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ぼくのミュージック・ライフ

  • Songs Remains the Same
    Led Zeppelin: 聖なる館
    数あるレッド・ツェッペリンの名曲の中でもこれが特に好き。この曲はダブルネック・ギターがあったからこそできたような曲でこういう変則的なギターを使いこなしてるという意味でもジミー・ペイジは凄い。ロックの歴史の中で数々のギターを使ったギタリストはいたがこうしてちゃんと曲のクオリティーを保った形で生かした例というのは他にないのではないだろうか。だからぼくはレッド・ツェッペリンのライブではこの曲が一番聴きたい。そういう意味でDVD、CD含めてライブの音源が一枚しかないというのは勿体無い。だからツェッペリンの海賊版はやたらと高いんだろう。 (★★★★★)
  • モータウン・ジャンク
    Manic Street Preachers: ジェネレーション・テロリスト
     ぼくはこの曲を聴いた時はぶっ飛んでしまった。パンクのエモーショナルな躍動感がありそれでいてヴォーカルの高い声。パンクとは一線を引いてるようでその情熱はパンクだった。ハードロックとも言えないその曲調はこのバンドの大きな特徴だった。  元々このバンド、2枚組みのアルバムを出して解散すると豪語してたが結局15年経った今でも活動している。しかもCDは当時より売れて作品の評価も高くなってる。同時期に出たバンドがまるで残ってないことからすると相当に快挙である。それについて本人達ももっともらしいコメントを出すがそれがいかにも洗練されてる。パンク的でありながら教養のある人達だというのが分かる。そのどうしようもなくハチャメチャでありそうでいながら実はごくマトモな人達というギャップが親近感を呼んでる。だからこのバンドの曲は歌詞までジックリと読んでしまう。  しかし、この人達の作品は結構多く全部網羅するのは骨が折れる。この音楽へのバイタリティ、これだけは間違いなく本物だということだ。 (★★★★★)
  • ルイ・ルイ
    Johnny Thunders: New Rose Collection
     ジョニー・サンダースの死後に出たライブ音源とアコースティック・ギターによるスタジオ録音を音源に編集したアルバム。その中でもこの曲とDo You Love Meは圧巻だった。ラジカセで録ったような音源であるが、それが逆に臨場感を出している。分かる人にしか分からないという作品だ。  ちなみに現在このCDが売ってるのかどうか知らない。これだけセンスのある人がこんなカルト的な存在で終わってしまったのは理不尽な気がする。だからこそ好きな人にはよりたまらない存在になってしまうのだ。 (★★★★)
  • ロクサーヌ
    Police: ロクサーヌ
     これが売春婦に関する歌だと知ったのはずっと後のこと。歌詞も分からずずっとこの曲を聴いていた。勿論歌詞を知ってからもこの曲は大好きな曲だけど。  本当かどうか知らないけどこの曲の入ってるファースト・アルバムはわざと下手に演奏したらしい。理由は当時パンク・ニュー・ウェーブのブームの中でスタイルを合わせたということだろう。そしてセカンド・アルバムでは実力に見合った演奏で上手くなったと思わせたらしい。そういわれてみるとファーストでは音数が少ないシンプルな曲が多いような気がする。このバンド、5作しかアルバムがないのだがそういう抜け目なさというのは元から持ってたようだ。5作とも素晴らしく駄作のないバンドだった。 (★★★★★)

ぼくのブック・ライフ

  • トニー・サンチェス: 悪魔を憐れむ歌
    ローリング・ストーンズの暴露本である。現在は改題され『夜をぶっとばせ』になってるがタイトルといいブックカバーといい前の方がシックリしていた。 ストーンズというのはぼくが最も影響を受けたバンドの内の一つだが、ここまで無茶苦茶をやってそしてそれが逆に彼らのダークなイメージにつながった。まさにロック・バンドの典型である。どんなに悪ぶっても彼らのようにはなれないし彼らのような影響力は出せないだろう。 時代をロックと女とクスリと共に駆け巡り気付けば巨大産業に飲み込まれていったストーンズ。作者はそんなストーンズに最後は身も心もすり減らされてしまったらしい。それでも未だに活動しているストーンズはある意味怪物だ。 ぼくとしてはこの本の訳者中江昌彦の翻訳もその場に居合わせたような感覚になるのが良かった。他にも『レス・ダン・ゼロ』などもいい雰囲気を出してた。今まで本なんか読んだこともなかったぼくが高校生の時読んで凄いショックを受けたのをよく覚えてる。当時のブックカバーの最後に「END]という文字が書かれてたが読後その文字が見た目以上に大きく見えたものだ。 (★★★★★)
  • 落合信彦: 第四帝国
     まず最初に断っておこう。これはトンデモ本である。ここに書かれてる内容は根も葉もないことと言っていい。そもそもこの落合信彦という人がゴースト・ライターを使ってマトモに取材してるかどうか怪しい。本人いわくCIAに100人も友人がいるというから情報には事欠かないということらしいがこれではアメリカ政府のトップシークレットがなぜか来るというUFO研究者と言ってることが変わらない。そういえばUFOに関しての記述もこの本ではありオリジナルな展開を見せてるのは興味深かった。  内容はナチス・ドイツの残党が世界各地で暗躍してるというものでヒトラーは生きてる、UFOは実はナチスが造ったというファンタジーが溢れてる。その展開はちょっとしたSFといっていい。  事の真実なんてどうでもいい。ただ単純にエンターテイメントとして読めば何の問題もないだろう。誰も「ゴルゴ13」を読んで事実と違うと言わないだろう。それと同じことだ。  しかしこの人、いかにも事実というように書くのが上手い。文章も簡単でスラスラと読めるので展開のテンポがいいのである。だから知らないうちに読んでしまってるという感じになる。そのスタイルはぼくもずいぶんと参考にさせてもらった。  まあ実際はゴースト・ライターなんだが。 (★★★)
  • ニック・ホーンビィ: ぼくのプレミア・ライフ
     このブログの元ネタとなった本。この本との出合いはサンフレッチェの応援仲間に渡されたことだ。その存在は知ってたものの読む機会がなかったのでありがたかった。  内容はというとアーセナルを応援する著者のその観戦生活といったとこだがこれを読むと結構日本のサポーターもプレミアのサポーターも変わらないとこがあるのがわかる。退屈な、退屈なアーセナルというタイトルには笑ってしまった。なぜなら分かり過ぎるくらい分かる心情だからだ。ぼくもサンフレッチェを応援してて何度同じことを感じただろう。  今やアーセナルはプレミア・リーグでも優勝しチャンピオンズ・リーグでも決勝に進出するような存在。一方ぼくの応援するサンフレッチェ広島はJリーグの1部リーグで常に降格の危機を感じるクラブ。でもその根っこは同じである。海外サッカー好きにはJリーグをバカにする傾向があるがそういう人には分からない内容かもしれない。 (★★★★★)

サンフレッチェの魂~リンク集

  • SANFRECCE Diary
    このブログを読んでる人ならすでに知ってるだろうから今更リンクを貼るのが恥ずかしい気もする。 何せこのサイト1997年から毎日更新してるというのが凄い。 過去の記事などはぼくも参考にさせてもらうことも多い。 継続は力なりというが実際には継続するのに力がいる。 そういう意味でも管理人のせと☆ひできさんは偉大である。
  • ススボウブログ
    自分サッカーやグルメについてのブログということです。 かなり熱心に応援してる方のようです。
  • ひろしま日記&サンフレッチェコーナー
    試合を時系列で紹介したりかなり凝った内容となってます。 現地の様子など行った人でしか分からないことがあり興味深いです。 試合に行った人も行けなかった人も楽しめるのではないでしょうか。
  • ゆみしん徒然の書
    ゆみしんさんのブログ。本当に色んなスタジアムに観戦に出かけて現地の様子をレポートしてます。観戦者視点でそれぞれのスタジアムの様子が分かり現地に行く時の参考になりそうです。
  • Scud Sanfrecce
    MICRAさんのサイト。ここの特集のコーナーは必見。サンフレッチェはなぜ人気がないかという考察については今までに見ない観点がある。是非一度読んでください。
  • ヒロシマ・コーリング
    今そこにある危機。サンフレッチェにはメディアが少ない。その為妙にぬるい記事が目立つ。そんな甘い現状にこのまま放置していいのかという危機感を感じた時発言していく。

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  • Jリーグ2010特命PR部員 Miles

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2006年9月29日 (金)

ベットとの出会い

2004.8.29 柏レイソルvsサンフレッチェ広島 柏スタジアム

 ベットの逮捕。ぼくは本当に残念だ。それ程の大きな犯罪でもないから示談で済むと思うがクラブは戒めの意味で解雇するだろう。確かに最近試合に出てないので必要ないといえば必要ないのかもしれない。それでもぼくにはこの選手への思い入れがある。こういう形でチームを去ることになればそれは哀しいことだ。それ以上にこのまま試合に出ることなく終わってしまうというのが勿体ない話だ。

