無料ブログはココログ

ぼくのミュージック・ライフ

  • Songs Remains the Same
    Led Zeppelin: 聖なる館
    数あるレッド・ツェッペリンの名曲の中でもこれが特に好き。この曲はダブルネック・ギターがあったからこそできたような曲でこういう変則的なギターを使いこなしてるという意味でもジミー・ペイジは凄い。ロックの歴史の中で数々のギターを使ったギタリストはいたがこうしてちゃんと曲のクオリティーを保った形で生かした例というのは他にないのではないだろうか。だからぼくはレッド・ツェッペリンのライブではこの曲が一番聴きたい。そういう意味でDVD、CD含めてライブの音源が一枚しかないというのは勿体無い。だからツェッペリンの海賊版はやたらと高いんだろう。 (★★★★★)
  • モータウン・ジャンク
    Manic Street Preachers: ジェネレーション・テロリスト
     ぼくはこの曲を聴いた時はぶっ飛んでしまった。パンクのエモーショナルな躍動感がありそれでいてヴォーカルの高い声。パンクとは一線を引いてるようでその情熱はパンクだった。ハードロックとも言えないその曲調はこのバンドの大きな特徴だった。  元々このバンド、2枚組みのアルバムを出して解散すると豪語してたが結局15年経った今でも活動している。しかもCDは当時より売れて作品の評価も高くなってる。同時期に出たバンドがまるで残ってないことからすると相当に快挙である。それについて本人達ももっともらしいコメントを出すがそれがいかにも洗練されてる。パンク的でありながら教養のある人達だというのが分かる。そのどうしようもなくハチャメチャでありそうでいながら実はごくマトモな人達というギャップが親近感を呼んでる。だからこのバンドの曲は歌詞までジックリと読んでしまう。  しかし、この人達の作品は結構多く全部網羅するのは骨が折れる。この音楽へのバイタリティ、これだけは間違いなく本物だということだ。 (★★★★★)
  • ルイ・ルイ
    Johnny Thunders: New Rose Collection
     ジョニー・サンダースの死後に出たライブ音源とアコースティック・ギターによるスタジオ録音を音源に編集したアルバム。その中でもこの曲とDo You Love Meは圧巻だった。ラジカセで録ったような音源であるが、それが逆に臨場感を出している。分かる人にしか分からないという作品だ。  ちなみに現在このCDが売ってるのかどうか知らない。これだけセンスのある人がこんなカルト的な存在で終わってしまったのは理不尽な気がする。だからこそ好きな人にはよりたまらない存在になってしまうのだ。 (★★★★)
  • ロクサーヌ
    Police: ロクサーヌ
     これが売春婦に関する歌だと知ったのはずっと後のこと。歌詞も分からずずっとこの曲を聴いていた。勿論歌詞を知ってからもこの曲は大好きな曲だけど。  本当かどうか知らないけどこの曲の入ってるファースト・アルバムはわざと下手に演奏したらしい。理由は当時パンク・ニュー・ウェーブのブームの中でスタイルを合わせたということだろう。そしてセカンド・アルバムでは実力に見合った演奏で上手くなったと思わせたらしい。そういわれてみるとファーストでは音数が少ないシンプルな曲が多いような気がする。このバンド、5作しかアルバムがないのだがそういう抜け目なさというのは元から持ってたようだ。5作とも素晴らしく駄作のないバンドだった。 (★★★★★)

ぼくのブック・ライフ

  • トニー・サンチェス: 悪魔を憐れむ歌
    ローリング・ストーンズの暴露本である。現在は改題され『夜をぶっとばせ』になってるがタイトルといいブックカバーといい前の方がシックリしていた。 ストーンズというのはぼくが最も影響を受けたバンドの内の一つだが、ここまで無茶苦茶をやってそしてそれが逆に彼らのダークなイメージにつながった。まさにロック・バンドの典型である。どんなに悪ぶっても彼らのようにはなれないし彼らのような影響力は出せないだろう。 時代をロックと女とクスリと共に駆け巡り気付けば巨大産業に飲み込まれていったストーンズ。作者はそんなストーンズに最後は身も心もすり減らされてしまったらしい。それでも未だに活動しているストーンズはある意味怪物だ。 ぼくとしてはこの本の訳者中江昌彦の翻訳もその場に居合わせたような感覚になるのが良かった。他にも『レス・ダン・ゼロ』などもいい雰囲気を出してた。今まで本なんか読んだこともなかったぼくが高校生の時読んで凄いショックを受けたのをよく覚えてる。当時のブックカバーの最後に「END]という文字が書かれてたが読後その文字が見た目以上に大きく見えたものだ。 (★★★★★)
  • 落合信彦: 第四帝国
     まず最初に断っておこう。これはトンデモ本である。ここに書かれてる内容は根も葉もないことと言っていい。そもそもこの落合信彦という人がゴースト・ライターを使ってマトモに取材してるかどうか怪しい。本人いわくCIAに100人も友人がいるというから情報には事欠かないということらしいがこれではアメリカ政府のトップシークレットがなぜか来るというUFO研究者と言ってることが変わらない。そういえばUFOに関しての記述もこの本ではありオリジナルな展開を見せてるのは興味深かった。  内容はナチス・ドイツの残党が世界各地で暗躍してるというものでヒトラーは生きてる、UFOは実はナチスが造ったというファンタジーが溢れてる。その展開はちょっとしたSFといっていい。  事の真実なんてどうでもいい。ただ単純にエンターテイメントとして読めば何の問題もないだろう。誰も「ゴルゴ13」を読んで事実と違うと言わないだろう。それと同じことだ。  しかしこの人、いかにも事実というように書くのが上手い。文章も簡単でスラスラと読めるので展開のテンポがいいのである。だから知らないうちに読んでしまってるという感じになる。そのスタイルはぼくもずいぶんと参考にさせてもらった。  まあ実際はゴースト・ライターなんだが。 (★★★)
  • ニック・ホーンビィ: ぼくのプレミア・ライフ
     このブログの元ネタとなった本。この本との出合いはサンフレッチェの応援仲間に渡されたことだ。その存在は知ってたものの読む機会がなかったのでありがたかった。  内容はというとアーセナルを応援する著者のその観戦生活といったとこだがこれを読むと結構日本のサポーターもプレミアのサポーターも変わらないとこがあるのがわかる。退屈な、退屈なアーセナルというタイトルには笑ってしまった。なぜなら分かり過ぎるくらい分かる心情だからだ。ぼくもサンフレッチェを応援してて何度同じことを感じただろう。  今やアーセナルはプレミア・リーグでも優勝しチャンピオンズ・リーグでも決勝に進出するような存在。一方ぼくの応援するサンフレッチェ広島はJリーグの1部リーグで常に降格の危機を感じるクラブ。でもその根っこは同じである。海外サッカー好きにはJリーグをバカにする傾向があるがそういう人には分からない内容かもしれない。 (★★★★★)

サンフレッチェの魂~リンク集

  • SANFRECCE Diary
    このブログを読んでる人ならすでに知ってるだろうから今更リンクを貼るのが恥ずかしい気もする。 何せこのサイト1997年から毎日更新してるというのが凄い。 過去の記事などはぼくも参考にさせてもらうことも多い。 継続は力なりというが実際には継続するのに力がいる。 そういう意味でも管理人のせと☆ひできさんは偉大である。
  • ススボウブログ
    自分サッカーやグルメについてのブログということです。 かなり熱心に応援してる方のようです。
  • ひろしま日記&サンフレッチェコーナー
    試合を時系列で紹介したりかなり凝った内容となってます。 現地の様子など行った人でしか分からないことがあり興味深いです。 試合に行った人も行けなかった人も楽しめるのではないでしょうか。
  • ゆみしん徒然の書
    ゆみしんさんのブログ。本当に色んなスタジアムに観戦に出かけて現地の様子をレポートしてます。観戦者視点でそれぞれのスタジアムの様子が分かり現地に行く時の参考になりそうです。
  • Scud Sanfrecce
    MICRAさんのサイト。ここの特集のコーナーは必見。サンフレッチェはなぜ人気がないかという考察については今までに見ない観点がある。是非一度読んでください。
  • ヒロシマ・コーリング
    今そこにある危機。サンフレッチェにはメディアが少ない。その為妙にぬるい記事が目立つ。そんな甘い現状にこのまま放置していいのかという危機感を感じた時発言していく。

JリーグPR

  • Jリーグ2010特命PR部員 Miles

« 2007年12月 | トップページ | 2008年2月 »

2008年1月31日 (木)

