『紫熊倶楽部』の過去現在
『紫熊倶楽部』が届いた。この雑誌の創刊は2000年だったと思う。たまたま広島に訪れたぼくはVポイントで定期購読の申込用紙が置いてあったのでFAXで送ったのだった。そしたらFAXの印刷が悪く字がよく読めないという理由でEメールで再度申し込みをすることになった。あれは多分関東の住所だったからこの人本当に年間購読するんだろうかと不審に思ったのだろうと想像した。
その当時のサンフレッチェの情報量ときたら散々たるものだった。今でも関東で情報を集めようとしたらネットで調べたりしないといけないがそれでも『紫熊倶楽部』の他にTSSの携帯サイトもある。スカパーではJリーグ全試合放送をすることになった。お金を出せばそこそこ情報は集めることは可能だ。だがあの当時お金を出す気があってもその媒体自体なかったのだからまるでサンフレッチェって蜃気楼のような存在だった。だから『紫熊倶楽部』には初めてできたサンフレッチェとの接点のような気がした。
ただ、創刊当時の紙面というのは酷かった。明らかにネタがないのに無理に紙面を埋め尽くそうとしてるのが見えてどこか痛々しかった。それでも年間購読を続けたのは寄付のようなつもりである。いつなくなってしまうか分からないサンフレッチェの情報誌がなくなってもらいたくないという思いだ。だからぼくはなるべく頻繁に投稿をした。多分投稿する人いないだろうと思ったからせめてぼくくらいはという気持ちだった。実のところ以前は年に2、3回ぼくの投稿が掲載されてたのである。
そんな経緯を踏まえた『紫熊倶楽部』だが編集者の体力的問題から月2回から月1回の発刊に変わった。これは逆に良かったのではないだろうか。この頃から段々と内容が上がっていったような気がする。これは編集者の技量が上がったというのも関係あるのだろうが段々とサンフレッチェにもメディア受けする選手が出てきたのも大きい。そして関東でサポーターが増えた影響でこういう遠隔地にいても手に入る情報というのがより重要になりこの雑誌自体も以前のような独りよがりな存在ではなくなったのである。
入れ替え戦後にVポイントに行ったという友人の話だがその月の号は売り切れてたという。やっぱりこういう雑誌必要なんだな。本もDVDもないサンフレッチェにとって『紫熊倶楽部』は唯一無二の刊行物となってる。ただ準オフィシャルなだけに出版前に全てクラブが目を通してるというのが想像できる。その為少し踏み込みが足りないと感じることが多くなった。でもわずか35ページ程度の雑誌としてはよくできてる。こういう不満がでてきたのも『紫熊倶楽部』しかないという現状のせいだろう。近い将来別の何かがでてくれればいいのだが。もしかしてそう考える人がいるからこそサンフレッチェって人気がない割に個人のホームページなどが多いのかもしれない。
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