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ぼくのミュージック・ライフ

  • Songs Remains the Same
    Led Zeppelin: 聖なる館
    数あるレッド・ツェッペリンの名曲の中でもこれが特に好き。この曲はダブルネック・ギターがあったからこそできたような曲でこういう変則的なギターを使いこなしてるという意味でもジミー・ペイジは凄い。ロックの歴史の中で数々のギターを使ったギタリストはいたがこうしてちゃんと曲のクオリティーを保った形で生かした例というのは他にないのではないだろうか。だからぼくはレッド・ツェッペリンのライブではこの曲が一番聴きたい。そういう意味でDVD、CD含めてライブの音源が一枚しかないというのは勿体無い。だからツェッペリンの海賊版はやたらと高いんだろう。 (★★★★★)
  • モータウン・ジャンク
    Manic Street Preachers: ジェネレーション・テロリスト
     ぼくはこの曲を聴いた時はぶっ飛んでしまった。パンクのエモーショナルな躍動感がありそれでいてヴォーカルの高い声。パンクとは一線を引いてるようでその情熱はパンクだった。ハードロックとも言えないその曲調はこのバンドの大きな特徴だった。  元々このバンド、2枚組みのアルバムを出して解散すると豪語してたが結局15年経った今でも活動している。しかもCDは当時より売れて作品の評価も高くなってる。同時期に出たバンドがまるで残ってないことからすると相当に快挙である。それについて本人達ももっともらしいコメントを出すがそれがいかにも洗練されてる。パンク的でありながら教養のある人達だというのが分かる。そのどうしようもなくハチャメチャでありそうでいながら実はごくマトモな人達というギャップが親近感を呼んでる。だからこのバンドの曲は歌詞までジックリと読んでしまう。  しかし、この人達の作品は結構多く全部網羅するのは骨が折れる。この音楽へのバイタリティ、これだけは間違いなく本物だということだ。 (★★★★★)
  • ルイ・ルイ
    Johnny Thunders: New Rose Collection
     ジョニー・サンダースの死後に出たライブ音源とアコースティック・ギターによるスタジオ録音を音源に編集したアルバム。その中でもこの曲とDo You Love Meは圧巻だった。ラジカセで録ったような音源であるが、それが逆に臨場感を出している。分かる人にしか分からないという作品だ。  ちなみに現在このCDが売ってるのかどうか知らない。これだけセンスのある人がこんなカルト的な存在で終わってしまったのは理不尽な気がする。だからこそ好きな人にはよりたまらない存在になってしまうのだ。 (★★★★)
  • ロクサーヌ
    Police: ロクサーヌ
     これが売春婦に関する歌だと知ったのはずっと後のこと。歌詞も分からずずっとこの曲を聴いていた。勿論歌詞を知ってからもこの曲は大好きな曲だけど。  本当かどうか知らないけどこの曲の入ってるファースト・アルバムはわざと下手に演奏したらしい。理由は当時パンク・ニュー・ウェーブのブームの中でスタイルを合わせたということだろう。そしてセカンド・アルバムでは実力に見合った演奏で上手くなったと思わせたらしい。そういわれてみるとファーストでは音数が少ないシンプルな曲が多いような気がする。このバンド、5作しかアルバムがないのだがそういう抜け目なさというのは元から持ってたようだ。5作とも素晴らしく駄作のないバンドだった。 (★★★★★)

