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ぼくのミュージック・ライフ

  • Songs Remains the Same
    Led Zeppelin: 聖なる館
    数あるレッド・ツェッペリンの名曲の中でもこれが特に好き。この曲はダブルネック・ギターがあったからこそできたような曲でこういう変則的なギターを使いこなしてるという意味でもジミー・ペイジは凄い。ロックの歴史の中で数々のギターを使ったギタリストはいたがこうしてちゃんと曲のクオリティーを保った形で生かした例というのは他にないのではないだろうか。だからぼくはレッド・ツェッペリンのライブではこの曲が一番聴きたい。そういう意味でDVD、CD含めてライブの音源が一枚しかないというのは勿体無い。だからツェッペリンの海賊版はやたらと高いんだろう。 (★★★★★)
  • モータウン・ジャンク
    Manic Street Preachers: ジェネレーション・テロリスト
     ぼくはこの曲を聴いた時はぶっ飛んでしまった。パンクのエモーショナルな躍動感がありそれでいてヴォーカルの高い声。パンクとは一線を引いてるようでその情熱はパンクだった。ハードロックとも言えないその曲調はこのバンドの大きな特徴だった。  元々このバンド、2枚組みのアルバムを出して解散すると豪語してたが結局15年経った今でも活動している。しかもCDは当時より売れて作品の評価も高くなってる。同時期に出たバンドがまるで残ってないことからすると相当に快挙である。それについて本人達ももっともらしいコメントを出すがそれがいかにも洗練されてる。パンク的でありながら教養のある人達だというのが分かる。そのどうしようもなくハチャメチャでありそうでいながら実はごくマトモな人達というギャップが親近感を呼んでる。だからこのバンドの曲は歌詞までジックリと読んでしまう。  しかし、この人達の作品は結構多く全部網羅するのは骨が折れる。この音楽へのバイタリティ、これだけは間違いなく本物だということだ。 (★★★★★)
  • ルイ・ルイ
    Johnny Thunders: New Rose Collection
     ジョニー・サンダースの死後に出たライブ音源とアコースティック・ギターによるスタジオ録音を音源に編集したアルバム。その中でもこの曲とDo You Love Meは圧巻だった。ラジカセで録ったような音源であるが、それが逆に臨場感を出している。分かる人にしか分からないという作品だ。  ちなみに現在このCDが売ってるのかどうか知らない。これだけセンスのある人がこんなカルト的な存在で終わってしまったのは理不尽な気がする。だからこそ好きな人にはよりたまらない存在になってしまうのだ。 (★★★★)
  • ロクサーヌ
    Police: ロクサーヌ
     これが売春婦に関する歌だと知ったのはずっと後のこと。歌詞も分からずずっとこの曲を聴いていた。勿論歌詞を知ってからもこの曲は大好きな曲だけど。  本当かどうか知らないけどこの曲の入ってるファースト・アルバムはわざと下手に演奏したらしい。理由は当時パンク・ニュー・ウェーブのブームの中でスタイルを合わせたということだろう。そしてセカンド・アルバムでは実力に見合った演奏で上手くなったと思わせたらしい。そういわれてみるとファーストでは音数が少ないシンプルな曲が多いような気がする。このバンド、5作しかアルバムがないのだがそういう抜け目なさというのは元から持ってたようだ。5作とも素晴らしく駄作のないバンドだった。 (★★★★★)

