執念は続く
2002.7.24 サンフレッチェ広島vsガンバ大阪 広島スタジアム
ガンバにはいつも煮え湯を飲まされる。そんなイメージがある。それも元はといえば降格したシーズンの試合に端を発する。
あれは暑い夏の日だった。一向に勝てる気配のないサンフレッチェはついにガジ・ガジエフからヘッドコーチの木村孝洋を昇格という形で監督を代えた。そしてこれは監督交代から3戦目となる試合だった。観客も11,177人と広島スタジアムにしてはよく入ってた。いや、ビッグアーチでも1万人入らないことが多い中でこれはよく入った方である。サンフレッチェを応援しようという気運が高まってたというべきか。正直どうだか分からない。この当時はコアサポと言われる人達が集まって応援してただけである。クラブはしゃもじを配って観客に応援を促してたが一方のコアサポはしゃもじじゃなくて手を叩けばいいとどこか噛み合ってなかった。これはどちらが正しいとかいう話ではなくまだこの当時サッカーの観戦とはどういうものか、Jリーグの観戦スタイルはどういうものかという暗黙の了解ができてなかった。これは広島という地方都市にとって他にチームがないだけに尚更そういう傾向が強かったのだろう。現にガンバ大阪もこの当時は分裂応援をしてて批判されたものだ。
そしてこの当時ガンバ大阪も強豪というイメージはなくサンフレッチェよりはマシというくらいの地味なクラブだった。一応宮本や遠藤や吉原といった期待の若手がいるために多少は認知度があったという程度である。だからサンフレッチェとしても勝ちたい相手であった。そして勝たないと本当にJ2降格が見えてきそうな状況だった。
ところが期待に反して失点をしてしまう。何とか点を入れたい。せめて負けることだけは避けたい状況だった。ロスタイムに入りもはやこれまでというとこで沢田がゴールを決めた。沢田は苦しい時にいつも獅子奮迅のプレーをしていた。チームがいい時には目立たず悪い時は目立つという印象があった。その為沢田の奮闘振りには同情の感さえあった。
もうこれで引き分けることができたと思っていた。もうロスタイムの3分は過ぎている。だがガンバ側からキックオフされたボールはすぐにゴール前へ運ばれそれを拾おうと双方の選手が絡まり倒れた。この時のサンフのDFはトゥーリオ。見た目には相手のシュミレーションか何かという印象だったがこれがPKを取られてしまった。どこをどう見てもPKではない。そしてキッチリとPKを決められ負けてしまった。その時にはロスタイムすでに5分は過ぎていた。ちなみにこの時の審判は辺見。翌年J2でも甲府戦の時不可解な判定ばかりされ勝つことができなかった。審判への不満は負ければ当然あるがこの人の場合2回もそういう事例があった為にサンフを色眼鏡で見てると勘ぐっても仕方がない。審判のせいで負けたと言わざるを得ない試合だった。
そしてこの時からガンバには全て負けてる。更に2002年の最終節などは降格のライバルチームである柏と戦ったのだがサンフレッチェが札幌で生きるか死ぬかの死闘を演じているのにちっともやる気のない試合をして柏をいとも簡単に勝たせてしまったという経緯がある。あの時いつかきっと借りを返してやりたいと思ったものだ。
といってこんな昔のこと覚えてるひといるんだろうか。選手だって当時の選手は数える程しかいない。それでもぼくはガンバに対して執念を持ち続ける。強豪になったとはいえ勝てるチャンスはあるはずだ。がんばるぞ!さあ、手を合わせて合掌だ。
といって肝心のぼくが神頼みになってる。どうか選手のみなさんこんなぼくのヘタレの精神を持たないように戦ってください。
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