ぼくのブック・ライフ

  • トニー・サンチェス: 悪魔を憐れむ歌
    ローリング・ストーンズの暴露本である。現在は改題され『夜をぶっとばせ』になってるがタイトルといいブックカバーといい前の方がシックリしていた。 ストーンズというのはぼくが最も影響を受けたバンドの内の一つだが、ここまで無茶苦茶をやってそしてそれが逆に彼らのダークなイメージにつながった。まさにロック・バンドの典型である。どんなに悪ぶっても彼らのようにはなれないし彼らのような影響力は出せないだろう。 時代をロックと女とクスリと共に駆け巡り気付けば巨大産業に飲み込まれていったストーンズ。作者はそんなストーンズに最後は身も心もすり減らされてしまったらしい。それでも未だに活動しているストーンズはある意味怪物だ。 ぼくとしてはこの本の訳者中江昌彦の翻訳もその場に居合わせたような感覚になるのが良かった。他にも『レス・ダン・ゼロ』などもいい雰囲気を出してた。今まで本なんか読んだこともなかったぼくが高校生の時読んで凄いショックを受けたのをよく覚えてる。当時のブックカバーの最後に「END]という文字が書かれてたが読後その文字が見た目以上に大きく見えたものだ。 (★★★★★)
  • 落合信彦: 第四帝国
     まず最初に断っておこう。これはトンデモ本である。ここに書かれてる内容は根も葉もないことと言っていい。そもそもこの落合信彦という人がゴースト・ライターを使ってマトモに取材してるかどうか怪しい。本人いわくCIAに100人も友人がいるというから情報には事欠かないということらしいがこれではアメリカ政府のトップシークレットがなぜか来るというUFO研究者と言ってることが変わらない。そういえばUFOに関しての記述もこの本ではありオリジナルな展開を見せてるのは興味深かった。  内容はナチス・ドイツの残党が世界各地で暗躍してるというものでヒトラーは生きてる、UFOは実はナチスが造ったというファンタジーが溢れてる。その展開はちょっとしたSFといっていい。  事の真実なんてどうでもいい。ただ単純にエンターテイメントとして読めば何の問題もないだろう。誰も「ゴルゴ13」を読んで事実と違うと言わないだろう。それと同じことだ。  しかしこの人、いかにも事実というように書くのが上手い。文章も簡単でスラスラと読めるので展開のテンポがいいのである。だから知らないうちに読んでしまってるという感じになる。そのスタイルはぼくもずいぶんと参考にさせてもらった。  まあ実際はゴースト・ライターなんだが。 (★★★)
  • ニック・ホーンビィ: ぼくのプレミア・ライフ
     このブログの元ネタとなった本。この本との出合いはサンフレッチェの応援仲間に渡されたことだ。その存在は知ってたものの読む機会がなかったのでありがたかった。  内容はというとアーセナルを応援する著者のその観戦生活といったとこだがこれを読むと結構日本のサポーターもプレミアのサポーターも変わらないとこがあるのがわかる。退屈な、退屈なアーセナルというタイトルには笑ってしまった。なぜなら分かり過ぎるくらい分かる心情だからだ。ぼくもサンフレッチェを応援してて何度同じことを感じただろう。  今やアーセナルはプレミア・リーグでも優勝しチャンピオンズ・リーグでも決勝に進出するような存在。一方ぼくの応援するサンフレッチェ広島はJリーグの1部リーグで常に降格の危機を感じるクラブ。でもその根っこは同じである。海外サッカー好きにはJリーグをバカにする傾向があるがそういう人には分からない内容かもしれない。 (★★★★★)

サンフレッチェの魂~リンク集

  • SANFRECCE Diary
    このブログを読んでる人ならすでに知ってるだろうから今更リンクを貼るのが恥ずかしい気もする。 何せこのサイト1997年から毎日更新してるというのが凄い。 過去の記事などはぼくも参考にさせてもらうことも多い。 継続は力なりというが実際には継続するのに力がいる。 そういう意味でも管理人のせと☆ひできさんは偉大である。
  • ススボウブログ
    自分サッカーやグルメについてのブログということです。 かなり熱心に応援してる方のようです。
  • ひろしま日記&サンフレッチェコーナー
    試合を時系列で紹介したりかなり凝った内容となってます。 現地の様子など行った人でしか分からないことがあり興味深いです。 試合に行った人も行けなかった人も楽しめるのではないでしょうか。
  • ゆみしん徒然の書
    ゆみしんさんのブログ。本当に色んなスタジアムに観戦に出かけて現地の様子をレポートしてます。観戦者視点でそれぞれのスタジアムの様子が分かり現地に行く時の参考になりそうです。
  • Scud Sanfrecce
    MICRAさんのサイト。ここの特集のコーナーは必見。サンフレッチェはなぜ人気がないかという考察については今までに見ない観点がある。是非一度読んでください。
  • ヒロシマ・コーリング
    今そこにある危機。サンフレッチェにはメディアが少ない。その為妙にぬるい記事が目立つ。そんな甘い現状にこのまま放置していいのかという危機感を感じた時発言していく。

JリーグPR

  • Jリーグ2010特命PR部員 Miles

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2010年1月29日 (金)