ぼくのブック・ライフ

  • トニー・サンチェス: 悪魔を憐れむ歌
    ローリング・ストーンズの暴露本である。現在は改題され『夜をぶっとばせ』になってるがタイトルといいブックカバーといい前の方がシックリしていた。 ストーンズというのはぼくが最も影響を受けたバンドの内の一つだが、ここまで無茶苦茶をやってそしてそれが逆に彼らのダークなイメージにつながった。まさにロック・バンドの典型である。どんなに悪ぶっても彼らのようにはなれないし彼らのような影響力は出せないだろう。 時代をロックと女とクスリと共に駆け巡り気付けば巨大産業に飲み込まれていったストーンズ。作者はそんなストーンズに最後は身も心もすり減らされてしまったらしい。それでも未だに活動しているストーンズはある意味怪物だ。 ぼくとしてはこの本の訳者中江昌彦の翻訳もその場に居合わせたような感覚になるのが良かった。他にも『レス・ダン・ゼロ』などもいい雰囲気を出してた。今まで本なんか読んだこともなかったぼくが高校生の時読んで凄いショックを受けたのをよく覚えてる。当時のブックカバーの最後に「END]という文字が書かれてたが読後その文字が見た目以上に大きく見えたものだ。 (★★★★★)
  • 落合信彦: 第四帝国
     まず最初に断っておこう。これはトンデモ本である。ここに書かれてる内容は根も葉もないことと言っていい。そもそもこの落合信彦という人がゴースト・ライターを使ってマトモに取材してるかどうか怪しい。本人いわくCIAに100人も友人がいるというから情報には事欠かないということらしいがこれではアメリカ政府のトップシークレットがなぜか来るというUFO研究者と言ってることが変わらない。そういえばUFOに関しての記述もこの本ではありオリジナルな展開を見せてるのは興味深かった。  内容はナチス・ドイツの残党が世界各地で暗躍してるというものでヒトラーは生きてる、UFOは実はナチスが造ったというファンタジーが溢れてる。その展開はちょっとしたSFといっていい。  事の真実なんてどうでもいい。ただ単純にエンターテイメントとして読めば何の問題もないだろう。誰も「ゴルゴ13」を読んで事実と違うと言わないだろう。それと同じことだ。  しかしこの人、いかにも事実というように書くのが上手い。文章も簡単でスラスラと読めるので展開のテンポがいいのである。だから知らないうちに読んでしまってるという感じになる。そのスタイルはぼくもずいぶんと参考にさせてもらった。  まあ実際はゴースト・ライターなんだが。 (★★★)
  • ニック・ホーンビィ: ぼくのプレミア・ライフ
     このブログの元ネタとなった本。この本との出合いはサンフレッチェの応援仲間に渡されたことだ。その存在は知ってたものの読む機会がなかったのでありがたかった。  内容はというとアーセナルを応援する著者のその観戦生活といったとこだがこれを読むと結構日本のサポーターもプレミアのサポーターも変わらないとこがあるのがわかる。退屈な、退屈なアーセナルというタイトルには笑ってしまった。なぜなら分かり過ぎるくらい分かる心情だからだ。ぼくもサンフレッチェを応援してて何度同じことを感じただろう。  今やアーセナルはプレミア・リーグでも優勝しチャンピオンズ・リーグでも決勝に進出するような存在。一方ぼくの応援するサンフレッチェ広島はJリーグの1部リーグで常に降格の危機を感じるクラブ。でもその根っこは同じである。海外サッカー好きにはJリーグをバカにする傾向があるがそういう人には分からない内容かもしれない。 (★★★★★)

サンフレッチェの魂~リンク集

  • SANFRECCE Diary
    このブログを読んでる人ならすでに知ってるだろうから今更リンクを貼るのが恥ずかしい気もする。 何せこのサイト1997年から毎日更新してるというのが凄い。 過去の記事などはぼくも参考にさせてもらうことも多い。 継続は力なりというが実際には継続するのに力がいる。 そういう意味でも管理人のせと☆ひできさんは偉大である。
  • ススボウブログ
    自分サッカーやグルメについてのブログということです。 かなり熱心に応援してる方のようです。
  • ひろしま日記&サンフレッチェコーナー
    試合を時系列で紹介したりかなり凝った内容となってます。 現地の様子など行った人でしか分からないことがあり興味深いです。 試合に行った人も行けなかった人も楽しめるのではないでしょうか。
  • ゆみしん徒然の書
    ゆみしんさんのブログ。本当に色んなスタジアムに観戦に出かけて現地の様子をレポートしてます。観戦者視点でそれぞれのスタジアムの様子が分かり現地に行く時の参考になりそうです。
  • Scud Sanfrecce
    MICRAさんのサイト。ここの特集のコーナーは必見。サンフレッチェはなぜ人気がないかという考察については今までに見ない観点がある。是非一度読んでください。
  • ヒロシマ・コーリング
    今そこにある危機。サンフレッチェにはメディアが少ない。その為妙にぬるい記事が目立つ。そんな甘い現状にこのまま放置していいのかという危機感を感じた時発言していく。

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2009年1月30日 (金)

小野技術委員長解任・・・かも

日本代表の岡田武史監督(52)を支える、日本協会技術委員長の交代が有力となった。現在は岡田監督の“右腕的存在”でもある小野剛氏(46)が技術委員長を務めているが、協会が後任人事を進めており、元日本代表で現解説者の原博実氏(50)の就任が濃厚。チームは28日のアジア杯最終予選バーレーン戦に0―1で敗れ、29日に関空着の航空機で帰国したが、指揮官にとっては穏やかでない人事交代となりそうだ。