 ベットが入団したのは2004年の7月。半年契約だったサンパイオの後釜として獲得された。前の年札幌に入団するもアッという間にブラジルに帰ってしまったことで大丈夫だろうかと心配された。しかも2003年から外国人がJリーグ経験のある選手ばかりになってた。それって手堅いがもしかして実際のプレーも観ずにJリーグにいたというだけで選んでるんじゃないかという不安を誘うのだった。2003年のマルセロなんて実際にプレーを観たら使えない選手だというのは歴然としている。ぼくはサンフレッチェ加入前に名古屋でのプレーを観たことがあるがまるで記憶に残らなかった。それだってたまたまハットトリックした試合がありそれだけで良い選手だと判断したのではと憶測してしまった。

 そしてぼくは手元に届いた紫熊倶楽部のベットの写真を観た。満面の笑顔。だけどどこかがさつな感じがして野性的なものを感じた。両脇に並んでる織田強化部長が霞んで見える。自信に満ちた、そして圧倒的パワーを持ってそうな笑顔。この選手はかなりできると思ったものだ。そこでぼくは友人にこの選手はいいと言った。その根拠はと聞かれたがぼくは正直に見た目がいいというぼくの言葉に友人は言葉を失ってた。

 しかし、柏戦で初めて眼にしたベットのプレーに友人もぼくの眼が正しかったと認めざるをえなかった。この試合で一番動いてる。何よりも先制点を入れたのはベットだ。思ったよりも小さい選手だったが無尽蔵なスタミナを持ってエネルギーに満ちあふれてた。相手へのプレッシャーを行いボールにはよく絡む。というかボールのあるとこには必ずベットがいるのだ。これはいい選手を手に入れた。サンパイオのあなを埋めて余りある。

 ぼくはこのベットのゴールが決まるまで外国人のゴールというものに素直に喜べなかった。2001年にコリカが11ゴールを決めたがでも外人だもんなという感覚でいた。でも結局誰でもいいから点を取らないと試合には勝てないのである。得点力不足に泣いてたサンフレッチェだったがベットのゴールはチームに勢いを与える本当に嬉しいゴールだった。

 でもそれ以来ベットのゴールってあんまりない。となるとあまり外国人としてのありがたみがない。どっちにしてもチームからいなくなるのだろうか。せめてどこかのJ2のチームでもいいから日本でプレーしてくれないだろうか。とここまでベットに思い入れがあるのもぼくくらいだろう。やっぱりこの選手は使えると宣言して本当に活躍したので思い入れも強くなってしまう。あれ、これじゃあ何か選手として評価してないようじゃないか。

ベットの逮捕

サンフレッチェ広島・ベット選手、酔って男性殴り逮捕

 知人男性を殴って軽傷を負わせたとして、広島県警広島東署は28日、サッカーJ1「サンフレッチェ広島」MFで元ブラジル代表選手のマーティス・ジョベルト・アラウジョ(登録名・ベット)容疑者(31)(

広島市中区住吉町

)を傷害容疑で逮捕した。

 調べでは、マーティス容疑者は27日午前4時45分ごろ、

中区

薬研堀の飲食店で、ブラジル人男性(23)の顔を1回殴り、5日間のけがをさせた疑い。

 同容疑者がロシア人女性と会話中、口論していると勘違いした男性が仲裁に入ったのが原因という。当時、3人とも酒を飲んでおり、調べに対し、同容疑者は容疑を認めている。

(読売新聞)

 ベットが来た時、誰もが不安に思っただろう。というか実態がつかめない。なにせ2003年シーズン札幌に来てホームシックになったといってすぐにブラジルに帰ってしまったのだ。今になってみれば契約の面でゴタゴタがあったのだろうという想像がつくがそんな訳の分からない理由で帰る外国人なんて信用できるのかと不安になった。

 そしてベットの入団会見。ぼくはそれを写真で見ただけだが織田強化部長と握手したその顔は満面の笑顔だった。ギョロッとした目に大きい口、とてもインパクトのある顔だがぼくはその写真を見てこの選手はデキルと感じたのだった。そして柏戦で初めて観たベットは縦横無尽な動きをして1ゴールも決め素晴らしい活躍をした。間違いなくこの日両チームを合わせて1番の出来だった。とりあえずこの補強は大当たりだった。

 しかしこのベット、意表をつくパスが多いものの見方も意表をつかれて反応できないというのが徐々に目立ってきた。確かにあれに反応できればチャンスになる、だけど誰も反応できない。これはベットが悪いのか他の日本人選手が悪いのか判断に迷うとこだった。それでもベットは目立つ。積極的にボールに絡んでくるのでチームもずいぶん助けられたはずだ。セットプレーからの得点もベットが加入して増えるようになった。これはベットが相手のタイミングを外すのが上手いからだった。

 そのベットが段々粗が目立ってきた。まずシュートが入らない。そしてパスの精度がない。元々目立つ選手だから余計ミスが目に付くというのがあったのかもしれない。それでもぼくなどは観たい選手であったがペトロビッチが来てからというもの試合にも出れなくなってしまった。それでもいつかピッチに現れると思ってた矢先の出来事だった。

 これでもうベットが広島のピッチに姿を現すことはないだろう。大体こういう不祥事を起こした選手というのは解雇というのが通例だ。でもこんなことでという気もしないでもない。最近試合にも出てないのでクラブとしても困らないのかもしれない。でもこんな形でチームを去るというのは寂しい気がするのはぼくだけだろうか。

2006年9月27日 (水)

ビッグアーチへの思い

 広島の応援。これはサンフレッチェがJリーグで試合をするようになってずっと続いた問題ではないだろうか。特に最初の頃は人数が少なかった。1万人を割る事なんてざらでむしろ1万人を越えたらよく入ったと言われる程だった。といって今毎試合1万人越えてるかといえばそんなことないんだが。

 ぼくが初めてホームに行った試合、2001年のマリノス戦だった。ぼくはビッグアーチという名前からさも素晴らしいスタジアムを予想したのだがこれがコンクリートの固まりというような無機質なスタジアムだった。まあ見た目なんかはどうでもいいがそのピッチまでの遠さといったら無駄が空間が多いという気がした。そんな中で3つくらいの5人組がそれぞれ勝手に応援している。関東で鹿島や浦和の応援を観てきたぼくにしてみればそれはショックだった。そしてその応援の仕方が何か面倒臭そうに聞こえた。だったら応援しなきゃいいじゃないかという感じだがじゃあ代わりに誰がやるんだといえば誰もいない、そんな状況だった。でもこの試合、途中から上空にヘリコプターが多数飛び中継でもするのかと思った。が、同時刻中国自動車道でバスジャックがあったというのを後で知った。

 夏休みで人が集まりやすい時期だけど何か閑散としていた。それはビッグアーチの構造も手伝ってるのだろう。無駄に広いその造りは客が少ないように見える。アウェイのマリノスもサポーターが来てるが声が響かない。これは失敗作だ。広島にはこんスタジアムしかないのか。それがぼくがビッグアーチに訪れた正直な感想だ。今もその思いは変わらないがもうできてしまったものはしょうがない。陸上連盟など他の競技はビッグアーチを使う気がないからサンフレッチェが使わないといけない。サンフレッチェにはここしかないのだ。

 その後訪れたのは2002年広島での最終戦である柏戦だった。この日は2-0でサンフレッチェが勝ちJ1残留へと希望を持った試合だった。応援もこの頃には一つになりB6というエリアに集まっていた。これはバックスタンドへの応援参加を促すのには絶妙な位置なんだろう。G裏とはちょっとずれることによってTV中継などで応援の音声が入らないというデメリットがあるがそれは致し方ないことだろう。

 しかし、2006年今年訪れたビッグアーチはまたしても分裂していた。一部のサポーターがG裏に移動したのだ。応援は合わせてもののタイムラグが生まれてしまう。一体どういう経緯なのかは知らないがどうしてこういうことになるんだろう。そもそも今の時代分裂応援なんてしてるチームあるだろうか。ガンバ大阪、大宮アルディージャ、横浜FC、長らく分裂応援で悩んでたチームはみな解消された。それなのに時代に逆行されるような分裂。暗澹たるものがあった。

 元々広島の応援は一体感がないのは先に述べた通りだが、これも広島の県民性があるのかもしれない。どこかお互い遠慮するというかあまり協調しないというか。サポーターグループからして一人一人の感覚が空いてるのがよい例だ。そしてレプリカを来てればまだ人も集まりそうなものだがそのサポーターグループ自体がレプリカを着ない。他のチームを見てるとサンフレッチェのレプリカ着用率の低さは異常である。それでいてそういう人達が応援をリードしようとしてるものだからまとまる訳がなかったのだ。バックスタンドとB6と言われる空間に見えない壁ができてるのをぼく個人は感じた。