見通しの付かないミキッチの合流

鼠径部症候群の手術により昨シーズン終盤からずっと戦列を離れてリハビリへと励んでいたミキッチだが、宮崎キャンプ直前にインフルエンザにかかってしまった。シーズン中、ミキッチのいない間右サイドは森脇やハンジェが入ってたがやはり埋め合わせという感は拭えなかった。やはりあのスピードと突破力は他の選手とはグレードが違った。

しかし、その割にはミキッチが活躍したという感覚が薄いのも事実である。実際70と大敗した川崎戦ではジュニーニョに11で完全にかわされてゴールを決められてしまった。そしてゴールがないというのも致命的だった。ペナルティエリアまで進入することはある。シュートも打つ。それなのに入らない。本当にシュートが枠に飛ばないのだ。それでもチームのアシスト数からいうと十分な数字を残している。それなのに満足できないというのはやはり2009年の開幕戦のインパクトが大きかったからだろう。

日産スタジアムで行われた横浜Fマリノス戦、1点先制されるもすぐに逆転してしまう。その2つのゴールはチームが連動して多くの選手が関わった中で生まれたゴールだった。それはそれでチームの熟成という意味で決してJ21年間は無駄じゃなかったという苦労の末の感涙があった。だが3点目は違った。確かにこれも多数の選手が絡んだのだがこのゴールの基点は間違いなくミキッチの突破だった。見方のロングボールを前線へ逸らしそのままスピードに乗ってボールを追いかけた。そのままシュートまでいけるのではという勢いがあったがGKをかわすことでゴールから逸れたものの中央にパスすることによって最後は柏木が叩き込んだのだった。正にあのゴールはミキッチのスピードと個人技によって生まれた。チームとしてサッカースタイルを成熟させた上にこんな個人技でチャンスを作れる選手が加入した。その可能性と期待感に僥倖に浸ったものだった。

これだけの能力のある選手、時間を重ねればもっと凄いことになるだろうと思っていたがあの開幕戦のような驚きは再び訪れることはなかった。それよりもせっかく右サイドを突破してもどうもクロスが直線的で高さのないサンフレッチェの前線ではゴールに結びつかない傾向にあった。それでも時間を重ねればと辛抱したのである。

しかし、いつまで経っても理想のミキッチにはなれなかった。今にしてみればそれは相当に高い基準でミキッチに視線を送ってたなという気がする。それこそワールドクラスの選手だというくらいに。ただ、ミキッチのお陰でストヤノフのロングボールが生きるようになったのも事実である。不意を付いた最後列からのロングボールにミキッチなら追い付くことができるのだ。これはサンフにとって大いなる武器となったし観てる立場からすると楽しませてもくれたのだった。ということでやはり能力は突出しているのである。

だけどそれが故なぜシュートが入らないのかという疑問が残る。左サイドの服部はスピードの相手への脅威もミキッチよりは低いがゴールは決めている。サイドといっても高いポジションの選手というイメージが強いのでそれでゴール数0というのは数字だけ見ると大したことないように見えてしまうのだ。クロスについてはやはり直線的なキックであるものの見方のアシストとなるキックを決めている。それなのになぜシュートが入らん。

それがあるからもしかしてミキッチってまだ実力の全容を見せてないのではという推測をしてしまう。その答えは新しいシーズンで明らかになるだろう。そう思ったらキャンプではまだ練習に合流してない。

もどかしいもどかしいミキッチ。果たして今シーズンはいつ復帰するのだろうか。

2010年1月28日 (木)

『「J」の履歴書』

日本サッカー協会が新潮社を提訴=週刊誌報道で

 日本サッカー協会、犬飼基昭同協会会長、川淵三郎同協会名誉会長は26日、週刊新潮の20091126日号に掲載された記事で3者の名誉を傷つけられたとして、発行元の新潮社(佐藤隆信代表取締役)に対して3000万円の慰謝料と謝罪広告の掲載を求める訴えを東京地裁に起こした。
 訴訟代理人によると、「旭日重光章受章でも川淵三郎が浴びたブーイング」と題した記事で、川淵名誉会長と犬飼会長との間に深刻な対立があるかのような虚偽の事実を記載されたことは日本サッカー界として看過できないとして提訴に踏み切った。
 週刊新潮編集部は「記事には自信を持っている。訴状を見て対応を検討する」としている。

(時事通信)

