代表戦に付きまとう疑問
2008/01/30 日本vsボスニア・ヘルツゴビナ 国立競技場
閑散としたスタジアムには宴会の後のような空気が漂い緊張感がなかった。果たしてボスニアにとってこの試合の意味は何かあったのだろうか。せめて客が入れば興業という理由も立つのだがこの観客動員では一体何の為にという疑問が残る。いや、そういえばW杯3次予選が始まるんだったと気付くのだった。
今更ながらトルシエやジーコの時の代表と今の代表で何が違うかといったら期待感である。トルシエの時は若く才能のある選手が多数選出されこれで駄目でもまだこの後がある、この選手達が成長すればもっと戦えるという希望感があった。ジーコの時は期待されたそれらの選手がピークの年齢に達したことで最もタレントが豊富だという自信があった。だから日本が勝てないのは選手のせいではない、監督のせいだという風潮が常に起こった。だから監督論争はいつの時にも収まらなかった。
そういった論争はある意味で間違いではない。世界中どこの国でもあの監督がいい、この監督がいいという議論は起きている。ただ、日本の場合そこまでの能力がないのに監督の力によってその潜在能力が2倍にも3倍にも膨れ上がるという見方をされてたのだ。そして名将と言われたオシムが就任してからもそこまで素晴らしいという印象を持った試合をしないことで悟ったのである。口には出さないけど分かってしまったのである。どこをどう考えても日本にはストライカーはいないし世界と較べると選手個々の力が違うと。それが分かった時、今まで熱を帯びてたものが急に下がってしまったのは仕方がないことだろう。
ただ若き才能として岡田監督は内田を使ってる。本来ならこういう選手に将来を期待してもいいはずだ。なのにそれができないというのはもう散々そういう夢が破れた現実を味わってしまったからだ。小野信二や市川大輔といった早くから代表に選ばれた選手が世界的にトップクラスの選手になったかというと苦しいとこである。確かに内田も自分のクラブでは活躍してるが絶好のシュートチャンスをパスしてしまった。皮肉にもそれは天皇杯決勝で先制点を挙げた場面と同じ状況であった。サンフレッチェ相手にはシュートを打ててボスニア・ヘルツゴビナ代表相手にはシュートを打てない。これは単に相手の威圧感の違いなんだろう。サンフレッチェならDFが緩いし失点が多いし昨シーズン4回対戦して3回勝ってるしという安心感があったんだろう。まさにサッカーはメンタルのスポーツたる由縁である。
結果的には3-0で勝った。相変わらず中澤はDFの割にはよく点取るなとか山瀬はシュート上手いなというのが再確認できた。そして世界のストライカーならここでこういう場面なら自分で強引に行くんだろうなとかあそこでシュート打てないのかなとかいうFWの貧弱さについても再確認できた。これでは佐藤寿人がJ2ながらも東アジア選手権のメンバーに追加登録されたのも分かる気がする。
同じ頃、ハンドボールのオリンピック選出を賭けた試合が日本であった。サッカー代表から応援グッズを提供するなど支援もあった。中東の疑惑の判定を不服とすることを発端とする予選やり直しということもあってメディアの注目度も高い。もしかしたら今回のボスニア戦より人々の関心は高かったのではなかろうか。
でも負けた。普段日陰の存在であるハンドボールだけにこの1試合だけ急に注目されても厳しいものがあったろう。そういう事情がありながらも思うのだった。何で日本って何やっても弱いんだろうと。
最近のコメント