。いや、起こってしまった。それは日本の失点という形で起きてしまった。

 寿人だろ。そう感じた。相手ゴール前までボールが行ってもボールが来る所に人がいない。そりゃそうだ、Jリーグでも8点しか取ってない選手がFWやってるんだから。そして始末が悪いことにその選手は交代でピッチを出る時マラソンのように実にゆっくりとピッチを退いたのだった。負けているのに。時間が足りないというのに。確かに自分は交代するのでもう関係ない状況かもしれないがチームとしては勝たなければいけない状況だった。その姿勢にイラッときたがそういう選手を頑なに使い続ける岡田監督にはもっとイラッときた。

 しかもこの交代の時間は残り10分を切ってた。10分で何をやれというのだろう。やっと寿人が出てくるのかと安堵したもののそれはあまりにも遅い時間だった。そして寿人こそは裏へ飛び出す動き、ボールを読む動き、閃きを持った動きができるのであった。その証拠に交代後の10分足らずだけは少しゲームに煌きがあるのだった。

 こういうことは今までも何度もあった。だがその度に岡田監督はそれを評価とはせずにマニュアル通りの動きしかできない選手を寵愛してきた。だから結果が出ようと出まいとこの代表が岡田監督の理想の形だということだ。それは何かが根本的に間違ってるのは明白だった。

 岡田監督解任。もうそれしかないだろう。監督を替えたからといってW杯で勝てる保障はどこにもない。でも少なくとも岡田監督だったら全敗なのは見えている。それでも岡田にこだわるのか。岡田じゃなきゃ困る理由でもあるのか。だとしたらあまりにも気の抜ける話なのだった。

2010年2月 5日 (金)

ストヤノフ復帰

2010/02/05 サンフレッチェ広島vsテブリツェ トルコ・アンタルヤ

 トルコ・キャンプでの初勝利である。練習試合とはいえこういうのを公式サイトから情報を得ると嬉しくなる。というか試合なんて観れる訳でもないので結果だけでしか判断できないのだ。せっかくのヨーロッパのチームとの試合をぼくらは想像の中でしか存在させることはできないのだった。

 ただ、出場メンバーも掲載されててその顔ぶれでイマジネーションを膨らます助けにはなるのだった。そして今回はストヤノフの名前があった。やっと実践復帰できたんだ。長かった、約半年振りの出場ではないだろうか。

 昨シーズン9月にW杯予選でブルガリア代表として戦い帰国後すぐにホームのマリノス戦に出場してFKからゴールもきめてしまった。途中交代したとはいえストヤノフは凄いとその鉄人ぶりに感服したものだった。

 しかし、W杯予選をした直後ヨーロッパからの長時間の移動後公式戦に出るというのはやはり無理があったようだ。その後疲労が抜けないということで試合で姿を見ることはなかった。やはりストヤノフも人間なんだと知ったのだった。

 とはいえストヤノフも2007年にサンフレッチェに途中加入したのだがその当時は全くよくなかった。失点の多さに頭を悩ましてたサンフレッチェは千葉を退団したストヤノフが空いてるということで獲得をしたのだがさすがに浪人期間があったために目立った活躍はできなかった。そもそもトップ下での出場と今にしてみればとても違和感のある起用をされた。そういえば中島も最初はトップ下で出場してたことからミシャは上手い選手を後ろに並べるという思考なのかもしれない。使える目処だたったら徐々に後ろに下げていく。ミシャの中では後ろに行く程序列が上がっていくのではないだろうかと仲間と話したことがあった。

 そしてストヤノフが本来のDFのポジションに収まるには時間が掛かりすぎ結局降格してしまうのだった。だがその後キャンプからチームに加わったことで本人のコンディションもさることながらチームでも融合できることができ、2008年の序盤などほとんどストヤノフ頼みの試合をやっていったのだった。守備では的確なポジショニングとボール奪取で失点を防ぎ攻撃では巧みなボールポゼッションと意表を突いたロングボールで次々とチャンスを作り出した。その圧倒的なまでの存在感はJ2の中では反則であった。そしてこれ程の選手がJ2に落ちたのにチームに残ったのはたまたま千葉を退団し行き場を失った時に獲得をしたからでありその経緯は運としか言いようがないのだった。ただ、運命的な出会いがあるとすればそれはほとんど偶然の産物によるとこが多く、また偶然が続くからこそ運命的な出会いと考えることができるという意味でストヤノフの入団はまさに運命的だったのだろう。

