見えない境界線
2006/09/20 ナビスコカップ準決勝 ジェフユナイテッド千葉vs川崎フロンターレ フクダ電子アリーナ
仕事帰りに電車に乗るとジェフの黄色いマフラーをした人がいた。ああ、今日は蘇我でナビスコカップの準決勝があるんだなと気付かされる。まあそんなことに気付くのはぼくくらいだろう。世間の人は日々の生活に追われてもう家に帰ること意外何も興味はないという雰囲気だ。かくいうぼくもさすがに平日はスタジアムに駆けつけるということができない。まあサンフレッチェであれば話は別だが。
その試合だがぼくは後で試合結果を知る。ジェフが勝ったらしい。川崎も同点に追いついて惜しかったようだな。あ、川崎は退場者がいるのか。井川、井川って。あっ、川崎にいたのか。知らなかった。
井川裕輔、J2時代のサンフレッチェの救世主。この選手の加入によって脆くなったDFがどれ程立て直ったか。加入当初、その名前から不安視されていた。何となく井手口と名前が似てるからだ。井手口は2002年の仙台戦で相手にとんでもないプレゼント・パスをしてしまってみすみす勝ち点を失ってしまった。あれさえなければ落ちなかったかもしれないという思いから井手口には良いイメージがない。翌年鳥栖に移籍した井手口に罵声を浴びせたサンフサポがいたらしいが分からないでもない。
だから井川に期待はしてなかった。ガンバから来たといっても所詮試合に出れないからサンフにレンタルで来ただけである。それ程の能力もないだろうと思っていたらこれがとんでもなく良かった。もう広島のバックラインは井川抜きでは考えられなかった。そしてJ1に上がっても井川には残留してもらいたかった。それどころか完全移籍をしてもらいたかった。が、J1での井川のプレーはとても誉められるものではなかった。所詮J2では光ってたというだけなのかという現実にぼくらはショックを受けた。
結局J1の壁に阻まれるような形で名古屋に移籍。ただ名古屋はJ1であるしスタメンでも出場した。やはり能力はあるんだろう。ただ、名古屋でも完全移籍とはならなかったのはどこか物足りなさがあったのだろうか。
そういえばあれだけ救世主となった選手なのに今のぼくの記憶にはそれ程大きな部分を占めてない。まだ同時期に在籍したDFの一人、リカルドの方が記憶に残ってる。井川がいたからJ1に上がれたとも言える。なのに記憶に残ってない。そこが完全移籍に至らない理由なんなんだろう。一体その境界線とは何なんだろう。
最近のコメント