 何か悲しくなった。話題作りの為にはしょうがないんだろうが一々記事にするようなことではない。週刊新潮の記事に対してだが、それはそれぞれ考え方の違いというものがあるから意見の衝突はあるだろう。だがそこで深刻な対立と表現するとこに眉唾的なものを感じてしまう。

 確かにこの記事全文を読んでないので判断はできない。だが、やはりこの件に関しては違和感が拭い去ることができない。

 元々犬飼基昭会長は川渕三郎が日本サッカー協会会長を任期満了で退任する際全幅の信頼を置いて選んだ人事である。今のサッカー界はサッカーだけ知ってればいいというのでは通用しないということで経済、教育の方面においても精通し、浦和レッズの社長時代にクラブを躍進させた実績も買われて当時川渕会長自身が指名をしたというのはラジオで本人が話しているのを聞いたことがある。まあ裏を返せばせっかく選んでやったのに自分の思い通り動かないとでもいった軋轢が起こる可能性がないとも限らないが組織の長がそこまで器が小さいものかなとやはり理解に苦しむ。

 川渕名誉会長も独裁者というレッテルを貼られたこともあるが確かに初期のJリーグにおいてはそれに近いこともあったかもしれない。だけど立ち上げたばかりのプロリーグにおいてどんな周到な準備をしても想定外の事態というのは起こるものだ。企業の論理に振り回されたと見える場合も企業人経験を持つ川渕元チェアマンだからこそ企業側の事情も飲み込めてしまうという現実もあったようである。それらを強い推進力で押し進めないといけない時期は確かにあった。そのお陰で現在のJリーグも存在してるのは間違いない。

 是非一度川渕三郎著の『「J」の履歴書』を読んでいただきたい。ここまでサッカーの発展、そしてスポーツ、地域の発展の為に情熱を燃やしてきた人はやはり偉大である。勿論一人の力で日本のサッカーをここまで発展させた訳ではない。実際同氏は著書の中でJリーグ初期の頃何かと衝突してた渡辺恒雄読売新聞社長でさえあれだけ知名度がある人が何かと反論してくれたお陰でJリーグの普及に役立ったと感謝してるというのである。

 それにしてもJリーグの誕生の話からその後の紆余曲折と較べると今の日本のサッカー界はこじんまりとまとまってしまった感はある。出てくる記事もどこまで本当か分からないが所詮内輪の揉め事。渡辺恒雄とJリーグチェアマンが喧嘩をする、良い悪いは別にしてやはりダイナミズムがあったんだな。といってぼくはその当時まだサッカーは観てなかったんだった。

2010年1月20日 (水)

チーム始動

 サンフレッチェがトレーニングをスタートさせた。例年になく早い始動となったのはACL出場が関係しているのだろう。J1開幕よりも10日早く初戦があり、サンフレッチェはJリーグの出場チームの中で一番厳しいグループに入ってしまった。もしかして昨シーズン天皇杯を早々に敗退したのは最初から計算ずくだったのだろうか。まあ時期的にそれはないはずなんだが。

 J1復帰1年目は結果として成功だった。4位という成績を残しタナボタとはいえ目標だったACL出場も果たした。そして育成という意味では横竹に目処がつけることができた。さて、こうなると次なる目標とは何なんだろう。

 これについてはまずACLは予選リーグ突破、若手選手が1人~2人レギュラークラスへと成長する、Jリーグにおいて上位争い、そんなとこが最低限のノルマではなかろうか。ずいぶん高い設定なようでいて現実的な線でもあるのは昨シーズンの実績があるからだ。当然のことながらやるからには優勝といきたいのだろうが生半可上位の結果を残したために優勝のハードルの高さは実を持って分かってしまった。それでいて代表選手2人~3人もいる現状においてある程度の成績は残すだろうという期待感はある。

 すでに宮崎キャンプも始まるのだが今回はキャンプ見学ツアーもないようだ。もっとも関東に住むぼくには関係ないことだがその分ACLでツアーが組まれる可能性が高い。それも多分広島発のツアーだからぼくには関係のない話にはなるんだろうが。

 だがサポーターの中には釜山集合のバスツアーを企画してる人もいるらしい。何だかんだで皆アウェイのACLへ行こうと企んでるようだ。ほとんどの人はこんなチャンスはもうないだろうからということだがということはリーグで3位以内は入れないということだろうか。そう言われればそんな気もしないでもない。やはりぼくもこのチャンスを逃すべきじゃないかもしれない。

