« 2006年11月 | トップページ | 2007年1月 »

2006年12月31日 (日)

1年の終わり

 年末を迎えクラブもシーズン・オフになりぼくもシーズン・オフとなっている。サンフレッチェもほぼ現有戦力の維持はできたようで安心だ。そんな中、大木の戦力外通告は寂しかった。なぜかあのキャラクターはサンフレッチェに合ってる気がした。といっても戦力の面では非常に厳しいものがあった。佐藤寿人という絶対的なストライカーがいては大木の役割はほぼなくなったといっていいだろう。

 大木の持ち味というのは一言で意外性だろう。そんなファンタジスタじゃないという声が聞こえそうだが大木の意外性はそんなとこじゃない。この選手はチーム全体で得点がない時期になぜかゴールを決めてしまうというとこだった。ただそれがチームを救うゴールかというとそうでもないとこがこの選手のクオリティであった。仕舞いにはゴールを決めたら地震が起こるなどと言われてネタに事欠かない選手だった。こんなことを書いてるぼくも戦力としていなくなるのが寂しいと書いてないのが大木ならではである。ただ移籍先が愛媛FCなのでどこか救われた気がした。またしても愛媛FCから目が離せなくなってしまった。

 2006年シーズンは2度の監督交代と降格争いとW杯での駒野出場と色々とあった。青山、柏木の台頭も大きかった。2007年はどんなシーズンになるんだろうか。キャンプをトルコでやるというとこから期待を抱かせてしまう。どこでキャンプをやろうと変りはしないのかもしれないが、サポーターの立場からすればそんなことでチームの良し悪しを決めてしまうものだ。トルコのチームと試合をやることによってまたチーム力を上げてくるだろうという予想くらいしかできないのだ。また、そういう想像を掻きたててる時というのが一番面白い時でもある。まあ本当に面白いのはその想像が当たって上位に進出できた時だが。

 それにしても終わってみれば楽しい1年だった。来年も楽しい1年になればいいと思う。そしてこのブログを読んでくれたみなさんもよい1年でありますように。良いお年を。

2006年12月30日 (土)

回顧録から現在

 2001年、ヴァレリー監督のサンフレッチェは得点は多いものの失点も多く非常にギャンブルな試合をやっていた。伸るか反るかで勝つ時は大勝、負ける時は大負けという感覚である。その為このシーズンは残留争いをすることになった。この時になると堅い戦いをしたトムソンの方が良かったような気がしてきた。ぼくは実際にスタジアムで「ヴァレリー、辞めてくれーっ」と叫んでいた人がいるのを聞いたことがある。それでも終盤で3連勝して気付けば2ndステージ3位という成績で終わった。これはコリカの活躍とオレグによるDFの安定が大きいだろう。それでも終盤に見せたこの強さは来期への期待を大きく抱かせるものだった。

 そこへ突然のヴァレリー監督の帰国。ショックだった。だけど奥さんの病気が原因というので仕方がないと諦めたのだが後に中国のリーグに就任したことが分かり尚更ショックを受けた。高い契約の方に移るというのならそう言って欲しかった。奥さんを出汁にして欲しくなかった。そんな嘘をつく必要はないだろう。かくしてサンフレッチェはこれからという時に監督を失ってしまったのである。

 それに伴い新監督ガジエフの意向でコリカとオレグの契約はされなかった。それでもヴァレリーが推薦した監督ということで期待したがまるで駄目だった。そもそも代わりに来た新外国人のミロとビロングは酷いレベルだった。コリカ、オレグに比べて数段と落ちるレベルだったのは明白だった。

 そこから2002年は降格への道を歩み始める。徐々に調子を落とし勝てない試合が続いた。狂った歯車はどうにも修正がきかず最終節にJ2降格を決めてしまった。昨シーズン終了時に感じた来期への期待は何だったんだろう。外国人以外のメンバーはほとんど同じなのにどうしてなんだろう。と同時にあのままヴァレリーが監督をやってたらどんなチームになったのか。コリカ、オレグがいたらここまで崩れなかっただろうと思うといたたまれなかった。それ以降ヴァレリーの目指したサッカーが亡霊のようにサンフレッチェにのしかかるのだった。誰もがもう一度あのサッカーを観たいと感じただろう。

 時は4年経ち今ぼくらはその願いが叶いそうだ。当時と目指してるサッカーは違うが希望を持つサッカーという意味では一緒だろう。今シーズン見せたサッカーを同じメンバーで同じ監督でシーズン始めからやったらどうなるんだろう。こういう期待を初めて実現できるのではないだろうか。ウェズレイ、ダバツという外国人も一緒だ。それどころか外国人枠をもう一つ残している。さらに青山、柏木に続く若手の台頭も期待できる。サンフレッチェは本当にいい状態で年を明けられるのだ。

 実際にはどうなるか分からない。でも期待で一杯になってるのはしょうがないだろう。まずはトルコ・キャンプでのトレーニング・マッチまで楽しみにしとこう。

2006年12月29日 (金)

サンフレッチェを応援した試合

2001.3.11       鹿島アントラーズvsサンフレッチェ広島 国立競技場

 スタンドに入ったら当然のことながら鹿島の赤いレプリカばかりが目立った。といっても1万人ちょっと入ったくらいなので決して客が入ったという訳ではないのだがこの当時1万人というのは客が入ったほうだった。すでにJリーグというものが一過性のブームが去り時代遅れという風潮があった。だからこそこの当時応援してた人というのは本当にそのクラブなりサッカーが好きな人だった。だからこそ鹿島アントラーズのような一体感のある応援というのは羨ましかった。

 対するサンフレッチェの応援席であるアウェイゴール裏だが寂しいものだった。紫のレプリカを着た人はせいぜい10人くらいだろうか。あの人達は広島からわざわざ来てるのだろうか。できることなら話しかけてみたかったがとても入り込める雰囲気がなかった。ぼくが小心者というのもあるだろうがあまりにも人数がいなくて気軽に入ることができないといった事情があった。そこが鹿島だったらまとまった人数がいるので何食わぬ顔をしてその集団に入ったって違和感がないだろう。ただあまりにも応援してる人がいないのでレプリカも着てないぼくが座っているだけでも意義があるだろうという気がした。

 ヴァレリー監督となって初めての試合が始まった。その試合はまるで生まれ変わったサンフレッチェであった。ボールがクルクルと回り前へ前へと進む。まるでピッチが狭いようにさえ感じる。DFから前線へパス、オーヴァー・ラップ、ワンツーによるシュート。その戦いはとてもドキドキさせられた。

 藤本、久保、高橋の3トップは個人技とコンビネーションを生かし常にゴールを脅かす。GKの下田もファイン・セーブを繰り返す。何て攻撃的で何て気持ちのいいボール回しなんだろう。ぼくはサンフレッチェにいつゴールが生まれるのか待ち遠しくなったのだが生まれたゴールはポポビッチと代わって入ったDFのトゥーリオだった。ゴール前の混戦とはいえ入った瞬間叫んでしまった。トゥーリオは新人ながらも驚異的な身体能力でゴール前に飛び出していった。昨シーズンの森崎和幸に続きまたサンフレッチェから新人王が出るような気がした。

 その後も久保の柔らかいドリブルでDFを抜き去る場面や藤本の果敢な飛び出しがあるがゴールに結びつかず前半戦を終える。気のせいかいつもよりサンフレッチェ・サポーターの元気がいいように思える。勿論鹿島のサポーターに比べれば数が少ないのだが。

 そして期待の後半、今度は鹿島のパスが回り始めた。鹿島が調子をつかんだのだろう。さすが昨シーズンの3冠王者はそう簡単に崩れなかった。緩急を付けたパス回しにサンフレッチェはどんどん攻められた。

 最初の失点、それはビスマルクのFKが鈴木に合わせられてしまった。この当時の鈴木はストライカーという雰囲気を持っていた。いつも点を取ろうという姿勢が出てて柳沢よりよっぽど恐い存在だった。逆に柳沢はボールを持っても大して威圧感がなく敵としてはありがたい存在なのだが本山と交代してしまった。ここから嫌な予感がしたのだった。

 この当時の本山というのは突破力があり自分でシュートを打つという選手で柳沢より嫌な存在だった。そしてその本山は次々とチャンスを作っていった。それに伴いサンフレッチェはボールを奪えなくなり鹿島はいいようにボールを回すようになった。そして小笠原がループ気味に放ったシュートは下田の頭上を越えてゴールに入ってしまった。やられてしまった。

 しかしまだ時間はある。前半のような動きをすればもう1点取れる。ここは久保のゴールに期待したい。ただ積極的な動きを見せてた藤本は交代してしまった。そのせいかなのか、それとも鹿島が自力でペースをつかんだのかそれ程決定的なチャンスを作れずに終わってしまった。どうしてだろう。コリカが出れば違ったのかもしれない。ポポビッチを負傷で10分で交代するくらいなら始めからトゥーリオの方がよかったのかもしれない。それとも藤本、森保の交代で入った選手が劣っていたのかもしれない。でもそれならなぜ後半に入ってボールの動きが悪くなったんだ。色々なことが頭に渦巻いた。ぼくのサンフレッチェに対する知識なんて大してないのに。

 しかしそうやって敗因を探していた。悔しくてたまらなかった、正直サンフレッチェの試合を観てここまで悔しいと思ったのは初めてだった。前半の胸の高まり、後半のハラハラ感、最後は唇を噛締めるような思い、サンフレッチェとはエキサイティングなチームだった。この試合は負けたけどこれを続けていけばとんでもないことになるのではと感じるのだった。

