Up and Down with Sanfrecce
2006/10/28 サンフレッチェ広島vs横浜Fマリノス 広島ビッグアーチ
広島のエースといえば何といっても久保竜彦だった。その身体能力を生かした独特なプレーは観るものには強烈な印象を残す。しかも久保が全くの無名選手だったのを広島が発掘したというのがさらにこの選手への愛着をもたらすのだった。そして日本には数少ないストライカーであるのを知るのだった。
しかし、その久保が代表に定着することはなかった。どうも内弁慶なとこがあって代表では活躍しない。ただ広島で見せるパフォーマンスはとても印象的だ。誰もできないようなゴールを決める。ただそれがサンフレッチェにいるということが災いし観てる人が少ないという事実があった。2002年W杯メンバーに落選した際はぼくも相当ガッカリしたものだが大抵の人は大した選手とは思ってなかっただろう。その後マリノスに移籍して優勝に貢献する活躍をし代表でもゴールを量産してやっとその実力が認められるのだった。その頃には2002年に久保なんて大したことないと揶揄してた人は霧のようにどこかへ消えてしまった。
そういう選手であったために久保がチームを去る時は寂しかった。寂しかったがしょうがないとは思ってた。2002年サンフレッチェはJ2へと降格してしまったがあの当時W杯落選による落胆からか久保は調子を落としてしまい試合メンバーからも外れるようになってしまった。それよりも1stステージ第8節のFC東京戦で開始早々にあったシュートチャンスを決めれなかったのが痛かった。あれが決めれなかったことによりその試合は4-0と大敗してしまったような印象がある。そしてその後に続く連敗もそのシュートミスにより引き起こったという流れを生んだような気がする。それだけに久保への戦犯的な眼は当然向けられた。シーズン後の天皇杯ではプレーしてたが悪くはなかったがどこかもういなくなるだろうなという雰囲気があった。埼玉スタジアムで行われた京都戦は敗戦しながらも挨拶を終えた久保の背中にサポーターのチャントが向けられた。無言でピッチを去るような仕草をしながらもその背中はどこかすまないなと言いたげだったような気がした。そしてその後に横浜Fマリノスへの移籍が発表されたのだった。
その後サンフレッチェは久保との幻影と戦うことになる。J2に舞台を移したサンフレッチェは高橋泰を中心に3トップを組み茂木、大木というFWで臨む。高橋はゴールを量産し久保に代わるエースとして見通しがたったその時当時監督の小野は愚挙に出た。いきなりの外国人FWの起用である。せっかく機能してた3トップなのにその中にマルセロという3流外国人を入れてしまった。それによりチームの勢いは失速、高橋も茂木も輝きをどんどん失っていった。小野はこのマルセロをどんなに悪かろうと90分キッチリと使うので次第にチームのパフォーマンスも下がってしまった。この時点でぼくはこの監督は駄目だと思った。
無事J1に上がった後はもうFWの軸はなくなってた。中山元気や大木など色々と試してみたがパッとしなかった。そして来たのが佐藤寿人なんだが仙台での実績を考えると活躍して当然の選手だったのだ。そういう意味ではサンフレッチェが発掘して育てたという久保を超える存在というのは過去にはいないだろう。未来においては分からない。それが前田俊介だったら嬉しいし他の選手でも嬉しいだろう。だけど今のとこ久保を超える存在というのは現れてないのだ。
それなのにぼくの頭には久保の存在が消えつつある。当時あれだけ熱狂した久保のゴールも数字の上でのデータとしてしか記憶がなくなってる。時の流れは恐ろしい。いや、それだけ寿人が得点を重ねてるということだろう。いずれにしても今になってみると故障続きの久保よりコンスタントにゴールを決める寿人の方が今のチームには必要だ。そう考えると久保の移籍も寿人の来た時期もJ2に落ちた時期も良かったのだろう。世の中何が好転するのか分からないものだ。
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