出会いから別れ
身内の入院がありやっと退院したと思った時一通の訃報が届いた。関東のサンフレッチェ・サポーターの突然の死だった。いや、正直身体は良くないと思ってた。病気で苦労してるんだなという気はしてた。だからこういう形での別れとなってしまったのには驚きはしなかったものの残念であった。
その亡くなったサポーターは女性だった。2003年頃から彼女の存在に気付いた。というのもその当時関東のサンフレッチェ・ゴール裏なんて数える程しか人がいなかった。しかも女性となると尚更希少である。だから毎回来てる人なんて大体顔を覚えてしまうのだ。池袋で下田のトークショウで見かけた時、下田のファンだというのを知ったのだった。その後関東サポーターの一人としてぼくらと一緒に応援するようになったのである。声を掛けようかなと思ってたけど女の人と話すの苦手でと言うといくらでも話してくださいと応えられたのを今でも覚えてる。
ぼくは仕事を定時で上がり斎場へ急いだ。何だか電車が遅い。いや、電車はいつもと同じ速度を保ってるんだろうがぼくは自分が到着する時間がとても遅くなるようで絶望感を抱くのだった。もしかしてぼくが着いた頃にはもうみんないないのではなかろうか。それよりももう通夜がお開きになってたらどうしよう。こんなところまで来て何もできずに帰るのかよともしかして来ない方が良かったのかと極まりの悪さを感じていた。
しかしぼくが着いた時はまだ弔問客を受け入れてて最悪の事態は避けられた。ホッと胸を撫で下ろす。そしてご焼香をする。元気な頃の写真が飾ってあるもののぼくはそれをよく見ることができなかった。果たしてぼくなんかが来て嬉しいんだろうか。ぎこちない仕草でご焼香をする自分が無様だった。ああ、こんなぼくでも気兼ねなく話してくれたんだよな。
そして2階で休憩するように案内されたので行ってみるとみんないるではないか。いつもの紫のシャツではなく黒の喪服だが。この人達、何のつながりがあるんだろう。そう、ただサンフレッチェが好きというだけで集まってるんだ。そして亡くなった彼女もサンフレッチェが好きというだけでこれだけの弔問客がいる。幸せなことではなかろうか。
最後に親族が特別にぼくらサポーター仲間にお別れをさせてくれた。男子たる者人前で涙を見せるべきではないという信念の下、ぼくは常に平常の顔だった。しかし再び棺の前に立った時供花の中に下田崇の名前に気付いた時はこらえられなくなりそうだった。サンフレッチェっていい選手がいるなとそんな選手のいるチームに誇りを感じると共にますます応援したくなった。
でもぼくは彼女が生きてる間何の気の利いたこともしてあげられなかったなという気がした。開幕戦で味の素スタジアムで会った時もすれ違っただけで終わってしまった。あれが彼女に会った最後だったなんて。改めて今ある出会いを大切に、そして一日一日を大切に生きないといけないという気がした。
帰りに数人で居酒屋に寄った。クラスメイトでも職場仲間でもない何の関係もない人達。サンフレッチェがある為に知り合うことができたし楽しいことも悲しいこともある。しばらく顔を見なかった仲間もいるがそれでもこうやって集まることができる。それこそサンフレッチェがあるから。ぼくらはサンフレッチェと共にありサンフレッチェもぼくらと共にあるのだった。
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