 試合後の挨拶にサポーターは惜しみない拍手を送ってた。負けたとはいえいい試合だった。そしてこの拍手にはぼくも加わっていたのだった。

2006年12月28日 (木)

希望に満ちたヴァレリー

 金がない、人気がない、有名選手がいない。3拍子揃ったこのチームには望みがなかった。エディ・トムソン監督はそんな中でもチームをJ2に落とすことなくそしてその極端な戦術は弱い癖にたまに強豪のジュビロ磐田を破るという快挙をやってのけた。それはそれで痛快だったkもしれないがそんなことをやっててクラブとして持つわけがない。そう考えたクラブは監督の交代を考えた。よりエキサイティングなゲームを魅せるために。より興奮するサッカーをしるために。そしてその魅力的なサッカーで観客を惹き付けようとした。

 ヴァレリー・ニポニムシ。ロシアから来たその監督は熱血漢のトムソンとは正反対だった。物静かな紳士的な振る舞いといい痩せたその容姿といい。だがそのスタイルは攻撃的で積極的にボールを回すというものだった。カウンター・サッカー主導だったサンフレッチェにとって全くタイプの異なる監督が就任したのである。

 ヴァレリーの特徴は何といっても3トップだ。当時日本に3トップをフォーメーションとするチームはなかった。そしてキャンプの時から速いパス回しはレポートされていた。そして2000年に入団した新人選手はスーパー・セブンと銘打っていずれも有望な選手だった。各選手年代別代表に選ばれていてこの選手が成長すればサンフレッチェは強豪となることができると過信させられた。実際この当時はそういう風潮があった。有望な選手は必ず将来の活躍が保障されてると。良い新人が入れば中田英寿のように世界的な選手になってチームの大黒柱になりヨーロッパに移籍することによって多額の移籍金を取れる。実際にはJリーグに入ってから成長する選手としない選手がいて大抵の場合消えていく。年代別代表がそのままA代表まで行けるケースは稀だ。今になってみれば日本のサッカーは進化してないようでいてそういう細かいこと一つ一つを理解するようになっているという意味では進歩しているのではなかろうか。

 そして2001年の開幕を迎える。昨シーズン、エースの久保がいない中天皇杯で準優勝を果たしたということもあって希望に満ちた開幕だった。

2006年12月27日 (水)

希少価値の魅力

2000.3.25       川崎フロンターレvsサンフレッチェ広島 等々力競技場

 春の日差しを感じる土曜の午後。ついにサンフレッチェの試合を観る機会に恵まれた。一体どんなチームなんだろうか。久保というストライカーがいてカウンター攻撃が得意なチームと聞く。それはとても特徴があって面白いような気がした。そしてスタジアムにはサンフレッチェ・サポーターという人達が来るのだろうか。少なくとも関東に住んでてアウェイ・ゴール裏に行くのはぼくくらいではなかろうかと思ったのだった。

 スタジアムに入るとそこは本当に人がいなかった。まだJリーグとしての歴史が浅い川崎フロンターレはまだ認知度が足りなく固定ファンもいない状態だった。それでもぼくは前このスタジアムに15千人入ったのを知ってる。鹿島アントラーズ戦に向けて川崎駅周辺などで告知活動した結果である。当時社長をしてた松本育夫はその試合に2万人、平均観客動員数15千人を目標と口にしてたがその時点で難しいのが分かった。結局サンフレッチェの試合に入ったのは5千人と少なく告知活動をやって、そしてアウェイ・サポーターが来てやっとまともな数字になるという実態だった。改めて新しくJリーグのクラブを造るというのは無から始めるという難しさを感じるのだった。

 アウェイ・ゴール裏には紫のレプリカを着た人がいるのだろうかと期待してたがいなかった。ほんの数名いるにはいたが本当に少なかった。それでも広島からわざわざ来たんだろうなとその熱心さに感心した。ウォーミング・アップで選手が入場すると拍手が起こる。その拍手がまばらで実に寂しかった。ぼくはこの試合を盛り上げるために観客の一人として来て良かったと感じた。せめてぼく一人でも観に来てやらないと誰にも観られてないような気がした。

 ぼくの知ってる選手は藤本、ポポビッチ、下田、

上村

といったとこだろうか。久保は怪我で出ないようだ。全ての選手はプレーを観たことがない。ただ刊行されたばかりのサンフレッチェ・サポーター・マガジン『紫熊倶楽部』を定期購読することにより予備知識は付けて行ったつもりである。そしたらスタジアムでその『紫熊倶楽部』を広げてる人がいた。サンフレッチェを応援してる人が全くいない訳じゃないみたいだというのに気付いたのだった。

 ウォーミング・アップの時間が終わり川崎の選手は引き上げた。だけどサンフレッチェにはまるで止める気配がなく場内アナウンスでピッチの選手は練習を終了してくださいと言われ川崎サポーターからも「広島早く止めろよー」と叫ばれるのだった。一体ここまで試合前に粘って練習をする意味は何だったのだろう。

 そして試合は始まった。初めて観るサンフレッチェの試合。つまらなかった。川崎もこの当時は特徴のないチームで長いパスが通らない、ボールを奪ったらまずCFへアーリークロスという素人目にもどう攻めてくるか分かるサッカーをやってた。それに負けず劣らずサンフレッチェも何だかプロ・チームとしての華やかさだとかそういうものをまるで持ってないチームだった。捉えどころのない試合と言っていいだろう。そうこうしてる内にPKを得てポポビッチが決めた。その後は露骨な時間稼ぎ。CKをフラッグ付近で2人の選手がキープ、川崎の選手に当てて再びCKということを3回くらいやった。これには川崎の選手もイライラしてたがこうやってのらりくらりとやってる内に終了した。これは一体何だったのだろうか。

 サンフレッチェってやっぱり弱いチームなんだ。そして面白くない。そして人気がない。これじゃ潰れてもおかしくはない。そんな思いがなぜか名前も知らないパンク・バンドのCDをたまたま輸入版のCDショップで買ったら気に入ってしまったというのに似ていた。世界中でぼくだけしか聴いてないかもしれない。そしてサンフレッチェ広島には少なくとも関東ではぼくくらいしか応援してあげる人いないだろうという気がしたのだった。

2006年12月26日 (火)

マニア思考

 ニルヴァーナというバンドがいた。『Nevermind』というアルバムが大ヒットしたので今や懐メロの1曲というくらにまで市民権を得てる。実はぼくはこのニルヴァーナは大ヒットする前から聴いてた。他にもU2などは『Joshua Tree』の出る前から聴いてたしR.E.Mなども売れる前の方が真剣に聴いてた気がする。そのくせそういう熱心に聴いてたミュージシャンが大人気になると途端に熱が冷めてしまう。聴かなくなる訳ではないが熱は冷めるのだ。元よりぼくはマニアックなものが好きなのだ。

 そういうぼくの性格にJリーグはマッチしてたと思う。Jリーグ・バブルははじけ観客動員に苦しむという報道をよく耳にしこのままでは潰れるかもという雰囲気があった。ただTVで中継を観ると浦和レッズなどちゃんと客が入ってるのである。スポーツ観戦自体したことのないぼくは自分の目で確かめてみようと横浜国際競技場に足を運んだ。これがぼくのサッカー初生観戦である。最初は何となく未開の地に踏み込むように心細かったので友達を誘った。その友達だってサッカーなんか観たことがない。試しに1回観てみようよという感じだったのだが何気にその友達の方がぼくより詳しかった。白いユニフォームの外人を指差してあれがストイコビッチだよと教えてくれた。ぼくには横浜Fマリノスの城と井原しか分からなかった。でもアウェー・ゴール裏に座ったぼくたちは周りに影響されてなぜか名古屋の応援をしてたのだった。

 客が来ないと言われたJリーグだが確かに空席が目立ったものの23千人入ってた。これだけ入れば十分なのではないかという感覚がその当時のぼくにはあった。コンサートだってちょっと人気のある人じゃないとそこまでは入らないのだし。ただ音楽の好きなぼくとしては応援がリズムを持ってるのが新鮮だった。その時サッカーの応援がチアホーンを吹くんじゃないんだと初めて知った。

 試合は一進一退の攻防の末横浜が勝った。ああ、残念という思いもあるがあのゴールが入った時の興奮はなんとも言えないものがあった。サッカーには音楽に通じるリズムがある。ぼくはすっかりサッカーの虜になってしまい近場のスタジアムに足を運ぶようになるのだった。そしてその内にやはり意識するようになってしまった。広島のサッカークラブを。応援するクラブを持たないぼくが一つ選ぶとしたらそれは広島のクラブしかないだろう。どうもその広島のクラブは観客動員に相当苦労してるようである。お金がないことから選手も主力を放出した経緯があるらしい。有名選手がいない、お金がない、人気がない、まさに広島を象徴するようなチームという気がした。そしてぼくはその広島のチームが関東に来るのを待ちわびた。とにかく一度観てみたいだった。

海外への移住者

1998.6.26 ワールドカップ予選リーグH組 日本vsクロアチア リヨン

 何かを残して帰りたい試合だった。日本はもう予選敗退が決まってる。相手のジャマイカだってもう予選敗退が決まってる。まさにこれは消化試合だ。その為モチベーションとしては難しいものがあったのは事実だがこのまま無得点のままフランスを去るのはあまりにも空しすぎる。今日こそは得点を決めてやる。そう息込んで臨んだ試合だったが何と2失点もしてしまった。これは格上のアルゼンチン、クロアチアよりも点を取られたということで落胆は大きかった。まさに絶望の淵に突き落とすようなゴールだった。