代表戦に付きまとう疑問

2008/01/30 日本vsボスニア・ヘルツゴビナ 国立競技場

 閑散としたスタジアムには宴会の後のような空気が漂い緊張感がなかった。果たしてボスニアにとってこの試合の意味は何かあったのだろうか。せめて客が入れば興業という理由も立つのだがこの観客動員では一体何の為にという疑問が残る。いや、そういえばW3次予選が始まるんだったと気付くのだった。

 今更ながらトルシエやジーコの時の代表と今の代表で何が違うかといったら期待感である。トルシエの時は若く才能のある選手が多数選出されこれで駄目でもまだこの後がある、この選手達が成長すればもっと戦えるという希望感があった。ジーコの時は期待されたそれらの選手がピークの年齢に達したことで最もタレントが豊富だという自信があった。だから日本が勝てないのは選手のせいではない、監督のせいだという風潮が常に起こった。だから監督論争はいつの時にも収まらなかった。

 そういった論争はある意味で間違いではない。世界中どこの国でもあの監督がいい、この監督がいいという議論は起きている。ただ、日本の場合そこまでの能力がないのに監督の力によってその潜在能力が2倍にも3倍にも膨れ上がるという見方をされてたのだ。そして名将と言われたオシムが就任してからもそこまで素晴らしいという印象を持った試合をしないことで悟ったのである。口には出さないけど分かってしまったのである。どこをどう考えても日本にはストライカーはいないし世界と較べると選手個々の力が違うと。それが分かった時、今まで熱を帯びてたものが急に下がってしまったのは仕方がないことだろう。

 ただ若き才能として岡田監督は内田を使ってる。本来ならこういう選手に将来を期待してもいいはずだ。なのにそれができないというのはもう散々そういう夢が破れた現実を味わってしまったからだ。小野信二や市川大輔といった早くから代表に選ばれた選手が世界的にトップクラスの選手になったかというと苦しいとこである。確かに内田も自分のクラブでは活躍してるが絶好のシュートチャンスをパスしてしまった。皮肉にもそれは天皇杯決勝で先制点を挙げた場面と同じ状況であった。サンフレッチェ相手にはシュートを打ててボスニア・ヘルツゴビナ代表相手にはシュートを打てない。これは単に相手の威圧感の違いなんだろう。サンフレッチェならDFが緩いし失点が多いし昨シーズン4回対戦して3回勝ってるしという安心感があったんだろう。まさにサッカーはメンタルのスポーツたる由縁である。

 結果的には30で勝った。相変わらず中澤はDFの割にはよく点取るなとか山瀬はシュート上手いなというのが再確認できた。そして世界のストライカーならここでこういう場面なら自分で強引に行くんだろうなとかあそこでシュート打てないのかなとかいうFWの貧弱さについても再確認できた。これでは佐藤寿人がJ2ながらも東アジア選手権のメンバーに追加登録されたのも分かる気がする。

 同じ頃、ハンドボールのオリンピック選出を賭けた試合が日本であった。サッカー代表から応援グッズを提供するなど支援もあった。中東の疑惑の判定を不服とすることを発端とする予選やり直しということもあってメディアの注目度も高い。もしかしたら今回のボスニア戦より人々の関心は高かったのではなかろうか。

でも負けた。普段日陰の存在であるハンドボールだけにこの1試合だけ急に注目されても厳しいものがあったろう。そういう事情がありながらも思うのだった。何で日本って何やっても弱いんだろうと。

2008年1月28日 (月)

等身大の希望を抱かせる青山敏弘

他クラブからオファーはなかった。意外だった。地味ながらもこの選手のクオリティーの高さと運動量の多さは魅力なはずだった。U22代表としてオリンピック予選にも出場してるので格クラブの目に留まらないはずはない。プレーが評価されなかったんだろうか、それとも怪我の影響か。

青山敏弘はどこかついてない印象がある。チームがJ2に落ちたのはスタメンで出てた試合が多くあるのだからこの選手にも責任はある。だけどどこかそうじゃないと反論したくなる、そんな雰囲気がある。この選手のせいにしたくない、この選手は悪くなかったという戦犯から外したくなってしまう感情が出てくるのだ。

これはどうしてだろう。やはり高校選手権の地方予選決勝でゴールを主審のミスジャッジでゴールと認められずに敗退してしまったことによるのだろうか。いや、そんなアマチュア時代の悲劇をいつまでも引きずってもしょうがない。やはりこの選手の場合ミシャに抜擢されてからその能力の高さに驚かされたというのがあったからだ。2006年、まさかこんな凄い選手がサンフレッチェにいたとは思わなかった。豊富な運動量、アグレッシブな守備、意表を突くロングシュート。どれもこれもが標準のレベルを超えてた。

その青山が2007年シーズン期待通りの活躍をしたかというと首を捻らざるを得ない。シーズンを通してもっとやれるはずなのにな、もっといいパスが出せるはずなのにな、シュート打たないのかなといったどこかもどかしさがあった。もしかしたらぼくらの印象の方が強くて実際に青山よりも大きいものを頭に思い描いているからだろうか。それともシーズン終わりに怪我をしてしまったというのもあり体調が良くなかったのだろうか。

とはいえ元ブラジル代表の肩書きを持つベットをベンチに追いやったのは紛れもないこの青山だ。ベットも来た当初は救世主だったが段々そのパス制度の低さや無理なパスを出すといったことが目に付くようになりから周りの印象があった。それでもピッチのどこにでも顔を出す縦横無尽な運動量で相手の攻撃の目を摘んだのである。ただもっとまともなパスが出せればというとこだったのだが青山はそれを持ってたのだった。

本人はスピードがないから常に動くことによってスピードを補ってるということだった。陸上でいえばスプリンターではなく長距離ランナーのようである。そして顔に似合わないアグレッシブな守備。その激しさにカードを貰うこともあるがこれは本人も譲れない部分とスタイルを変えるつもりはないようだ。ただそういうプレースタイルもスタメンに定着してからぼくらは知ることになった。ほとんどどんな選手か分からないので数年で消える選手だとも思ってた。それだけにこの選手は無名だけど戦力になった久保や服部と同じ流れを汲むものを感じさせるのだった。

物静かでナイーブな雰囲気。それなのに時折放つ大胆なシュート。2006年鹿島戦で見せた35mシュート。やっぱりもう一度見たい。カズのポジションが中盤に戻ることからチーム内での競争が高くなるだろうがここで終わる選手ではないはずだ。正直カズや浩司に感じてた期待よりもっと真近な期間での活躍を期待してるのだった。ということでこの選手には等身大の目を向けているのだった。

2008年1月27日 (日)

日本代表岡田監督の存在

2008/01/26 日本vsチリ 国立競技場

 岡田監督になってからの初めての国際試合。どんなチームになるのか見ものでもあったが以外にもオシムの時とメンバーがそれ程変わってないのである。千葉枠と言われた巻、羽生、山岸といった選手はしっかりと選ばれてたし大久保も使ったかもしれない。唯一岡田監督のオリジナルとしては内田を起用したくらいだろう。結局誰が監督をやっても選ばれるメンバーはそう変わらないということだろう。だとしたらぼくらはあの監督がいい、この監督がいいと議論を交わすがそれってあんまり意味がないような。いや、意味がないからこそ話す価値があるのだろう。

 しかしせっかくの岡田監督の初陣も客の入りは冴えなかった。かつてプラチナチケットとまで言われた代表戦も今では空席が出るようになってしまった。とはいえそういう時期に入ったんだろうという気がする。ただの親善試合、代表という肩書きを外せば単に一番活躍できる選手を集めただけ。近年Jリーグのオールスターサッカーが客が入らないが代表でも入らないのにオールスターが入る訳がない。だってメンバーなんてほとんど同じなんだから。それにしてもかつての華がないのが何とも寂しいものだった。

 華がないというのは単に注目すべき選手がいないということだろう。つまりスター不在という訳だ。よく日本代表が勝てないと海外組みを呼ばないからだと批判する人がいる。だけどその海外組みで実際に活躍してるのはほんの数名しかいない。しかもチームの中心でやってるという印象はない。やっとこさ試合に出られるというレベルのものがほとんどだ。そういう選手が一人入ったからってそんなに変わるものだろうか。

 そう考えた時中田英寿の名前が浮かび上がった。そう、海外で活躍してる選手というのは中田のことだった。結局中田がいるだけで注目度が変わった。海外組みなんて言い方されるけど実際には中田なのである。確かに中田に代わる選手はいない。当分の間代表の人気は苦戦するだろう。スターがいないんだから。