 10年W杯での4強入り宣言にはほど遠い凡戦の連続で、岡田監督の周囲が慌ただしくなってきた。複数の関係者の話を総合すると、日本協会が小野剛氏に代わる技術委員長の人選を進めており、複数の候補をリストアップ。その中で、浦和やFC東京の監督を務めた元日本代表ストライカー・原博実氏の就任が有力となっているという。

 岡田監督にとって小野技術委員長は数少ない心を許せる間柄だ。97年に日本代表監督に就任した際、小野氏をアシスタントコーチに指名。小野氏も広島の監督を辞める際、真っ先に報告するなど信頼関係は強かった。オシムジャパン時代に技術委員長に就任した小野氏は岡田監督になってからも職務を継続したが、昨年は北京五輪代表のオーバーエージ招集をめぐりJクラブとの交渉に失敗。1つ下の世代のU―20W杯出場も逃した。日本代表の人気も低下する一方で、協会は体制の見直しを迫られていた。

(スポニチ)

 や、や、やったーっ!まだ決定事項ではないがスポーツ新聞の記事で喜んだのは一体どれくらい振りだろうか。日本協会から小野がいなくなる。それだけで本当に嬉しい。広島からも離れ代表からも離れこれであえて全く関わることがなくなった。ああ、良かった。たまらなく良かった。まだ決定した訳じゃないのは重々承知だが。

 でも今の日本代表が全く魅力がないというのは視聴率の悪さ、チケットの売れ行きの悪さで明白だろう。しかもこの人の人選で成功したものは一つもない。さすがはサンフレッチェ監督時代新人選手を皆スポイルさせただけのことはある。一説には2007年にサンフレッチェがJ2に落ちたのは小野のせいだという話もある。あの時代に新人選手を軒並み潰してしまったせいで核となる選手がいなかったというのだ。まあ否定はできない話だろう。いずれにしてもあのつまらないつまらない雰囲気、あれがなくなるだけで清々する。

 ぼくもうざい、鬱陶しい、暑苦しいなどと女の子には散々酷い言葉を浴びせられた。小野の面白くない、空気を読めない、落胆させられるという負のオーラにはさすがのぼくも負けることはないだろう。いや、といって実際に人に聞いてみる勇気はないのだった。

2009年1月29日 (木)

3重苦の日本代表

2009/01/28 AFCアジアカップ2011カタール 予選Aグループ第2戦 バーレーン代表vs日本代表 マナマ

 TV中継がなかった。放映権料において法外な金額を要求され放映を断念したということだ。サッカーの場合代表以外で地上波の放送というのはごく稀なので致命的だった。といってそれ程落胆した訳でもなかった。そして一夜明け10で負けたという知らせにも落胆はしなかった。そこにあったのはやっぱり岡田は駄目という冷めた感情だった。そしてその上に居座る小野技術委員長はもっと駄目という感覚だった。

 本当に代表はどんどん魅力がなくなっている。本当にこのメンバーが日本で最高のメンバーだと考えてるんだろうか。直前のイエメン戦では駒野が存在感を見せ付けた。それなのにサイドで出場したのは内田と長友。もう憤りを通り越して哀しくさえなってしまった。これはかつて味わった感覚と同じだ。かつてこれと同じような感覚があった。そう、小野監督時代のサンフレッチェだ。

 まず、メンバー表を見てガックリ、そして試合内容にガックリ、最後に結果にガックリである。これを称して3重苦と表した仲間がいた。そう、正に3重苦。3重苦の日本代表である。

 ぼくは常々小野が技術強化委員長のポストを辞めるにはどうしたらいいんだろうと考えている。それにはよっぽどの失態がなければならない。W杯の予選敗退、それくらいしか考えられなかったがアジアカップがあったのだった。W杯は出場できなかったらそのダメージが大き過ぎる。だけどアジアカップだと例え出れなくてもW杯程のダメージはない。しかもアジアカップの予選で敗退となるとレベルを考えるとこれはもう許されざる事態となるだろう。だからもうアジアカップは予選敗退してもらった方がいいような気がする。そうでなければ小野が協会を去ることは絶対にないだろう。

 日本が負けることを望む。あるべき姿じゃないのは分かってるがもうそれしか改善の方法は残ってないのだ。サンフレッチェにしたって小野が監督をやってる頃は勝っても純粋に喜べなかった。負けても悔しいには悔しいが小野監督にはいい気味だという気がした。本当に去って欲しい。空気を察して欲しい。だが残念なことにこの空気を読むということがこの人は最も不得意なのだった。