 しかし日本もゴールが生まれた。中山雅史。ロペスとの2トップを組んだこの選手が入れたのだが大会を通じてこの2人の方が良いと素人目にも思ってたがまさに的中してしまった。これにより日本の3戦全敗の責任の矛先は城に向けられた。成田空港で水を掛けられた城だがそれはあの時TVを観てた人がみな賛同する行為だっただろう。ただW杯レベルでシュートまで行けるFWなんて日本にはいない。それを考えれば城はよくがんばった方だ。だけどあの当時そんなことが分かる日本人はほとんどいなかった。シュートは100パーセント入れる。そんな考えがあった。その後代表には色々なFWが呼ばれたがシュート0で終わる選手もいる。城は水を掛けられたことで逆に奮起したと語ったことがあるがぼくにはそれが城に無理をさせたという気がしてならない。その後スペインに渡った城が日本代表の親善試合で無理をしてプレーをして膝を痛めてしまったのは今にして思えばそこまでやる必要はなかったと思える。結局その日以来城は本来のプレーができなくなり代表から遠のくことになるのだが日本にしてみれば勿体ない人材を失ったものだ。それも今だから言えることなのだ。

 決定力不足。この大会でこの言葉が叫ばれた。そしてこの言葉は8年経った今でも言われ続けてる。もっと他に有望なFWはいないのか。ぼくは日本の勝利が観たくてサッカーを観るようになった。何もサッカーに限らずどのスポーツにおいても日本は弱い。これだけの経済大国でありながらスポーツは駄目。だから身体能力的に劣ってるのだろうとは思う。それでも中田英寿みたいにこの大会後にイタリアのクラブにスカウトされた選手もいる。第2、第3の中田が出れば日本もW杯で勝てるはずだと考えるようになった。だから日本人が海外のクラブへ移籍という情報が出れば飛びついたものだ。今ではそれがジャパン・マネー狙いの紐付き移籍だというのは誰もが知ってることであるが当時はそんなこと知る由も無い。海外に行けば中田になれるんだと勘違いをしてたものだ。だが日本人ももっと海外に行くべきだという声が多かったのも事実である。

 実を言うと海外に行ってる日本人は当時でも結構いた。Jリーグが始まる前からもドイツなどへサッカー留学する日本人はいたのである。大体ドイツで見かける日本人は現地で働いてる人とその家族、音楽大学への留学、そしてサッカー留学が大半である。そういう情報はドイツにいる日本人と一人でもいいから友達になればすぐにつかむことができる。ドイツにいる日本人は自然と知り合いじゃなくても情報が入るようなコミュニティーができあがっているのだ。それは日本にいるドイツ人同士、日本にいるブラジル人同士でも事情は一緒だろう。だから会社のブラジル人阿部さんもそういうブラジル人コミュニティのネットワークを使って神戸に行ってしまった。突然の退社だった。

 電話でもう辞めたことを告げられた。仲の良かったぼくはとても残念だった。前の日まで一緒にいたのに何も教えてくれなかったのは言えなかったんだろう。「突然でごめんね」とバツが悪そうだった。それ以来会うことはない。今も日本にいるのかさえ分からない。それこそ誰かブラジル人と知り合いになれば分かるんだろうが。

2006年12月25日 (月)

敗戦の後

1998.6.20 ワールドカップ予選リーグH組 日本vsクロアチア スタッド・ド・ボージョワール

 日本は勝たないといけない。クロアチアはアルゼンチンより弱いと聞く。だったらここで勝てば次のジャマイカには勝てるだろうから予選リーグ通過したも同然だ。日本には中田がいるから勝てるだろう。またしてもそんな的外れな考えをしてた。ただこれもぼくだけじゃなく他の多くの日本人も抱いていた勘違いだろう。日本にはJリーグの選手しかいなくて他国は様々なリーグでプレーしてる選手がいる。その差はメンバー表が発表されると一目瞭然だった。どこのリーグが一番レベルが高いかは分からないが外国人として他国へ活躍の場を移してる選手が多いというのは素人でもレベルの高い選手が多いというのが分かった。

 しかし、日本は初戦に比べてずいぶんいい試合をした。これは勝てるかもと思ったものだった。だがここでも城がシュートを外して点を奪えなかった。そしてシューケルに得点を許しその1点に泣くことになった。終了のホイッスルが鳴った時シューケルの「ウォーッ」と両手を挙げて喜ぶ声がよく聞こえた。

 だが後で現地で試合を観てた人に聞いたがその前に日本人選手が倒されたファールがあったらしい。それを審判は見逃していてみんながファールだろと騒いでる内に決められてしまったというのだ。それはTVには映らない光景だった。TV観戦と生観戦の違いの大きさである。そしてそのゴールを決めたシューケルは大会得点王となりクロアチアも3位となり日本は決して容易い相手と戦ったわけではないと知る。それよりもW杯が始まるまでクロアチアなんて国も知らなかった。当然ユーゴスラビアという国の内戦なんてさして興味も持たなかった。日本への影響なんてせいぜいヨーロッパ旅行に支障をきたすくらいの認識しかなかったのである。当然その当時日本にストイコビッチがいることなんて知らなかったし他にもユーゴスラビアから来た選手が数名いたことなぞ知る由もなかった。

 ぼくは職場に行くとブラジル人の阿部さんは残念な顔をしていた。その表情から本当に日本を応援しているんだなと思った。日本はもう予選リーグ敗退は決まったけど消化試合となったジャマイカ戦だけは勝って終わりたい。そんな感情が沸いていた。得点さえ決まれば勝てる。勝てなかったのは残念だけど全く歯が立たないわけではない。これから日本のJリーグで切磋琢磨してレベルを上げていこう、そう胸に誓ったのである。こうしてぼくはサッカーについて真剣に考えるようになった。考えてみればこの時のメンバーには伸びしろがあった。中田英寿は王様だったがまだ若かった。そしてシュートを外したが城も若かった。GKの川口もスーパーセーブを繰り返したがこの選手も若かった。この若いチームが4年間で成長したら今度こそW杯で勝てるようになるだろう。そんな希望を抱いたのであった。これは甘い観測と言わざるを得ないのは今となっては明白だがこの当時こういう感覚はぼくだけが持ってるのではなさそうだった。

2006年12月24日 (日)

サッカーとの出会い

1998.6.14       ワールドカップ予選リーグH組 日本vsアルゼンチン スタッド・ド・トゥールーズ

 当時ぼくのいた会社には日系ブラジル人がいた。安部というそのブラジル人は2世で顔も名前も日本人だが字は書けなかった。完全なブラジルからの出稼ぎであったたために言葉が喋れれば特に日本語の読み書きは必要なかったようである。でもぼくはこの安部さんととても気が合ったのである。

 それまでサッカーなど観たこともないぼくは安部さんにW杯のことを聞いた。安部さんは日本を応援してるという。ブラジルは何となく勝って当たり前という気がするからということだ。そして何よりアルゼンチンが嫌いだという。その時ぼくはブラジルとアルゼンチンが感情的に対立関係にあるというのは知らなかった。そして何よりもサッカー大国だというのも知らなかった。だからぼくが阿部さんから教えてもらった話というのは今の日本のサッカー・ファンなら誰でも知ってるようなことだろう。だけど多くの日本人はその当時ぼくと同じレベルだったと思う。

 深夜、ぼくはTVを付けた。アルゼンチンの選手なんて一人も知らない。日本の選手だって中山雅史と城とロペスぐらいだろうか。後は中田英寿のことをマスコミで騒いでいたので名前を覚えたがプレーは見たことがなかった。というかサッカー自体観たことがなかった。だからこれはぼくの始めてのサッカー観戦だった。TVであったがこれこそがサッカーとの出会いだったというべきだろう。

 何も知らないぼくは日本がボールを取れないのにイライラしてた。それでも何度か決定機が訪れる。そして城が外す。その都度何やってんだと歯がゆい思いになった。そしてアルゼンチンに決勝ゴールを決められ破れてしまった。そのゴールを決めたのがバティストゥータだったというの知ったのはずっと後になってからのことだった。

 1失点をしてからというもの何とか点を取りたいと攻めた。そして残り時間とにらめあいながら何とか点を入れて欲しいと願った。その1点欲しい状況で何と時間の経つのが早いことか。アッという間に終了のホイッスルが鳴ってしまった。でも後2試合ある。そこで勝てばいいんだ。そんな的外れな考えも起こしていた。そして中盤の中田英寿は確かに良い選手で一人で試合をやってるようにさえ見えた。これはクロアチア戦に向けてFWを代えないといけないと思ったがここのメンバー選考だってアジアで予選を戦った経緯の中で生まれたものでこの1試合で決まるようなものではない。そんな思考にいたらなかったのもアジア予選など観てなかったからだった。

 翌日阿部さんにアルゼンチン戦のことを聞いたら良い試合をしてたという。ただFWが厳しいということだった。次勝つためには城じゃ駄目だと言う。中山でも駄目だと。じゃあ誰がと思ったが結局日本にはW杯で勝ち抜くにはFWがいないというのを後になって知ったのだった。