 しかし、大宮戦ではスタジアムに一体感があったらしい。分裂も解消したのだろうか。一体どうしたのだろうか。その辺の経緯は後々書くことにしたい。何せぼくも今は何も分かってない状態だから。だが本当に一体感を生んだ応援がある時、またそういう時にチームが勝ったりすると何かスタジアムに駆けつけた一人一人が勝たせたような気分になる。それはぼくが関東で体験してきたことだ。スタジアムの悪さはどうしようもない。だったらサポーターだけでも盛り上げるようにしようじゃないか。といって念に1回行けるかどうかも分からないぼくには何もできないんだが。

2006年9月26日 (火)

見えない相手への怨念

 サンフレッチェの順オフィシャルサイトと言える紫熊倶楽部の掲示板が閉鎖してしまった。何を今更という感じだがこれにより色々な伝達事項が告知できなくなったのは痛い。元々ぼくもこの掲示板から関東のサポーターを探したという経緯がある。一体これから関東での告知はどうしたらいいんだろうか。

 ネットが浸透してきてこの機械音痴なぼくでさえパソコンを触ってるという状況。そもそも初めはインターネットの意味すら分からなかった。それでも触ってれば覚えるもんだ。一応ぼくでもインターネットに接続でき新しい世界を覗いた気分だった。何せぼくが普通に生活している限りサンフレッチェ広島という言葉を聞いたことがない。それがインターネットでは探せば出てくるのである。そんな中でも紫熊倶楽部はその掲示板からサンフレッチェを応援してる人がいるんだという実感を持てる場だった。大袈裟かもしれないが2002年前後、本当にサンフレッチェを応援してる人なんているんだろうかという疑問を持っていたのだ。ましてや関東で応援してるのはぼく一人じゃないかと本気で思ってた。それが紫熊倶楽部掲示板に何度も関東でのコミュニティを作りたいと何度も書き込みをしたことから徐々に関東のサンフサポを掘り起こしたという経緯がある。だから紫熊倶楽部掲示板がなければ何も始まらなかった。それだけにその掲示板が閉鎖している現状は嘆かわしいものがある。

 閉鎖の理由だがこれが業者の書き込みが絶えないことによるらしい。何度削除しようとしつこく書き込む。それでぼくらは貴重な情報ツールをなくしてしまったのだ。このいかがわしい業者の為に。

 そもそもこういう業者の書き込みに反応する人いるんだろうか。そんな旨い話があるんならその書き込みをした本人がやればいいだろ。特に出会い系なんてぼくみたいな女の子にもてないでパソコンばかりいじくってるのを狙ってるんだろうがそうはいかない。何せこっちは今までもてなかったものだからそんな旨い話にすぐに付いていくような寛容さは持ち合わせてないのだ。そんなんで女の子と付き合えるくらいなら最初から嫌われることはないんだぞ。どうだ、参ったか!

 しかし事は本当に深刻だ。ぼくの自宅のPCにさえ業者からのメールが一杯来る。もうウンザリだ。だからぼくは考えた。こういう相手にウィルスメールを送れないかと。もしくはぼくの怒りの念をPCに乗っけて送り返せないかと。それとも藁人形でメールの送信者を呪えないかと・・・発想が段々オカルトチックになってきた。怖い映画大嫌いなのにな。怨念とは怖いものよ。

2006年9月25日 (月)

プレーの境界線

2006.9.24 親父チームvs親父チーム 近所の小学校グラウンド

 ほぼ毎週のように子供のサッカー教室が終わった後練習と称して親父達で試合をしている。平均年齢が高いせいでプレーのスピードはない。が、その割にはテクニックを持った人が多い。ぼくはこの親父サッカーに参加するようになった当初みんなサッカー経験者だとばかり思ってた。ところがほとんどのメンバーが子供がやってるんでということで大人になってから始めたということだった。ぼくはウォーミングアップでの数人で囲んでのリフティング、これが本当に嫌だった。なぜならぼくはリフティングができないからだ。最初はみんな経験者だと思ってたからできて当たり前と高をくくってたが、そうではないのを知ってからというものぼくだけできなというのがたまらなく苦痛だった。どうしてボールがあんなに真っ直ぐ上に上がるのか分からない。数人でリフティングする回数を増やそうとしてるのにいつもぼくのところで終わってしまう。あれは哀しかった。しかし、3年も通い続けたぼくはやっと10回くらいはできるようになりウォーミングアップの憂鬱はなくなってしまった。以外とサッカーはやってるとそこそこのレベルには行けることに気付く。

 そして今回新しいメンバーが初めて参加した。結構年だったので楽勝だと思ってた。実際上手くはない。だけどなぜかボールが集まる。いや、ボールタッチの回数はみんなと変わらないのだろう。だけどなぜか目立つのだ。だからその人はやたらとプレーに関わったような気になってしまった。

 これはプロでもあるだろう。カズなどは重要なプレイヤーでいてもどうしても地味に感じる。逆にベットなどはミスも多いがなぜか目立ってしまう。一体プレイヤーとしてどっちがいいんだろう。確かに地味でも確実な方がいいのだろうがそれはその選手をじっくり観察して選んでもらえたらの話である。短い時間で普通にメンバーを選考したら明らかに地味な選手は不利なはずだ。そもそもメンバーに選ばれなければ良いプレーも何もないんだから。

 といってよく考えたらカズは各年代の代表になってたんだった。やっぱり見る人が見れば分かるみたいだ。所詮ぼくの眼は素人ということだろう。でも素人サッカーじゃぼくと同じレベルの人が一杯いる。やっぱり目立つに越したことはない。だってぼくリフティング10回しかできないんだもん。

2006年9月24日 (日)

カルトの世界

2006/09/23 サンフレッチェ広島vs大宮アルディージャ 広島ビッグアーチ

 1-0で勝つことができた。だがそれがどうしたというんだろう。もうこれは最初から勝つことを計算に入れてた試合だった。順当に勝ち、勝ち点3を取った試合である。それなのに順位が変わらなかった。以前15位。入れ替え戦の1つ上。危ないことには変わりない。勝っても勝っても順位が上がらない。降格争いというゾーンから抜け出すことができない。やはり開幕からずっと勝てなかったのが響いてる。全ては小野のせいだ。そしてそんな小野と契約したクラブのせいだ。

 とはいえシーズン前に監督を探してたらペトロビッチにはなかなかったかもしれない。たまたまあの時点、あのタイミングだから来てくれたのかもしれない。しかもあそこまでチームが勝てないという状況がなかったら監督を探そうという行動に出なかったのも事実。そう考えるとこれで良かったと考えるべきなのかもしれない。

 正直なところ順位は上がらないものの不安で不安でしょうがないという状況からは脱したという感がある。それは監督が違うというペトロビッチへの信頼感からでもある。試合内容も明らかに良くなってきた。そして16位との勝ち点が8あるというのも大きい。そして浩司が得点をしたというのが希望を与えてくれた。2トップだけに得点が偏ってたがやっと中盤の選手が点を取ってくれたのである。しかも浩司のゴールというのは盛り上がる。こういう選手がもっとシュートの意識を持ってくれないと攻撃は手詰まりになる。『スーオパーサッカー』で映像を観たがやっぱり浩司はいい。チームの顔となるべき選手だ。寿人に主役の座を奪われてはいけない。そういうチーム内でのエース争いというのはどんどんやって欲しい。

 これでチームも乗ってもっと順位を伸ばす。そう言いたいとこだがサンフサポもその辺は冷静だ。まだ勝てるチームと勝てないチームがあると頭では分かってる。それでも波乱があるのではと試合前は期待してしまう。小野の時とは大違いだ。みすみす処刑台に上るような気持ちで観戦に行ってたのと本当に勝ってくれることを期待して観戦に行くのと。今考えてみれば負けると分かっててよく観に行ってたものだ。いや、よく考えるとあの頃だってスタジアムに行けば勝つと信じていた。とすればどっちだって同じということじゃないか。いや、違う。違うのだ。それはペトロビッチになってチームが変わったからだ・・・とこういう話になるともう誰も付いていけない。結局ぼくらはサンフサポで集まってはそういう話をしてるんだが話は堂々巡りである。それでいてぼくらは凄い濃い話をしてると思ってる。ある意味でぼくらはカルトの世界にいるのかもしれない。

2006年9月23日 (土)

恐怖の体験

2006/09/23 横浜FC vs ザスパ草津 国立競技場

 大方の予想を裏切り大健闘してる横浜FC。さぞ熱い戦いが繰り広げられるのだろうと思いきやスタジアムに入るとガラガラだった。これが昇格を狙ってるクラブかと思うとちょっと哀しいものがあったがJ1の試合が近場でやってるのにわざわざJ2の試合に人が集まるわけない。こういう基本的な発想が何で思い浮かばなかったのだろうか。これについてぼくは以前ある番組で鈴木チェアマンに質問をFAXしたことがある。そしたら代表の日程などの関係でどうしてもこういう日程になるということだったが、だったら何で昔はJ2は日曜開催だったのだろうか。現に次の日はJ1の試合が2試合あるし。どうも集客面でJ2軽視という気がするのだが。