 もう日本代表は弱くっても何でもいい。純粋に応援できるようになってくれればそれでいい。だけど負けて悔しいからみんな躍起になってどうやったら強くなるのか考えるのだろうしそれに向けて努力をするのだろう。だけど負けてもどうでもいいようになるとここには何のパワーも生まれてこない。小野が強化技術委員長に居座る、これがどんどん日本のサッカーのパワーを失わせてる。そう考えるのはぼくだけだろうか。

2009年1月27日 (火)

捨てた過去の再生

過去を捨てた男である。そう言えば何となくかっこいいような気分になる。そう、ぼくには過去がない。広島で育った日々というのは夢か幻のようである。

ぼくは物心ついた頃には広島にいて高校を卒業するまでは同じ町にいた。だから広島が一番愛着はあるし広島こそが最高と思ってる。それなのにぼくには広島で過ごした頃の友達というのがいない。同窓会すら行ったことなく時々そんな話をしてる人を見ると表情には決して表さないが羨ましくさえ感じる。そして今の実家は山口。ということはもしかしたらサンフレッチェがなければぼくと広島の縁なんてものはなくなるんじゃないだろうか。

これにはぼくの人付き合いの悪さも関係してるだろう。人望のなさも影響してるだろう。そして周りにロック好きがいなかったというのはかなり大きい部分でもあった。

だから広島への郷愁ということでサンフレッチェを応援してるのはある意味合ってるようで間違ってるような気がする。まあ今となってはどうだっていいことではある。

そんなぼくが都内でサンフレッチェのサポーター会議を開いた。果たしてぼくが中心になってやるべきものかはなはだ疑問も感じる。そこに集まった人はぼくよりも地位も高く立派なキャリアも持ってしかも広島出身者が圧倒的に多い。ぼくの出る幕ではないのかもしれないがこういう場合逆にぼくのような人間の方が務まるのかもしれない。司会進行という役をやらせてもらった。

十数名が見守る中、ぼくはタンタンと議事を進めていく。そしたら遅れて部屋に入ってくる人が何人かいた。皆知った顔だからどうってことはない。だけど一人だけ知らない顔があった。もしかしてと思い丁寧に案内した。

実はこの会議の案内をブログでも告知を出したが出席したいというメールを送ってきた人がいる。是非参加してくださいと返信はしていたが何とその彼だった。ぼくのブログも少しは読んでる人いるんだなと嬉しくなった。そしてその反面「マズイ、まじめに書こう」という気もおきるのであった。

彼とは会議が終わった後話をしてみた。どうやらもう東京も長いらしい。でも実家はというとやはり広島だった。ぼくは山口だ、でも広島に住んでた時期がある。ぼくの育った町を教えてやった。

「エッ、ぼくもそこですよ」

 何と、同じ町内だったのである。ということは小学校も中学校も同じということだった。歳もぼくと一つ違い、完全にリンクしてるじゃないか。うわ、奇遇だねとお互い驚いたのだった。

 ぼくにとってそれは忘れ去った過去を修復でもしてくれたような感覚だった。関東でサンフレッチェ応援してる人を集めようと色々なことをやってきた。そして今度はぼくのルーツに関わる人がいた。世間は狭い。いや、広島のサッカーチームの応援してんだからあり得ないこともないだろうが初めての経験だった。

 やっぱりサンフレッチェを応援することこそぼくを広島につなげてくれる。あながちそれは間違ったことではないようだった。

2009年1月21日 (水)

これが岡田の日本代表

2009/01/20 AFCアジアカップ2011カタール 予選Aグループ第1戦 日本vsイエメン 熊本KKウィング

 ほとんどナメてるんじゃないかというようなメンバーで戦っただけに結果はほぼ予想通りだった。試合としては一方的に攻めていながらスコアは21というギリギリの勝利だった。いくら格下とはいえここまでメンバーを落としたらこんなもんだろう。

 こういう中だからこそだろうか、駒野は光っていた。ボールを持つと奪われることがない。そして的確なポジショニングと視野の広い正確なパス。右サイドの内田と比べると差は歴然としていた。岡田監督が就任してからというものサイドの第一人者は内田という格付けになってるのが分からない。そして第2に長友が来る。駒野は3番手の位置だ。やはりこの辺は若手を使って結果を出したいという功名心が見え隠れする。オシムがそれまで代表に呼ばれてない選手を使っていたのでその後任に当たった岡田監督としてはプライドもあるのだろう。