 正直日本のマスコミは若い選手が好きだ。スポーツ番組でも優勝した選手そっちのけで若くて注目されてる選手ばかり追う傾向がある。だから日本はスポーツが発展しないと思う反面そういうスポーツ選手もメダルを取ったら引退してタレントに転向するという人も結構いる。ということは日本において一番栄誉あることはタレント業なのかという気がしてくる。これって良いことなのか悪いことなのか。とにかくサッカーに注目してもらおうと思ったらそういうタレントに成りうる人材が必要ということになるのだ。

 だがよく考えてみたらトルシエにはそういう要素があった。何かにつけ協会と揉め事を起こし世間を騒がし試合になれば派手なジェスチャーに顔面紅潮させた表情、しかも影武者のように付きまとってるフローレンス・ダバディの存在もあってその印象派強烈だった。そして最後までこの人は本当に有能なんだろうか無能なんだろうかという謎が付きまとった。トルシエこそ歴代代表監督おいて最高のパフォーマーだった。

 そういった過去があるだけに岡田監督はどうしても地味に見えてしまう。監督として最高の選択だったのは確かだ。ただこのまま人気が低迷するとスポンサーの関係やTV放送の関係で不利になるのではないかと危惧する。そんなことまで監督として義務を負ってはないがやっぱり代表監督手って大変なんだなと思うのだった。

2008年1月25日 (金)

ドラゴンと呼ばれた男

 久保竜彦の復帰が決まった。予感はあった。キャリア最後の地として広島を選ぶのは当然だった。まあまだキャリアが終わると決まった訳じゃないがこのところの怪我によるコンディション不良はもうそれ程長く選手生活が続けられないと考えさせられるのだった。昨シーズン横浜FC8試合出場、1得点というのが全てを表してる。

 それが故に手放しで喜ぶこともできない。正直一体年間何試合出場できるのか。そして本当に戦力になるのだろうか。リハビリだけで1年間終わってしまうのではないだろうか。そんな不安が過ぎるのである。ただベストコンディションの久保は本当に凄い。凄かったからこそサンフレッチェはカウンター主体の戦術で勝ち星を挙げていったのだ。久保の一発で勝てたという試合が何試合もあった。そしてそれは久保がまぎれもないストライカーである証だった。

 もし、久保がもう2年早く関東のチームに行ってたら日韓W杯には選ばれただろう。サンフレッチェは人気がないので久保の活躍を見た人が少なかった。得点を挙げるといっても得点王争いをする訳じゃない。ただ毎年10点以上は取るというだけだ。その数字だけを見れば大したことないような気がする。だけど久保のゴールはそういう数字には表れないとこにあるのだった。

 ストライカーと呼べる日本人選手を挙げてみろと言われて一体どれだけの名前が出てくるだろう。例えば30で勝ってる試合でもしくは03で負けてる試合で終了間際にゴールする。得点数はあるがほとんどがPK。それで年間10得点以上あると言ったってそんなのストライカーと言えるだろうか。2003年にいたマルセロがまさにこのタイプだった。チーム内得点王とはいっても肝心なところでいつもシュートを外す。その癖どうでもいいようなところでゴールを決める。そんな選手に10番を付けてたものだから10番はもはや外国人FWの指定席のようになってしまった。あの久保竜彦の10番に較べると重みがまるで違ったのだった。

 ただ正直なところ今のサポーターの中には当時の久保を知らない人は多いだろう。日本人離れした豪快なシュート、インタビューになると「はい」しか答えないこと、好不調の波が激しいこと。これら全てが久保だ。それら全てを包めて久保こそサンフレッチェを象徴する選手だ。全くの無名選手だったということも久保らしい。

 寿人と久保の2トップ。できることなら日本代表で見たかったが思わぬ形で実現しそうだ。でも寿人と久保のチャントって被ってるよな。本家本元は久保だがそこはどうするんだろう。まあそれ以前に本当に久保がトップコンディションを維持できるかどうかが問題だ。帰ってきてくれて嬉しいと思う反面本当に使えるのだろうかという不安が入り混じる。今シーズンはずっとそんなことを考えるシーズンとなりそうだ。

2008年1月23日 (水)

浩司への期待感

 得点のできる攻撃的MF。浩司に期待したのはこれだ。だから森崎ツインズでも浩司の方が人気があった。それは守備より攻撃の方が華があるからだ。実際2003年のJ2では9ゴールを記録し2004年もJ1でチーム内得点王の成績を残した。FKやミドルシュートを持っていてゴールの期待できる選手。一時期浩司がゴールした試合は必ず勝つとさえ言われたものだ。

それがこのところの浩司ときたら、得点する方が珍しい。ゴール前でパスを貰ってもシュートしようか迷ってからパスをする。シュートをする時も一旦迷ってからシュートする。そんなコンマ何秒といった差でゴールができてない。大体敵のゴール前でそんなに時間の余裕がある訳ないのだから振り向いたらシュート、交わしたらシュートというくらいの意識じゃないとシュートすら打てない。このシュートを打たないというところから今のサンフレッチェを象徴してる選手であるかのようだ。

 カズと違い浩司は長い間スタメンで出場することができなかった。いつか浩司のスタメンを見たいと思ったものだが実際にスタメンに定着したらチームをJ2に落としてしまった。そのせいで浩司に対する印象はすこぶる悪いものになった。いらない選手とさえ言われた。それなのに天皇杯の磐田戦はFK2本決めて勝利に導いた。若手主体で臨んだ最終戦でもチームとして悪くなかったにも関わらず浩司が出るとやはり他の選手よりプレーに安定感がある。だからレベルの低い選手ではないんだろう。だからこそぼくらは理想を高く持ってしまいそのイメージに追いついてない浩司に不満を感じるのだ。

 しかし、浩司にも悪い部分はある。どうしてFKを自分で蹴らないのか。PKを蹴らないのか。監督の指示かもしれないがそういうチャンスを外国人選手に譲るというのは弱さというように見えてしまう。もっと強い意志、自分こそが試合を決めてやるというオーラを出して欲しい。いつまでも若手のままじゃないだぞ。2003FKの場面で3流選手のマルセロにFKを譲ってまるで入りもしないキックをされてしまった。2005年シュートの下手なチアゴにPKを蹴らせて外してしまった。2007年全てのFKをウェズレイが蹴りまるでチャンスにならなかった。どうしてここでお前が出てこないんだ。そんなに自信ないのかと言いたくなる。いや、むしろそういうとこが自信のないような印象を与え浩司に駄目なイメージをもたらせてるのだった。

 もはや選手としてピークの年齢に達した。それなのにチームはJ2という理不尽さがある。だけどそのJ2に降格させた責任は浩司にもある。大体こうやって説教めいた論説が出てくること自体選手としてどうなのだろうかという気になる。それでいて本音ではまだ期待をしてる部分がある。そのギャップが浩司への評価を浮遊したものにさせている。

かつてヴァレリー監督は将来スーパースターになる人材と言った。その将来は今年なのか、来年なのか。批判をしながらもずっとそんなことを考えてしまうのだった。

2008年1月20日 (日)

ツインズの一人、カズ

 「そして3人が残った」

 ロックバンド、ジェネシスでヴォーカリストのピーター・ガブリエルが脱退した時にできたアルバムのタイトルだがサンフレッチェにスーパーセブンと謳われて加入した2000年の新人選手は3人しか残らなかった。そして今度は駒野も移籍したので2人が残った。その2人が森崎ツインズである。あの時夢見た陣容とは大きく違う。スーパーセブンと言われた7人の内4人は戦力外、そこが寂しい。その後も毎年有望な選手は入団してくるけどこの時程輝ける未来を楽しみにしたことはなかった。今にしてみれば単に今までそれ程有望な新人選手を獲らなかったから、もしくは年代別代表に入ってるユースの選手がいなかったからというのが影響してるかもしれない。このスーパーセブンだけは活躍したしないに関わらず大きく印象に残ってる。だからチームを去った後もその後の動向が気になってしまうのだった。

 双子の評価というのは微妙だ。それぞれがそれぞれの価値観を持ってるという感じだ。この双子のお陰で若い女性のファンも増えたという気もするし新人王を取ったカズについては将来を希望を満ちた眼で見ることができた。当然いつかはA代表に選ばれる人材と思ってたが現在のカズについて果たして当時持ってたイメージに追いついてるかというと難しい気がする。そもそもDFで使われるとはどういうことだ。もっと攻撃にも貢献する選手ではなかったのか。

 この辺はカズにとって不運だったろう。いや不運だったんだろうか。そもそも2006年にミシャが来た当時DFへコンバートされたカズはモダンDFといって賞賛されてたじゃないか。それが相手に研究されることによってカズのDFとしての個人能力のなさを突かれるようになった。多くの失点はカズのところからというのが結構多い。それでもミシャはカズを動かすことはなかった。そしてMFに戻したのは入れ替え戦の第2戦目。遅い、遅すぎると頭を抱えたのだった。