 でもよく考えたらぼくはパスポート自体持ってないのだった。パスポート取るにも仕事休まないといけない。それならやはりぼくは関東の試合になるべく行けるようにやりくりする方にエネルギーを傾けることになりそうなのだった。

2010年1月13日 (水)

中林完全移籍

 2009年シーズン、陰の功労者といったら中林と中島だった。この2人共ほぼ戦力外のような形で広島に来て全く期待されてなかったのだが最初こそ怪我人の穴を埋めという意味合いで出場したものの徐々にパフォーマンスを高め上位進出の原動力にさえなってしまったのだ。それゆえこの2人がいなかったらどうなってただろう、そんな言葉がよく聞かれたものだった。

 中林のプレーを一言で言うなら安定感だった。多少アバウトで判断に迷うようなハイボールでも中林はキャッチしてしまう。そして無理をしない。伸るか反るかという状況でリスクをかけない。そこがリスクを顧みないサンフレッチェのサッカーの中にあって時としては物足りなさも感じた。だがそこをあえて分かってて安全なプレーを選択してたような節もある。そういう判断も含めてこの選手はとてもどっしりとして見えたものだ。

 ただ、キックに関しては目も当てられないものがあった。真ん中に適当に蹴ればいいもののいつも右のサイドラインを狙ってラインを割ってしまうのだ。それが果たして中林の持って生まれたキックの精度のなさなんだろうか。それともサンフのGKはキックがヘタだという伝統を受け継いでしまったのだろうかは分からない。もし、後者の理由によるならばそれはそれで目も当てられないのだがもしかしたら膝の調子が悪いのかもという憶測もあった。

 元々この中林、鳥栖で第3GKの地位に甘んじていたのは怪我の影響が大きかった。怪我とリハビリの中でなかなか試合へのチャンスがなかったのは不運であったろう。だがどんな理由があろうとJ2の試合にさえ出てない選手がいきなりJ1のゴールマウスに立った時、その不安は拭い去ることができなかった。そして予想通り中林はJ1デビュー戦でキャッチミスとも言えるプレーが原因で失点してしまうのだった。あの時はやっぱりこのGK駄目だと思ったものだが今にしてみればあれがあったから吹っ切れてしまったのかもしれない。

 その後中林は安定したプレーとビッグセーブでチームを救った。何でこんな選手がJ2にいたんだと目を疑ってしまった。そしてその安定ぶりにもうサンフでの第1GKは決まったような気がした。来期は完全移籍だろう。シーズンが終わっていつその発表があるか心待ちにしてたのだった。

 が、いつまで経ってもそのアナウンスがない。まさか鳥栖が出さないということもないだろうし本人も初めてプロとして充実したシーズンを送れただけにサンフにいたいはずだ。一体何を揉めているのだろうと不思議に思っていたら日本代表の西川の移籍加入が発表された。もしかしてこの動きと絡んで契約もすんなりと進まなかったのだろうか。

 そんな人事を含めたクラブ内部のことまでぼくが知ることはない。そして本人の胸中も色々とあるのかもしれない。だけどぼくはこの完全移籍の発表に胸を撫で下ろした。それは西川の加入が決まっててもだ。チームに絶対的なGK2人いる。これがどんなに心強いことか。そしてやはり故障が多い中林にとって全試合試合出場は難しいことである。

 しかし、いい加減サンフレッチェも前川、下田に代わる顔となるGKが出て欲しいという気はしていた。果たして西川と中林、どっちがGKの顔となるのだろう。そしてその時悪しき伝統、キックがヘタということまで引き継いでしまうのだろうか。そんな心配をしなければいけないくらい今までのGKはキックの精度のなさが強烈に印象に残ってるのだった。

2010年1月11日 (月)

佐藤昭大、鹿島へ移籍

その移籍を知ったのは新年会で仲間と集まった時だった。集合場所に顔を出した途端にその話題となり衝撃を受けた。そりゃ西川が加入してGK5人にもなってしまえば飽和状態である。どこかに移籍するだろうという予想はできたものの問題はその移籍先だった。