 しかしそれ以上に酷かったのは香川と乾というセレッソ大阪コンビである。チームがJ2ということでサンフレッチェとも対戦したのだがまるで脅威じゃなかった。単純に柏木や浩司や高萩の方が上だというように見えた。それでもサンフレッチェの選手が選ばれないのは小野技術委員長の影響だろう。浩司以外のいずれも自分がサンフレッチェの監督をやってる時その才能を見出すことのできなかった選手である。それだけに選ぶ訳にいかなかった。だからこの先槙野や青山も代表に選ばれることはないだろう。そう考えると不動のスタメンだった青山がオリンピック代表で試合に出なくなっていった時期とおのが技術委員長に就任した時期が一致するような気がするのだった。

 それでも岡田監督は小野よりはマシだった。後半に地元熊本出身の巻が交代出場した時スタジアムがウワッと盛り上がった。ああいう演出は小野にはできない。逆にドヨーンと覇気を落としてしまうことには他にはマネのできない才能を持っている。といってもやっぱりスタメンで出場した他のFWに比べて巻の存在感は圧倒的だった。だからもう巻を狙ってサイドからクロスを当てるという戦術にしても良さそうだった。なのにそれをしないということは所詮岡田も小野と同じ穴の狢でしかないということだった。

 日本代表。紛れもなく日本のサッカー界のトップの場所である。それなのにその場所にはとてもトップという名に相応しくない人達がのさばってる。そして試合を観る度に拍子抜けしたような、哀しい気分になる。代表の放つ負のオーラ。その闇の輝きは一向に勢いを失いそうもないのだった。

2009年1月20日 (火)

ミキッチが広島にやって来た

 右サイドの補強として獲得したクロアチア人のミキッチが広島にやって来た。ディナモ・ザグレブからの移籍ということでその実力が見込まれる。恐らくいいんだろう。多分。実力はあるはずだ。でも何だか不安がある。それは2002年に加入したエルツェグの記憶があるからだ。そして2008年加入したユキッチの影響も大きい。2人共期待されながら活躍できなかったという意味で共通している。

 特にエルツェグの記憶は鮮明に刻まれてる。実際に試合でプレーしてるのを見て本当に上手い選手だと思った。それなのに来日最初のFC東京戦でゴールを決めチームを勝利に導いたもののその後どうもチームの中で機能しない。あれだけ能力があるのだからその内チームにも馴染むだろうと思いきや翌年シーズン途中で解雇、活躍したとは言い難かった。単純にサッカーが上手いだけでは通用しないことがあるんだとまざまざと見せられたような気がした。そしてユキッチ。2008年最初の公式戦、ゼロックススーパーカップでは久保と共にチームに波を与え勝利に貢献した。それなのに肝心のリーグ戦は泣かず飛ばずでいつそのベールを脱ぐのかと思いきや怪我で結局シーズンを棒に振ってしまった。まだ在籍してるものの良いのか悪いのか分からない選手だ。そういう流れからミキッチの加入を手放しで喜ぶこともできないのだった。

 しかし、その実右サイドに幻影を抱いてるのだった。森脇ならその存在感、得点能力で勤まるような気がした。たがミシャは森脇をDFとしてしか考えてないらしい。それならそれ以外の選手となるとどうしても物足りなさを感じてしまう。それもそのはず、そこには駒野の幻想を抱いてるからだった。

 戦術駒野。そう言ってもいいくらい駒野に頼りきってしまった時期があった。そのあまりもの依存ぶりに相手に攻撃パターンを読まれて勝てなくなってしまった。駒野が良い選手であるが故にチームとして停滞してしまった。そういった二面性を持ちながらもどうしても右サイドのポジションをやる限り駒野と比べられてしまうのは仕方がない。

 だが、よく考えるとサンフレッチェはいつも右サイドには優秀な選手がいた。駒野の前には沢田。その前は柳本。いずれもサンフレッチェの核となる選手だった。だからそのレベルと比べるのは仕方のない話だった。

 ミハエル・ミキッチ。一体どういう選手なんだ。その実力はベールに包まれてる。少なくともユキッチと同じようにベールに包まれたままにならないのを願うばかりだが名前が似てるのが気になるところだった。そんな名前で判断したってというとこだがしょうがない。だって今のとこ他に判断する材料がないんだもん。