 「でも中山はがんばってるよね。試合観てると全然駄目に見えるけど多分一生懸命やってるよ。城だってそうだよ」

 そうなのか。ブラウン管を通して観た映像にはとても真剣身がないように見えた。だからシュートが枠に飛ばないんだろうと。城なんてシュート外して笑ってるんだもん。ガム噛んでるし。あれは代えた方がいい。そういえば小野伸二という若い選手いるそうじゃないか。上手いってことだからそいつに代えたらいいんじゃないのか。そんな考えを起こしたぼくは当然小野が中盤の選手だとは知る由もなかった。

2006年12月22日 (金)

温故知新

 2006年、リーグ戦で最終節こそ負けたものの最後は5連勝という強さをみせた。これで戸田の完全移籍も決まったことだし後はウェズレイの動向次第では来期において期待できる。今度は上位争いも夢ではないだろう。とここで一抹の不安がぼくの胸を過ぎる。この精神状態というのは2001年と一緒ではないか。降格争いをするも最終で3連勝して気付けば2ndステージ3位となったあの年と。

 確かに2002年はガジエフ監督というマイナスポイントがあったのかもしれないがぼくはそれだけじゃないと思う。それよりも大きいのは心理的なものではなかろうか。メンバーを変えなくてもやっていけるとほとんど同じメンバーで臨んだのだがそれが停滞を生んだともいえる。他のチームが続々と補強をしている中サンフレッチェは今年と同じでいいと動きがない。お金がないクラブなのでしょうがない面もあるがレンタルでもいいから補強はすべきである。そしてスタメンも再構築するくらいの雰囲気がないとメンバー間で刺激がないだろう。そこが不安である。

 それに引き換え小野監督は凄かった。不必要なまでの補強を繰り返しクラブを見事に赤字に追いやった。でも補強によって得た選手は何気に活躍してた。といっても佐藤寿人やウェズレイなどもう活躍が保障された選手が多いのも事実だが。でも小野監督の場合それ以上にこの人が監督をやってて大丈夫だろうかという不安感があった。だからサポーターも浮かれることはなかった。もしかしてこれこそが小野の監督としての能力だったのかもしれない。

 同じメンバー、同じ戦術でやれば勝てるような気がする。が、そうならないのがサッカー。チームに何らかの変化が欲しい。現状では若手の台頭に期待するしかない。槙野、中尾、吉弘といったとこだろう。高柳や前田俊介もスタメンに割って入るくらにならないとマズイ。ミーシャが来て青山と柏木というサプライズがあったが第2の青山、柏木は出てくるのだろうか。出てきたらワクワクするような週末を迎えられるだろう。

 といっても強かった頃のジュビロ磐田はずっと同じメンバーだった。結局何が良くて何が悪いかなんてぼくのような素人には分からないのだ。といっても過去から学ぶことはある。だからこれからしばらくの間は過去のサンフレッチェを振り返ってみようと思う。

2006年12月21日 (木)

サッカーのない生活

 サッカーがないといったって日曜には草サッカーに行ってプレーしている。クラブ・ワールドカップだって観てた。だけどサンフレッチェの試合がないと本当の意味ではサッカーが存在しないのと一緒だ。ぼくのサッカーはサンフレッチェと共にある。

 週末、あるいは水曜日に向け試合を心待ちにし、そして一喜一憂する。それが1週間のメリハリとなっている。が、シーズンの終わった今どこか気が抜けたようになる。みんなこの時期はどうやって過ごしているんだろう。

 以前サッカー観戦後の電車内での会話を聞いたことがある。

 「今年ももうリーグ戦終わりだよね。リーグ終わったらどうしようか」

 「天皇杯があるじゃない。その後には高校サッカーもあるし」

 こんなこと考えてるのはぼくだけじゃないようだと思った瞬間だった。

 しかしリーグ戦のある時に比べて明らかに時間を持て余す。そこで普段できないことをやろうとする。ミュージシャン崩れのぼくは毎年この時期にDTMで作曲活動をするのだ。結局大した曲が作れずに終わってしまうという結末に一体何してたんだろうと考えてしまう。

 こんな時、サンフレッチェ仲間の中には広島県人会に出る人がいた。広島県人会は他県より人数が多いらしく会そのものも大変な盛り上がりを見せるようだ。こういうところに行ってサンフレッチェのアピールをしている。広島のサッカークラブですよ、広島に「広島」と付くスポーツクラブありますかと。確かにサンフレッチェは正式名に広島と付く。そして応援でも広島と応戦される。これ程広島と呼応するスポーツクラブなのに今一広島での認識が低いのは勿体ない。ここはアピールするポイントだ。

 ぼくもこの広島県人会出席してみようと思う。ただ平日開催なのでまだ行けるかどうか分からないが前向きに考えている。共に広島愛を語ると共にサンフレッチェのアピールもしたい。だってサンフレッチェの試合に行けば必然と広島県人会をやってるのと一緒なんだから。

2006年12月20日 (水)

生きる

 黒澤明の『生きる』という映画がある。どうしようもない小さな人間が死ぬ前大きなものに立ち向かうという話。そういえば最近福本伸行の漫画で『黒沢』というのがあったがこれも内容から推測するに『生きる』を素にしたんだろう。結局両者のメッセージとしてこの世というのはとてつもなく大きな存在として描かれてる。どうしようもなく強大な存在、自分ではとても立ち向かえないと思った時それに押しつぶされるか、それとも針でつつくような抵抗を見せるか。それで大勢が変わるわけではないが小さくとも抗ってみせる。そんな勇気あるだろうか。ぼくにはない。だって恐いんだもん。

 Jリーグ・アウォーズ。1年間の功労を称えるイベントだが会場には各サポーター向けに割り当てられたゾーンがあり当然広島ゾーンがあるのだがそこには赤い人達が占拠してたらしい。どうも関東圏のサポーターは東京から離れた不人気チームの枠で申し込んでチケットを当てるらしい。だから大分、セレッソ、福岡、京都の枠には赤い集団がいたようだ。そんな状態にも数には勝てんと黙って座ってるしかない。ぼくだったらそうするだろう。せいぜい終わった後帰りに仲間と「何だよアイツら」と愚痴る程度だ。しかしそれに猛然と立ち向かった女性がいた。

 広島を愛するその女性は案内係に何で他チームのレプリカ着てる人が座ってるんだとクレームを付けたらしい。そしてもう一人、関東バスツアーの主催者も警備員を連れて正式に抗議したらしい。その行動力たるや素晴らしい。もうチケットを持ってるその他サポーターをどかすことはできなかったものの少なくとも彼らは来年広島枠で申し込むことはないだろう。といっても今回の出来事を知らない人は当然のごとく広島枠で申し込むのだから大勢に変化はないだろうが。

 しかしそれでも広島の存在を見せ付けたその二人は凄い。ここは広島。広島広島広島。他サポーターが来るんじゃない。確かに不人気クラブだがそんな中でも立派に広島の魂を持った人達がいる。しかもそんな人達が関東にいるとは思いもよらなかっただろう。

 数では絶対的に勝てない広島。関東のアウェイの試合になると痛感する。だけどぼくらの魂は数ではないと何かを残そうとする。そう、針で突いてやるのだ。広島もなかなかやるなというのを見せてやりたい。そう思っているのだが果たして他サポーターはどれくらいサンフレッチェの存在を認識してるだろうか。

2006年12月18日 (月)

オシムの危険な言葉

2006/12/17  FIFAクラブワールドカップ ジャパン2006 決勝  インテルナシオナル vs バルセロナ  [横浜国際総合競技場]

 インテルナシオナルが勝った。大方の期待を裏切りバルセロナは優勝しなかった。この大会の目玉とされたロナウジーニョは優勝の立役者となれなかったことでTV局もバツが悪かっただろう。サッカーの試合とは得てして思い通りにいかないでTV局を困らせることがあるものだ。そのせいだろうか、またしても出てきたのはオシム語録である。スポーツ新聞ではバルセロナが負けてしまったことでオシムにスポットライトを移したようだった。

 「一方はサッカーをスペクタクルな見せ物のようにとらえ、もうひとつは生活のための戦いと理解した。そして後者が勝ったのだ」

「美というものは長続きしない。今日のサッカーでハッキリしているのは1人でも走れない選手がいると負けるということだ。その1人が誰かは申し上げないが、みなさんはわかっているはずだ」

 そういうコメントを発したらしい。確かにオシムの言ってることは正論だ。ジェフという選手層の薄いチームで優勝争いをしたという実績もある。だからオシムが言うことは全て正しいと言ってもいい。だけどこれは危険な兆候だと思う。

 サッカーは走るもの。確かにそれは正しいだろう。では走っていればいいのか。走らなくてもボールを回せばいい。ドリブル突破できるならその時走ればいい。フェイントでかわせるのならその方が効率がいい。つまりはある一定のレベル以上の戦いになった時に走ることが勝敗を分けるようになるのだ。これがテクニックもないのに走るだけになったらこれはもはやサッカーではない。走れればサッカーで勝てるのなら陸上選手を集めればいい。そして1週間みっちりトレーニングを積むと勝てるということになる。それは絶対にあり得ない話だ。

 今巷ではやたらと走れという言葉を聞く。少年サッカー、草サッカー、いたるところで走らないと駄目だという声が飛び交ってる。だけどそういう人達は気付いてないようだ。オシムが率いたユーゴスラビア代表にはストイコビッチがいたということを。そしてジェフにも阿部勇樹のようなテクニックを持った選手がいたことを。つまり一定のレベルがあった前提で相手チームより戦力が劣る時、オシムの走るという言葉は意味をなす。みんながみんな表面だけ受け止めている。