 確かにカズがDFをやって上手くいってる時期もあった。だけど上手くいかなくなってそれでもDFに固定されてたというのはどういうことなんだ。それに絶対にいつかはMFに戻るとぼくらはみんな信じていた。いくらミシャがDFとして考えてようと絶対にMFの選手という固定観念は拭い去れなかった。だから失点を繰り返すカズは哀れだったし選手として信頼が置けなくなってきた。いつしかカズがいなければ勝てるなんて考えるようになった。

 それが入れ替え戦2戦目、そして天皇杯とMFのカズは本来のカズだった。それどころかしばらくDFをやってたせいで守備も当たりが強くなっていた。これこそミシャの狙いだったのだろうか。でもそれで降格したとしたらそれはあまりにも高いだ。

 ただこうやって右往左往してしまったのにはカズにも責任がある。2003年のJ2リーグ、カズはチームの中心だった。そしてJ2の中では抜けてる存在であるはずだった。それがこんなもんなんだという程度の印象しか残さなかった。その後もJ1で存在感を現したかというと何とも言えない。さらにモヤモヤ病などという訳の分からない病気の為戦線を離脱したりもした。どこか甘い、頼りない、ヌルイ体質を持ってる。実際はどうだか分からないがこれがサポーター目線でのカズの印象だ。だから今シーズンのカズは慣れないポジションをよくがんばったとも言えるし失点の原因として疫病神のような存在でもあった。こうやって評価が分かれるところがまだスーパーではないなというのが正直なとこだ。といってもう年齢的にチームの中心に立つべき選手。この年齢になっても成長したらと言ってるとこにこの辺が限界なのかという気がする。そうではないと信じたいが。

 いずれにしてもチームを2度もJ2に落としてしまった。これでまた負のイメージが付きまとう。本当はカズはチームの顔として無尽蔵な働きをして欲しい。森崎=サンフレッチェと言ってもいいくらいになって欲しい。それくらいサンフレッチェの顔として期待してる。だって最後のスーパーセブンの2人だから。といって未だに期待するという表現を使ってるとこが森崎らしいのだった。

ミスター・サンフレッチェとなりうる槙野智章

 非公式ながら他チームからオファーがあったという槙野。それでも広島に残った。その理由は広島が好きだから。こう言ってくれるこの男にぼくは熱いものを感じた。

 正直サンフレッチェは人気がない。Jリーグに100年構想というスローガンがあるがもしかしてただクラブが存在してるというだけで100年経ったら人気が出るようになるとでも考えてるのだろうかという節がある。そう懸念してしまうくらいサンフレッチェのフロントは人々の関心を得るということに無頓着だ。ビッグアーチの試合はとてもホームという雰囲気が出ないのも無関係ではないだろう。何となく試合をやって何となく終わってる。これは他のクラブのスタジアムで試合を見たら一目瞭然だろう。選手としてもっと人気のあるチームに行きたいとか考えないのだろうか。いや、だからこそ尚更そんな広島が好きで残ると言ってくれた槙野には感謝する。

 だが正直なとこ入団した当初全く期待してなかった。それは小野監督時代ユースから上がった選手が軒並みフェードアウトするようにチームから消えてったせいでもはやユース出身の選手に期待感を持てなくなってしまったのだ。監督がミシャに代わって柏木がスタメンに抜擢されて活躍したがそれでもまだ信用ができなかった。実際に槙野のプレーを見た訳じゃないのにそこまでネガティブな思考に至らしめる小野前監督というのはとんでもない負の影響力を残したものだ。

 ポジションがDFということもあり槙野はすぐに試合に出られなかった。だけど2年目はチームの失点の多さについにDFのメンバーを替えざるを得なかった。元々本職のディフェンダーを使ってなかったので槙野の登場はやっとまともな起用法が見れると思ったものだ。だが入団2年目の選手に守備の建て直しを期待するってどういうことだという疑問もあった。

 そんな中での起用だったので監督が時期を見計らって出場させたという感じはしない。ただドタバタの中でたまたま出ただけのように見える。それでもその中で徐々に存在感を発揮しレギュラーに定着したのだ。やはり能力は高かったのだ。そしてこの選手がいるとチームが盛り上がるというのは戸田のコメントだがそういうオーラみたいなものはスタンドからでも感じることができた。甲府戦、ゴール前でみんなパスを廻してばかりいる展開で唯一シュートを打ったのがこの槙野だった。それだけだったらただ惜しいで終わるのだが最終節のガンバ戦でロスタイムにCKからゴールを決めてる。この辺がこの選手の印象をより強いものとし期待の若手というよりもはや主力として見ることができるようになった。それだけに入れ替え戦の最後のオーヴァーヘッドは決まったら凄かっただろう。だけど今までサンフレッチェのディフェンダーでオーヴァーヘッドをする選手なんていただろうか。

 その槙野だが新しい背番号は5に決まった。磐田に移籍した駒野を受け継ぐような形になった。そしてその内サンフレッチェからのA代表選手という称号も受け継ぐんだろうと意識できる。長らくDFにサンフの顔と言える選手がいなかったがやっとそう言える選手が現れた。まさに

上村

健一以来の人材である。DFとして後ろからチームをまとめて自らも得点に顔を出す、その活躍を想像するとワクワクしてきた。今までのユース上がりの選手のように期待という目ではなく実感として活躍を考えられる。果たしてこの選手、もう2年早く入団してたらどうなってただろう。小野監督の負のオーラに潰されてるのだろうか、それとも自身の正のオーラが勝るのだろうか。どちらも強烈なだけに想像がつかない。いや、そんな無駄なことは考えるのをよそうと思いながらもそれくらいユース上がりの選手を潰されたという思いも強いのだった。槙野が活躍することは長いことあったユース上がりは使えないという固定観念を打破できることでもあるのだった。

2008年1月17日 (木)

イリアン・ストヤノフ

 天皇杯決勝でのストヤノフのコメントには震えた。言葉だけなら誰でも言える。だけどストヤノフはプレーでもどうかしようと常に考えている。時々見せる中盤を切り裂くようなドリブル突破は魅力だ。右足のキックも結構精度がある。ウェズレイのFKがちっとも入らないのでストヤノフに蹴ってもらいたかった。少なくとも枠に入れることはできると本気で信じている。

 ただ、ストヤノフにとってサンフレッチェへの加入は不幸だった。いや、不幸は言い過ぎかもしれない。だが少なくとも幸運に満ちたものにはならなかった。なぜならサンフレッチェにおいて期待が大き過ぎたから。そして恐らくこれは監督の希望による加入ではなかったからだ。だから立場的に非常に難しい位置にいたのは確かだ。

 アマル・オシム監督との確執で千葉を離れたストヤノフは広島に拾われる形で加入した。守備に不安を抱えるサンフレッチェにしてみればストヤノフは調度良い人材でありこれで失点が減らせるという希望を抱かせた。その希望の影にはオレグの記憶があったのは確かだ。2001年も失点が多く残留争いをしてたもののオレグの加入で失点が改善し残留への大きな力となったという事実がある。ただオレグ一人で失点を減らしたわけでもないだろうがサポーターの記憶の中ではもうそういうものが出来上がってるのだった。だから今回もストヤノフがサンフを残留へと導いてくれると期待したのだ。

 しかし、サンフに入ってきたストヤノフは機能しない。ほとんど千葉でのストヤノフのことを知らないサンフレッチェサポーターにとって期待外れの感覚はあっただろう。千葉では主力だったけどこんなものだったのかと。本人のコンディションもあったのかもしれないがポジション自体も決まらなかった。最後列がいいのか中盤がいいのかトップ下がいいのか。やっと最終列だと固定されたのが入れ替え戦からである。遅い、遅すぎた。確かに高さもあり足元も上手いので安定はしてるがJ2に降格してしまってから本来の能力を発揮したという感じである。

 だけどストヤノフには安定感がある。今更ながらこの選手がいて良かったという安心感がある。Jリーグの中でもトップクラスのディフェンダーだ。性格もガッツがあっていい。そしてファールを貰うのが上手く試合の流れを読んで倒れるのも上手い。ぼくは個人的にすぐ倒れる選手は嫌いだが以前ビスマルクの倒れ方の上手さにあれくらい倒れるのが上手いと文句が言えないと思ったがストヤノフには同じものを感じる。倒れるならこれくらい上手く倒れて欲しい。どうもJリーグの中には痛くもないのに倒れて臭い演技をする選手が多数いるような気がする。正直見てるこっちの方が恥ずかしくなることがある。