2009年1月15日 (木)

サポーター会議開催案内

宮崎キャンプ激励応援バスツアーが定員に達した為、募集締め切りとなりましたのでご案内いたします。

(サンフレッチェ広島オフィシャルサイト)

 これって朝告知をしたばかりじゃなかったろうか。確か例年似たような企画はやってたものの定員に達せず中には企画として成り立たないものもあったはず。一体どうしたんだ、何があったらこうなったんだ。

 しかしやはりこれは空気があるということだろう。サンフレッチェを取り巻く空気、これは上昇中ということである。圧倒的強さでJ1に昇格した勢いがそのまま続いているんだろう。こういうことは過去にあったろうか。いや、なかったとは言えない。似て非なることは確かにあった。

 それは同じくJ1に昇格した後のシーズン、2004年である。あの1年だけは一時的に客足が伸びた。つまりこれは昇格によるご祝儀のようなバブルのようなものだ。こんなものをアテにしていてはいけない。これは幻、これは幻影、これは一時の姿なんだ。

 そう頭で考えるもそれでも2004年とは違う空気を感じる。それは2003年が堪えて堪えてようやく昇格したという苦労の末の結果であるのに対して2008年のJ2では圧倒的な強さで余裕で昇格した。だから今回のJ2、結構楽しむことができた。面白かった。そして希望を持った。簡単ではないがこのチームがJ1でどれくらいやってくれるのかという楽しみの方が大きいのではなかろうか。これらがサンフレッチェを取り巻く空気となって非常に良い流れを生んでる。ぼくは単純に喜んでいいと思う。

 ただし、問題はここからだ。昇格した次の年、これは恐らく観客動員もある程度振るうだろう。だけどその中でどれだけの客をリピーターとして定着させるかだ。そういう意味では本当に勝負の1年となるだろう。ここを逃したらいけない。

 そういうことで関東の人間として、外から見てる人間としてサンフレッチェの改善点、要望、アイデア、そんなものを募っていきたい。実は昨年も何人かで集まって知恵を出し合いレポートとしてクラブに提出した。実はその中でほんのわずかであるが実現したものもある。一応そういう書面で出したものは目を通してくれるみたいだ。自分たちの発想がサンフレッチェを発展さす、そう思うとワクワクしないだろうか。

 ということでそんな志を持った人を募集します。都内で会議を開きますので興味のある方は参加してみてください。日時・場所は以下の通りです。詳細が知りたい方はメールで問い合わせてください。

124日(土)区民センター2C会議室1730分~2130
http://www.city.bunkyo.lg.jp/sosiki_busyo_academy_shisetsu_gakusyubunka_kumincenter.html


文京区本郷4-15-14

slashandburn@hotmail.co.jp

2009年1月13日 (火)

広島皆実優勝

2009/01/12 第87回全国高校サッカー選手権決勝 広島皆実高校vs鹿児島城西高校 国立競技場

「寒い、寒かった。雪まで降ってましたよ」

 高校選手権に行ったという仲間は姿を現すなり言ってた。でも広島皆実の優勝を見れたのは羨ましい。ここにいるみんな少しはそういう気持ちがあっただろう。

 新年会と称して集まった9人の内3人も国立に行ってた。そして実際に現地で見るとこの対戦においてチームとしての完成度は皆実の方がが上だった、守備が安定していたということだった。あの安定感がサンフレッチェにあれば。そして何より右サイドが突破しまくるのが羨ましい。でもゴール前でボールを廻したりDFラインまでボールを下げてしまうとことかサンフレッチェに似てるといえば似ている。やっぱり影響されてるとこはあるみたいだ。

 それもそのはず、広島皆実高校にはサンフレッチェジュニアユースから行った子が6人もいるらしい。そして同じ広島県内ということでサンフレッチェユースとの試合は何度かあった。ただ皮肉なことに昨年の試合ではサンフレッチェユースは広島皆実に1度も勝てなかったらしい。ユースに入れなかった選手によるチームにその本家本元のサンフレッチェユースが1度も勝てないとはどういうことだ?そこが若年層の実力の浮き沈みと捉えればいいのだろうか、それともサンフレッチェユースの衰退と見るべきなんだろうか。

 その後宴会場へ場を移り新年の乾杯をした。新年会などという名前は限りなくこじつけでシーズンオフの暇なこの時期でないとこういう催しはできないというだけだった。ここに集まったメンバーは試合になれば必ず会う人たちなんだが意外とこうやって宴会をやるという機会には恵まれないのだった。