 まあそういう客のいない状態だったことから先に来てた友人のハルはすぐに見付かった。しかも実にくつろいで観れる。こういうところがJ2のいいところだ。いや、当事者からしたら全然良くないよと言われそうだが。

 しかしこの日の横浜FCは攻めても攻めても点の入らない試合をしてた。ゴール前でつないでつないでシュートにいけない。クロスを上げても弾かれる。その内カウンターから失点してしまった。そして追い上げを狙うもまたカウンターを喰らい必死にカバーしようとするもPKの判定を得てしまう。これはどこかで観た光景。そう、サンフレッチェがJ2にいる時まさにこれと同じ状態になっていたのだった。J1昇格が現実的なものになってきた横浜FCはもはや狙われる立場なのだった。他のチームは自分達のステータスの為に昇格の可能性のあるチームに最大のモチベーションを発揮する。そのためカウンターを狙ったサッカーをやられる。ここが勝たないと意味のないチームとそうでないチームとの違いだ。これは苦しい。

 だが本当に点が入らなかったのはそれだけだろうか。個々の能力では横浜が上だがそれが返ってゴール前での無駄なパス回しで時間を取られて相手DFの戻る時間を与えてしまったりペナルティエリアに入っても勝負にいかないところで相手に恐さを与えてなかったようにも見えた。まさに当時のサンフレッチェと一緒だった。やっぱりJ2で勝ち続けるって難しいことなんだな。恐ろしいったらありゃしない。だから2003年シーズン、ぼくは毎週生きた心地がしなかったものだ。やっぱりJ2に落ちるって辛いことだ。と考えながらサンフレッチェに在籍してたザスパの佐田や横浜の小村のプレーを見ながら考えるのだった。

2006年9月22日 (金)

totoとの再会

 昼休み、駅前の宝くじ売り場を通る。宝くじなんて買ったことはないがtotoは以前買った。ぼくは何の気もなしに投票用紙をポケットに忍ばせてしまった。会社に帰って早速予想だ。

 広島は当然勝ち、セレッソvs福岡は引き分けて欲しい、京都は負けて欲しい、ってこれって予想になってないじゃないか。全部自分の希望の結果ばかり思いついてしまうのだ。これでは当たるわけがない。といって自分の第6感以外に頼るものがあるのか。限りなくないと言っていいだろう。そりゃ全チームのデータを集めでもしたら参考にはなる。だがそれはあくまでも参考だ。そこから予想するにしたって結局は自分の主観になってしまうのだ。

 こんなので当たる訳がない。そもそもこうやって当たらないからやらなくなってしまったのではないか。とはいえ予想をするという行為自体は楽しい。

 こう考えるとtotoってどうしてここまで人気がなくなったんだろう。やっぱり最初の年に1等の配当が1万円くらいになったのが問題だろう。せっかく当たっても1万円じゃあなと夢を感じさせないものになってしまった。それだけに延長戦を廃止するのが2年遅かった。延長戦をやれば大抵は勝敗はついてしまい引き分けはなくなる。そうすると当たる確率が大きくなり当選者も増えるということだ。この時点でくじとしては成り立たなくなってしまったのだ。

 ぼくはギャンブルはやらないが世の中には負けても負けてもパチンコや競馬に通う人がいる。結局totoには負けてもやってしまうという吸引力がないのだろう。色々と手を変え品を変えやってるが効果がないのは根本的なとこで発想が違うんだろう。一度totoの管轄の文部省は競馬、競艇、競輪、ロト、全部やってみたらどうだろうか。何ならラスベガスでカジノにでも行ってみるのもいい。もっとギャンブルとしての醍醐味を体験してみたらどうだ。

 いや、そんなことしたらまたtotoの寺銭を経費に使われるのは目に見えてる。そんな無駄なことをさせる訳にはいかない。ということでtotoにはちっとも未来が見えないのだった。

2006年9月21日 (木)

見えない境界線

2006/09/20 ナビスコカップ準決勝 ジェフユナイテッド千葉vs川崎フロンターレ  フクダ電子アリーナ

 仕事帰りに電車に乗るとジェフの黄色いマフラーをした人がいた。ああ、今日は蘇我でナビスコカップの準決勝があるんだなと気付かされる。まあそんなことに気付くのはぼくくらいだろう。世間の人は日々の生活に追われてもう家に帰ること意外何も興味はないという雰囲気だ。かくいうぼくもさすがに平日はスタジアムに駆けつけるということができない。まあサンフレッチェであれば話は別だが。

 その試合だがぼくは後で試合結果を知る。ジェフが勝ったらしい。川崎も同点に追いついて惜しかったようだな。あ、川崎は退場者がいるのか。井川、井川って。あっ、川崎にいたのか。知らなかった。

 井川裕輔、J2時代のサンフレッチェの救世主。この選手の加入によって脆くなったDFがどれ程立て直ったか。加入当初、その名前から不安視されていた。何となく井手口と名前が似てるからだ。井手口は2002年の仙台戦で相手にとんでもないプレゼント・パスをしてしまってみすみす勝ち点を失ってしまった。あれさえなければ落ちなかったかもしれないという思いから井手口には良いイメージがない。翌年鳥栖に移籍した井手口に罵声を浴びせたサンフサポがいたらしいが分からないでもない。

 だから井川に期待はしてなかった。ガンバから来たといっても所詮試合に出れないからサンフにレンタルで来ただけである。それ程の能力もないだろうと思っていたらこれがとんでもなく良かった。もう広島のバックラインは井川抜きでは考えられなかった。そしてJ1に上がっても井川には残留してもらいたかった。それどころか完全移籍をしてもらいたかった。が、J1での井川のプレーはとても誉められるものではなかった。所詮J2では光ってたというだけなのかという現実にぼくらはショックを受けた。

 結局J1の壁に阻まれるような形で名古屋に移籍。ただ名古屋はJ1であるしスタメンでも出場した。やはり能力はあるんだろう。ただ、名古屋でも完全移籍とはならなかったのはどこか物足りなさがあったのだろうか。

 そういえばあれだけ救世主となった選手なのに今のぼくの記憶にはそれ程大きな部分を占めてない。まだ同時期に在籍したDFの一人、リカルドの方が記憶に残ってる。井川がいたからJ1に上がれたとも言える。なのに記憶に残ってない。そこが完全移籍に至らない理由なんなんだろう。一体その境界線とは何なんだろう。

2006年9月20日 (水)

You can’t always get What You want

2006.9.18 サンフレッチェ広島ユースvs東福岡高校 秋津サッカー場

 「今年のユースは弱いですよ」

 「エッ、ユースの試合あったんだ」

 「習志野でね。それ終わってこっち来たんですよ。見たことある顔も何人かいましたよ」

 そんな試合があったとは。ぼくは全く知らなかった。習志野だったらうちからもそう遠くない。行けたに違いないがそれ程ガッカリもしていない。正直ユースをそこまで追うのもなという気もする。

 そもそもサンフレッチェは他のチームに比べてユースの注目度は高い。それは毎年ユースからの昇格選手がいることからも優秀な選手が多いからだ。そして実際ユースの中では際立った強さがある。確かにぼくも2004年の高円宮杯の決勝など前田俊介の活躍で圧倒的な強さを見せ付けられた。優勝という栄誉も勝ち取った。だけどそれはユースの話だ。本当はトップにもっとがんばってもらわいといけない。それが強いからと紫熊倶楽部などがユースの記事を載せたりするのはどうも違和感があった。何だかトップのチームが弱いからユースを記事にしてお茶を濁してるという気がしてたまらなかった。

 それにしてもサンフレッチェにとっては貴重な選手の仕入れどころ。良い選手はいないかと思ったが目立った選手はいなかったということだった。それどころか元気がなくとても今年の選手からは昇格が望めないということだった。現在トップでもスタメンとして定着した感のある柏木などはやはりユースの頃から大きな声を出して周りを動かしてたらしい。

 とはいえユース上がりの選手で重要な選手であるのは森崎ツインズ、駒野の後は今年入団した柏木まで空白がある。その間ユースとしては素晴らしい成績を挙げてたが肝心のトップの戦力になるという面で物足りなかった。だから今回のユースが駄目だということでもそれ程重要なことではないと思ってる。

 毎年毎年期待の新人選手が入ってくるもののことごとく期待で終わってしまってる。まあ監督が悪かったからしょうがないのだろうが今はペトロビッチだから大丈夫か。でもこういう時に限ってユースにいい選手がいないときてる。駄目な監督の時に良い素材を持った選手が入り、良い監督がいる時にユースに良い選手がいない。何か不憫だな。世の中どうしてこうもうまくいかないものか。