 ストヤノフはJ2降格が決まった時も真っ先に残留すると宣言した。熱いハートを持ってる。この心意気を無駄にしたくない。そんなことを感じさせてくれる選手だ。結構レベルの高い選手だがヨーロッパでプレーしてたのにもっと上のリーグでプレーする機会には恵まれなかったのだろうか。運、不運もあるのだろうがやっぱり世界は広いと感じるのだった。

遅い新年会

 年末年始となかなか皆忙しいだろうというので今頃になって新年会をやった。ぼくの呼掛けで集まったのは12人。大体千葉近辺の人だが今回は遠方からも駆けつけてくれた。嬉しいことだ。と同時に最近こういう企画を関東であまりやらなくなったせいでこちらに来たという事情もある。それはそれでちょっと寂しい現状ではあった。

 ぼくは毎年新年会を企画するがどちらかというと千葉方面の人を対象にして開催も千葉近郊でやってる。本当はもっと他の地域でもこういうことをやって欲しいのだが今はそれぞれ仲の良くなった者同士がそれぞれで集まってるという状態だ。それはそれで悪くないのだが広く告知をする、参加を募るということをやっていかないと新しい仲間が増えていかない。元々関東でサンフレッチェ・サポーターを増やしたのは一人一人話して顔と名前を覚えてといった作業をしていったからだ。それが今は薄れてる気がする。どんなに人が増えてもその原点は見失わないようにしたい。

 まず、このメンバーの中であまり馴染みのないメンバーが3人いたのでそれぞれ自己紹介をしてもらった。みんな顔は見たことある。でも名前は知らないといった感じだ。まあなかなか一度で名前を覚えるのは難しいと思うがこうしたことを繰り返すことでお互い知り合うものだと思う。

 ぼくはこの会で今までぼくが関東で仲間を集めた経緯、そして発展させた経緯、さらに今に至るコミュニティの確立には自分独りではなく色んな人がそれぞれの得意分野で活躍してくれたことを話した。サンフレッチェを応援する仲間が欲しい、その1点だったが仲間が増えれば色んなことができる。そして少数しかいない人なんだからなるべくそういう人を引き入れるようにしたいと話した。やはり自分からこういった中へ入ってくる人はなかなかいないだろう。ぼくだって正直知らない人に話しかけるのは勇気がいる。だけど一人の人が集団でいる人に話しかけるのはもっと勇気がいることなのだということを忘れてはいけない。

 今期はJ2となったので簡単に行ける場所での試合がない。だからこそ尚更お互い連絡を取り合って乗り合いで行くなどの方法で交通費を減らしたいものだ。まだまだ新しく来た人は遠慮があるだろうがそれも根気良く付き合っていくと変わってくるものだ。その内積極的に自ら動き出すようになる。ぼくはそういうのをずっと見てきた。だから原点は見失わないようにしようと思う。まだまだ関東だって発展の余地はあるんだから。

2008年1月16日 (水)

2つの顔のウェズレイ

 2007年を総括するならウェズレイに始まりウェズレイに終わった。開幕戦のアウェーFC東京戦で2ゴールを上げ寿人とのコンビはより熟成を増し得点ランクもトップを独走していた。それが17ゴールを上げた時からパタッと止まってしまった。一体どうしたのか、体調が悪いのか、それともどうでも良くなったんだろうか、とにかく眼に見えてパフォーマンスが落ちた。ウェズレイのゴールがなくなると比例してチームも勝てなくなる。もはやウェズレイがいない方がいいのではという気がするくらいだった。

 酷かったのは入れ替え戦、両チーム合わせても一番悪い出来だった。第1戦でとても使い物になってなかったのに第2戦でスタメンに名前があった時にはもう終わったと本気で思い事実そうなった。後でミシャのコメントでウェズレイはこの試合がプロでの最後の試合ということで使ったということだったが本人ももう潮時と理解してたのかと思ったものだ。それが大分が獲得するというニュースが入ってきた。一体どうなってるのだ。

 ウェズレイがやる気がなかったのだろうか、それとも単にコンディションが上がらなかったんだろうかそれは本人でしか分からない。ただ間違いないのは17ゴールという数字は残ってるということだ。チームだけじゃない、Jリーグ見渡してもここまでゴールを上げられる選手はいない。得点を重ねてる時期、ウェズレイがいれば大丈夫という安心感があった。それがウェズレイがいるから不安になった。1シーズンでここまで評価が変わるって一体どういうことだ。やはり体調が悪かったのだろうか。

 調度ウェズレイがゴールを決めれなくなった頃雑誌『サッカー批評』にウェズレイのインタビューが掲載された。そのインタビューは無愛想にやっつけ仕事のような態度をされたという質問者のコメントが載ってたが、広島の関係者はいつは愛想良く対応してくれるんだけどということだった。何だかそれがプレーと重なって見えたのが印象的だった。中盤まで下がってボールを受けに行きチームで一番動いてるというウェズレイが前で歩いてる、そしてボールを持ってもすぐに失う、FKのチャンスは自らボールに寄りものの見事にチャンスをふいにしてしまう。ウェズレイを見習えからウェズレイいない方がいいに変わったのである。やはり心境に変化があったのだろうか。

 広島の為に戦ってくれた選手であった。広島の為に尽くしてくれた。広島としても必要不可欠な選手であった。でも結局のところ外国人でしかなかったというのを痛感したのだった。ある意味プロらしい。それならミシャもプロらしく駄目なら試合に使わないということをやって欲しかった。お互いプロなんだから。

 でも本当にウェズレイの良い時は本当に愛想が良くて親しみやすいという印象があった。名古屋在籍時にあった勝手我がままなイメージとは程遠かった。手本にすべき選手であった。そして何より外れを引きまくるサンフレッチェにおいて外国人FWの中では数少ない成功例だった。だから敬愛を込めて愛称のピチブーと叫んだ。それなのにいつの間にかソッポを向かれてしまったという感がする。

 もし入れ替え戦でゴールがないまでも本当に得点をしよう、チームを救おうという気概が見えたならチームは替わってもお世話になった選手として応援しただろう。だけど今はそんな感情はない。ただパッタリ得点できなくなったが本当にもう劣化してしまったのかどうかその確認だけはしたいという興味しかない。とても渇ききった関係だ。あのごつい顔でゴール裏に笑顔で応えたウェズレイ、ロクなパフォーマンスをしてないのに平然としてたウェズレイ、一体どちらが本当のウェズレイだったんだろう。

2008年1月14日 (月)

駒野移籍

 駒野の移籍が決まった。まあそうなるだろうとは思ってた。移籍金3億ということなので良かっただろう。残って欲しいという気がしながらも売り時ではあった。日本代表にも定着した駒野にとってJ2の舞台は合わない。だからしょうがないと考えることができる。

 その冷静になった感覚でいうと駒野は必要な戦力でありながらいたら勝てるという存在でもなかった。勝ってないから降格した訳でそれは当たり前のことだが駒野に関してはシュートが入らないという印象が強い。鋭いキックは蹴るが枠に行かない。左サイドの服部が枠には行くけど威力がないというのと対照的だ。ホーム大宮戦ではロスタイムにゴールを決めたがあれだって一旦はポストに当たって跳ね返ったのを決めたのだ。本当にシュートが入らないという気がする。あれを決めてくれればというのが結構シーズンを通してあったのだ。

 でもそのシュートチャンスに行くだけでも他の選手とはレベルが違う。サイドの選手なのにゴール前に詰めてる。そしてボールを持てば積極的に勝負する。駒野なら突破するだろう、駒野ならセンタリングを上げれるという期待感を持っていた。そして実際にゴール前に飛んだことごとくゴールにはならなかった。これだけチャンスを作ってるのにという思いはあっただろう。だから優勝争いのできるチームに行きたいとコメントしたことに一理はある。恐らく駒野はどこのチームに行こうとこなしてしまうだろう。やっぱりレベルの高い選手なのだ。

 だが、久保竜彦が移籍した時のような寂寥感というものがない。この穴埋め誰にしようかと結構冷静だ。ユース上がりの選手で愛着はあるはずだがキャラクターとしてのインパクトが低いからだろうか。同期の森崎ツインズより活躍してるにも関らず存在が地味だ。サイドの選手というのもあるだろうがどことなくチームの顔とはなってない。ピッチ上でも表面に闘志を露にしないスタイルがそうさせてるのかもしれない。