「何で鹿島なんだろうね」

 それは昭大の選択を疑問視してるというよりJ1優勝チームがよりによって戦力外に近い形になった選手を取るということに合点が行かなかった。

「いや、鹿島は控えのGKは海外に挑戦するということで出て行ってしまって手薄なんだって。他のGKは新人でJ1の経験がないから昭大が選ばれたんだろ」

「経験っていうけど・・・ああ、そうか。経験か。確かにJ1での経験はあるんだよな・・・」

 どこか歯切れの悪い反応になってしまった。J2の愛媛でも結局レギュラーの地位を築くことができなかった。サンフレッチェに戻ってもJ2の時は通用した。だけどJ1では空中戦の不安定さが目立った。ただ、キックと足元は上手かった為サンフの戦術には必要なGKなんだろうと割り切った面はあった。ところが第6節の新潟戦ではペトロ・ジュニオールと接触して負傷してしまった。あの負傷の後味の悪さというのがボールを弾く為に飛び出したもののあえなくゴールは決められじしんは自身は怪我でシーズンを棒を振ったということだ。あれで失点が防げていたのならまだ勇気ある飛び出しになった。失点しても怪我をしなかったら残念だったで済んだ。だけど無理をしたプレーをして失点をして怪我をしたというのが割り切れないものがあった。

 そこで出てきたのがちっとも全くカスリとも期待してなかった中林だった。だがこの中林が最初こそ不信感があったが時間を重ねる毎に安定感を出し遂には正GKとなるのだった。特にハイボールへの対処は観てる者に安心感を与えるものだった。もはや昭大のことは記憶から遠のいていた感がある。

 さらに昭大にとって不遇だったのが天皇杯でJ2の鳥栖に負けてしまったことだった。どんなプレーをしていようとこの試合で勝ってれば問題はなかっただろうが明らかに昭大のミスで失点し試合も負けてしまったというのは昭大のせいというイメージが付いてしまった。その上で晴天の霹靂だったのは日本代表でもある西川の獲得だったろう。これで昭大は第2GKにもなれなくなってしまったのだった。

 そう考えれば昭大にとってJ1の移籍先があったのは幸運だった。だけど実際に出場機会があったとしてその時鹿島ではどのような評価を受けるだろう。やはり最後には歯切れの悪いコメントに終わるのだった。

2010年1月 7日 (木)

平繁レンタル移籍

 平繁がJ2徳島に期限付き移籍することが決まった。山崎の加入で立場が厳しいなと思っていたらそのすぐ後に発表があった。ということは山崎の獲得と同時進行でこの移籍も進めてたということだ。そしてこれはやはり戦力としては物足りないという判断をされたという証拠でもあった。

 だがこれは平繁にとって最良の処置であった。このままチームに残っても出場の見込みはない。それでもJ2であればまだ可能性があり、レンタルということでまた復帰できる芽が残されている。過去には高萩や森脇も通った道だ。ここで結果を出せばサンフに戻って来られる。そしてレギュラー級の扱いにグレードアップしてる可能性も高い。当然クラブもそういう目論見で出してるはずだ。

 ある意味平繁は2009年シーズン、もっとも期待外れな選手だった。2007年の入れ替え戦で圧倒的に劣勢な中、第2戦へと希望をつなげるゴールを決めた。そして2008年のJ2でも0トップで頭打ちになったチームに途中出場で2ゴールとストライカーとしての存在感を見せ付けた。このまま行けば主力として成長していくだろうという、誰もがそんな期待を寄せて行ったはずだ。それなのにそんな時に腰痛で戦列を離れてしまった。

 その為、あの時怪我がなかったらというのはどうしても考えてしまう。恐らく本人ものってただろうから無念さがあったはずだ。これからという時の怪我だった。そしてその怪我から復帰した後はどうも精細を欠いてた。やはり実践から遠のいたことが響いたようだ。

 9試合0得点。それが全てを物語ってた。仮に平繁の使える目処があれば李忠成の獲得も山崎のレンタルでの加入もなかっただろう。逆に言えばそういう動きがあったことで今回のレンタル移籍の話も予想できないこともなかった。ただ、レンタル移籍も相手あっての話なのでそういう面をクリアして話がまとまったということは平繁にとって幸運だったのではなかろうか。

