2000.3.26 川崎フロンターレvs サンフレッチェ広島 等々力競技場
よく晴れた日でその光は春のものだった。上着1枚羽織ると充分な気温で観戦するには都合が良い、だがスタジアムには5,000人くらいしか集まらなかった。昇格したての川崎だけにまだ地元でも認知されてないというのはあるがぼくはその前の試合の鹿島戦で1万5千人集めたのを知ってる。鹿島のサポーターも3千人は来ただろうが積極的なビラ配りなどの告知活動により観客を集めた。その余韻でもうちょっと来るかと思われたがこのあり様は川崎にとってもショックだったろう。
この当時川崎もサポーターというのも少なくスタジアム全体で応援してるという雰囲気ではなかった。それもそのはず、J2から始めた川崎にしてみれば注目されることもなくいつの間にかJ1に上がってしまったからだ。確かにクラブとしては全力で勝ち取ったJ1昇格だろうが川崎市
民にしてみればまるで降って湧いたような話だった。しかももうすでにヴェルディ川崎がホームとしてることもあり何を今更という感もあった。ヴェルディでさえ人気がなくて喘いでる地でもう一つサッカークラブをつくる、どこか無理のあるような話だったように当時は思われたのだった。
そんな等々力のスタジアムでサンフレッチェ・サポーターは尚更少なかった。正確に数えて10人ちょっと。いるのかいないのか分からないような常態だ。まあ広島は遠いからしょうがないのだろう。その時ぼくはそう考えたのだ。実はぼくはこれが初めて観るサンフレッチェの試合だった。
試合前のアップ。選手が入場してきたが知ってる選手は一人もいなかった。いや、名前と顔くらいは覚えてる。ただ、発行されたばかりの『紫熊倶楽部』を読んで覚えただけだ。だからどこか実際の選手と浮遊してた。そもそもその『紫熊倶楽部』だって広島に行った際たまたま見かけて年間購読したくらいだ。正直サンフレッチェのことが知りたいというより寄付のようなつもりだった。どうせこんなの読む人いないと。
だが席を見回すとバッグの脇にその『紫熊倶楽部』を抱えてる人がいたのには驚いた。やっぱり読んでる人いるんだと意外な気分になったものだった。
練習を続けるサンフレッチェ。ウォーミング・アップを終了してくださいというアナウンスがあったものの構わず練習を続けるサンフレッチェ。川崎の選手はとっくにピッチを去ったというのに図々しく見えた。早く止めろよという声がホーム側のスタンドから聞こえた。こんなに直前までみっちりと練習したいもんなんだろうかと不思議な感覚がするのだった。
しかし、その不思議な感覚は試合が始まると一層強くなるのだった。何だか一進一退というよりもぼーるの落ち着きどころのないサッカーが展開されてた。正直この当時はJ1といえど下位チーム同士の試合となると酷い試合が多かった。今まで一緒に練習したことないのかというくらいにパスがつながらない。特に川崎は長いパスは100%通らない、カウンターのチャンスになったボールを必ず途中でカットされる、攻撃のパターンがサイドからのアーリークロスでことごとく相手ディフェンダーに跳ね返されるというチームだった。だから1年で降格してしまったのは当然であろうがサンフレッチェもそのグダグダ感にお付き合いしていた。一言で言えばつまらない試合だった。
この試合の得点はポポビッチのPKの1点のみ。そして終了間際にはCKから2人の選手が時間稼ぎをするだけ。なんじゃありゃと思ってたが川崎の選手のイラつきようは尋常ではなかった。0-1で勝利。この少ない得点で勝つというのはこの当時のサンフレッチェの特徴でもあった。
あれから7年。1度J2に落ちた川崎は地道に活動をし地元民の認知を上げていって今では平均1万人は行くようになった。チームもJ1にタイトルが届きそうなとこまで勢いづいてACLに出場しベスト4にまでなってしまった。A代表に入る選手も出てきてクラブとしての価値を上げてしまった。要するにサンフレッチェは抜かされたということである。
サンフレッチェもJ2を経験した。それで這い上がってステップアップしたクラブ、ただのエレベータークラブとなったクラブ、ずっとJ2に居座るようになったクラブ、色々だが毎年降格争いをやるサンフレッチェはどの位置づけなんだろう。一つ言えるのはJ2には落ちたくないということだ。そして川崎には絶対に勝ちたいということだけだ。もはや誰もがサンフとの対戦では川崎が勝つと思ってる。そんなの悔しくないか。意地、心魂、気力、ぼくは全てを川崎戦に捧げる。そして多くのこの日アウェイ・ゴール裏に集まる同士がそうだろう。絶対に勝たせてみせる。
といって大宮戦見事にやられたからな。やっぱりサンフレッチェを応援する限り苦行は続きそうだ。