 でもよく考えてみたら駒野はサンフレッチェユースで初めてA代表まで登り詰めた選手。弱い弱いサンフレッチェは普通のリーグ戦で胸を張れるような結果を出したことがほとんどない。だがユースチームが強いというのは唯一の希望だ。金の卵を持ってるという後ろ盾を持ってる。いつかは強くなれるという錯覚を与えてくれる。それが本当に日本のトップに立ったということを証明したのは駒野ただ一人だ。入団した時スーパーセブンと言われたが間違いなくその中で最も成功している。結局スーパーセブンと言われながらスーパーになったのは一人だけだったのだ。その一人が去る、世の中ってこんなものなのだろう。

 本当にトップクラスの選手になったら他のクラブへ行ってしまう。これこそ広島を象徴してる。だけどJ2降格で流出と言えるのはこの駒野の移籍だけだ。これって例のないものだがそれが年棒を上げることによって引き止めたという話である。そりゃ必要な戦力に対してはそれ相応な対応をしないといけないのは確かだ。ただあくまでもチームをJ2に落とした選手だぞという気分もする。J2に落ちたのに年棒を上げる。どうもスッキリしないものを感じるのはぼくだけだろうか。

2008年1月11日 (金)

北の国へ旅立つ吉弘充志

 吉弘充志のコンサドーレ札幌への移籍が決まった。J2へ降格したサンフレッチェから最初の移籍選手である。ある意味意外であった。それはこれまでの起用法を考えれば当然の決断であろうが試合に出てない吉弘がJ1の戦力としてオファーを受けたのが意外だった。札幌もよくこういう選手に目をつけたものだと思う。一体どこで見たんだろう。

 正直なところこの移籍はしょうがないというところがある。DFラインはほとんど固定されて出場できてもサブというのは見えている。だから降格しようが残留しようがこの移籍はあっただろう。だから降格して逃げるというイメージではなく活躍の場を移すといった感じだ。素直にこれからのサッカー人生を実りのあるものとして欲しいとエールを送ることができる。

 この移籍でDFの層に不安を覚える。確かにいてくれた方がバックアップとしては安心だ。それでいて吉弘のことをよく知ってる人もサンフサポの中にあまりいないだろう。実際あまりイメージというものが沸かない。それだけサンフレッチェでは出場がなかったということだ。

 不運もあった。怪我で戦線離脱をしてる間にメンバーが固まってしまうという。やはく復帰してくれというメッセージを色紙に書いて送った人もいた。ただどうもこいつがいれば大丈夫という絶対的な信頼感がなかった。恐らく吉弘の残留を望む多くの人の中でもDFの中心としては考えなかっただろう。ストヤノフのようなテクニック、槙野のようなガッツ、盛田のような高さといったイメージが沸かない。出場した試合を見たことがない訳ではないのにだ。

 しかし、2007年の最終戦に出場した吉弘は身体の強さがありとても逞しかった。ああ、こんなDFが欲しかった、何でこんな選手いるのに使わなかったんだとため息が出た。失点の多さが得点力も奪い勝ち点も奪ったというのにミシャは一向にDFのメンバーを替えようとしなかった。専門のディフェンダーがいないというのはやっぱり無理だったのだ。

 札幌はJ1に昇格したチーム。吉弘にとっては試合に出る、しかもJ1で戦えるまたとないチャンスだ。これは本人にとっては最良の選択だろう。本当にがんばって欲しいと思う。だけど札幌は中山元気といい西嶋といいサンフを戦力外になった選手が結構戦力となってる。これってサンフがその選手の特性を生かせなかったのか、それとも移籍して成長したのか。どうも札幌に行ってからプレーの印象が変わったという話を聞かないのだが。それでいて方やJ1に昇格、方やJ2に降格、やはり何かがおかしい。一体どこをどう間違ったのだろう。

2008年1月10日 (木)

夢を見せる柏木陽介

複数オファーも柏木は広島残留

J2広島のMF柏木陽介(20)がチームに残留することが決定的となった。早ければ10日にもクラブ側に残留の意思を伝える。広島ユース出身の柏木は、昇格1年目の06年途中にペトロヴィッチ監督に抜てきされ主力に定着。昨季はJ1で31試合5得点の成績を残し、U20W杯や北京五輪最終予選で活躍し注目を集めた。J2降格決定後に神戸、柏からオファーを受けたが、移籍決断には至らなかった。

[ 20080110日付 スポニチ ]

 これはもう残留と考えていいのだろうか。他社の記事にも同じ内容のものがあったのでもはや確定と考えていいだろう。嬉しかった。これは本当に嬉しかった。天皇杯でその存在の大きさに尚更気付いただけに希望が持てるのだった。出て行きたければ出ていけばいい。そんな台詞を吐いたことがあったがこれはほぼ柏木個人に向けられた言葉であった。大体他からオファーが来る選手なんて想像ができる。若くて才能があってメディアにも注目されてる。そんな柏木はどこも欲しい選手であっただろう。

 天皇杯の最中も自分の中ではもう固まってるとコメントしてた。その時点でもしかして残留ではという気もした。もし移籍する気ならもう出て行くことは決まってるけどまだ公言しないということになる。それはいくら何でも現在所属してるクラブに対して失礼だろう。本当に移籍するつもりならあくまでもノーコメントを貫くはずだ。これまで冷静なフリをしてたが実は残って欲しくてしょうがなかったのだ。

 ただいなくなるかどうか分からないというのはもうぼくらの選手でなくなるという可能性があった訳でその揺れる狭間にいる間は柏木に対してずいぶん冷静な見方をした。その漫画に出そうな名前のせいか五輪代表に目立った選手がいないせいかマスコミは柏木を若きスター候補とでもいうように扱ってる。その割りにサッカーを観てる人がこぞってその才能を称えてるという訳でもない。そもそも柏木にオファーを出したクラブにしたって本当に欲しいならもっと破格なオファーを出すだろうがそこまでお金を出す訳にはというような様子に見えなくもない。何が何でも獲得したいという気を起こさせてないということはやはりまだそこまでの選手ということになる。

 確かに初めて柏木をスタメンで観た時は驚いた。青山と共にそれは驚くレベルだった。今までにも可能性を持った面白い選手はいた。もっと観たいと思う選手はいた。だけどそれらは喜びはしたものの驚きはしなかった。この驚くという反応をしたのは「うちってこんな選手いたんだ」という信じられなさがもたらすものだった。

 ただ、そこまで衝撃的なデビューを飾ってもしばらく観てる内にそれだけかよと理想が高くなってしまう。もはや普通のパフォーマンスでは納得しない。試合をミスなくこなしてそれなりの貢献をしたとしても目立ったことをしないと何もしなかったように見えてしまう。そこまでのステップを踏んだだけでも凄いといえるがやはり得点が足りない。FKもいつもウェズレイに任せてたのが物足りない。ゴール前までドリブルして切れ込んだのに最後のとこでパスを出して攻撃の芽を潰したこともあった。それらが今一つ煮え切らないところに見えたりした。だから今度は本当にチームの中心として働いて欲しい。柏木で試合を決めて欲しいのだ。そうすればもう一段上に行けるだろう。

 だれが見てもこいつがいれば大丈夫と思わせるような絶対的な存在。生半可期待が大きいだけにそうならなかった時周囲の見る目はガラッと変わるはずだ。今は山の頂を歩いてる状態、両側を見渡せば飛躍して世界のトッププレイヤーがいる谷と名も無きサッカー選手に埋もれる谷。そのどちらに降りようかバランスを取りながら場所を保ってる状態だ。本当ならJ1でこそその力量が測れるのだろうが逆にJ2で通用しなければもうどこにも通用しない。そんな大袈裟なことを考えてしまう、そして夢見てしまう。そう、柏木陽介はサンフレッチェにとって夢でもあるのだった。

2008年1月 9日 (水)

高柳一誠契約合意

 高柳選手が3度目の契約交渉で90万円増の年俸750万円で合意したということだ。何だか安いなと思いながらも貰い過ぎという感もある。J2に降格させたチームの中で大して試合に出てないのにどうして年棒が上がるんだろう。そもそもサンフレッチェの選手は年棒を貰い過ぎてる。甲府は安い人件費でやってるが同じ降格するのなら甲府の方がコストパフォーマンスが良いだろうと言いたくなる。そんな槍玉に高柳を挙げるのは少々的場ずれなのかもしれないが。

 高柳については初先発となった2004年の市原戦は酷いものだった。まだプロ契約されてなかったとはいえ右SBで出場した高柳は直接対戦相手となる村井にチンチンにやられてしまった。これはプロでの出場が早かったのかもしれない。小野監督が数年後の主力として考えたのかもしれないがとにかくプロのレベルではなかった。小野監督はとにかくトップチームの選手でなくユースの選手を使うのを好んだ。これは多分こうやって早い内にトップを経験することで成長を促そうという魂胆があったんだろう。とにかく小野監督は自分が育てたという実績が欲しかったのだ。その実績として目を付けられてたのが高柳だったのだろう。