 ストヤノフは間違いなくディフェンダーの顔をしている。あのデカイ身体で鬼気迫る表情で向かってこられたら、それは迫力あるだろう。あの試合中吼えてる姿を見るとどうしてもぼくは外国人なのに神社の仁王を思い出してしまうのだ。ピッチで縦横無尽に駆け巡る姿はその姿まで巨大化して見えてしまう。今更ながらよくこんな選手があのタイミングで入ってきたと思う。そしてよくもここまでチームにフィットした選手が来てくれたものだと思うのだった。

 しかしストヤノフの存在が大きければ大きい程、ストヤノフがいなくなった穴に不安を抱えてしまう。実際にはストヤノフがいなくても勝ってる試合はある。いなければいないなりの戦い方があるということだ。だけどあの守備においても攻撃においてもストヤノフのプレーに慣れてしまうとどこか物足りなさを感じてしまうものなのだ。

2010年2月 3日 (水)

ガラパコス日本

2010/02/02 キリンチャレンジカップ2010 日本vsベネズエラ 九州石油ドーム

 ベネズエラとは初めての対戦となる。が、ベネズエラは南米サッカー連盟の国の中で唯一W杯に出場したことのない国、レベルは高いとはいえない。そしてそういうことはほとんどの人が知ってることでありこの試合自体のクオリティというものは最初から期待されてなかった。それでももはやW杯の抽選も終わりいよいよ選手選考の最終段階に入ったことで最終メンバーへの生き残りという意味で内なる戦いという性格を帯びてきた。

 しかし、試合はそんな様相はちっとも感じられなかった。スタジアムには空席が目立ちどこかぼよ~んとした雰囲気があった。試合も圧倒的有利な状況で進められるかと思いきやボールは保持するものの実際にシュートへ行くシーンはごく稀だった。W杯に向けてもっとお祭りみたいな試合を予想していた。その予想は大きく裏切られ一体何をやってるのか分からなくなってしまった。つまらない、つまらない、つまらない日本代表。チームもまとまらない、スターもいない、人気もない、この代表チームに何らかの注目度を与えるとしたらW杯でベスト4に入ると公言するしかなかったのが今更ながら認識できた。

 岡田監督。この人はどう見ても華がない。サッカー界が世間からの注目度を落としていったのはこの人の影響が大きい。会社でいえば経理部長のような人で裏方でせっせと働くべき人ではなかろうか。そしてそんな人を代表監督に据えてしまったサッカー協会も情けない。ある意味代表が面白くなくなったのは岡田監督のせいではないだろう。そもそもそんな人だったんだから。そういう人選をしてしまったトップに問題があるのだろう。

 それでも日本サッカー界のそれぞれの人のインタビューなどを読むと皆それなりの理念などを持っていて素晴らしい。これは岡田監督を含めて有能な人が集まってるような気もする。それなのに世界で通用しない、その様子が全く日本らしくもあるのだった。

 日本は技術の水準が高いのだがどうもその技術が世界標準にされないという特徴がある。それはあまりにも日本だけに特化した特長があって外国に行ったら馴染まない物が多いというのだ。確かに一般の会社でも何の生産性もない書類作りに時間と労力を掛けるということを課されることがあるがあれなど日本でしかない光景のような気がする。そういった日本の特異性に各大陸とは隔絶され独自の進化を遂げた固有種が多く存在するガラパコス諸島のようだという論説があった。産業もガラパコスならサッカーもガラパコス。世界で最も普及されてるスポーツでガラパコスになっているのである。

 しかし、逆にここは割り切ってサッカー界のガラパコスとして世界を驚かせた方がいいのではなかろうか。いや、もしかしてそれが分かってて岡田監督は世界を驚かすと公言してるのだろうか。だとしたらもしかしたら岡田監督はぼくたちの数段上を見据えていたのかもしれない。