 走ればいいというならテクニシャンはいらない。ファンタジスタもいらない。サッカーを観てる時一番盛り上がるのはどんな時だろう。それは走ってる姿だろうか。それは違うだろう。

 日本では一つの教えがそのまま唯一の正解とされるからそのうちサッカーの練習にはボールが使われなくなるのではなかろうか。最近そういう危機感を感じるようになってしまった。

2006年12月16日 (土)

完全燃焼者数

2006/12/15 トヨタ・クラブW杯 オークランド・シティvs全北 国立競技場

 歓声が上がる訳でもなく、応援が繰り広げられる訳でもなく試合は淡々と行われていった。オークランドの選手はプロではない。だからこの試合に世界トップレベルのサッカーを期待してる人はいない。バルセロナやインテルナシオナルといったクラブと競う大会というのが信じられないくらい華がない。5位決定戦という何とも消化試合に等しいモチベーションの低さもあってか韓国のサポーターも大していないようだ。というより韓国も代表だと国の威信を掛けて臨んでくるがサッカーそのものが人気があるわけではなさそうだ。あれでよくクラブとして存続できると思うがそんなクラブが日本のJリーグ・チャンピオンのガンバ大阪を破ってこの大会に出場しているのである。アジア・チャンピオンズリーグで負けた時の言い訳をいつも用意するJリーグのクラブはもうちょっと考えて欲しいものだ。そもそも勝つ気がないなら出ないで欲しい。いつも予選リーグで敗退するから東京ヴェルディみたいにJ2に落ちたクラブが辞退もせず平然と負けて帰るということがまかり通ってしまうのだ。もう優勝チームじゃなく行きたいクラブに行かせればいいのに。しょうがなしに行ってるという言い訳がたつから負けて平然としていられるんだ。

 それにしてもこの試合、岩本輝夫がピッチに登場した時が一番盛り上がった。やっと登場したかという感じでスタンドも盛り上がってた。この日詰め掛けた観客の多くが岩本目当てだったのはこれで明白になってしまった。試合中も岩本のプレーの時だけ盛り上がる。岩本がいなければこれはどっちが勝ってもどうでも良い試合。ただオークランドに勝ち目はない、もう結果の分かってるつまらない試合なのだ。

 それなのに岩本はこの試合に関してノーギャラで出てる。この大会限定の移籍なのでしょうがない面はあるが正直この日岩本を観にスタジアムを訪れた人の数を考えるとそれはないよなという気がする。岩本がいなかったらもっと客はいなかっただろう。監督もその辺の空気を読んで先発で使って欲しかった。そもそも岩本はスーパーサブ的な選手ではない。90分使って一瞬キラリと光るのだ。その辺の特徴が分かってないことからもこの監督がしょうがなしに岩本を使ってるのが分かった。

 試合後インタビューでやっぱりサッカー続けるかもしれないと引退を決断しきれない岩本のコメントがあった。これで90分出場してもう立てないくらい全力でプレーできれば岩本も決断できたかもしれない。だけどあまりにも中途半端だった。これでは蛇の生殺しだろう。まだやりたいという思いの方が強くなったのではなかろうか。でも現実としてJリーグではもう厳しい。それならJFLや地域リーグでこれからJリーグを目指すクラブで選手兼監督という立場でやるのではなかろうか。それならこの大会に出たがために多少は一般人に知名度を高めたことで岩本は適任だろう。やるのならなるべく早い時期にやって欲しいものだ。まあそんな都合良くそんなクラブがあるとは限らないのだが。

 サッカーとはこれでもうお終いという判断がつき難いスポーツだ。経験値を高めれば高めるほどなおもっと良いプレーというものを考えてしまう。だからこそ毎年100人以上いるJリーグの解雇された選手は現役を求めてトライアウトを受けたりする。そういえば合同トライアウト、今年もまた

上村

健一は参加してたな。何度も手術をして以前のキレがなくなったのに止められない。これもまた日本代表になりつつも重要な試合に出れなかったという不完全燃焼感から来るのだろう。しかし世の中のサッカー・プレイヤーの中で何人が完全燃焼をしてサッカーを止めることができるのだろうか。

2006年12月15日 (金)

魅了する世界

2006/12/14 トヨタ・クラブW杯 バルセロナvsクラブ・アメリカ 横浜国際競技場

 リフティングの練習をした方がいいと言われたことがある。でもぼくは実際にサッカーの試合をしててリフティングが必要だと思ったことがない。もしリフティングこそが技術の全てだというならフリースタイル・フットボールをしてる人はみんな名選手になれるということになる。もっといえば技術的に優れていれば選手として必ず成功するということになる。だがそうはいかないのがサッカーなのだ。

 サンフレッチェでいえば2003年にマルセロという選手がいた。この選手は上手い。練習だと凄いというのだ。確かにPKだと外したことがないし技術的には高いと思う。でもだからといって通用したかといえば首を捻りたくなる。重要な場面でシュートは外す、ゴール前で簡単に転んでしまう、ヘディングができない。それが故にJ2という舞台でしかも2位で終わったチームにいながら11点しか得点できなかった。それでもチーム最多得点だがその半分くらいはPK。しかも毎試合ほぼ90分キッチリ使ってもらってである。逆にかつてセリエAで得点王になったバティストゥータはヘタクソということだ。ただゴール前でのシュートでは身体をぶれさせない強靭なフィジカルとバランス感覚がある。だから世界のトップリーグであれだけゴールを重ねたのだ。

 最近オシムが日本代表の監督になってから走ることこそサッカーの基本という風潮になりつつある。確かにジェフではそれにより優勝争いするようなチームにまで高めることができた。特に日本人にはそういう走るサッカーが向いてるのかもしれないと草サッカーでも走れという指示が飛ぶようになってきた。

 しかし、バルセロナのサッカーはテクニックの宝庫だった。クラブ・アメリカの選手も決してレベルは低くない。そのクラブ・アメリカの選手が全く攻め手を欠いてしまった。バルセロナは面白いように攻める。そのボール・ポゼッションは技巧的だ。まさにフリースタイル・フットボールのような技を使って相手をかわして攻める。ロナウジーニョやデコといった選手はもう試合をしているという感覚ではない。ショーをやってるような感覚だ。そのエンターテイメント・ショーがクラブ・アメリカを打ち負かしている。ぼくは気が遠くなりそうだった。

 これに比べるとサンフレッチェのサッカーは良くなったとはいえとてもかなわない。世界は遠い。強いものは魅力的だ。といってぼくはサンフレッチェ程興奮することはない。

 実力でも魅せる意味でもサンフレッチェがバルセロナに勝てる要素は何もない。なのに絶対にサンフレッチェであり続ける。時々映るスタンドにバルセロナのレプリカを着た日本人を観て何か異質なものを感じた。

2006年12月14日 (木)

違和感

2006/12/13 トヨタ・クラブW杯 アル・アハリvsインテルナシオナル 国立競技場

 選手一人一人の技術の高さにため息が出てしまう。先制点を取ったアレシャンドレは何と17歳。肩でリフティングしながら突破してたがこんな選手が普通に出てくるとこがやはりブラジルは凄い。日本だとすぐに大騒ぎをして訳の分からない内にスターにされて23年経って忘れ去られてしまうだろう。実績もないのに若いという期待値だけで大騒ぎをしてその選手をスポイルさせるその報道、どうにかならないものだろうか。

 しかしインテルナシオナルの選手はレベルが高い。アル・アハリの選手も高いレベルにあるのだがやはりインテルナシオナルの方が一枚上手という印象があった。Jリーグのクラブがこの大会に出てればこういうチームと対戦する機会ができたのに。勿体ない。と思ってたら来期から南米チャンピオンとJリーグ王者での対戦を企画してるらしい。過密日程との問題があるがぼくは実現してもらいたいものだ。日本人はヨーロッパばかり目を向けるけどインテルナシオナルのようなクラブと試合ができるなんて貴重な経験となるだろう。日本にいれば自ずと同じ相手としか戦うことができないがチャンピオンになることで南米のチームと試合ができるというのは優勝へのモチベーションをより上げることができるだろう。

 そういえば現在イタリアのメッシーナに所属する小笠原満夫は移籍する際日本にいると同じ相手としか試合ができないと言ってた。だから小笠原くらいの選手になると必然的に海外に目を向けてしまうのも分かる気がする。だがほとんどの日本人選手はベンチに座っているだけ。それでも海外に行きたいものなのだろうか。

 日本にいてもアジア・チャンピオンズリーグ、A3、そして実現すれば南米王者のクラブとの対戦。外国のクラブとの対戦のチャンスはある。問題はJリーグのクラブがそこでいつも負けるということ。だから今回のクラブW杯も出れない。

 海外志向の強い選手が多い中、どうしてもその辺の思考がぼくには理解できない。アジアで勝てないのにやたらとヨーロッパに行きたがる。行ってもベンチに座ってるだけ。クラブW杯に出て経験を積みたいとは思わないんだろうか。そしてヨーロッパに行きたいんならそこでアピールしてオファーを貰おうと考えないんだろうか。こんなまだ権威もない大会に全力で臨んでるエジプトとブラジルのクラブの試合を観てるとどうしても違和感を覚えるのだった。

2006年12月12日 (火)

観たくない試合

2006/12/11 トヨタ・クラブW杯 クラブ・アメリカvs全北 国立競技場

 サッカーが地上波でやってる。それどころか観に行こうと思えば行ける場所だった。だけど観ようという気が起きなかった。それもそのはず、この試合に日本のチームが出てないからだ。