 元々その能力は高くサンフレッチェユースに入る際も数ある勧誘の声を振り切って来たという経緯があるらしい。だから小野監督が将来に主力として見据えたのも無理もないがその過程が悪かった。実際にトップに上がってから試合に出れば良かったもののユースから出たがゆえにその時のイメージが残ってる。あの村井にいいようにやられたイメージが。その為高柳がピッチに立っても何の期待感も沸かないのだ。むしろちゃんと試合をこなすことができるのかという不安感だけが先走ってしまう。

 サッカー選手は運が必要。どんなに優れた選手でも成功しない例はある。逆に大して上手くないのにW杯で得点をした鈴木孝之のような選手もいる。高柳はこのマイナスイメージがある限り成功しない例に入ってしまうだろう。どこかでチームに勝利をもたらす決定的な仕事をしないとマズイ。もはや新人と言ってられる期間は過ぎてしまった。

 ただ実は高柳が本当に戦力として重要な存在になった時はサンフレッチェにとっても非常に心強い。天皇杯準決勝で終了間際に決めたゴールは一気に信用を集めてしまった。ただその後の決勝は鹿島にボロ負けしてしまっただけにその活躍の記憶が霧散しようとしている。高柳はまず自身のイメージをプラスに転じなければならない。そういう意味ではJ2は格好の舞台だろう。

 ぼくのようなサポーターは実際の実力が分かってないのかもしれない。でも実際に試合を見てる大半の人はぼくと同じようなものだ。だからいくら本来の実力を説かれても実際に目にしないことには信じられない。逆に1度でも活躍するとユース上がりだし一気に期待感を深めるという要素もある。これは高柳だけの問題ではないがその選手の優劣を決めるのは試合だけ。そこで自分が決めてやろうというくらいの気概が欲しい。

 何だかこれってサンフの選手みんなに当てはまるな。ある意味高柳はサンフを象徴する選手なのかもしれない。

2008年1月 8日 (火)

2007年の総括 ミシャについて

 シーズンが終わったらやろうと思ってた2007年の総括。天皇杯が決勝まで行った為に先延ばしになってしまった。まあ試合のないこの時期こんなことでもやらないとネタがないというのもあるがこれから何人かの選手評をやっていきたい。まあぼくが書くものだからマトモなものにはならないだろうがあまり真に受けないことをお勧めする。だったら最初からやらなきゃいいのにという論理も通るがそこは人間そのもの無駄な営みをして忙しいだの何だのと講釈を垂れる生き物だからしょうがない。いや、段々と夏目漱石の『我輩は猫である』の猫みたいになってしまったな。まあこれから書くことは猫が書いたものと思ってくれた方が良いかもしれない。

 2007年を振り返った時、まず最初にペトロビッチの名前を挙げなければいけないだろう。前年は救世主だった。だが昨シーズン降格させた第一級戦犯となれば間違いなくミシャである。全く勝利がない、負ける時はボロ負け、それなのにスタメンを替えようとしない。失点の原因のカズをMFに戻さない、得点のできなくなったウェズレイを使う、DFに本職のディフェンダーを入れない、更にそういった弱点をものの見事に相手に研究され負けていった日々。それに対してミシャは何もできなかった。ジャンケンでグーを出したら相手はパーで来る。だったらそれをチョキにすればいいがチョキにはできなかった。ずっとグーのままだ。そんな印象の1年であった。

 だから入れ替え戦に回った時監督は交代するだろうと思ってた。望月コーチの代行で構わなかった。それでも負けたのならそれはそれで仕方がないという気分だがこともあろうに最終戦のガンバ戦で可能性を見せてしまった。若手主体で臨んだその試合は躍動感に溢れ優勝争いのガンバ相手に引き分けに持ち込んだ。停滞してたスタメンを外したのが功を奏した。入れ替え戦はこのメンバーでいけば乗り切れると希望を抱くのである。

 しかし、ミシャは普段のスタメンに全幅の信頼を寄せていた。それは例え負け続けようが点が取れなかろうが酷い失点を繰り返そうが変わらなかった。この岩よりも硬いミシャの信頼もさすがに入れ替え戦の第1戦に負けたことで目を覚ましてくれた。今更かよという感である。もっと早く気付いてくれれば降格は免れただろう。いつもいつも同じような負け方をしているのにこの監督は試合のビデオを観るとかいうことをやってないんだろうかと首を傾げたものだ。そもそも入れ替え戦で京都のスカウティングをしてたかどうかさえ怪しいものだ。自分のやり方で間違いはない、このやり方で行くと頑なに同じ戦いをして撃沈されたのである。その監督がもう1年指揮を執るのだが大丈夫かという気がする。相手に研究されそして勝てなくなりそれでもまた意地になって同じことを続けるのではなかろうか。

 それでいて期待もある。それまで全く試合に出てなかった柏木、青山をスタメンに抜擢したのはミシャだしそれでその若い選手が素晴らしい能力を出したのも事実だしその後槇野もスタメンをはれるようになり、平繁もそれに続こうとしてる。新入団の選手が着実に戦力として育ってるのである。前監督時が若い選手を使い捨てのように腐らせたことからユースから育成した選手を使うというクラブの方針には合ってる。そして何よりも天皇杯準優勝という結果も残した。選手の中でもミシャの監督としての評価が高い。だから何が何やら分からない。

 天使か悪魔か。2008年シーズンを戦った上でミシャの評価は決まるだろう。といって今のところ期待感より不安感の方が大きいのも事実なのだった。

2008年1月 7日 (月)

日の目を見ない無限ループ

2008/01/06 高校選手権準決勝 高川学園vs藤枝東 国立競技場

 スタジアムに入った瞬間見たことある顔が。あ、サンフサポの・・・と向うもぼくの顔に気付いたのだった。大体サッカー好きの来るところなんて決まってるから別に驚きもしなかった。博打好きがギャンブル場で知り合いに会うのと一緒だろう。このシーズン他にサッカーの試合やってないのでここに来れば誰か知り合いがいるような気は最初からしてた。

 ただ、ぼくは地元高川学園の応援にきたのでバックスタンドの応援席近くに座った。そしたら対戦相手の藤枝東の方がよっぽど応援が多くて完全アウェイの状態だった。TVのスポーツコーナーでも藤枝はハイライトが流れるのに高川は試合結果のみ。まさに黙殺されててムカつく。この大観衆を黙らせてやりたいと燃えてきたがこれってぼくがサッカーを観る時いつも感じる感情だ。マスコミの黙殺、完全アウェイ、最初から藤枝が勝つだろうという雰囲気、まさしくサンフレッチェと同じだった。そして哀しいことに試合展開までサンフレッチェと一緒なのだった。

 高川は走ってもスピードで負け、ポジショニングでも優位に立たれ、個人の技術でも完全に差があった。高校生だからミスがあるのは当然だがCK2回続けてキックミスするのには頭を抱えてしまった。ほぼ一方的に藤枝が攻めてただけにセットプレーは大事にしたかった。高川の選手はゴール前まで運べてもパスを廻すだけでシュートが打てない。何から何までサンフレッチェに似てるのだった。

 似てるといえば応援が結構サンフレッチェのチャントを使っているのだった。横で聞いてたぼくとしてはその応援の物足りなさに「違う、こうだ!」としゃしゃり出たかったが変な奴が来たと白い目で見られるのが分かってたので感情を押し殺して座ってたのだった。さすがに応援してる人が少ないのであの中に入るのは気が引けた。これも昔のサンフレッチェはこんな感じだったな。

 試合は藤枝が1点を守り勝ってしまった。それはゴール前の密集をヒールパスをシュートしたらここしかないという場所にボールをぶち込んだ。大して高川は良いとこまでいってもあと一歩が足りない。FWの斉藤君などはストライカーとしていいなと思ってたがこの試合では全く歯が立たなかった。そもそも高川の生徒をサンフレッチェがチェックしてないことはないだろうからそれで声を掛けなかったということはプロでは厳しいという判断なんだろう。

 01というスコアだったが例え3時間試合をしてもゴールを奪えない気がした。DFもがんばってたが藤枝は1点あれば大丈夫という試合をしていた。その辺の余裕っぷりがまた腹立たしかった。