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サンフレッチェの魂~リンク集

  • SANFRECCE Diary
    このブログを読んでる人ならすでに知ってるだろうから今更リンクを貼るのが恥ずかしい気もする。 何せこのサイト1997年から毎日更新してるというのが凄い。 過去の記事などはぼくも参考にさせてもらうことも多い。 継続は力なりというが実際には継続するのに力がいる。 そういう意味でも管理人のせと☆ひできさんは偉大である。
  • ススボウブログ
    自分サッカーやグルメについてのブログということです。 かなり熱心に応援してる方のようです。
  • ひろしま日記&サンフレッチェコーナー
    試合を時系列で紹介したりかなり凝った内容となってます。 現地の様子など行った人でしか分からないことがあり興味深いです。 試合に行った人も行けなかった人も楽しめるのではないでしょうか。
  • ゆみしん徒然の書
    ゆみしんさんのブログ。本当に色んなスタジアムに観戦に出かけて現地の様子をレポートしてます。観戦者視点でそれぞれのスタジアムの様子が分かり現地に行く時の参考になりそうです。
  • Scud Sanfrecce
    MICRAさんのサイト。ここの特集のコーナーは必見。サンフレッチェはなぜ人気がないかという考察については今までに見ない観点がある。是非一度読んでください。
  • ヒロシマ・コーリング
    今そこにある危機。サンフレッチェにはメディアが少ない。その為妙にぬるい記事が目立つ。そんな甘い現状にこのまま放置していいのかという危機感を感じた時発言していく。

ぼくのミュージック・ライフ

  • Songs Remains the Same
    Led Zeppelin: 聖なる館
    数あるレッド・ツェッペリンの名曲の中でもこれが特に好き。この曲はダブルネック・ギターがあったからこそできたような曲でこういう変則的なギターを使いこなしてるという意味でもジミー・ペイジは凄い。ロックの歴史の中で数々のギターを使ったギタリストはいたがこうしてちゃんと曲のクオリティーを保った形で生かした例というのは他にないのではないだろうか。だからぼくはレッド・ツェッペリンのライブではこの曲が一番聴きたい。そういう意味でDVD、CD含めてライブの音源が一枚しかないというのは勿体無い。だからツェッペリンの海賊版はやたらと高いんだろう。 (★★★★★)
  • モータウン・ジャンク
    Manic Street Preachers: ジェネレーション・テロリスト
     ぼくはこの曲を聴いた時はぶっ飛んでしまった。パンクのエモーショナルな躍動感がありそれでいてヴォーカルの高い声。パンクとは一線を引いてるようでその情熱はパンクだった。ハードロックとも言えないその曲調はこのバンドの大きな特徴だった。  元々このバンド、2枚組みのアルバムを出して解散すると豪語してたが結局15年経った今でも活動している。しかもCDは当時より売れて作品の評価も高くなってる。同時期に出たバンドがまるで残ってないことからすると相当に快挙である。それについて本人達ももっともらしいコメントを出すがそれがいかにも洗練されてる。パンク的でありながら教養のある人達だというのが分かる。そのどうしようもなくハチャメチャでありそうでいながら実はごくマトモな人達というギャップが親近感を呼んでる。だからこのバンドの曲は歌詞までジックリと読んでしまう。  しかし、この人達の作品は結構多く全部網羅するのは骨が折れる。この音楽へのバイタリティ、これだけは間違いなく本物だということだ。 (★★★★★)
  • ルイ・ルイ
    Johnny Thunders: New Rose Collection
     ジョニー・サンダースの死後に出たライブ音源とアコースティック・ギターによるスタジオ録音を音源に編集したアルバム。その中でもこの曲とDo You Love Meは圧巻だった。ラジカセで録ったような音源であるが、それが逆に臨場感を出している。分かる人にしか分からないという作品だ。  ちなみに現在このCDが売ってるのかどうか知らない。これだけセンスのある人がこんなカルト的な存在で終わってしまったのは理不尽な気がする。だからこそ好きな人にはよりたまらない存在になってしまうのだ。 (★★★★)
  • ロクサーヌ
    Police: ロクサーヌ
     これが売春婦に関する歌だと知ったのはずっと後のこと。歌詞も分からずずっとこの曲を聴いていた。勿論歌詞を知ってからもこの曲は大好きな曲だけど。  本当かどうか知らないけどこの曲の入ってるファースト・アルバムはわざと下手に演奏したらしい。理由は当時パンク・ニュー・ウェーブのブームの中でスタイルを合わせたということだろう。そしてセカンド・アルバムでは実力に見合った演奏で上手くなったと思わせたらしい。そういわれてみるとファーストでは音数が少ないシンプルな曲が多いような気がする。このバンド、5作しかアルバムがないのだがそういう抜け目なさというのは元から持ってたようだ。5作とも素晴らしく駄作のないバンドだった。 (★★★★★)