 昨年Jリーグ・チャンピオンのガンバ大阪はアジア・チャンピオンズリーグで予選リーグで負けてしまった。もう1枠で出場の東京ヴェルディなどJ2だから辞退もできたはずなのに出場して1回も勝てずに敗退してしまった。オイルマネーで潤う中東のチームならまだしも韓国や中国のチームに勝てない。毎回色々な言い訳をするがもう聞き飽きた。こんな毎年Jリーグのチャンピオン・チームが1回戦で負ける状況に暗澹たるものを感じるのだった。

 確かにアジアのレフリーの判定は難しい。アウェイでの劣悪な環境も分かる。でもせめてホームの時は勝てよといいたい。Jリーグのチームが全く歯が立たないのだが更にサンフレッチェはそういうチームにJリーグで勝てないのである。それがぼくにとって一層気持ちを沈めさせるのだった。

 Jリーグの優勝チームというのはあまりにもドメスティックだ。アジア・チャンピオンズ・リーグに戦力を傾けると国内のリーグ戦に勝てないという。それも分からないでもないがあえてその殻を破って欲しい。そうすればこのクラブW杯にも出れる訳だしアジアの地域でJリーグのステータスを向上させることができるだろう。そうすれば日本人が欧州へサッカーを観に旅行をするようにアジアの人がJリーグを観に日本へ旅行に来るとも考えられる。マーケットというのは海外にもあるのにその可能性をみすみす潰している。何とも悲しい現実だ。

 だからぼくはクラブW杯を楽しく接することができない。メキシコのチームと韓国のチームの対戦で羨望の眼差ししか向けられない。メキシコの選手は本当に上手いし独特だ。こんなチームと試合をしているJリーグのクラブがあったらその日限定でぼくもそのクラブを応援するだろう。そして今度はサンフレッチェもこの大会に出ようと意欲を燃やすだろう。

 いや、実際に出ようとしたらアジア・チャンピオンズリーグで消耗させられてJ2に降格してしまいそうだな。やっぱり身の丈に合った順位で満足すべきなのだ。ってさっきまで散々そういうクラブのことを批判してたのに。

2006年12月10日 (日)

判定の基準

2006/12/09 天皇杯5回戦 サンフレッチェ広島vsガンバ大阪 神戸総合運動公園ユニバー記念競技場

 もう駄目と思いきやロスタイムで浩司が同点ゴールを決めた。非常に価値のあるゴールで非常に勇気を与えてくれる1点だった。だがこの試合がカップ戦という大会であることが非情な結果に終わらせてしまった。延長戦で2点入れられ2-4で負けてしまった。よくやったといえる。でも残念だ。浩司のゴールがあったからこそ尚更悔しかった。

 ぼくは正月は国立でサンフを観るつもりでいた。本気で優勝を狙えると思ってた。この試合だって戸田の出場停止、青山と前田のU20のカタール遠征、ウェズレイの帰国、ダバツの負傷という厳しいメンバー事情があったにも関わらずガンバに22というスコアに持ち込んだ。本当に可能性を持った素晴らしいチームになったと思う。このチームの試合が今年はこれでもう終わりというのがもどかしかった。もうちょっと観たかった。そして初めてのタイトル、天皇杯を取りたかった。とにかく今年はこれで終わった。

 でもこの試合で初めてミーシャが審判への不審を語った。浩司も明らかな誤審をコメントしている。マグノ・アウベスを倒したとされるPKは明らかな誤審だった。こういう判定がサンフレッチェに多いのは何でだろうか。特にガンバとの試合にはそういう不利な判定が多いような気がする。これは審判がサンフレッチェは弱いチームという肯定観念があるせいではないだろうか。得点王のマグノ・アウベスにリ・ハンジェが詰める、ファールでしか止められないだろうという咄嗟の判断が働いたのだろう。これがレッズのトゥーリオだったらこんな判定は貰わなかったはずだ。大体サポーターの多いチームだったら観ている人間も多い訳で審判だってそれなりの緊張感を持って試合に臨むだろうがサンフレッチェのようにサポーターの少ないチームは軽くみられるんだろう。だからガンバとの試合という時点で勝負があったのかもしれない。

 しかしこういう判定が多いからこそ日本ではゴール前で倒れる選手が後を絶たない。観てる方にしてもそこはもっと踏ん張れよと言いたくなるような場面でアッサリと倒れる。結果シュミレーションの判定が多くなる。サンフレッチェにはシュミレーションをするようなタイプの選手がいないにも関わらずシュミレーションを取られることがある。まさにこのシュミレーションの判定に関しては何の恩恵も受けてないのだ。

 シーズンを通じれば有利な判定も不利な判定もあるだろう。だけど不利な判定しか頭に残ってないのは単に印象の問題だろうか。それとも実際に判定の優劣があるのだろうか。正直判断に迷う。

2006年12月 9日 (土)

トレーニングの場所

2006/12/06 ドーハ・アジア大会 サッカー U21日本vsU21北朝鮮

 ぼくには敗戦のショックがずっと引きずられている。この試合、Jリーグであれだけ素晴らしい活躍をした青山敏弘や前田俊介がまるで輝くことができなかった。他にも本田圭介や谷口といった対戦すると脅威となってた選手がまるで存在感がなかった。一体Jリーグって何なんだろうと思ってしまう。北朝鮮に負けるくらいだから大したメンバーじゃないかというと彼らの多くは自分のクラブで試合に出てる選手なのだ。1チーム1選手という選考基準があったみたいだがそんなの関係ない。それでも北朝鮮に負けたのはショックだろ。

 北朝鮮という国はかつてW杯でベスト4に入ったという実績からも潜在的な力は持ってると思われる。ただ、政治的な背景から国際試合を組めないという事情から経験不足が考えられた。それでも後半は日本にシュートを打たせないでFK2本を得点に結びつけるという非常に効率のいい勝ち方をした。これは一体どういうことなんだろう。身体能力で差があるのだろうか。それとも特別なトレーニング方法でもあるのだろうか。日本の貧弱な攻撃を観ていると今の今までのトレーニングや指導法やら何やらまで全て間違ってたんじゃないかと思ってしまう。いずれにしても日本は強豪ではなかったということだ。真剣身が足りなかったとも言える。

 これにより選手は各クラブに戻る。天皇杯が残ってる選手もいるが年が明けると各クラブのキャンプだ。サンフレッチェもトルコへ行く。トルコというのは今年ジェフが行ったことからその流れなんだろう。暖かいイメージがあるが決してそんなことはない。場所によっては雪は降ってるし寒い。そしてトルコ人というのは顔は西洋人だが体系は日本人に似てる。そういう意味では何らかのヒントを得に行くのは間違ってはいないだろう。当然サッカーも日本より強いのだから得るものは多くあるはずだ。

 しかし、こうやって日本のサッカーはヨーロッパや南米に目を向けるのだが実際問題としてアジアで勝ってない。アジア・クラブ選手権をやれば予選リーグで負けてしまうし今回のアジアカップにしたって予選落ちだ。どこかいきなり強くなろうとし過ぎて無理をしてるような気がしてきた。基礎を固めずにいきなり応用を活用しようとするとでもいったような。何にしても高い金を出してヨーロッパまで行かなくても韓国、中国辺りでも立派な強化になると思うのだが違うのだろうか。その方が近郊の国にクラブの知名度をアピールできていいような気もする。でもやっぱりこういったアジアの国ではトレーニングにならないというのだろうか。ぼくには分からない。でもやっぱり不思議に思う。

2006年12月 7日 (木)

責任追及

2006/12/06 ドーハ・アジア大会 サッカー U21日本vsU21北朝鮮

 予選リーグで負けてしまった。結局日本は思った程強くないということだ。アジアにおいては強豪だと思ってた。それは日本が強かったというより他の国が弱かっただけである。それが他の国がサッカーに力を入れるようになってきたら途端に追いつかれてしまったということだ。哀しいがそれが現実である。

 試合を観てて感じたことは日本にはバックパスが多いことである。そして11での仕掛けや個人で局面を打開する場面は少なかった。前を向いてのパスではなくバックパスばかり。だからパスはつながるものの有効なパスというのはほとんどなかった。逆に北朝鮮のボールは人数をかけてやっと取ってる。個人の質からして北朝鮮の方が上なのではないか。そう考えざるを得ない状況だった。日本はプロリーグもありほとんどの選手がリーグ戦に出場してる選手だ。それなのにアジアの大会で予選すら通過できなかった。この現実にぼくは気が遠くなりそうだった。

 しかしこの戦いは日本の社会をよく現してる。なるべくパスをつないでチーム全体で戦おうとしている。だからボールを取られてもチームが悪かった、点を入れられてもチームが悪かった、個人への追求はまるでない。だから観ててもちっとも面白くない。個人でのプレーがないからスターも出ない。スターが出ないから日本のスターシステムに則ったマスコミでは報道できない。だからますますサッカーへの関心が低くなる。正に負のスパイラルだ。

 だけど日本でもこういう個人の創造性や発想というものをもっと大切にしないといけないという風潮はあった。それが学校のゆとり教育だろう。学校での授業を減らしてもっと自由な時間で色んなことをやって欲しい、そして幅の広い人間になって欲しいというものだった。結果学力低下を招き子供たちはその余った時間をTVゲームに費やしたのだった。