2006年9月19日 (火)

Football Experience

2006.9.18       フットサル仲間vs中学生チーム 近所のフットサルコート

 近所のフットサルコートを予約してたこの日、午前中大雨が降ってたこともあり今日は集まりが悪く試合ができないような状態だった。だからぼくらは前の時間プレーしてた人に声を掛けて対戦相手になってもらった。1時間という限定だが相手になってもらったことでぼくらは試合をすることができた。

 しかし、1時間経って仕事があると対戦相手が切り上げてしまった。これでまた最初の8人に戻ってしまったのだが今度は隣のコートから人を借りることにした。それが少年サッカーチームの練習のようだったが付き添いで大人もいた。だからぼくらは大人が来てくれるものだとばかり思ってたが何と中学生が来てしまった。当然現役でやってる子である。その子のドリブルはスピードがありとてもぼくでは付いていけなかった。

 そのうち今度は対戦をしようということになり中学生チームと試合をすることになったのだがこれがもう勝てない。こちらも高校生が主体だがいかんせん趣味でやってる連中なのでプレイの質が違う。中学生に勝てない。屈辱的だ。

 でもそうでなくては困る。これから選手としてピークに向かってく子供たちがぼくに負けるようではいけない。まあ彼らも色んな相手と対戦するのはいい経験になる。といってぼくのようなのを相手にして経験になったかどうかは分からないが。

2006年9月18日 (月)

ネットに依存

2002.9.17       川崎フロンターレvsジュビロ磐田 等々力陸上競技場

 ゴン日本人最年長弾38歳最後の試合で、FW中山が今季初ゴールを決めた。後半33分。太田のシュートが相手GKにはじかれ、それを拾った前田のシュートはバーに嫌われたが、こぼれ球に背番号9が頭から飛び込んだ。「体を投げ出してからは、枠に行くか行かないかの勝負だった。首を鍛えてよかった」

 リーグ戦では昨年10月29日の広島戦以来、323日ぶりの得点。38歳11カ月25日でのゴールは、ラモス(東京V)を抜いて日本人ではJ最年長。さらにカズ(横浜FC)、沢登(前清水)に並ぶ史上3人目のJ1・13年連続ゴールとなった。

 中山より年下のアジウソン監督が7月に就任し出場機会が激減。練習で怒りをぶつけたりもしたが「与えられた時間に結果を出さないと、サッカー人生が終わってしまうから」と前向きな気持ちは忘れなかった。「僕が頑張れば若手も頑張る。これからも若手の尻を叩く」。23日の大分戦で39歳になる男の闘志は衰えない。

[ 20060918日付 スポニチ ]

 これが朝のニュースで取り上げられた。映像の後解説員は何となくごっつぁんゴールという感じがしないでもないけどと言ってた。まあ見る人が見ればそうなるのだろう。だけど実際自分でやってみると分かるがごっつぁんゴールというものはほとんど存在しない。シュートの跳ね返りがたまたま自分のところに来たというのはそういうポジショニングの勝利でありそこまでゴール前に詰めてたということを賞賛すべきだ。元々中山自体そういうゴールが多い。ということはこの解説員は中山の選手としての特徴もサッカーのポジショニングの難しさもまるで分かってないということである。TVに出て記事を紹介する人からしてこれであるから暗澹たるものがある。

 Jリーグももう13年になる。それなのに世間の人はまるでサッカーのことを理解してない。いや、世間の人ならまだいいがこうしてTVで堂々と解説する人からしてそうなのだ。だから日本ではろくでもないスタジアムばかりできるんだろう。結局お役所にしてもサッカーなんか観たこともないような人ばかり。設計に携わる人もサッカーなんか観たことない。だから観戦のしやすさより外観重視になるんだ。スタジアム建設を芸術作品の創作とでも勘違いしてるのではなかろうか。しかもサッカーしか用途がないのにわざわざ陸上競技場にされてしまう。ぼくらは何て虐げられてるのだろう。

 そういう一般的には無視、あるいは疎外されてる存在だからぼくらはネットを使う場合が多い。特にサンフレッチェ・サポーターはその傾向が多い。それだけに準公式サイトである紫熊倶楽部BBSが閉鎖されたままなのは哀しいことだ。これは業者の書き込みで荒らされた結果だが早く復帰して欲しいものである。じゃないと関東で試合があってもみんなに呼び掛ける手段がないじゃないか。

2006年9月17日 (日)

不思議な人種

2006/09/16 浦和レッドダイヤモンズvsサンフレッチェ広島 埼玉スタジアム2002

 負けたけど清々する、そんな気持ちだ。確かに負けた瞬間はショックだった。柏木は代えない方が良かった、浩司はミドルシュートを狙え、ゴール前にいったら誰でもいいからシュート打て、前田俊介をもうちょっと早く出せよ、ハンジェ・・・あれは入れろよという不満を試合後に言い合った。そして何よりもタスキに入ってるコアサポが無言のままピッチを見つめているのが全てを物語ってた。あれは勝っても良かった。事実最後は浦和も露骨な時間稼ぎをしてた。苦しいのがハッキリと分かった。だからこそ・・・ああ、やっぱり勝って欲しかった。勝てないまでも引き分けまではいって欲しかった。

 この試合何といってもウェズレイのキープ力が光った。これは両チーム合わせても一番の出来なんじゃないだろうか。そして柏木の運動量ときたら。本当にボールの来るところによく走り込んでぼくらをワクワクさせてくれた。チャンスは作った。ピンチも防いだ。交代する前も果敢にボールを追ってた。だからこそ最後まで使ってほしかった。そしてダバツがヘディングでことごとく勝ってた。惜しいミドルシュートもあった。ようやくサンフレッチェにも馴染んできたようでその能力を見せ付けてくれた。そしてやっぱりGK下田だ。今日も何点防いでくれたことか。下田のスーパーセーブにはいつも興奮させられる。そして試合を通して実に安定している。間違いなく日本で一番のGKだ。

 一体これだけの要素がありながらなぜ負けてしまったんだろう。というかレッズには勝てない。これはレッズがJ2に降格した時でさえ勝てなかったのだからこれはもはや重症である。ただ試合内容とすれば良かったので悲観はしない。いや、あれだけチャンスがあったのに点取ってくれよ。

 そんなことを話しながらぼくは仲間と浦和美園駅まで歩いていった。駅までの20分間同じ話ばかり繰り返しそして降格のライバルチームの勝敗について話し合うのだった。実に同じことを延々と続けている。

 今日は寿人にはシュートらしいシュートがなかったな。というかウェズレイ以外みんなシュートしない。ちょっとでも前が開いたらシュート打てよ。入らなくってもいいんだよ。浩司が思い出したように全然枠に入らないシュート打ったがあれはタイミングといいぼくらの声が聞こえたのではなかろうか。そのシュート自体もとりあえずは打たないとマズイなという気の弱いものに見えた。

 まあ優勝争いをしている浦和に負けるのは想定の範囲内のことであった。だから次をかんがえることにしよう。次は勝たないと本当にヤバイ。それだけに今日勝てると大きかったのになあ。浦和は絶対に焦ってたよ。やっぱり勝てたんじゃないのか?

 ああ、やっぱり同じことばかりを繰り返してしまう。仮に10年後この試合のことを仲間と振り返ったとしたらまた同じことを言ってそうだ。サポーターなんてこうやって同じことの繰り返しを飽きもせずできる人種じゃないとできない。といって飽きっぽい性格でもサポーターをやってる人はいる。一体限りないマンネリともいえる行為を平気でさせてしまうサッカーとは何なのか。そして浦和には勝てないと頭では考えてスタジアムに行くぼくらの思考はどうなってるのか。当然試合前は今日は勝つと信じてるこの楽観性は何なんだろう。一歩下がって考えてみるとぼくらは実に不可解な思考と行動力を持っているようだ。

2006年9月16日 (土)

Love in Vine

2006/09/16  浦和レッズvsサンフレッチェ広島 埼玉スタジアム

 どうしたことだろう。ぼくは今までで一番メリハリのない朝を迎えてしまった。連休のため気持ちがダレてるんだろうか。それともそんな日もあるよということだろうか。とてもサンフレッチェの試合がある日だという気がしない。その証拠にぼくはチケットすら買ってないのだ。まああの6万人収容の埼玉スタジアムが満員になることはないが。それでも2004年シーズンは最終節ということもあってかなりヤバイ状況だった。あの時はなぜかアウェイ自由席も完売しバックスタンドのチケットを買ってゴール裏に入るというサンフサポもいた。実際にスタジアムも満員には近いが全く空席がないという訳ではなかった。特にアウェイ自由席なんていつものように余裕で座れた。なのでぼくらは「ここだけビッグアーチになってるよな」といつも空席だらけのホームを引き合いに出して話してたのだ。しかし一体あれは何だったのだろうか。