ぼくのブック・ライフ

  • トニー・サンチェス: 悪魔を憐れむ歌
    ローリング・ストーンズの暴露本である。現在は改題され『夜をぶっとばせ』になってるがタイトルといいブックカバーといい前の方がシックリしていた。 ストーンズというのはぼくが最も影響を受けたバンドの内の一つだが、ここまで無茶苦茶をやってそしてそれが逆に彼らのダークなイメージにつながった。まさにロック・バンドの典型である。どんなに悪ぶっても彼らのようにはなれないし彼らのような影響力は出せないだろう。 時代をロックと女とクスリと共に駆け巡り気付けば巨大産業に飲み込まれていったストーンズ。作者はそんなストーンズに最後は身も心もすり減らされてしまったらしい。それでも未だに活動しているストーンズはある意味怪物だ。 ぼくとしてはこの本の訳者中江昌彦の翻訳もその場に居合わせたような感覚になるのが良かった。他にも『レス・ダン・ゼロ』などもいい雰囲気を出してた。今まで本なんか読んだこともなかったぼくが高校生の時読んで凄いショックを受けたのをよく覚えてる。当時のブックカバーの最後に「END]という文字が書かれてたが読後その文字が見た目以上に大きく見えたものだ。 (★★★★★)
  • 落合信彦: 第四帝国
     まず最初に断っておこう。これはトンデモ本である。ここに書かれてる内容は根も葉もないことと言っていい。そもそもこの落合信彦という人がゴースト・ライターを使ってマトモに取材してるかどうか怪しい。本人いわくCIAに100人も友人がいるというから情報には事欠かないということらしいがこれではアメリカ政府のトップシークレットがなぜか来るというUFO研究者と言ってることが変わらない。そういえばUFOに関しての記述もこの本ではありオリジナルな展開を見せてるのは興味深かった。  内容はナチス・ドイツの残党が世界各地で暗躍してるというものでヒトラーは生きてる、UFOは実はナチスが造ったというファンタジーが溢れてる。その展開はちょっとしたSFといっていい。  事の真実なんてどうでもいい。ただ単純にエンターテイメントとして読めば何の問題もないだろう。誰も「ゴルゴ13」を読んで事実と違うと言わないだろう。それと同じことだ。  しかしこの人、いかにも事実というように書くのが上手い。文章も簡単でスラスラと読めるので展開のテンポがいいのである。だから知らないうちに読んでしまってるという感じになる。そのスタイルはぼくもずいぶんと参考にさせてもらった。  まあ実際はゴースト・ライターなんだが。 (★★★)
  • ニック・ホーンビィ: ぼくのプレミア・ライフ
     このブログの元ネタとなった本。この本との出合いはサンフレッチェの応援仲間に渡されたことだ。その存在は知ってたものの読む機会がなかったのでありがたかった。  内容はというとアーセナルを応援する著者のその観戦生活といったとこだがこれを読むと結構日本のサポーターもプレミアのサポーターも変わらないとこがあるのがわかる。退屈な、退屈なアーセナルというタイトルには笑ってしまった。なぜなら分かり過ぎるくらい分かる心情だからだ。ぼくもサンフレッチェを応援してて何度同じことを感じただろう。  今やアーセナルはプレミア・リーグでも優勝しチャンピオンズ・リーグでも決勝に進出するような存在。一方ぼくの応援するサンフレッチェ広島はJリーグの1部リーグで常に降格の危機を感じるクラブ。でもその根っこは同じである。海外サッカー好きにはJリーグをバカにする傾向があるがそういう人には分からない内容かもしれない。 (★★★★★)

JリーグPR

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