「広島皆実の藤井監督って2年前に就任した人なんでしょ。広島にもあんな人いたんだね」

 マツダさんの問いかけに広島の人材の話になっていった。そしてその内にユースに関する話になった。こういうことは詳しい人は物凄く詳しいのだが一体それらの情報をどこから仕入れているのだろうか。といってもぼくはそういう情報をありがたく拝聴するのだった。

 それらの話によるとつまるところ広島にも有能な人材はたくさんいるということだ。実際山形の小林監督、元神戸の松田監督、元柏の石崎監督、それらはみんな広島の人だ。それなのにどうして本家本元であろうサンフレッチェ広島に有能な人材が集まらないんだろう。

 でもこうやって広島の高校のレベルが上がるというのはいいことだ。そして優勝の文字を広島が付けるというのも名誉なことだ。鹿島入団が決まってる鹿児島城西の大迫の影響で鹿島のサポーターも来てたようだがそれを見返したというのも気分がいい。だけど、だけどそれだけにサンフレッチェを憂いてしまうのだった。これはサンフレッチェユースが高円宮杯で優勝した時と同じような感覚だった。他はいいのにどうしてトップのサンフレッチェ広島は成績も悪いし観客も入らないのだろう。行くつもりになればぼくも国立に行けた。そして実は最初からぼくは広島皆実が勝つと思ってた。圧倒的に城西が勝つという空気が流れてたのがその逆の流れを産むような気がしていたのだ。だからぼくも勝利の瞬間に立ち会うことはできた。それでもそれをしなかったのはこの葛藤にまた思い悩んでしまうからだった。かくも難しきサポーター心理である。果たしてこういう感覚はぼくだけなのだろうか。

2009年1月 6日 (火)

2009年の始まり、新年会のご案内

 2009年も始まり今は何の情報も無い中でオフを過ごしてる。年初めのこの時期が唯一ゆったりとできることで優雅な時間を満喫している。といってやっぱり暇になってきた。リーグ戦は3月、一体何をして過ごせばいいのだろうか。

 こういう中でもうすでに宮崎キャンプへの遠征を計画している仲間がいた。多くは土日を使って行くみたいで現地で夜は宴会をやろうなどという話を聞いたらとても羨ましかった。ぼくには行くことができない。金銭的に考えてもどうせ行くなら広島の公式戦の方がいい。1年のカレンダーを手にした時いつだったら広島に行けるか、そしてなによりも関東での試合にいかに行くことができるかを考えるのだった。

 早く日程の発表しないだろうか。これこそ一体いつ発表になるのだろうか。

 開幕戦はアウェイの鹿島戦である可能性が高いらしい。その信憑性といったらはっきり言って微妙だ。でも鹿島だったらバスツアーもやるのだろうしそしたら今回は3台出したいということだった。昨シーズン水戸で2台出したことを考えればこれは可能な数字ではある。ただし一個人が主催してるこのバスツアーで3台目を出すということはリスクも大きいのは事実だ。しかも告知方法の問題もある。いかに多くの人に情報を与えることができるか。やはり現実的にはネットでしか宣伝できないのだろう。

 ただ、確実に関東でサンフレッチェを応援する人が増えてるのは事実でそこは追い風である。ここを上手く利用してより多くの人が楽しく応援できる環境が創れればより盛り上がっていけるだろう。そういう意味でとても楽しみなシーズンである。

 それでいて応援する人が増えたということで逆にアウェイ席のチケットが取れないという可能性も浮上してきた。まさかと思われるかもしれないが柏スタジアムなどはスタジアムそのものの容量が小さい。それよりは大きいがフクダ電子アリーナもそれ程広くない。そして巨大スタジアムであるはずの埼玉スタジアムにいたってはアウェイエリアだけが狭くなってる。これは主催者側の判断により左右されるのだが基本的に前売りチケットの売れ行きによってその広さが決まるということだ。だから発売されたらすぐに購入するのが得策ということみたいだ。

 あと下北沢に続き市川で始めた観戦会だがこれもパブリック・アローズのマスターと話した結果店舗数を増やした影響で人手不足ということらしい。どうしても営業時間外の放送となるとマスターの体力が持たないということで日程が発表されたらどの試合を放映できるか相談ということになった。せっかく始めた市川での観戦会、ここで知り合った人も何人かいて良い雰囲気になってきたから続けていきたいと思う。