 明らかな失敗。だけど一番哀しいのはそのゆとり教育をやると言った人の顔が見えないことだった。一体誰が提唱して誰が推し進めていったか分からない。皮肉にもゆとり教育でその責任者の顔を見えなくするという日本の社会の構造を露呈してしまった。個人を尊重する教育を推奨した者が個人の責任から逃げていたのだ。結局日本の社会というのは誰かが責任を負うというのを極度に嫌う社会なのだ。そして誰か一人が目立つというのも美徳とされないとこがあった。

 試合後のインタビューで反町監督は選手の足が重かったと語った。そして増田はボールを回すだけでシュートが無いと言った。ここでこうすべきだったというコメントはない。自分が悪いというよりチームが良くなかったとでも取れてしまう。自分のせいで負けたと言えないのか。どうしてこうチームが悪いとか責任が曖昧なものへ対象を持っていくのか。といってぼくが同じことができるかといったら考え込んでしまう。そういやつい先日なくしてしまった書類を見つけてもらった時こう応えた。

 「ここに置いといたんだ。なのに無くなってるのが悪い」

 次の瞬間こういう答えが返ってきた。

 「あんたって本当に自分のせいと言わないね」

2006年12月 5日 (火)

解雇情報

 八田康介、大木勉の解雇が決まった。やっぱりという感はある。2人共全く試合に出てないことを考えればそういう予感はあった。特に八田などは監督がストッパー・タイプの選手を好まない傾向から厳しかった。そういう意味では徳島にレンタルしてる西河も厳しいのだろう。まあ現実問題八田にしても西河にしても今のDFラインに入るには厳しいものがある。いいパフォーマンスをして今日は良かったと胸を撫で下ろすレベルである。対してカズ、戸田、盛田もしくはダバツというDFは試合前から信頼感がある。だとしてらこの先スタメンに名を連ねるのは難しい。であれば他のチームで試合に出る方がいいだろう。2人共チームのスタイルによればまだまだ使える選手だ。きっとオファーもあるだろう。

 それに比べ大木はどうだろうか。正直厳しい。この選手広島だからこそ勤まったような気がする。何かとサポーターの避雷針として非難を浴びることの多かった選手だがそんな大木は広島のキャラクターによく合っていた。昔、森崎ツインズのトークショーが東京であったが、その時浩司が大木と仲がいいという話が出て「大木って誰?」という空気が漂ってたのが印象的だ。そこそこ試合に出ていながらサンフサポにしか知られてない存在というのが微笑ましかった。そういう憎めないとこがこの選手にはあった。

 大木の退団。これは2004年に高橋泰の退団が決まった時のような寂しさを感じる。サンフレッチェにいなかったら試合で結果を出せなかったような気がする。印象的なゴールもある。それでも高木や久保や寿人といった主軸のFWでなかったのも事実。毎年この時期は寂しくなるものだ。果たして大木はどこか移籍するチームはあるのだろうか。引退するには早すぎる。でも職業安定所に通った時期もあるんだよな。大木に合う職業。尚更思い浮かばない。やっぱりどこか移籍しろ。大木、死ぬ気でがんばってくれ。ってこんな言い方していいんだろうか。でも大木はそれが許される唯一のキャラクターなんだよな。ああ、やっぱり勿体ない人材だ。

2006年12月 4日 (月)

サッカー文化

2006/12/03 ドーハアジア大会2006 2次予選 U23日本vs U23シリア カタール・スポーツ・スタジアム

 朝起きてTVを付ける。どこの放送局もこの試合のことを放映しない。同じアジア大会でもスケートなどは大々的に取り上げられてる。確かに日本のスターシステムに則った報道では個人競技の方が報道しやすい。でもそれなら何でいつも平山しか映さないマスコミがせっかく平山が得点したというのに全く沈黙してしまうのか。結局この国のサッカーへ対する情熱なんてそんなものである。所詮アジアの大会とはいえそれだったら他の競技も同じなのである。

 とはいえぼくもこの試合をリアルタイムで観てない。こんな夜中まで起きてられないのだ。一度目が覚めたもののそのまま寝てしまった。やっぱり深夜の放送は辛い。といってサッカーの場合時差があるのでこういうことはよくあること。改めて世界中でやってる競技であるがゆえに苦労してしまうというのを感じる。

 しかしシリアも強い。日本は勝利したものの10だ。何だかシリアなんて戦争ばっかりやってるイメージあるがサッカーの強化もどこかでやってるのだろうか。それについてはイランやイラクも同じ事を感じる。一体あれだけ紛争があってどこでトレーニングをやってるんだろうと。これはぼくら日本人では分からない領域である。

 そういえば過去にユーゴスラビアで紛争があった時W杯予選でクロアチアとユーゴスラビアの対戦があった日は内戦が中断したという。だったら血を流さなくてもサッカーで勝負すれば良さそうなものだがこの辺が人間の心理の複雑なとこである。どうせこういう民族紛争のある地域同士の対戦だとサッカーの試合で勝敗をつけたとしてもその結果に不満を持ったサポーターが暴徒と化すような気がする。やっぱり日本人には理解できない領域だ。

 よく日本人にはサッカーは向かないというセリフを聞く。事の真偽は分からないが少なくともこういう外国の例を持ち出すと現在にいたっては文化にはなってないよな。

2006年12月 3日 (日)

リーグ戦終了

2006/12/02 清水エスパルスvsサンフレッチェ広島 日本平スタジアム

 優勝争いでもない、降格争いでもない、まさに何の注目度もない試合だった。が、ぼくらにはこの試合に意味があった。勝つことを欲した。目の前の試合は全部勝ちたい。サポーターというのはそういうものだ。強豪チームでもないのに全ての試合に勝利する、そんなのが不可能なことだとはぼくらも分かってる。だけどここのところのチームの調子良さはそういう思考に拍車をかけ、しかもそれが実現可能だという心情を生み出してしまった。それが30というボロ負けの結果を生んだのだろうか。

 この日関東からは2台のバスが出た。中型とはいえ満員だったため50人にはなっただろう。ぼくはそのバスに乗れなかった。仕事があって行けなかったのだが今年は関東の試合ほとんど行けたことを考えればこれくらいはしょうがないかと思う。ただ家に帰ってネットで試合結果をクリックした時はさすがにへこんだ。

 この試合に対する期待というのは2つあった。7位でリーグ戦を終わるということ、そして天皇杯に向けたバックアップの充実ということだ。結局その2つ共実現はしなかった。その要因としてはやはり戸田の退場が大きいだろう。

 こう考えると戸田は日本平で2回も試合を左右したことになる。2004年はエスパルスとして退場し2005年はサンフレッチェとして退場した。そしてそのどちらもがサンフレッチェに大敗という結果をもたらした。何とも皮肉なものだ。

 でもまあいい。とりあえずは今年は10位という成績で終われた。開幕からまるで勝てず最下位に留まってたことを考えるとよくやったよと言いたい。結局今年も日本平で勝てなかったわけだがそれにしたって日本平を苦手とするクラブはサンフレッチェだけではない。そして今年もレッズには負けてしまったがそのレッズは優勝してしまった。だからジンクスや相性もあるだろうがそれ程悲観することもないような気もする。ふがいないかもしれないがぼくは10位という成績で幸せな気分になってる。それが弱小クラブのメンタリティーなのだろうか。

 今年も色んなことがあった。サンフレッチェを応援してる限り暇になることがない。改めてサンフレッチェとそれに関わる人に感謝したい。一緒に応援した仲間にも感謝したい。関東に住んでおきながら広島のチームを応援するというどこか的外れなことをやってるのだがそのために知り合った人がたくさんいる。そういう時やっぱりサンフレッチェを応援してて良かったと思うのだった。

 もう今年は全て終わったような書き方だがまだ天皇杯がある。ぼくは今年は可能性があると思ってる。決勝の国立のチケットも買おうかと思ってる。クラブ史上初のタイトルはこの天皇杯こそ狙い目である。ここまで煽っといてアッサリ負けてしまったらどうしよう。そんな時はこの野郎、期待させやがってと言わないように。といってこんなぼくの予想なんて誰も覚えてないか。

2006年12月 2日 (土)

日本平でのリーグ最終戦

 サンフサポのよって日本平はいい思い出がない。このスタジアムは本当に勝てない。相性というかサンフレッチェにとって何かがあるのだ。清水がこのスタジアムで無敵の強さを誇ってるという訳でもないし広島で試合すれば勝ってることもある。こんなスタジアムで最終戦を迎えるとは。もし今も残留争いをしていたらと思うとゾッとする。早々に切り上げられて良かった。ミーシャ、ありがとう。

 日本平での試合で最悪なのは2004年である。この時清水でカズを後ろから倒して退場たなった選手がいるのにボロ負けしてしまった。一体このチームは相手が何人少なかったら勝てるんだと情けなくなってしまった。この時スタジアムにいたサポーターの中には初めてチームにブーイングいたという人がいた。ぼくはそこには行けなかったがいれば同じことをしただろう。ちなみにこの時清水で退場となった選手は戸田である。その戸田が今やサンフレッチェにとって必要不可欠な選手となってるというとこに改めてサッカー界の狭さを感じる。そうやって選手が変わっても清水は清水。倒すべき相手に変わりはない。ぼくらはあくまでもオレンジの集団を黙らせることがしたいのだ。

 しかし2005年は開幕戦で引き分けに終わった。これは苦手な日本平で引き分けたというのはいい兆候であった。そしてこのシーズンは途中まではリーグ戦で2位につけるという好調ぶりを示した。だからこのスタジアムでのパフォーマンスは現在のチームの位置を明確に出してくれてるようだ。そういう意味で最終戦でこのスタジアムというのは意味が大きい。天皇杯を戦う上での明確な指針になるだろう。