 そしてメンバー紹介の時は当然のことながら盛田に大ブーイングだった。さらに交代出場した時も地響きが渡る程のブーイング。あまりもの予想通りの反応に笑ってしまった。鳴り物入りで入団したレッズでは試合に使ってもらうもののなかなかゴールが奪えずチームも成績不振に陥って最後にはJ2へと落ちていった。ある意味盛田は降格の戦犯なんだろう。その後も川崎、大宮などでプレーするも満足な活躍はできなかった。そんな選手を使ってるんだからサンフレッチェも凄い。

 あの時は1-0で負けてしまった。よりによってトゥーリオにやられてしまったのである。サンフ在籍時にはこの浦和にチンチンにされてしまったというのに。しかもショックを上乗せするのは浦和に退場者が出てたということだ。こういう数的有利な試合を利用できずいつも負けてしまう。最後の最後で情けなさを再確認させられてしまったのだった。

 ただ良かったことが一つだけある。ホームの浦和は最終節勝ったことでほとんどの人が席から離れなかったことだ。お陰で駅までスムーズに帰れたよ。ああ、そんなこと言ってむなしい。浦和との試合はいつもこういうむなしい思いをさせられるんだよな。

2006年9月14日 (木)

アンチ・ヒーローズ

2006.9.14       マンチェスター・ユナイテッドvsセルティック オールドトラフォード

 やっぱり日本人選手がヨーロッパのクラブにいるといい。こうやって地上波の放送で中継が観れるからだ。中村はFKにより得点したがよくあの場面で決めたと思う。同点にして試合を振り出しに戻したから貴重な得点だ。こういう得点こそが本当に価値のあるゴールだと思う。だからそういう選手にはぼくらも情熱を傾けてしまう。サンフレッチェであれば寿人であり前田俊介である。昨シーズン前田俊介の決勝ゴールは3回あっただろうか。だからこそぼくらは俊介に期待しているのだ。

 中にはどうでもいいような時に点を取る選手もいる。それがぼくの印象ではマルセロだ。2003年シーズンの福岡戦、3-0でもう勝敗は決まったような時間でゴールを決めた。それでいて肝心な点の欲しい展開の時はことごとくシュートを外した。そんな3流選手を使い続けた小野もどうかしてる。だからこそ2人共ぼくは大嫌いだ。ぼくにとってこの2人はサンフレッチェの歴史の中で異物であった。この2人がいるから純粋に応援できなかった。だから今どんなに晴れ晴れしい気分でチームを応援できることか。

 ぼくは仲間内で小野に一度好きな選手集めて試合させてやりたいなと話したことがある。大好きだったマルセロと中山元気と上野の3トップで。トップ下は大木、ボランチはリ・ハンジェとミロ。ディフェンスは井手口、ビロング、池田か中里、ついでにMFでどこかにミゲル・シモンを入れれば完璧だ。GKだけは思い浮かばなかった。

 小野に好きな選手を集めさすと言っておいて結局はぼくらが持ってるマイナス・イメージの選手を並べただけなのだ。ここに挙げた選手はプレーで失望させる要素をたくさん持ってるものの決して全部が嫌いという訳でもない。大木などはまさにサンフレッチェ的なキャラクターだし中山元気はぼくの地元多々良高校出身の選手だし。ただこの逆オールスター、本当に企画として試合があればぼくは絶対に観に行くだろう。それこそ飛行機に乗ってでも。歴史のあるヨーロッパのクラブでもこんな企画はやったことがないだろうな。

2006年9月13日 (水)

季節の移り変わり

 1日中雨が降りもうすっかり秋の気候になっていった。さあ、読書の秋、食欲の秋、勉強の秋を満喫しようじゃないか。と言いつつ年がら年中サッカーの本を読んでいて食い物は質より量を選び勉強はすでにとりたてて免許を取るとかいうこともない年なのでぼくにとっては何も変わらないのだ。むしろこれから涼しくなっていってJリーグの始まる時間が早くなる。それについてぼくはどうやったら試合を観れるか頭を捻らなければいけないシーズンが到来したという感じだ。土曜なぞ仕事があると昼間の試合じゃ絶望的だ。そういう時ぼくは潰されそうな心境で仕事をこなしている。この心の痛みは誰にも分からないだろう。そう、その時間スタジアムでサンフレッチェの応援をしている仲間以外は。

 サンフレッチェの試合を観ても良い思いをすることは滅多にない。それが分かってるのにぼくはサンフレッチェの試合が観たい。そして不甲斐なく負けてしまった試合を観た後は簡単には立ち直れない。ぼくはそんな時実はフーリガンの気持ちが分かるのだ。何かをぶっ壊したい衝動、相手サポーターをぶちのめしたい衝動、そして大騒ぎしたい衝動。おおっ、いかんいかん。こんな危険な思想を持っては。

 しかし、実は多くのサッカーファン、とりわけ特定のチームを応援するサポーターにとっては観に覚えある感覚だろう。実際にこうどうには出さないが思ったことぐらいはあるはずだ。要はやるかやらないかだけでフーリガンというのはやる側の人間なのである。結構彼らの中にも普段は普通の社会人をやってる人もいるというので特別な人間というのではなさそうだ。だがその境界線はどうやって踏み越えるのだろう。

 ぼくは結構ささいなキッカケだと思う。実際にフーリガンに会ったこともないので憶測だが愛するチームを応援する内にたがが外れたという感じなのだろう。ただイングランドなどはフーリガンもスタジアムに入れないことから形骸化されてフーリガンのファッションをしたりする若者もいるらしい。まさに格好だけってやつだ。スタジアムの警備員もそれがファッションだというのは分かってるから特に入場を差し止めるということもないらしい。あれっ、これってどこかで似た現象があったような。

 そうだ、パンクだ。ぼくはリアル・タイムではないもののパンクを片っ端から聴いた。人には時代遅れのパンクなどと嘲笑されたがその内シド・ビシャスのネックレスをする女の子やロンドン・ブーツを履く学生なんかが出てきた。その為本来のパンクはパンクの意味を失いファッションの一部とされてしまったのである。それで最近では本来のパンクのことをパンクスと呼ぶようになっていったのである。その内フーリガンも別の言い方をするようになるんだろうか。

 それにしても何でこんなこと突然考えてしまったんだろう。やっぱり涼しくなったからだ。暑いと思考能力が低下する。ということは涼しくなるとより思考をこらしながら試合を観ることができそうだ。やっぱりそれが秋の魅力だろう。

 といって帰る時には勝てば良かったとこをお互いに称えあい負ければ戦犯探しをやってチームをボロクソに言う。それが思考を凝らした大人の姿なんだろうか。ということは季節が変わってもぼくは何ら変わらないということではないか。

2006年9月12日 (火)

まどろみに漂う

2002.8.10 東京ヴェルディ1969 vsサンフレッチェ広島 味の素スタジアム

 やっと甦った。ぼくはここ2日程熱にうなされてたのだ。理由は分からん。ただ日曜にサッカーの試合に出て自転車で帰る途中異常を感じた。ただその時は暑さで身体が疲れているのだと思ってた。しかしその後頭は痛くなるし身体が熱いしおかしいことに気付いた。それでも病は気からと身体を張って仕事へ行き終わったら速攻で病院へ駆けつけた。実はもう診療時間が終わってたのだが「もう終わりですかねえ」との問いに先生は「大丈夫ですよ」と答えてくれた。ああ、ありがとう。医者なんて金持ちのロクデナシなんて思っててごめんね。こんな状態で受けた診察だからぼくは治療費がとても安く感じた。いや、そもそもそういう感覚になってしまうこと自体ぼくは異常だったのだろう。

 でもぼくにとってショックだったのはそれがサッカーをしてから調子が悪くなったということだった。そもそもスポーツをするというのは健康の為とかいう理由でポジティブな要素のはずだ。そのスポーツをやることによってぼくは病気になってしまった。だったらやらなければよかったじゃないかという話になる。これはマズイ。

 ただぼくの場合扁桃腺の腫れる持病があり熱が出る時は大抵ここから出る。そしていきなり高温の熱が起こる。さすがに医者も手馴れてるものでその辺のぼくの習性は見事に見抜いていた。医者で出してもらった薬は本当によく効き翌朝は大変スッキリとした目覚めを迎えることができた。

 そういえば過去にぼくは熱でサンフレッチェの試合を見逃したことがあった。真夏なのにもう立てないくらいの熱が出てチケットを買ってたにも関わらず布団の上で過ごすことになった。あの時は本気で熱があってもスタジアムまで行こうかと思ったがそれ途中で倒れでもしたらとへタレな不安感がぼくを阻んでしまったのだ。後でその試合はビロングとエジムンドの対決が見ものだったとサッカー雑誌に書かれていた。ビロングが活躍した数少ない試合、だからその試合はぼくは観てないのに印象に残ってる試合なのだ。