 さて、それら今年の観戦、関東でのサポーターの開拓ということでまだ色々とできることはあるだろう。できればそれらのことを話し合いたい。ということで新年会を企画しています。こちらにしても新しい仲間は欲しいので興味ある方は連絡ください。

日時:112日 17

場所:市川駅改札集合

メールアドレス

slashandburn@hotmail.co.jp

出席希望者は18日までに連絡もらえれば助かります。

2009年1月 4日 (日)

浩司、寿人、一誠トークショウ

「あけましておめでとうございます」

 数人の仲間の顔がいてぼくは挨拶をした。一斉に挨拶を交わす一団は会場の後ろに固まっていたのだった。そしてほとんどの人はステージを囲うように前に詰めているのだった。

 西武池袋店イルムス館、新春トークショウとして森崎浩司と佐藤寿人と高柳一誠がやって来た。先着100名までサインが貰える整理券を配ってたのだがそんなのは相当早い時間に行けなければなくなってしまったのは容易に想像できた。が、その中に明らかに何人かいた仲間は一体何時から並んだんだろうか。

 開演時間が近付くにつれどんどん人だかりは多くなる。これってみんなサンフレッチェ応援してる人なんだろうか。いや、確かに紫のものを身につけた人も結構いる。でも見かけない顔が多いのも事実だった。ということはまだまだ関東のサポーターも開拓の余地が残されてるということだった。

 だが、正直なところ予感はあった。天皇杯の西が丘、2回あった三ツ沢での試合はどれもアウェイエリアが満員だった。そしてぼくはある仲間にそのことを言うとこういう返事が返ってきた。

「一誠が来てるからじゃない?」

 人気の原因が一誠。いや、そりゃないだろ。この中にいる人の中で一体何人一誠のことを知ってるんだろう。と思いきや実際に3人が登場するや一誠の自己紹介の時場内が盛り上がったのは弧に包まれた気分になった。

 トークショウの中身としては3人が話す時間が限られてるためそれ程濃いということもなかった。ただ、これは一誠の独壇場だった。普段試合に出てない一誠は狙ったかどうか分からないが予想外に受けていた。でもこれはこれでアピールの方法としては間違ってない。多分このトークショウに来た人は一誠の存在をしっかり記憶に刻んだだろう。あの選手試合ではどんなんだろと興味が沸いたのではなかろうか。寿人も練習でゴールを決めるのは大抵一誠だと言ってたことからやはりレベルの高い選手なんだろう。だけどそれならそれでどうして試合で駄目なんだ?

 それについては一誠も分かってるらしくJ1でゴールを決めたいと言ってた。まあ分かってりゃいいんだ、分かってりゃ。

 そして予定時間をオーバーして終わったトークショウだがその後新年会にぼくらは場所を移した。ちゃんと店も予約していた段取りの良い仲間がいてぼくも参加させてもらった。ぼくの知らない人も多数いる。ネットを通じてサンフレッチェを応援したいが全くの初心者という人をせっせと集めてるサルウさんのお陰だということだ。こうやって各自が各自やれることをやって輪が大きくなっている。本当に関東のサポーターは健全な広がりを見せてると思う。ぼくもあまり知らない人とはコミュニケーションを取らなければいけない。

 しかし、ぼくの座った席は幸か不幸か女の人に囲まれてしまった。女の子にはすぐに嫌われるぼく、どんどん固くなり話すこともできなくなった。何か、情けなくなってしまった。

2009年1月 1日 (木)

あけましておめでとうございます

 年末に酷い高熱にうなされ数日間を布団で過ごすことになりましたが無事病気も癒え、健康に新年を迎えることができました。サンフマフラーを巻き初日の出も観に行っていよいよ年が明けた瞬間を見たんですが、ちょっと残念なのが今日天皇杯のピッチにサンフレッチェの選手が立ってないことかななどと思っております。チャンスがあっただけに、本当は勝っていただけに、考えると考えるだけ悔しさが込み上げてくるので考えるのを止めました。

 昨年はサンフを通しまた新しい出会いもあって非常に楽しめた1年でした。サッカーの持つ特徴として仲間がいるというのはとても楽しいことです。みなさんもスタジアムに行った際にはできるだけ多くの仲間を作ってください。そして仲間がいない寂しそうな人がいたらそういう人をどんどん巻き込んでください。関東のサポーターもそうやって人を増やしていったのです。

 いずれにせよ、今年もよろしくお願いします。サンフレッチェにとってもみなさんにとっても今年が良い1年になることを祈ります。

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