 ぼくは今年の天皇杯はチャンスだと思ってる。他のチームが早々に戦力外の選手を発表してる中でサンフレッチェはまだしてない。というより主力はほぼ残るだろうという見通しがある。天皇杯はそういうチームに残る選手と残らない選手が混在して戦うのでどうしてもモチベーションの面でチグハグな面がある。だからサンフレッチェはナビスコカップでは勝てないのに天皇杯では勝てる傾向があるのだ。

 そういう意味では清水も天皇杯は強いんだよな。タイトルも獲ってるし。サンフレッチェにとってはアジア大会に行ってしまった選手もいるしサブの選手を使うチャンスでもある。ここでのパフォーマンスは天皇杯の成績を占うのに大変な参考になるだろう。ワクワクする。こんなにも楽しく試合を迎えられるのも残留が決まってるからだろう。こんな気分が味わえるのが最終2試合だけなんて。短すぎる・・・。

« 2006年11月 | トップページ | 2007年1月 »

最近のトラックバック

2017年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ

サンフレッチェの魂~リンク集

  • SANFRECCE Diary
    このブログを読んでる人ならすでに知ってるだろうから今更リンクを貼るのが恥ずかしい気もする。 何せこのサイト1997年から毎日更新してるというのが凄い。 過去の記事などはぼくも参考にさせてもらうことも多い。 継続は力なりというが実際には継続するのに力がいる。 そういう意味でも管理人のせと☆ひできさんは偉大である。
  • ススボウブログ
    自分サッカーやグルメについてのブログということです。 かなり熱心に応援してる方のようです。
  • ひろしま日記&サンフレッチェコーナー
    試合を時系列で紹介したりかなり凝った内容となってます。 現地の様子など行った人でしか分からないことがあり興味深いです。 試合に行った人も行けなかった人も楽しめるのではないでしょうか。
  • ゆみしん徒然の書
    ゆみしんさんのブログ。本当に色んなスタジアムに観戦に出かけて現地の様子をレポートしてます。観戦者視点でそれぞれのスタジアムの様子が分かり現地に行く時の参考になりそうです。
  • Scud Sanfrecce
    MICRAさんのサイト。ここの特集のコーナーは必見。サンフレッチェはなぜ人気がないかという考察については今までに見ない観点がある。是非一度読んでください。
  • ヒロシマ・コーリング
    今そこにある危機。サンフレッチェにはメディアが少ない。その為妙にぬるい記事が目立つ。そんな甘い現状にこのまま放置していいのかという危機感を感じた時発言していく。

ぼくのミュージック・ライフ

  • Songs Remains the Same
    Led Zeppelin: 聖なる館
    数あるレッド・ツェッペリンの名曲の中でもこれが特に好き。この曲はダブルネック・ギターがあったからこそできたような曲でこういう変則的なギターを使いこなしてるという意味でもジミー・ペイジは凄い。ロックの歴史の中で数々のギターを使ったギタリストはいたがこうしてちゃんと曲のクオリティーを保った形で生かした例というのは他にないのではないだろうか。だからぼくはレッド・ツェッペリンのライブではこの曲が一番聴きたい。そういう意味でDVD、CD含めてライブの音源が一枚しかないというのは勿体無い。だからツェッペリンの海賊版はやたらと高いんだろう。 (★★★★★)
  • モータウン・ジャンク
    Manic Street Preachers: ジェネレーション・テロリスト
     ぼくはこの曲を聴いた時はぶっ飛んでしまった。パンクのエモーショナルな躍動感がありそれでいてヴォーカルの高い声。パンクとは一線を引いてるようでその情熱はパンクだった。ハードロックとも言えないその曲調はこのバンドの大きな特徴だった。  元々このバンド、2枚組みのアルバムを出して解散すると豪語してたが結局15年経った今でも活動している。しかもCDは当時より売れて作品の評価も高くなってる。同時期に出たバンドがまるで残ってないことからすると相当に快挙である。それについて本人達ももっともらしいコメントを出すがそれがいかにも洗練されてる。パンク的でありながら教養のある人達だというのが分かる。そのどうしようもなくハチャメチャでありそうでいながら実はごくマトモな人達というギャップが親近感を呼んでる。だからこのバンドの曲は歌詞までジックリと読んでしまう。  しかし、この人達の作品は結構多く全部網羅するのは骨が折れる。この音楽へのバイタリティ、これだけは間違いなく本物だということだ。 (★★★★★)
  • ルイ・ルイ
    Johnny Thunders: New Rose Collection
     ジョニー・サンダースの死後に出たライブ音源とアコースティック・ギターによるスタジオ録音を音源に編集したアルバム。その中でもこの曲とDo You Love Meは圧巻だった。ラジカセで録ったような音源であるが、それが逆に臨場感を出している。分かる人にしか分からないという作品だ。  ちなみに現在このCDが売ってるのかどうか知らない。これだけセンスのある人がこんなカルト的な存在で終わってしまったのは理不尽な気がする。だからこそ好きな人にはよりたまらない存在になってしまうのだ。 (★★★★)
  • ロクサーヌ
    Police: ロクサーヌ
     これが売春婦に関する歌だと知ったのはずっと後のこと。歌詞も分からずずっとこの曲を聴いていた。勿論歌詞を知ってからもこの曲は大好きな曲だけど。  本当かどうか知らないけどこの曲の入ってるファースト・アルバムはわざと下手に演奏したらしい。理由は当時パンク・ニュー・ウェーブのブームの中でスタイルを合わせたということだろう。そしてセカンド・アルバムでは実力に見合った演奏で上手くなったと思わせたらしい。そういわれてみるとファーストでは音数が少ないシンプルな曲が多いような気がする。このバンド、5作しかアルバムがないのだがそういう抜け目なさというのは元から持ってたようだ。5作とも素晴らしく駄作のないバンドだった。 (★★★★★)

ぼくのブック・ライフ

  • トニー・サンチェス: 悪魔を憐れむ歌
    ローリング・ストーンズの暴露本である。現在は改題され『夜をぶっとばせ』になってるがタイトルといいブックカバーといい前の方がシックリしていた。 ストーンズというのはぼくが最も影響を受けたバンドの内の一つだが、ここまで無茶苦茶をやってそしてそれが逆に彼らのダークなイメージにつながった。まさにロック・バンドの典型である。どんなに悪ぶっても彼らのようにはなれないし彼らのような影響力は出せないだろう。 時代をロックと女とクスリと共に駆け巡り気付けば巨大産業に飲み込まれていったストーンズ。作者はそんなストーンズに最後は身も心もすり減らされてしまったらしい。それでも未だに活動しているストーンズはある意味怪物だ。 ぼくとしてはこの本の訳者中江昌彦の翻訳もその場に居合わせたような感覚になるのが良かった。他にも『レス・ダン・ゼロ』などもいい雰囲気を出してた。今まで本なんか読んだこともなかったぼくが高校生の時読んで凄いショックを受けたのをよく覚えてる。当時のブックカバーの最後に「END]という文字が書かれてたが読後その文字が見た目以上に大きく見えたものだ。 (★★★★★)
  • 落合信彦: 第四帝国
     まず最初に断っておこう。これはトンデモ本である。ここに書かれてる内容は根も葉もないことと言っていい。そもそもこの落合信彦という人がゴースト・ライターを使ってマトモに取材してるかどうか怪しい。本人いわくCIAに100人も友人がいるというから情報には事欠かないということらしいがこれではアメリカ政府のトップシークレットがなぜか来るというUFO研究者と言ってることが変わらない。そういえばUFOに関しての記述もこの本ではありオリジナルな展開を見せてるのは興味深かった。  内容はナチス・ドイツの残党が世界各地で暗躍してるというものでヒトラーは生きてる、UFOは実はナチスが造ったというファンタジーが溢れてる。その展開はちょっとしたSFといっていい。  事の真実なんてどうでもいい。ただ単純にエンターテイメントとして読めば何の問題もないだろう。誰も「ゴルゴ13」を読んで事実と違うと言わないだろう。それと同じことだ。  しかしこの人、いかにも事実というように書くのが上手い。文章も簡単でスラスラと読めるので展開のテンポがいいのである。だから知らないうちに読んでしまってるという感じになる。そのスタイルはぼくもずいぶんと参考にさせてもらった。  まあ実際はゴースト・ライターなんだが。 (★★★)
  • ニック・ホーンビィ: ぼくのプレミア・ライフ
     このブログの元ネタとなった本。この本との出合いはサンフレッチェの応援仲間に渡されたことだ。その存在は知ってたものの読む機会がなかったのでありがたかった。  内容はというとアーセナルを応援する著者のその観戦生活といったとこだがこれを読むと結構日本のサポーターもプレミアのサポーターも変わらないとこがあるのがわかる。退屈な、退屈なアーセナルというタイトルには笑ってしまった。なぜなら分かり過ぎるくらい分かる心情だからだ。ぼくもサンフレッチェを応援してて何度同じことを感じただろう。  今やアーセナルはプレミア・リーグでも優勝しチャンピオンズ・リーグでも決勝に進出するような存在。一方ぼくの応援するサンフレッチェ広島はJリーグの1部リーグで常に降格の危機を感じるクラブ。でもその根っこは同じである。海外サッカー好きにはJリーグをバカにする傾向があるがそういう人には分からない内容かもしれない。 (★★★★★)

JリーグPR

  • Jリーグ2010特命PR部員 Miles