 これでまた次の日のニュースで藤枝東が勝ちましたとハイライトで流れるのだった。高川は初めてハイライトの映像で出たと思ったら単なる藤枝の引き立て役である。これでは藤枝に負ける為に準決勝まで勝ち進んだようじゃないか。尚更気分が悪い。どうしてこうもぼくの応援するチームはこういう扱いになるんだろうか。中国地方の出身だからしょうがないな。

 人気がないから余計応援する。応援するから負けた時のショックがデカイ。圧倒的な人数の相手チームの応援者が歓喜の声を上げてるのを横目に見ることになる。それが腹立たしくて尚更応援するようになる。ああ、無限ループだ。だから日の当たる世界に行けない。いつかきっとと信じてまた惨めさを重ねていくのだった。

2008年1月 5日 (土)

謹賀新年

 東京駅改札を出たら仲間が迎えに来てくれてた。年明け会おうとは言ってたがわざわざ迎えに来てくれたことに感謝した。そして車でファミレスでも行こうということになった。

 天皇杯決勝観に行ったけど鹿島は全然違ったと切り出した。チームとしてのデキも応援も何もかもが違ったと。そこでぼくはあの試合は最初から言い訳が用意されてたと言った。J2降格チームがJ1優勝チームに挑む、負けたってしょうがない、決勝まで来ただけでよくやったと。だから決勝だけどこか違った。本当なら選手、チーム全てくるめてもっと野心が欲しかった。クラブには初のタイトル、選手にはここで鹿島を沈黙させるような活躍をして代表へアピール、もしくは自分の移籍に対して有利な条件を引き出す。他チームからオファーの来てる柏木など準決勝で審判に文句を言って出場停止だったがそれらも含めて実力だ。せっかく天皇杯で勝っても一番目立つ舞台に立てなかったというのはそこまでのものだったのだろう。

 果たしてぼくはここまで選手やクラブを非難できる程普段規律正しい生活をしているだろうかというと疑問を持たざるを得ない。だけどプロとしてこうして一般人のぼくがあれもこれも突っ込みたくなるようなサンフレッチェって一体なんだろうという気がする。そりゃ完璧な組織なんてこの世に存在しないだろうがあまりにも頼りない気がする。主にフロントという部分では貧弱と言わざるを得ないだろう。

 そういうとこに苛立って仲間も何回かフロントに電話したことがあるらしい。言いたいこと、改善点、それら色々あるのだが関東ではサポーター・カンファレンスをやる予定がないということだった。広島でやっても50人来ないが関東でやれば30人は絶対に来る。その辺をアピールしても腰は動かなかったようである。

 ぼくが一度聞いてみたいのはフロントの人達に出向が終わって本社に戻った後、サンフレッチェの試合を見に来ようと思いますかということだ。これはサンフレッチェに限ったことではないがJリーグのクラブのフロントにはそういう疑問を抱かずにはいられないとこがある。本当にこのクラブを良くしよう、もしくは自分のキャリアとしてこのクラブで成功しようという発想がないのだろうか。何だか適当に出向期間を終えて本社に戻れるのを待ってるだけのような気がするのだが。

 いや、新年早々愚痴っぽくなってしまったな。実家に帰って昔の近所の人とか仕事で鬱病になったとかそういう話を聞いたがあんたは絶対に鬱病にならないと言われる。すぐ人のせいにするということだが考えてみれば自分の応援するクラブのことをボロクソに言ってストレスを発散してる部分もあるのかもしれない。ぼくが健康でいられるのはサンフレッチェのお陰だ。サンフレッチェにしてみれば迷惑な話だな・・・。

2008年1月 2日 (水)

鹿島戦~おめでとうと言えない正月

2008/01/01 天皇杯決勝 サンフレッチェ広島vs鹿島アントラーズ 国立競技場

 あまりもの実力差を見せ付けられた時、人はもうどう反応していいか分からなくなる。完敗、まさにそんな表現しかできない内容だった。正直なところ決勝の相手が川崎や浦和じゃなくて良かったと思ってた。そして一番嫌だったガンバに勝つことができた。だから当然期待してしまった。負けるにしてももうちょっと健闘してくれると思ってた。02というスコア以上にまるで歯が立たなかった。

 だけど所詮これがJ2降格チームとJ1優勝チームの違いというつもりはない。そんな論法が通るくらいなら天皇杯でサンフに負けたチームに失礼だろうし鹿島を延長戦まで持ち込んだJFLのホンダFCは何だったんだということになる。あくまでも決勝までは行った。2チームしか立てない舞台に立った。それは事実だ。だからもっとアグレッシブに行って欲しかった。どうも決勝ということで選手が慎重になり過ぎたような気がした。ガンバ戦のような気力を感じなかった。それでいて入れ替え戦のような情けなさもない。だから腹立たしいようなそれでいて現実を受け入れないといけないような気持ちに置き場所が無いようなきぶんである。

 戦犯探しということになるとできないこともないが忍びないものがある。平繁は全く通用しなかったし高萩は持ち味の1割も出せなかったろう。森崎ツインズもピッチで存在感を見せることができなかったしディフェンスも最初の失点はショボイものだった。結局実力が足りなかった。だからこそジャイアントキリングを起こすようなアグレッシブな戦いを期待した。生半可決勝まで行ったことにより来期のJ2での戦いに苦労しそうなきがした。ゴール前を固められたら打開できない、突破のできるドリブラーがいない、個の能力を持ったストライカーがいない。それらが明日にでも起こることのように危機感を募らせるのだった。

 交代で入ったリ・ハンジェ、高柳は何の変化も与えられなかった。これもキツイ。試合に変化を付けられる選手がサブの中にいないということだ。そしたらまたこの監督は勝てなくても意地でもメンバーを固定しそうだ。それでいてリーグ戦であそこまでメンバーを替えなかったのは結局そうせざるを得ない状況だったのかもという気になった。

 森崎ツインズ、服部、下田、駒野、2003J2で戦ったメンバーが5人もいる。あの時は這い上がり飛躍する為の試練だと耐えた。それなのに彼らのいるチームはまるで進歩することなく再びJ2へ落ちたのである。J2にもまれて強くなるというのは幻想だった。

 だからJ1へ移籍する選手がいてもしょうがないだろう。そしてサンフはやっと人事に動ける。果たして天皇杯準優勝のメリットってあったんだろうか。あっ、賞金があった。それだけでも十分メリットあるじゃないか。でも準優勝のチームは単なる引立て役のようだ。やっぱりメリットがない。ぼくの中で何とも整理のできない正月となってしまった。

2008年1月 1日 (火)

元旦の日、決勝の朝

2008/01/01 天皇杯決勝 サンフレッチェ広島vs鹿島アントラーズ 国立競技場

 薄暗がりの三道を早足で登って行った。初日の出を見るにはちょっと出るのが遅かったかもしれない。といって山口の地理に詳しくないぼくは父親の案内ないではどこへも行くことができずずっと起きるまで待っていたのだった。もしかしたら天気が悪くて日の出が拝めない、そんな気もしたのかいつも早起きの父親も今日は出足が遅かったがすぐに身支度を整えて車を出してくれた。

 ほんのりと表面に雪が掛かって寒い。足元が良くないがゆっくりとはしていられない。階段を駆け上がり頂上にたどり着いた。もう空は朱色掛かっていて日の出が近いことを物語ってた。ただ今日は雲が多く例年より日の出が遅い。そして例年と違うといえば見物人の数も少ない。天気が悪いと判断したのだろう。確かに町の家屋には雪が積もっており山へ登るのはどうかという気になってしまう。それはそれ程雪の降ることのない山口だからこそだろうが、逆にそのほんのりとした雪景色が白とコバルトブルーと朱色のコントラストとなり珍しい光景となった。

 こうして町を見下ろすと家が多い。それなのに人工の減少やアーケードのシャッター通りなどという現象が起こるのが不思議な気がした。ましてやここよりも都会の広島でサッカーの試合で客を集めることができないとか金が無いとかいったことが起こるというのが信じられない気がする。これが東京からポッと帰る者の持つ特異な感覚だろうか。まあ山口に住んでる訳でもないぼくがこんなこというのは場違いかもしれない。

 少しずつ光が強さを増し山頂では日の丸の旗が掲揚された。オジサン達の君が代が聞こえる。その歌声は酔っ払ってるようだった。そしてパン、パンと両手を合わせる人がいる。ぼくもそれにつられて両手を合わせたのだった。

「どうかサンフレッチェが優勝しますように」

 サンフレッチェのマフラーをしたぼくの存在に気づいた人はどれくらいいただろう。まあいないだろうが。現地に行けないぼくはこんなことくらいしかできないのだった。

« 2007年12月 | トップページ | 2008年2月 »

最近のトラックバック

2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31