 もしあの時観に行ってたらここまで印象に残ってただろうか。それともより鮮明に記憶として残っただろうか。この試合の存在自体は凄く記憶に刻まれてるのにスコアは覚えてない。やっぱり倒れても行けば良かったと熱の引いた今は考えるのだった。

2006年9月10日 (日)

異邦人

20060909 FC東京vsヴァンフォーレ甲府 味の素スタジアム

 土曜の週末、関東にいる限りサッカーの試合を観るのに色んな選択肢がある。だからぼくは大抵は一番近いフクダ電子アリーナへ行くことが多いのだが今日は味の素スタジアムを選んだ。その理由は甲府が気になったからである。下位の順位でサンフとひしめき合ってるという意味では負けて欲しい相手である。だから東京の応援をしに行ってきたといいたいとこ

だがアウェイ席に座ったぼくは無言で椅子に座っていた。しかし徐々に埋まってくる甲府サポーターの中でぼくは異邦人としてとても浮いた存在になってしまったのだった。

 結構ぼくのようなどちらのチームも応援してない中立者はアウェイゴール裏を選ぶと思う。単に席が空いてることからくつろいで観れるということで。だが甲府サポーターがこんなに来るとは思わなかった。これにはアウェイ・エリアを狭めて空白エリアを作った主催者は失敗したと感じたはずだ。その煽りを受けて東京側のエリアも削られたものだから結構立見の人がいた。この辺も前売券の売れ行きから判断するんだろうが予想外に当日券の客が来ても対応できるようなプランも立てるべきだろう。

 それはいいとして試合が始まると甲府サポーターは異常な盛り上がりを見せる。アウェイゴール裏みんなが応援に手拍子を合わせた。ぼくの隣りには甲府レプリカを着た爺さんが座っていたのだがリズムが狂いつつも必死に手拍子を合わせる。この雰囲気ってどこかで感じた。そう、ぼくらサンフレッチェがここで試合をした時感じた雰囲気である。あれはぼくらだけが体験した特別なものだと思ってたが他サポーターはこういうことを続けていたのである。その熱に押されてぼく自信も甲府寄りな見方をするようになってしまった。

 試合は1失点あったものの3点も入れての勝利。しかもその1点目は茂原の得点だ。一緒になって立ち上がることはなかったが身を乗り出してしまった。ピッチの選手も含めて誰もがひたむきだ。これはぼくらサンフサポも見習わなくてはいけない。

 スタジアムを後にした時サンフレッチェが名古屋と引き分けたことを知った。この甲府と入れ替えて順位を一つ落とした。こういう試合を観ると他のチームもまだまだ手強いことを思い知らされるのだった。

2006年9月 9日 (土)

サンフレッチェを応援する自信

2006/09/09 サンフレッチェ広島VS名古屋グランパス 広島ビッグアーチ

 月曜日休みが取れたら帰省を兼ねて広島に行こうかと思ってた。だがその仕事の流れからその可能性の薄さと自分なりに空気を読むことにより休みの申請はしなかった。ああ、ぼくって何て良識的な社会人ってそんなの普通の人なら当たり前だろう。だがその当たり前のことがサッカーを前にしたら無に帰することがある。そしてそういうぼくの動向はほとんど理解されないのでたちが悪い。この前も観に行ったでしょと言われるがそういう問題ではないのだ。サンフレッチェが存在する限りその場に居合わせたいのだ。そしてその戦いを体験したいのだ。

 そういう感覚というのはレアル・マドリードのファンクラブに入るような日本人にもあるのだろうか。そういう日本人については『白の軍団』の中に記述があった。はるばるマドリードまでツアーを組んで来た日本のファンクラブ会員だが彼らはみんな特定の選手の追っかけをやってるようだ。そして以外にもベッカムが好きという人はいないらしい。そういう人にとってベッカムはミーハー過ぎてダメなのだろう。結局彼らはレアルというブランドに浸ることに優越感を得たいんだろう。そしてこんな通なんだという意識を持ちたいがためにベッカムじゃあダメなんだろう。でも例えばフィーゴのファンだという人がインテルに移籍した今インテルのサポーターになるのだろうか。分からん、ぼくには分からん。ぼくはそういうサッカーの見方してないし特定の選手だけを観るという観方をしてないからだ。ぼくにとっては未知の領域だ。

 そりゃぼくだって久保がサンフを離れた時は悲しかった。でもそこは森崎ツインズと駒野に新しい可能性を期待したし試合をこなす中で高橋豊や茂木弘人が新しいエースと成長することを目にしようと楽しみにしてた。どんなに試合に勝てまいと久保がいればと考えることはなかった。

 サッカーの楽しみ方も人それぞれ。別にぼくがどうこう言ういわれはない。だけどぼくがスペインに行って本当にスペクタクルなサッカーとその雰囲気に浸ったらどうなんだろう。それでもぼくは変わらずサンフレッチェを応援してる自信がある。だってあんなにショボくて情けなくて人気のないクラブをここまで応援してこれたんだから。

2006年9月 8日 (金)

いきなり、サッカーが上手くなる!

 『いきなり、サッカーが上手くなる!』

 野暮なタイトルの本だ。まるでこれは誰でも80点取れる英語テキストみたいなニュアンスである。実際にはどんなテキスト使おうと勉強して勉強して中身を暗記するくらいにならなければ同じことである。つまりはそのテキストを買っただけでもう安心してしまうようなタイトル、これは返って危険である。それでいながらぼくはこの本を手に取った。それもそのはず、寿人が表紙を飾っているからだ。さらに核心インタビューとして得点力不足に終止符を打つ男と紹介されてる。確かにどうやったら点を取れるかということについて寿人以上に適任者はいないだろう。

 しかしこの本のメインテーマは「二軸サッカー」である。キックではなく走りと姿勢こそが大切ということだ。その為に二軸走行というものが注目されるようになってきたのは知ってる人は知ってるだろう。日本人選手がシュートを外すのもよく転ぶのも一軸走行をしてるからだということだ。つまり身体の中心線の一軸と左右両足による二軸という違いである。トップレベルの外国人選手はこの二軸走行をしているためにキックの後の動作が止まらない、ボールにパワーが伝えやすい、転ばないということがあるらしい。以前このテーマを『サッカー批評』で初めて読んだ時衝撃を受けてしまった。ぼくらは日本人選手がシュートをふかしたりトラップミスをしたりするのは精神的なものだと考えてた。しかし実はその走りに問題があったようである。それを簡単に説明してそのトレーニング方法まで掲載されている。今まで同じテーマで関連本もこれが一番写真が多くて分かりやすいだろう。

 これでぼくも二軸走行を覚えてサッカーが上手くなる。まるで誰も知らないCIAの機密情報を得たかのような感覚になってしまう。そしてぼくは勉強もせずに英語のテストで80点取れる気になってしまうのだ。そして実際にサッカーの試合をやって打ちのめされて帰ってくるのだ。

 こんな本、本来サッカーの指導者にでも読んでもらわないと意味がない。ぼくも幼児のサッカー教室でお手伝いはしているが自分ができないものを教えられる訳がない。といって実際の指導者がこういうのを読むとどう感じるのだろうか。中には今までやってきたこと全否定されてるようで受け入れられないのではなかろうか。その辺指導者の方々が柔軟なことを期待したい。

2006年9月 7日 (木)

オシムの苦悩

2006.9.6       イエメンvs日本 アリ・モーセン・スタジアム

 もうぼくはこれをどう表現したらいいんだろう。標高2300メートル、荒れたピッチコンディション、アウェイの地、まだ連携が取れてない、そんなものを理由に挙げればいいんだろうか。それとも代表なんて興味ないと開き直ればいいんだろうか。でも忘れてはならないのはこれが今の日本代表のトップメンバーなのである。それがイエメン相手にロスタイムにやっと1点入れて勝つことができた。本当にやっと勝ったのである。

 相手のイエメンはアマチュア選手だという。ということはJリーグにも入れない選手ということだと思う。それなのにそういうチームに薄氷を踏むような勝ち方をした。一体どういうことなんだろう。一人一人の能力は日本の方が上じゃないのだろうか。それともそれはぼくの思い込みだったのだろうか。

 ぼくらはJリーグを観てこの選手はいい、あの選手はいいという議論を交わす。そしてそういう選手が代表に入ったら戦力になるだろうという話をする。今までジーコはそういうぼくらの要望をことごとく無視したかのような人選をしてたがオシムはかなりぼくらの感覚で選手を選んでいる。つまりぼくらの望む選手が出てる訳だ。それで強くならない。一体ぼくらはこの事実にどう向き合えばいいんだろう。