 ストライカーというのは本当に難しいポジションである。他と違って単純にゴール数がハッキリと数字となって現れてしまう。特に若い選手の場合パッと出てきてゴールを決めたりするとその印象が大きくなり過ぎてその後しばらくゴールを決めれないともう駄目だという烙印を押されがちだ。それこそ毎年毎年新しい選手は入ってくるもので結果が出ないともう次の選手に目が向いてしまう。少なくとも中盤より後ろのように危ない面もあったがよくがんばったと言われるポジションではない。

 そういう意味で選手を続けていくには最高の環境を与えてもらった。だそれは逆にここで結果を出さない次はないというメッセージでもある。それでもいつかまた紫のユニフォームでゴールに向かう平繁を目に浮かべているのだった。それはあのふてぶてしい表情とゴール前のドリブルに魅了されたのは事実だからだ。パス主体のサンフレッチェにあって唯一ドリブルで勝負できる選手。それが真の意味でチームに融合した時どんなサッカーになるのだろう。少なくとも個性という意味では平繁は十分にストライカーの素質を持っている。といってだからといってJ2で得点王争いできるかというとそれもまた不安がある。かつての期待の星は未知数の領域に入ってしまった。果たして来年平繁は戻ってくることができるのだろうか。

2010年1月 6日 (水)

山崎移籍加入

 山崎がガンバ大阪から期限付き移籍することが決まった。ACL出場が決まったことでFWのサブが欲しいとこであった。寿人一人だけの現状は替えが聞かないという意味で不安があった。これは良い補強。理に適った補強であった。

 ただ、山崎がサンフでどれだけできるかというと未知数である。ガンバでもレギュラーという訳でもなかった。それなのにカップ戦では活躍するというイメージがある。それもそのはず、2年連続で天皇杯で5試合で2得点、2008ACLでの5得点、さらに同大会で優勝して出場することになったクラブW杯ではマンチェスター・ユナイテッドとパチューカからもゴールを決めた。特にクラブW杯でゴールを決めたとインパクトが強くそういう特別な環境で結果を残せるというのはこれからACLに出場するサンフレッチェにとって頼もしい存在だ。よくもこんな的確な補強ができたものである。やはりACLに出場するということで選手にとっても魅力があるのだろうか。

 そこで気になったのが平繁、清水、李忠成である。昨シーズンまるで活躍することができなかった。選手としての伸び代を期待したいものだが正直厳しいだろう。いずれもプロ2年目くらいに可能性を魅せた選手である。それなのにその後壁にぶち当たるとパッタリと活躍できなくなった。一体このブレーキともいえる成長の鈍化は何ゆえ起こるのだろう。試合経験のなさ、相手に研究されてしまった、伸びる時期に試合に出てなかった、色々なことが考えられる。だけど寿人にしたって決して順風満帆という訳でもなかったしこの山崎にしても遅咲きの選手である。一体プロに入って伸びる選手と伸びない選手とは何が違うのだろう。

 実際そんなこと分かったらどこのクラブも苦労はしないんだろう。あの選手はドリブルは上手いがドリブルが目的になってるとか太ってスピードがなくなっただとか果ては本人の意識が足りないといった話になる。そしてそういう話は的外れでもぼくらにとって議論のネタになる。一体何の足しになるのか分からないが議論を続けてしまう。だがそれこそがサンフレッチェの選手だからこそできることなのだ。

 Jリーグも37チームとなりとてもじゃないが全部の選手を覚えるのは不可能に近くなった。しかも自分の応援するチームを深く知れば知る程他のチームの詳細まで手が回らなくなる。だから山崎に関してもそれ程良くしってる訳でもないが戦力アップという認識を持っている。それが期待にそぐわないとくそみそに貶すのだろうがそれこそがサンフレッチェの選手になった証ではなかろうか。

 レンタル移籍ということは恐らく1年のお試し期間の後活躍によって完全移籍を考えているのだろう。その辺も理想的な形での契約となってるが一体どうしたんだろう。ここのところの補強を含めた人事の動きがあまりにも的確過ぎて気味が悪い。果たしてこれらの仕事をやってるのはあの織田強化部長なのだろうか。無能の象徴としてサンドバックのように貶してたあの人と同一人物なんだろうか。だとしたらどんな人でも伸び代があるということになる。そしたらそれこそその秘訣は何なのだろうか。

2010年1月 2日 (土)

ACL! ACL! ACL!