 オシムもさぞ辛いだろう。オシムが率いたユーゴスラビア代表は東欧のブラジルと呼ばれ選手の質が高かった。世論を跳ね除けたメンバーを選んだりしたらしいがそれとて選手層が厚かったとも取れる。それなのに日本のマスコミはオシムがユーゴスラビアをW杯でベスト8の成績にしたと紹介してた。だから日本もW杯でベスト8に入れるとでも言わんばかりだ。でも結構ぼくらもその報道に流されてる面もある。そういう中でオシムのプレッシャーは大きいだろう。もう日本に2年半いたんだからそうなることは予想できただろうに代表監督を引き受けてくれたことに今更ながら感謝してしまう。

 一体日本代表はどのレベルまで落とせば圧倒的なサッカーを魅せることができるんだろう。

2006年9月 5日 (火)

日本のFW

2006.9.3       サウジアラビアvs日本 ジッダ

 日本代表にオシムが監督となりぼくらはこれでもう安泰と思ってた。だがそれは大きな誤解と過信だった。ぼくは1点先制された後もその内点を取るだろうと思いながら観ていた。だけどシュートを打っても枠に行かない、ゴール前でパスを廻す、ゴール前でのドリブルがない、結局何か変わったことがあるんだろうか。ジーコの時はアジアレベルではちゃんと勝ってた。いや、アウェイのイラン戦は負けたから一緒なのだろうか。いずれにしてもガックリである。

 この試合で駒野も寿人も出場した。だけどチームは勝たなかったこともあり不満が残る。もはや代表に選ばれただけでは満足できなくなってしまった。代表選手になるってそういうことなんだろう。

 この試合で日本の選手の個のレベルが低い印象が残った。だとしたらやっぱり監督はジーコの方が良かったのだろうか。こうやってジーコが良かった、トルシエが良かったと繰り返していくんだろう。本来オシムはそういった監督より能力が上のはずだ。それで駄目だったらぼくはもう日本のサッカーに期待できなくなってしまうのではなかろうか。こうやって1試合で大騒ぎする辺りぼくも大衆と大して変わらないような気がする。

 だけど日本の選手の決定力のなさは酷い。そういやJリーグでも得点王争いをするのはいつも外国人。しかも世界的にはそれ程有名ではない選手。そんな中で寿人だけは得点ランキングの上位に位置している。やっぱりFWの得点は寿人しか期待できないだろう。

 そういえばセリエAではまた日本人の選手の獲得を狙ってるクラブがあるらしい。そんなの攻撃の選手に決まってるだろうが一体誰なんだ?それを考えると寿人しかいない気がするんだが。そんなことになったらぼくはどう反応すればいいんだろう。いや、そんなこと今考えてもしょうがないな。

2006年9月 3日 (日)

思い出の柏スタジアム

2006.9.2       柏レイソルvs湘南ベルマーレ 柏スタジアム

 あれは2002年だった。柏スタジアムでの試合でGK南がサンフレッチェ・サポーターに中指をおっ立てた。その態度に憤慨するサンフサポ。さらにそれを煽り立てる南。この時はぼくも頭にきた。ぼくの家からは行きやすい場所にある柏スタジアムだが以来柏へは観戦に行かなくなった。そしてこの年残留争いのライバルだった柏は最終節でやる気のないガンバ大阪に余裕で勝ってぼくらサンフレッチェ広島はJ2へと落ちたのである。だからぼくは千葉に住んでいながら柏レイソルにはとてつもなく悪い感情を抱くようになったのだった。

 時は流れJ2での1年間を終えた後再びJ1の舞台で柏と対戦するとこになった。サンフレッチェはそれまでなかなか勝ち点を積み重ねず苦しいスタートを切っていた。そんな中ホームでの対戦は予想もしないことが起こった。

 南のオウンゴール。

 これが何だったのか実は現地で観戦してる人にも分からなかったらしい。だが映像でははっきりと映ってた。南がボールを投げようとしたら手元が狂ってそのまま自陣のゴールに入れてしまったのである。これで勢い付いたサンフレッチェはこの試合で勝つことができ、しかもその後も勝ち点を重ねていくというキッカケとなった。そういう意味では南様様である。

 その後柏スタジアムでのアウェイ戦でゴールの位置に付く南にサンフサポは南コールをした。南もそ知らぬ顔をしてそれに応える。ぼくらは2年前に受けた屈辱などはとうに忘れてしまい笑いが起こってしまった。そして南がキャッチする度に「南、手で投げろっ!」という声が起こった。さすがにそう何度も同じミスをする訳がないのにぼくらはまたゴールにボールを投げてくれることを期待してたのだ。

 結局その試合は勝てる要素が一杯あったものの勝つことはなかった。ベットの縦横無尽の動き、盛田の前線での踏ん張りがあるも後一歩が足りなかったというとこだろうか。だけどぼくは柏に対する怨念はすでに消えていたのだった。だからJ2にいる今シーズンは柏スタジアムには何度か行ってる。やっぱり近いから行きやすい。できればこのままJ2にいてもらった方がぼくとしてはサンフレッチェと試合が重ならない分観に行きやすいのだがそれはいらぬお世話だろう。というかやっぱりJ2において柏は抜けていた。

 湘南ももうちょっとやるのかと思っていた。だがそれはミスのオンパレード。ミドルシュートを打ってもまるで枠には行かないし決定的なチャンスにもゴールを決めることができない。この湘南に柏は余裕で勝つことができた。40という結果ながらもぼくはもう2点取った時点でスタジアムを出てしまったのだ。あまりにも違いすぎる。

 でも思うのだった。サンフレッチェはJ2時代この湘南に負けたことがあるのである。そして何度もCKを得るがちっともゴールに入らなかった。今考えても歯がゆくなってくる。あの頃に比べたらチームも大分良くはなっている。だけどあそこまで酷いチームになったというのはやはりJ2のレベルに合わせてしまったんだろう。改めてJ2って恐ろしいとこだ。今年もどうかJ1に踏みとどまれますように。

2006年9月 2日 (土)

小村の移籍

 小村徳男が横浜FCにレンタル移籍する。この移籍に関しては全くといっていいほど報道されなかった。ぼく自身知ったのは広島フットボールHPのトピックからである。小村には助けられた部分は多い。さすがにもう今年は出場の芽がないとはいえこの扱いの小ささは何だろう。レンタルだからそう騒ぐこともないということだろうか。いや、ぼくはもう戻ってはこない気がする。そしてそれは誰もが気付いてるはずだ。

 小村が来た2004年シーズン、鹿島の秋田が獲れなかったことでせいぜいその代用の選手くらいにしか思ってなかった。しかもそれは相当にロートル、もう終わった選手という見方をしてしまった。それが開幕からスタメンをはるやゴールまで奪ってしまった。その後もDFの中央に入りラインのコントロールなどをこなしてサンフのDFの要として貢献してくれた。特にスーパーな選手ではないものの少ないゴール数ながらもJ2に落ちないで済んだのは失点の少なさだったろう。そういう意味では小村には感謝している。

 ただ、ぼくは小村を受け入れることができたのは1年経ってのことだった。本当ならぼくは上村にその役をやってもらいたかった。だけど戦力構想から漏れ若手もこれといった軸となる選手が見当たらなかった。そしてサンフが獲れる選手となるともういつ引退してもおかしくない小村になったのは自然な流れだったのだろう。恐らくサンフ以外に獲得の手を上げたクラブはないだろう。

 ぼくは小村なんて使えるのか不安でしょうがなかった。それよりも若手に経験を積まさないでこんないつ引退してもおかしくない選手を入れるとはと強い不信感を持ったものだ。しかしその誤解を解くのにぼくは1年という歳月を要したのだった。

 果たして横浜FCでは試合に出ることができるのだろうか。いや、出るだろう。そうでなければこの時期に横浜FCが獲る訳がない。つくづく小村は息の長い選手だ。

 それにしても横浜FC、三浦カズに山口素弘に城彰二に今回の小村、そして監督高木琢也って本当に旧日本代表のOB会のようになってしまったな。といってバカにすることはできない。何せ昇格争いをしているんだから。サンフレッチェもいつまた抜かれるか分からない。現に2004年シーズンの天皇杯では負けてしまったのだから。その前の年はJ2でこのチームには一度も負けなかったのだが今やると分からない。やっぱり入れ替え戦なんかやりたくない。絶対に15位以下に落ちちゃいけない。もし横浜FCが入れ替え戦に出てきたら高木琢也の指揮するチームと対戦することになる。そしてそのピッチには小村もいるだろう。今年の甲府戦の茂原を例を出すまでもなくそうやってサンフを去っていった選手はこういう場面で活躍しそうだ。嫌だ、嫌だ、絶対嫌だ。頼むから無事14位より上でシーズンを終わっていれ。

 それにしても毎年毎年降格圏内の順位から脱出したら早くシーズンが終わってくれることを祈ってしまう。だけどシーズンが終わるともう終わったのかよと寂しくなる。ぼくはサンフレッチェを応援している限り本当に楽しんでシーズンを過ごすことはできないのだろうか。

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