2010/01/01 天皇杯決勝 ガンバ大阪vs名古屋グランパス 国立競技場

 山口は寒かった。暖冬だと言われつつも実家の山口では雪も降り突風のように吹く風が冷気を運んでた。初日の出を拝みに山へ登ったものの空は厚い雲に覆われお日様は姿を現すことなく下山することとなった。ただ別にぼくはそんなに信心不快訳ではなくただ暗い山道を登りたいだけなのだ。そんなこと普段やろうとは思わないが元旦だけは他にも人がいるので何だか面白いような気がする。だから実際に初日の出が出てきても天皇杯でのガンバの優勝を祈ったかどうかは疑わしい。

 そう、ガンバが優勝すればサンフレッチェのACL出場が決まる。サンフレッチェの試合ではないのに一定の緊張感を持ってTVの画面を観ることができた。だけど正直なとこそれ程恐れもしなかったのだ。ガンバにはどこかオーラがあった。選手入場の時漠然とそう感じたのだった。

 それを当たったと感じたのは開始間もないルーカスのゴールだった。チームの連携とルーカスの決定力を生かした実にガンバらしいゴールであった。そしてこんなにも簡単に点が取れるならこれはもう楽勝だなともはやサンフレッチェのACL出場も決まったかのような感覚でいたのである。

 しかし、名古屋のベンチが映った時、ある種の違和感が生じた。名古屋がこのまま終わる訳がない。それはまた名古屋にもオーラがあるのだった。それがストイコビッチ監督のオーラだった。あの端整な顔立ちとかつてのワールドクラスの選手というレッテルが何かを起こしそうだった。別段ストイコビッチが指示を出してる様子もない。それなのにそこにいるだけで何か嫌な感じがする。こういう見た目や存在感というものが監督にとって決して軽いものじゃないと認識されるのだった。

 果たしてそれが単に監督のせいかどうかは分からないが名古屋は同点にしてしまった。あれだけガンバが一方的に攻めてたのに追いついてしまう。これはまさしく魔力であった。しかもそれが苦労して苦労してやっともぎ取った得点ではなくケネディの頭に合わせてその反らせたボールを入れただけというとても簡単に見えるゴールだった。やはり名古屋も簡単には勝たせてくれないのだった。

 それからというもの名古屋も息を吹き返してしまった。もしかして名古屋が勝ってしまうかもという不安は感じてしまった。それでもガンバにゴールが生まれた時、大声を出してそのゴールをたたえた。そして3点目、4点目と得点を重ねるにつれその勝利を磐石なものとした後はもう輝ける未来への道筋が見えたかのように燦爛とした気分になるのだった。

 タイムアップの笛。それはガンバの天皇杯優勝に連動してサンフレッチェのACL出場が決まった瞬間でもあった。未知の領域へ足を踏み入れるのである。サンフレッチェが世界での戦いへの挑戦権を手に入れた。素晴らしい瞬間、僥倖の瞬間だった。

 果たしてサンフレッチェはアジアでどのような戦いができるのだろう。それこそ昨シーズン出場したガンバと名古屋はいいモデルケースとなる。この決勝を観る限り両方共手強いチームである。この2チームにサンフレッチェが勝てるかというとそう簡単ではない。それなのに両方共ACLでは決勝に進出できなかった。それなのにサンフレッチェが出て勝ち上がることができるのだろうか。

 もし予選リーグで敗退するなんてことになったらどうしよう。以前はJリーグのチームは当たり前のように負けてたが近年は予選リーグ突破は最低限のノルマとでもいう雰囲気になってきた。何だか段々不安になってきた。こういう悲観的な感情そのもの長年低位を彷徨ってた後遺症なのであろう。

あけましておめでとうございます

少し遅れましたが明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

考えてみればこのブログも1年くらいで辞めるつもりで始めたのにもう数年経ってしまいました。

これもひとえに協力してくれた皆様、またいつもご購読していただく皆様のお陰です。

このブログを運営するに当たって読んだ人がサンフレッチェってもしかして面白いんじゃないかと興味を持ってくれることを念頭に置いてます。

ですから現地の情報、もしくはそれぞれの人の考え方などは大変参考にさせてもらってます。

ささいなことでいいので気が向いた方はこちらに情報を流してもらえれば活用させてもらいます。

基本的に外に出して良い情報化どうかはオフィシャルでの発表があったものということで判断してます。

今年1年成績のことは分かりませんが少なくともぼくを含め皆さんが楽しく過ごせることを願います。

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